探偵は教会に棲む Returns 

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Return28:初めて聞く話


「あった……」
 それは一冊の古いノートだった。
 書きこんでいるところもあれば、写真や雑誌、新聞の切り抜きなどをスクラップしてある。すべて、茜に関することなのだと一ページ目を見ただけで解った。そこには幼い茜自身が着替えたばかりで困惑の表情を浮かべている写真が貼られていたからだった。その下には、『みやしたあかね?』と、神父の丁寧な字で書かれている。
 明は今頃は妻子とともに食事でもしている頃だろう。
 一緒に探しものをしたのだが、このノートに辿り着くまでは予想外に時間がかかったのだ。茜がいちいち神父のことを思い出している時に、明はただ黙ってそばにいてくれた。ひとりきりでは心が折れていたかもしれない。未だに神父を喪った傷は大きいのだと再認識した。
 ノートをぱらぱらめくってみると、こまめに情報を集めていたようだと解る。神父が『組織』を利用して、情報を得ていたことも初めて知った。それはきっと、あの男への復讐のためでもあったのだろうし、自分のためでもあったのだろう。たとえ事実は違っていたとしても、そう信じたかった。
「美千代さんも、昔から親切だったから……」
 正確な年齢は、茜も知らない美千代だが、その性格はよく知っている。
 自分の信念を持っているし、男相手ならば大抵は上手く相手を転がせる。現に智也など未だに軽くあしらわれている。
 しかし茜は知らない。自分の知らない世界、『組織』の中の美千代のことを。そこでの彼女の扱いは、いくらでも代用の利くただの消耗品であることを。
「『料亭彩の里は歴史を感じさせる老舗であり、芸妓の質も上。特に宮下姉妹は上玉という言葉が似合う美形で――』……宮下姉妹?」
 そこで茜は初めて知る事実を得た。今、声に出して読んだのは雑誌の切り抜きだったが、どうやら宮下家のことらしいと解る。母親である和子が京都の芸者だったということは以前聞いたことがあったが、姉妹という単語は初めて聞いた。雑誌にはその『宮下姉妹』の写真はなかった。実際に見て、誇張ではないことを確認してみろというようなことが書かれているだけだ。
 たしかに母である和子という女は娘である茜としても『生前は』という条件付きでならば、たぶん美人の部類に入ると思う。ただし、過去の出来事からそこには『冷たい』という形容詞がつく。美しくも冷たい、そんな美人だ。
 生前はたしかに娘のひいき目なしにも『美人』といえるのに、『死後』の姿は見る影もなかった。
 自殺を図った後の母親は、どう見ても『美しい』という言葉とは無縁だった。周囲は、神父も、そろって美しいと言っていたが、茜だけはどうしてもそんな評価にはならなかった。自分でもなぜなのかと疑問に思ったが、今ならば理由は解る。『宮下和子』という美人がまとっていた、オーラとでもいうべきものがなかったからだ。独特の雰囲気が消え失せていた。生命力がなくなったのだから、当たり前といえば当たり前だが。
「姉妹……?」
 母の、和子のことを教えてくれたご近所さんは、たしかに母の馴染みだと言っていた。茜が幼い頃の出来事まで覚えていた彼女が、姉妹のことを口にしなかった。なにか事情があったのだろうか。それともただ単に忘れていただけか。
 ページをめくると、『組織』が調べ上げたらしい茜の情報が載っていた。誕生日に血液型、母親が出産した病院。そこまで調べ上げておきながら、後は神父にまかせたらしく、のちの記録はすべて神父の字で手書きだった。
 茜の成長記録と書かれたそれらの記録は、神父がどれだけ茜のことを想っていたのかが伝わってくると同時に、あの男への復讐の道具として茜を利用していいものかと苦悩する文章が目立つ。「私はとんでもない罪を犯そうとしている」と書かれている部分は文字が歪んでいた。手書きは書き手の心情を正確に伝えてくれる。手紙という手段が未だに廃れないのもこういった面があるからかもしれない。
「神父」
 茜はブラウスの下に身につけている、神父の形見であるロザリオに手を伸ばした。そのチェーンには四ノ宮聡がくれた、サファイアの指輪が通してある。どちらも大事な人の大事な方身だ。
「サトルくん」
 実はとんでもない自分の秘密を自ら暴こうとしているのかもしれない。
 もしかしたらこのノートに書かれていること、いや、このノート自体が開けてはならないパンドラの箱なのかもしれない。
 それでも茜の気持ちは止まらない。きなくさいから、なんて理由だけではなく、今や茜にとって自分のことを知ること自体が目的となっていた。和子がなぜ実家と縁を切ってまで、あの男との生活を選んだのか。家族はどうしているのか。あの男は何かの目的があって母に近づいたのではないか。もしかしたら、他にももっと、知らなければならないこと、しりたいことが溢れているのではないだろうか。
 ――パンドラも、こんな気持ちだった?
 とめどなく溢れる、知りたいという欲求。それはイブが犯した罪、人間の原罪だ。
 そして、探偵という職業そのものもまた、知りたいから調べるものだ。
「……僕は、いったいどうしたらいいんだろう?」
 ロザリオと指輪に触れて問いかけても、茜の望むような答えはない。当たり前だ。最初から求めた答えが得られるのならば、人は迷ったり罪を犯したりなどしない。
 七月の生ぬるい夜風が肌に気持ち悪かった。

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2017年 7月31日 莊野りず


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