探偵は教会に棲む Returns 

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Return35:十年間の茜


「…………」
 夜遅く。
 こんな時間まで起きているのは美容にはよくない。なんてことを若葉に言われたこともある。彼女は元は雑誌のカリスマと呼ばれるモデルだったし、医師となった今でも十分に身だしなみ、特に美容には気を遣っているらしい。
 そんな異母妹を羨ましいと思ったことは数多くある。
 ちゃんと『まともな』母親に愛され、茜は認めていないといえども『あの男』にも期待されていた。爆弾魔の跡継ぎとして、だが。しかし、期待されるということは、関心を持たれているということであり、無関心や虐待などよりはよほどましだ。
 明が智也と、その若葉と組んでいた(というよりも協力させられていた)という事実は、はっきり本音はがっかりした。
 やっと自分の、自分だけの場所を手に入れたと思った。神父に代わる、自分だけの味方を手に入れたと思ったのに。それすらやすやすと奪われてしまう自分が情けなかったし、嫌になる、嫌いになる。

 ――なんで?

 たしかに、変わったはずなのに。
 昔の、母親に怯えていた少女だった自分とは決別したはずだった。
 今では髪だって最愛だったふたりの望みどおりに長いし、スカートだって穿いて、女性らしい外見になった。化粧だってちゃんとしている。よく、「美しい」とも称されるようになった。
 あの頃、男子と間違えられていた十年前とは違う。変わったのだ、自分の意志で。
 ……そのはずなのに、心に巣くう空虚なこの感情はなんなのだろうか。自分でも原因が解らずに混乱するし、苛立つ。
 どうして、こうなるのか。
 明もあのふたりに情報を流していたし、今では『組織』とのつながりもない。あるとしたら、智也から密かに得られる情報のみだ。美千代だって、たまには情報をくれることもあるが、最近では覇気がない。
 シェーンという新たな仲間も増えたのに、頼りにならないとはいえ明の家族も知り合いになり、それなりに親しくしている。さくらとも知り合ったし、黒田というボディーガードもついていてくれる。……孤独ではない。少なくとも十年前よりははるかに人間関係は良好だ。でも――
「このやりきれない気持ちって、なんなんだろう……?」
 寂しくて、満たされなかった幼い頃。
 神父という保護者のいる少女時代。
 その長くつらい時期を経て、現在の茜が、自分がある。
 若い頃の苦労は買ってでもしろ。そんな言葉があるが、茜は嫌というほどに苦労してきたし、惨めな思いもしてきた。ごく一般的なこの年齢の女性とは生き方が違う。だから、そろそろ幸せになる順番が回ってきてもいいはずだ。でなければ不公平ではないか。
「なんて。僕がこんなことを考えるようになったって知ったら、神父はがっかりするだろうな」
 十年前の、茜が今でも忘れられない、最悪な二十歳の誕生日に、彼は死んだ。
 茜を庇って、最期まで茜を助けて、守ってくれた。
 遺言と思しき三文字の単語は『アカネ』と言ったわけではなかった。読唇術などなくとも、最初の一文字が『ア』ではないことくらいは解る。
 神父は、最後の最期で茜を捨てた、裏切ったのだ。本人にそのつもりがなかったとしても。どれほど最初の妻と娘が大事だったとしても。
 自分はずっと助けを求めていたし、庇護を求めていた。自分では認めたくなくとも、社会的にも年齢的にもその他の意味でも、徹底した弱者だった。そんな自分だからこそできることだってあるのだと、自分に言い聞かせて探偵として一生懸命やってきた。自信を失うこともしばしばだった。それでも諦めなかったのは、神父がいたから。見守ってくれて、認めてくれて、褒めてくれて、たまに諌めてくれて。
 甘えていたのだ。
 無償の愛情など得たことがなかったから、それを勝手に理想化していた。
 愛の定義というものを知らなかった。
 ……そんなもの、あったことなどなかったから。
「…………」
 大人になると急に時間の流れが速くなる錯覚に捕われる。ここ最近では特にそう思う。
 カレンダーに目をやらなくても、十月なのだと解る。
 十月。
 茜の誕生日があり、大事な人たちの命日もある月。
 十年前の実父からの誕生日プレゼントは最悪だった。最愛の人物ふたりの死。
 四ノ宮聡という名の幼馴染が突然現れた時は、何かあるとは知っていた。
 あまりにもタイミングが良すぎたし、茜にとっては都合が良すぎた。更にいえば、思い出という茜にとっての辛い事実を唯一輝くものにしてくれた存在が、ご近所さんで幼馴染だった聡だったのだ。
 恩人と言っても差し支えのない彼を、どうしてあの男が利用しない。あの男ならば必ず使うという確信があった。
 認めたくなくとも、血のつながった親子なのだから。
 再会した時こそ誰だか解らなかったが、懐かしさと共に溢れてくる聡への好意は止められなかった、止めようがなかった。
 恋心とは言えないものの、好意はちゃんと抱いていたのだから。恩というものも感じていたのだから。
「十月十六日……」
 それが探偵・宮下茜の誕生日であり、今は亡き最愛のふたりの男性の命日だった。

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2017年 10月6日 莊野りず


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