彼女は、今日も仏壇に花を供える。今となっては大事な一人娘、その命日が近い。遺影の中で弱々しく微笑む彼女は、わが娘ながら大変に美しかった。馴染みの客も彼女が亡くなったと知るや否や、男泣きをしたくらいだ。
「ほんに、なんで死んでもうたん?」
そう遺影の彼女に問いかけようが、望む答えなど返っては来ないことなどとうに知っている、悟っている。しかし、そうせずにはいられなかった。
実家は名の知れた料亭であり、彼女もまた売れっ子であった。その美貌には生涯陰りなどなかった。最期の瞬間まで、娘の身を案じてい。
『大事な、うちの娘……』
それが最期の言葉であり、母である自分には一言もなかった。母と娘というのはそういうものかもしれないが、やはり寂しいものは寂しかった。せめて、最期には笑みを向けて欲しいと願うのは、母親のわがままだろうか。
孫にあたる娘の娘は、すでに三十に達したはずだ。 すでに芸妓も引退し、若い母の死後は進学する道を選んだしっかり者だ。大学に入学し、現在ではフリーランスとかいう職業を生業としているらしい。祖母である彼女には最近のカタカナ文字の職業のことはよく解らない。ずっと芸妓の道に生き、後継者を育ててきた人生だ。今更別の生き方など選べないし、選びたくない。
彼女の家系に生まれる女の子は、どの娘ももれなく美形であり、艶やかな黒髪を持っている。日本美人の特徴として色白の肌と黒髪は必須だ。その点では、この家系は恵まれていたし、周囲もこの体質の遺伝子を羨ましがった。どんな男の子供であっても、必ずや娘は黒髪になるのだ。
「おかあさん、店、どないします?」
若い舞妓が暖簾をくぐって姿を見せる。最近、この店に置くようになった娘だ。色白といえるが、この家系に比べればその色素の違いは一目瞭然である。それでも職業として生業には出来る。
「まだ火は入れないでおくれ」
盆はまだ始まったばかり、いや、まだだ。
それでも盆の支度をしてしまうのは、あまりにも早くに娘を亡くしたからだ。生きていれば、今頃は四十の半ばごろか。本人が年齢の話を極端に嫌うので、滅多に話題にしなかった。本格的に盆になれば、孫娘も顔を見せてくれるだろう。あの母親似の美しい黒髪をすくのが今からの楽しみだ。祇園祭には、新しく浴衣をしつらえてやろう。年頃と呼ばれる時期は過ぎても、女はお洒落が好きだ。孫娘かて例外ではない。
と、その時になって、店の入り口がやけに騒がしいことに初めて気づく。
「……まだあけてへんのに」
そんなせっかちな客など、覚えがない。
一見さんお断りというわけではないものの、この店は歴史と格式のある場所だという自負がある。そう簡単に狼藉をはたかれてなるものか。
「おかあさん!」
「やけにうるさいのがきはったんね。うちにまかしとき」
こんなせっかちな客など、この店どころか、この街にもふさわしくない。とっとと退散してもらおう。
彼女は仏壇のろうそくを消して、問題の入り口に向かう。店はそれほど規模は大きくはないものの、随所に趣向を凝らしてある。床の間は朱塗りだ。
「……なんでございましょう?」
入口から顔を出した彼女は、この街では滅多に見かけないような二人組を見た。
三十と少しに見える男前と、やっと二十の一人前になったくらいの若い娘だ。娘の方は黒髪ならば十分に芸妓として通用する美貌だ。かといって、男の方もうっかりすると見惚れてしまいそうな男前である。
「あぁ、ここのおかみさんか? 俺は東京から人を探しに来た探偵だ。こっちの若い小娘は助手で――」
「誰が助手ですのよ? このわたくしを顎で使おうなんて何様かしら? おかみさん、わたくしは人を探しておりますの」
男は黒髪だが、美貌の若い娘はなんと形容すればいいのか解らない髪と瞳の色をしていた。純粋な日本人ではこうはならないだろうと彼女――おかみは思った。
「人探し……どすか? えらいけったいな。うちかてな、由緒正しい料亭として、お客さんのプライバシーは断固としてもらせまへん! お帰り願いましょか!」
せっかく娘と孫のことで浸っていたというのに、この無礼な連中のおかげで台無しだ。暗に「話すことはない」と言ってやったが、どうやら東京者らしい二人組は、特に気分を害した様子も、引き下がろうという気になった様子もない。平然と女将の方を見ている。
「……たしかに、似ていないこともないな」
「そこはかとなく、面影はありますわね」
いったい何の話をしているのか。似ているだの、面影があるだの、まるで自分がその探し人とやらの関係者のようで落ち着かなくなる。
「俺は探偵の安藤智也ってもんだ。この店の金払いのいい客なら『機関』という単語に聞き覚えがあるかもな。そこに所属してる。俺らが捜してんのは、あんたの孫娘……の母親だ。つまり、あんたの娘について聞きたいんだ」
「それならば、お客のプライバシーには当たりませんでしょ? ……もしも断るというのならば、人には聞かれたくない、貴女の娘の醜聞をあらゆるメディアに流してもよろしくてよ? こう見えて、わたくしにはそのつてはいくつかありますの」
若い娘は天使のような、悪魔の極悪笑いをした。
『娘の醜聞』
それは果して、どちらの娘の醜聞なのだろうか?
そしてこの二人は一体どこからその情報を掴んだのだろうか?
「おかあさん?」
固まるおかみに、入ったばかりの舞妓はきょとんとした顔をするだけだった。
――あのことだけは、知られてはならない。
八月の日光が、容赦なく着物姿のおかみに降り注いでいた。
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2017年 8月7日 莊野りず
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