「明の実家っていうかさ、地元にお寺ってあるっけ?」
茜がいきなりそんなことを言い出したのには驚いた。色々な意味で。
「いえ、うちの村は田舎ですから。しかも迷信がまかり通るような、超ド級の田舎ですよ?」
「それでもさ、普通は田舎ほど信心深い連中がそろってるもんじゃないの?」
苛立ったように茜が言う。
「田舎といっても、うちは特殊なところですから。非科学的なことと探偵業は両立しないでしょう?」
「……僕が訊きたいのはさ、そんな一般論じゃなくて、仏式のやり方を知ってるかってことなんだよ。だから明はいつまで経っても使えないんだ」
「すみませんね、使えない助手で。というか、それ以下で」
シェーンは大学に顔を出すと言って、しばらく探偵業のアルバイトは休みを希望した。実際、今は学生にとっては夏休みの時期だ。そんな特権くらいは与えたいというのが茜と明に共通する想いだった。
「それで、なんでいきなり仏式とか言い出すんですか? お盆が近いからですか?」
「『あの人』の命日は過ぎちゃったけどさ、一応母親だし? 弔いも適当だったというか、ろくな扱いをしなかったからね。……あの頃は色々といっぱいいっぱいだったし」
そこでやっと明にはピンときた。
茜の母親のことはごく最近に話題に出ていた。彼女の義妹である一色若葉が『宮下和子』という人物について知りたがっていたのだ。智也も『組織』から抜けた茜のデータが残っていないかどうか、美千代にしつこく食い下がっているらしい。美千代から愚痴をこぼされたのは一度や二度ではない。
「――あきら?」
「はっ、はいはい、ちゃんと聞いてますよ!」
「なんか不自然なんだよね。……まさか、僕に隠し事とかしてないよね? 仮にも僕は君の雇い主なんだからね? やろうと思えば、君たち一家を飢え死にさせることくらい容易いんだよ?」
その瞳が笑っていないので、明は冷や汗をかく。いつから茜はこんな眼をするようになったのか。
「……なんか茜さん変わりましたね。なんというか、冷たくなったというか……」
「大人になったって言って欲しいね。ある人に忠告を貰ったんだよ。ありがたいものだった」
それがいったい誰なのか、明には到底見当もつかないが、とりあえず美人か美少女であることは間違いないと思った。茜は十年前と変わらず、美人と美少女には甘く、素直だ。この言葉だけで素人の明でも容易に推理できた。
「君さ、もしかして智也から僕の情報を探れとか言われてないよね?」
「ととと、とんでもない! むしろ邪魔だって言われましたよ」
「…………」
ここで明は己の愚かさに気づく。
なぜ黙って誤魔化さなかったのか。ただでさえ、智也と一色若葉のコンビは危なっかしい。だから明は茜の元とどちらにもつかない態度、中立であろうとした。が、こんなにあっさり自分から吐いてしまうとは。
「それで?」
「……はい?」
茜はしかし、冷静だった。
「智也に何を探れって言われたの? 僕の身辺についてなら調べる必要はないでしょ? 一色若葉とあの男しか僕と血のつながりのある人間はいないんだから」
「いや、もうひとりいるじゃないですか。ある意味で一番大事といえるような――」
明は茜の口から宮下和子について語らせるつもりだった。しかしその当ては見事に外れた。いや、茜が意図的にとぼけたのだ。
「神父のこと?」
「違いますよ!」
「じゃあ、誰?」
「もっと、近い人です」
茜はまだとぼけている。わざとらしく首をかしげているのが意外と似合っている。義妹ほどではないが、化粧によって整えられた顔はそれなりに整っている。色白とは言えないものの、二十歳まで日焼け止めを塗らなかったにしては綺麗な肌をしている。こげ茶の髪も見慣れてしまえばそれほど欠点にも見えない。
「あぁ、もう! 白状しますよ! 智也が知りたがっているのは、貴女の母についてです」
すると、やっぱりという顔を茜はした。
「智也もそこに辿り着いてたんだね。たぶん、推理の過程は僕といっしょだ」
そこまで悟っているのならば、なぜわざわざこちらを試すような真似をするのだろうか。明自身はごく平均かそれ以下の普通の貧乏人だが、周囲の連中ときたら、やけに個性が濃いのだ。秋奈といい、智也といい、茜といい、……以下は長くなるので省略だ。
「最近きなくさいなんてらしくもないことを言い出して、更にらしくもなく僕の心配までする。あまりにも智也らしくないからね。なにか裏があるだろうって思ってたんだよ」
「いえ、それはきっと違いますよ。智也はああ見えてもそれなりにいい人ですから。少なくとも女性に対しては」
それは茜も納得するしかなかった。あの女好きが仮にも女性と呼ばれる性別の人物に対しては多少なりとも甘くなるのは以前から知っていた。そのぶんだけ男性には冷たいのだが。
「でもさ、僕に対してはデリカシーってもんがないと思わないの?」
「それは……仕方がないのでは?」
なんといっても十年前までは女性的であることを徹底して拒否してきたのだ。智也の中での扱いも、特殊になるのも無理はない。それでも最低限は女性扱いはしていた。しかし、そんな心配など聞かないのが茜だ。
一人っ子の智也からしてみれば、年下の女性は妹のように感じられるものなのかもしれない。なんてことを明は考えたのだが、茜は明の言ったことを気にしているように見えた。
「でもさ、一応言っておくけどね、僕だって別に男に好かれたことがないわけじゃないからね?」
「それは、一応知ってはいますよ。四ノ宮聡さんですよね? 幼馴染の」
だけど、と明は思う。
それは恋愛感情ではなく、ただの同情や哀れみからくるものではないか。
人は自分よりも不遇な境遇の者を見ると「自分はあれよりはマシだ」と思ったり、逆に「自分が助けてやらねば」という想いに捕われるものではないだろうか。彼もまた、そんな感情を愛情だと勘違いしたのではないだろうか。当人がすでにこの世にいないので、確かめようもないのだが。
「って、話を逸らすんじゃないよ! 十回忌とかってあるんだっけ? 僕は教会育ちだからさ、そういうの疎いんだよね。遺体もどうしたのか思い出せないし」
「……すごいですね、ある意味で。宗派にもよるでしょうが、僕が知っているやり方では十回忌はないですね。七回忌や十三回忌はありますけど。というか、お母さんの実家は? 連絡は取りあっていなかったんですか?」
「僕が神父に拾われたのも、自分ではよく覚えてないしね。十年前はそれなりに記憶もあったんだけどさ、なんというか、記憶って消耗してくじゃない? ちょうどその頃はいやなことばっかりだったし。防衛本能が働いたのか、自然に記憶がないんだよ。でも、宮下の実家と縁が切れてるってことは知ってるよ。あの人の死体も受け取りにさえ来なかったし、連絡先も知らないし」
茜は今更になって、神父に自分の周囲の事情を聞いておかなかったことを後悔した。せめて祖父母の連絡先くらい知っておくべきだった。この高齢化社会、老人の寿命も延びているし、まだ生きている可能性は十分にある。
「心苦しいですが、神父さんの荷物を調べてみるというのはどうでしょう? いえ、気が進まないのなら無理にとは言いませんが……。でも、ちゃんと供養はしたいんでしょう? 昔のように後悔するのは嫌でしょうし」
それは明自身にも言えることだった。妹が殺されたと聞いた時、ちゃんと彼女を大事にしておけばよかったと思った。自分よりも智也に懐く妹がどうしてもかわいいとは思えなかった。
そして殺されたと聞いた時は、大いに動揺して、後悔した。大事な人を喪った悲しみに大小はないが、痛みは同じだと思う。
「……そうだね。神父はあの性格だし、ちゃんといざって時のための連絡先くらいは残してるかも。意外と使えるところもあるじゃん!」
気分を切り替えるように茜が明るく言った。明らかに強がりだが、今はそのくらいの気丈さがないと厳しい。死者と対話するのは精神的にタフでなければならない。
と、そこで明はやっと、この空間に一人足りないことに気づく。
「そういえば、黒田さんは?」
「さくらさんが用事があるって連れてったよ。あの人とは馬が合わないし、ちょうどいい。それに今のうちにあの人のことは片付けてしまいたい。なんとなく知られたくないんだ」
「なぜ?」
「そんなことも解らないから、明なんだよ。彼はあの男に家族を殺された、と思っている。そんな男の妻のことなんか聞きたいと思う?」
「…………」
たしかに被害者の心情としてはそうかもしれないが、神父のように復讐を考えたことがあるのならば、逆に聞きたがるものではないだろうか? 茜は動揺しているように思えてならない。彼女でも母親が絡むとおかしくなるのだろうか。
「神父の部屋は今はシェーンのだけど、少ない荷物は移してあるし。どれどれ――」
茜は明を置いて物置部屋へと向かってしまう。そこには漠然とした拒絶の意が見えた。歪な母娘関係が垣間見える気がする。
「……ひとつ、訊いてもいいですか?」
「なに?」
「茜さんは、お母さんのことを今ではどう思ってるんです?」
茜の顔から表情が消えた。虚無の瞳がそこにはある。
「……別に? 本人はもうこの世にいないのに、そんなの今更でしょ」
怨んでいるのか?
憎んでいるのか?
憐れんでいるのか?
同調しているのか?
そんな一言で言い表せるような感情ではないらしいということしか、明には解らない。
ただ、その口調は彼女が自分自身に言い聞かせているような気がしてならない。
「茜さん」
「だから、なに?」
「すみません、なんでもないです」
明には今の、宮下和子が絡んでいる時の茜が、とても危なっかしく見えた。
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2017年 7月22日 莊野りず
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