――十月といえば、茜ちゃんも気分が落ち込むわよね……。
長月美千代はそんなことを思いながら、本日の勝負服を決めた。とはいえ、彼女のスーツはいつも赤と決まっており、微妙に色合いが違うだけだ。ただし勝負服ともなれば素材も違うのだ。素材が違うだけで何かが劇的に変わるわけでもないが、それでも願掛けのようなものだ。気分がしゃんとする。
「会議の後は、智也君のところにでも寄ろうかしら」
そんなことを考えつつ、最近はすっかりヘルシー志向のトマトとブロッコリーのパスタを少量食べる。食が細くなったわけでもないが、美千代はあまり量を食べない。スタイルを維持したいし、誰一人からでも「老けた?」などと言われたくない。
予定は毎日入っているし、仕事はそれなりに順調。 十年前は茜の元を去らねばならない事態になったものの、軽い処分で『組織』に復帰。その後はただ代わり映えのしない事件ばかりを追っている。実際に解決しているのは美千代の飼っている探偵たちなのだが、当人たちはその手の事を一種の趣味としても捉えているので、給料さえ支払えば文句はないらしい。おかげで美千代も年齢以上に豊かな暮らしをしている。独身女性には珍しいと近所から言われているが、美千代の素性を知る者はいない。誰も興味がないし、たまに男性とすれ違った時に「おっ」と声が聞こえるだけだ。
「神父、茜ちゃんを守りたかったとはいえ、よりにもよってあの最期はないと思わない? 保護者だって言ってたのに」
茜から分けてもらった、生前の神父の写真に目を向ける。
そこに映っている神父は優しく微笑んでいる。こころなしかその笑みは茜に向けられている。実際にそうなのだろうが、神父と呼ばれていた男性は茜にどんな想いを抱いていたのだろうか。
愛する娘なのか、庇護の対象なのか、金銭を共に稼ぐ相棒なのか、それとも――
「……ただの、仇の娘?」
美千代はその可能性を考えなかったことはない。被害者の心情としては、むしろそう考えた方が妥当だ。
神父は茜のことを『大事な娘』とは見ていなかったのではないか。
単純に仕返しのための『復讐の道具』だったのではないだろうか。
そう考えれば茜が無茶をしがちな性格になったのも、強引なことも平気でするようになったのも、保護者である神父の教育の影響も多分にあるだろう。神父はそこまで考えて茜を引き取り、二十歳まで育て上げたのだろうか。
赤貧の中で繋がれた絆は、ニセモノだったのだろうか。
一緒に写っている茜はすっかり神父に心を開き、かつてのぬれねずみの面影はない。全面的に安心して、神父にすべてをゆだねている。そんな彼女の気持ちを、好意を、神父と呼ばれていた聖職者は利用したのではないか。
復讐はいけない。
その教えを神父は守らなかった。
いつもあの男のこととなると暴走し、らしくもなく冷静さを失う。それだけ神父の心を占めていたのは大西隆への復讐心。執着、敵意。悪意まではなかった。
「まさか」
そこまで考えたところで、そろそろタイムオーバーなのだと時計をちらりと見てさとる。
このままいけば遅刻という最悪の事態が待っている。そうなれば、嫌味の数々も美千代に降ってくる。とうに一人前のプロとしては避けたい事態だ。
「いっけない!」
美千代は秋物のトレンチコートを羽織り、車のキーと玄関の鍵を慌てて手に取り、玄関先へとかけていく。
残された写真のふたりは、不自然なくらい楽しそうに笑っている。
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2017年 10月14日 莊野りず
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