遺影はひとつだけだ。
愛娘はたったひとりしかいないのだから、それも当然なのだが。
なのになぜか、都会から来たという二人組は怪訝な顔をした。
「……誰だ?」
突然訪ねてきたうえに、目的の人物に対して『誰だ?』はないだろう。女将はそう思ったが、もしかしたらこの若者たちは別のもう一方――もう宮下の家とは縁を切った娘の方に用があったのではないだろうか。
だとしたら、この時間はまったくの無駄だ。余計な情報など欠片も渡したくはない。
「見当違いならおかえりやす。うちはこうみえて伝統ある店どすから。邪魔な連中にうろうろされちゃ、迷惑どす」
ここまできつい言い方をしたのは幾日ぶりだ。それだけこの無遠慮な二人組が気に入らなかった。
追い返そうとしたところで、例の変わった色の髪の娘が微笑んだ。
「宮下家、に縁続きですのよね? 宮下和子という女性もここの出身なのですよね? 宮下という苗字そのものは珍しくはありませんけれども、宮下和子とフルネームではあまり同姓同名はいないと思いますが? 少なくともこの近辺では」
遺影を見つめていた男はゆっくりと振り返った。
「俺らが用があるのは、その『カズコ』なんだよ。宮下茜は知ってるか? ……たぶん、十中八九はアンタの孫だ」
「……孫?」
「あの小娘自身は宮下の家とは縁が切れてると言っていたが、アンタの方は未練があるんじゃないのか? なにしろ、ババアやジジイは孫に甘いってのが定説だからな」
ここで女将は考え込む。
――はたして、『アカネ』などという名の孫など、いただろうか?
もしかしたら、この二人組は何か重大な勘違いでもしているのではなかろうか。
『うちの孫娘はひとりしかいない』
そうはっきり言って、事実をつきつけてやろうかとも思った。
しかし、それもそれほど得策ではないと判断した。 このふたりが知りたがっているのは『カズコ』であり、彼女のことは知ってはいる。が、ただそれだけだ。
「うちの孫は、ずっと京都にいてん。東京に知り合いが出来るとは考えにくいんや」
「……は?」
今度は生意気な若造があっけにとられる番だった。 意地が悪いという自覚はありつつも、こんな色男がこんな間抜け面を晒しているという事実がおかしい。思わず笑いが漏れる。
「どこかの店と勘違いしてるんとちゃいますん? うちには、カズコなんて芸者はいまへんし、いたこともおへん!」
「はぁぁぁぁ?」
今度は娘も一緒になって大声を上げた。
もういい時刻だというのに、まったくもっていい迷惑だ。店の奥から若い芸妓が顔を出す。
「おかあさん! いい加減に看板出さんと……」
「ちょいとまちいや。……ええかい、都会もん」
女将は孫娘の写真を二人組に見せる。幼い頃の入学記念に撮った、着物の一枚だ。孫娘はにっこり笑って写真に収まっている。
その顔立ち、雰囲気、そして髪の色は、微塵も宮下茜とは似ても似つかなかった。
「うちの孫娘や。今はもっと別嬪になっとる。……この娘があんたらと関係があるとでもいうん?」
「…………」
二人組は食い入るように写真を見つめているが、やがてそれに飽きたように写真から顔を離した。
「解ったら、とっとと帰っておくんなまし。うちかて大忙しなんや!」
そんな追い打ちをかけられては、いくら図々しさに定評のある智也でも、退散せざるを得なかった。
「……一体どうなってやがる? まさか『組織』の情報が間違っていたのか? それとも……」
「なぜわたくしの方を見ながら言うのですの? 言っておきますがね、宮下和子が自殺したと言い出したのは貴方よ」
「だが、それを利用できると言い出したのは誰だったか?」
「……貴方って、案外粘着質ね」
「そうじゃなきゃ腕利きの探偵にはなれないんだよ! あの小娘がそうなれない理由はそれだな」
智也はあっさり開き直る。これはあの義姉でなくとも手に余る。これまで相棒を務めてきたという連中がいかに猛者なのかを実感した。
赤い傘をさしてある茶屋で一服して、団子を頬張る若葉に、智也は「行くぞ」と声をかける。返事を待たずに、智也は勝手に歩きだす。
「これ以上は付き合いきれませんわ。どうぞおひとりで勝手になさってちょうだい」
若葉も若葉で、そんな智也のことなど歯牙にもかけない。
天才コンビ、前途多難である。
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2017年 9月3日 莊野りず
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