探偵は教会に棲む Returns 

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Return36:平凡ながらも幸せの一例


 自宅に帰ると、妻と娘が出迎えてくれる。
 もちろん新築の一軒家なんてわけじゃない、ただの賃貸の、もちろん身の丈に合った安アパート。家賃はこの東京にしては破格の安さだけど、その分欠陥も多くて、過程の大敵と呼ばれる生き物がよく顔を出す。それでも妻は文句を言わないし、娘は珍しいと笑う。
 僕にはもったいないくらいの幸せ、身に余る幸運だ。
「まったく。ご飯の時くらいはちゃんとアタシの料理だけを味わいなさいよ!」
 妻の秋奈はいつもそう言ってぷりぷり怒るものの、本気じゃないってことは解る。
 彼女と出会ったのは十年前で、元ヤンである彼女はチーム唯一の心を許せる友達と揉めて、それで悩んでいた。
 挙句には泊まるところもない、ということで、大学生の苦学生だった僕の棲む安アパートに転がり込んできたのだ。あの時は困惑したものの、その日はクリスマスで、彼女と呼べる存在もいなくて、断り切れない悪友と一緒にクリスマス合コンに参加した。断り切れない優柔不断な性格は昔からで、たぶん智也が原因だと思う。ガキ大将気質の智也の元で、ずっと引き立て役だった。
 そんな僕を認めてくれた女性が今の妻である年下の秋奈なのだ。
 『ヤンキー』や『不良』と呼ばれる人種に対しては無意識のうちに『厄介で怖いものだ』という先入観を持っていたけれど、秋奈はある意味では純粋であり、寂しがり屋だった。しかもどうでもいいかもしれないけれど、それほど頭もよくはなかった。それらが結果としてよかったのかもしれない。
 当時は茜さんを頼っても、彼女はヤンキーには冷たくて、せっかくの美少女であった秋奈の頼みもすげなく断った。美人や美少女が大好きな茜さんらしくなかったけど、代わりに協力してくれたのは、当時は存命だった茜さんの育ての親である神父さんだった。
 今や形見となってしまった銀のクロスは、多少は傷がついているものの、今も秋奈の胸元で鈍い光を放っている。
 秋奈も茜さんのことは気に入らないと口では言いつつも、内心では恩義を感じているのか、それともそれは友情なのか。男の僕には判別できないものの、とりあえず嫌ってはいない。その証拠に、茜さんに何かありそうになると必ず心配の言葉を口にする。そこで知ったのは、ヤンキーは義理人情に篤いということだった。
「……明、食べるか考えるか、どっちかにしてよ。っつーか、アタシの手料理がまずいっての? 秋帆に悪影響だからやめてよね?」
 秋奈が手に鎖を巻いてこちらを睨む。
 まるでヤンキー時代に逆戻りしているようで恐ろしい。
「はい、すみません」
 こういう時は秋奈に従う。……あぁ、我ながらなんて悲しい下僕体質。
 娘の秋帆は既に食事を終えていて、毎週楽しみにしている魔法少女のアニメに夢中だ。
 テレビ画面の向こうの変身して魔法を使う美少女が持っているような変身スティックを買ってやろうかといえば、秋帆は無邪気に言ったっけ。
『いいよ。だってパパ、かいしょうなし、なんでしょ? かいしょうなしにかってもらわなくても、ともやおじさんがかってくれるし。リリアルのドレスもかってくれるんだよ!』
 ……なんてことを言うものだから、僕は改めて智也との男としての格の違いというやつを思い知った。ちなみに『リリアル』というのは、現在テレビで変身中の魔法少女のことだ。
 なにはともあれ、貧しいながらもそれなりに平和で幸せな我が家は、それなりに恵まれているのだろう。茜さんも秋奈とは馬が合わないといっても、秋帆のことは「将来美人になる美少女だね」なんて、本気なのか冗談なのか判別できないことを言いながら可愛がってくれるのだし。
「――そういえばさぁ」
 秋奈が珍しくデザートを運びながらつぶやく。
 デザートと言っても、たぶん秋帆にせがまれて作ったおやつだろう。……それはともかく。
「なに?」
 胸元にぶら下がっている銀のクロスに手をやりながら、秋奈は言いづらそうに、でも意を決して口を開いた。
「あのひとの、神父さんの命日ってそろそろなんだよね?」
 神父さんは秋奈にとっても特別な存在らしい。なにしろ一度の縁はあったものの、そのままなにごともなかったかのように(実際に何事もなかったわけだけれども)そのまま別れることになるはずだった僕らを結び付けてくれたのが神父さんなのだ。
 秋奈の胸元のクロスは、別れの際に渡せと神父さんに託されたもの。結果として、僕らを強く結びつけたものだ。
「……うん、そうだね」
 神父さんの命日は、茜さんの誕生日だ。
 更にいえば、その頃の茜さんは、なんとらしくもないことに男性と婚約していたというのだ。
 女性であることに強い嫌悪感を抱いていた茜さんが、よりにもよって。と、当時の事情を聞いた僕は思ったものだ。その時の僕は余裕がなくて、のちに智也から聞いた話だったけれど。実家のある場所で、妹が殺された事件があって、余裕がなかった。その事件は智也が協力して、解決に至った。
「アイツには会いたくないけど、神父にはありがとうって言いたい。だって――」
 秋奈は秋帆の方を見て、優しい母の顔になった。
「だって、今のアタシはこんなに幸せなんだから」
 それは僕も同感で、どうにか神父さんの命日には線香でもそなえたいと思う。
「……でも、教会関係者に線香って、なんか変じゃない?」
 秋奈がらしくもなくまともなことを言った。

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2017年 10月8日 莊野りず


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