風も、だいぶ冷たくなってきた。
テレビでは台風の情報が流れている。台風十八号、上陸。ニュースキャスターが淡々とその事実を読み上げている。
「……明さぁ」
テレビの音声を聞きながら、コーヒーを飲みつつ、新聞に目を通している茜がいきなり明に話しかけた。
憐れなくらい明は動揺して全身に電流が走ったような動きをした。 「はっ、はいィィィ?」
あまりにも明らかな同様に、茜は怒る気が失せた。それほど隠し事が簡単な相手だと舐められているとは思っていなかったが、明のこの反応を見るに、残念ながらそう思われていたらしい。
「僕もさ、我慢の限界ってものがあるんだけどさ。その辺のことは解ってるのかな?」
「……なんのことでしょう? 僕がなにか隠し事でもしているとかですか? ……やめてくださいよ。僕にそんな解消がないのは解ってるでしょう?」
「だいぶもらってたみたいだね、口止め料。あと雑費も。明は隠してるみたいだけどさ、あのバカ女は簡単に世間話してくれたけど?」
ここで茜の言う『バカ女』とは、明も認めたくはないが実はそうではないかと思っている自分の妻のことである。たしかに出身はバカ高校と悪名高い四方学院だったし、海外留学も親のコネだ。加えて現在はやめたものの、元ヤンである。
「一体いつの間に?」
「秋帆ちゃんに誕生日プレゼントを持っていった時に、少し話題にしただけ。相変わらず君は脇が甘いよね。そんなんだからいつまで経っても智也の下僕のままなの!」
智也の情報源になっている事実まで、きっと掴んでいるのだろう。智也よりランクの低い扱いを受けていたためか、茜は智也に対しては多少はやわらいだものの、未だにライバル意識を抱いている。智也も智也で煽るものだから、いつまで経っても茜が智也に対して素直になることはない。
「それで? どこまで話したの? 僕の母親のことはだいたい組織の方がばらしてるだろうし、もう諦めてるけどさ、ここにいる連中しか知らない事実もあるよね?」
「どこまでって……むしろ僕の方が教わってるくらいですよ! 茜さんのお母さんが自殺したことだって、智也のところで初めて知ったくらいですし!」
そこまで口走ってはっとした。
茜にとって、母親は思い出したくない存在であり、トラウマでもある。
十年前にずっとかたくなに男子の格好をしていたのは母親が理不尽に男子を欲しがったことが原因なのだ。実際の事情はもっとややこしいが、一言でまとめるとそうなる。神父だって最初から茜に懐かれていたわけではない。拾われた当初の茜はまるで濡れ猫のようだったらしいし。
「智也のやつ、知ってたんだ……」
それまでは勢いよく非難しようとしていたらしい茜の声のトーンが低くなる。
今の茜は昔の男装していたところとは違い、服装こそシンプルながらも女物を着て、スカートを穿いている。決定的に違うのは、焦げ茶色の髪を腰まで伸ばしたことだ。これは昔の茜ならば考えられなかった変化だ。
「智也だって悪気があったわけじゃないんですよ、きっと。そこまで悪い奴でもないですし――」
「君のことを助けてくれるから? 給料を弾んでくれるから?」
「そういうことじゃなくて!」
それも一因ではある。
けれど、それだけじゃない。 「シェーン、コーヒーをもう一杯もらえるかな? 砂糖多めで。明の分は砂糖の無駄遣いだから入れなくていいよ」
いつの間にかシェーンが戻っていた。買い物を頼んだのは、明との話を聞かれないよう配慮したのか。
「美味しいコーヒーでも飲みながら、君の弁解を聞こうか。どこまで言ったのか? それと向こうに誰が味方としてついてるのか? ……たぶん若葉辺りだろうと思うけど」
だから、なぜ解るんだろう?
そう思った心情が顔に出ていたらしく、茜はにやりと意地悪く笑う。
「やっぱり?」
「なんで解るんですか? エスパーですか、探偵ってのは」
「あの智也が頼ってもいいと思うのは、自分よりは劣っているものの、ある分野では自分より優れてる人だけだよ。その点で言えば若葉は適任でしょ? というよりも他に該当する知り合いを知らないからね」
ごく簡単なロジックで追い詰められ、明はため息をつく。
「ナニナニ? ナイショ話?」
シェーンがこの時期にぴったりの温度のコーヒをふたり分運んでくる。どちらがどちらの分なのかは見ただけで解る。茜のものは砂糖が溶け切らずに白い物質が浮いている。
「サンキュ、シェーン」
茜はコーヒーカップを受け取り、中身をゆっくり飲む。浮いている白い塊にはまるで頓着しない。
内心では「うわぁ」と思う明も、自分の分の苦いブラックを喉に流し込む。
「シェーンはそろそろ寝たらどう? 明日も早いでしょ。学生はちゃんと勉強した方がいいよ」
「ウン! オヤスミ、アカネ!」
茜にはちゃんとお休みというのに、自分にはないのかと、明はらしくもなくセンチだ。身体を温めるコーヒーが入ったところで、茜はここからが本題だとばかりに真剣な顔になる。
「どうせ僕の情報は向こうに流れてる。なら、君はそのままの位置でいて欲しい。それと同時に僕にも向こうの情報を包み隠さず教えてもらいたい。……嫌とは言えないよね? なんといっても今の君を雇ってるのは僕なんだからね?」
芸者の娘だという事実を、明は今の茜の笑顔に酔って思い出したのだった。
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2017年 9月18日 莊野りず
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