探偵は教会に棲む Returns 

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Return26:女の愛憎


「小娘はどうした?」
 男は堂々としていた。まるでこの場所の主が自分であるとでも言いたげに。
 女もまた、そんな男の態度には慣れているので特に何も言わない。そういう仲なのだ。
「あのお嬢さんなら、今頃は昼寝よ。いくら『力』があるからといっても、子供は子供だわ。寝顔は安らかなものよ。……興味があるの?」
 男は一瞬考えるような顔をしたが、すぐにひっこめた。子供になど特に興味はない。自分の実の娘たちに対しても、もはや何の興味もない。いや、むしろ消えて欲しいとすら思っている。彼女たちは男にとっての人生の汚点だ。古傷が痛む。
 相手の女は少しだけ顔をしかめた彼を見て、愉快そうに笑う。
「十年前の?」
 この男が誰かに追い込まれる場面など想像がつかない。それだけ隙のない男で、抜け目ない。そんな彼に傷を負わせた下の娘とやらが少しだけ気になったし、少しだけ妬けた。この男に傷を負わせるのは自分だと思っていたのに。
 男は苦い顔のままだ。かたわらのグラスを取るよう、女に眼で指示をした。彼女も彼女で断らない。
 部屋には一通りの生活用品がそろっているものの、生活臭と呼ぶべきものは一切存在していない。まるでピカピカのモデルルームそのものだ。棲み処自体はかなり高額な場所だが、そんな金などいくらでもある。『教団』へのお布施はごく一部とはいえ世界中にいる信者からのもので十分に足りる。信者はみな金が有り余っている。ただし、だからといって幸せとは限らない。だから宗教にすがるのだ。
 女は『教団』の実権を手にした途端に、本性を現したのだ。
「……セイラン」
 名を呼ばれ、女はブランデーを手に振り返る。今は法衣は着ていない。動きやすいシャツにジーンズ。短すぎる髪が、その顔立ちを男性的に見せていた。背も高いので、一見しただけでは女性だとは判別しづらい。
「なぁによ? 私も飲んでいいでしょ? あの小娘の世話だけでもう疲れちゃって」
 ゆっくりと見せつけるように、瓶の中身をグラスに注ぐ。琥珀色の液体が香った。昼間だというのにそれだけで雰囲気は十分だ。男が腰掛けている新品のソファにもたれ込むように座り込む。
「あの小娘は、本物なのか? 俺はかつてのおまえのポストにいた女のことを知っている。おまえが探している女、裏切り者のことをな」
 セイランと呼ばれた女の白い眉が顰められた。裏切り者の女、かつて『教団』のトップに君臨し、自分を散々利用した憎い女。裏切ったというだけでも許しがたいというのに、なぜこの元恋人がそんなことを知っているのだろう。
 男は彼女のことは一切無視して自分の話を展開した。
「裏切り者の系譜、そして、それに付き従う影。おまえは常に影だった。影の役割を強いられてきたし、これからもそうだ。一度影として生を受けた物には、陽の当たる場所で生きることなど出来ない。太陽にはなれない、永遠にな。俺と同じ、日陰者のままだ」
「そんなことはないわ!」
 グラスの中身が零れそうなほど、テーブルを揺らして、女は激昂した。あの憎い女はたしかに死んだのだ。死者は、蘇らないのだ。どんなに祈ろうが、金を積もうが、精進しようが。セイラン自身、何度も死者の復活を願う者の姿を見てきたし、それがすべて無駄だということも痛いほどに知っている。
「裏切りの名門、その系譜はたしかに絶たれた。そう思っているんだろう? たしかにポーラーは死んだのかもしれない。あくまでも俺が言っているのは『かもしれない』という可能性だけだ」
「……何が言いたいの? まさかあの女が生きているとでも言うつもり? そんなはずはないわ、絶対にね」
「おまえは俺が残酷な顔をする時が好きだと言ったが、俺はそんなおまえの余裕のない醜い表情が嫌いではない。……そう断言するからには、おまえが――」
 女はすっかり冷静さを失っていた。それを男――大西はおかしそうに見やる。そしてさらに煽る。
「殺したんだろう? いや、殺したはず、といった方が正確か?」
「…………」
「理由は何だったんだ?」
 大西のその質問がおかしかったのか、女はやっと余裕を取り戻した。
「貴方でも理解できないの?」
「思い当たるふしが多すぎるからな。一つに絞り切れん。おまえはあの聖女様を怨んでいたし、憎んでいたし、嫉妬していた。その他にも打算的な理由もある。ほら、どうやって一つに絞るんだ? 理由があり過ぎる。昔からおまえはコンプレックスの塊で、ずっと誰か、正当な理由を持って憎む対象を求めていた。……ポーラーは都合がよかっただろ? あの女はおまえにとって最愛の天敵だっただろ? あれはいい女だった。おまえとは大違いだ」
 女はくちびるを噛んだ。大西の言う通りだったからだ。
「えぇそうよ。ポーラーが憎かった。憎くて、憎くて、憎たらしくて。……でも、最愛の女だったわ」
「俺にとってはただの女に過ぎないがな。おまえは大事だったんだろ? 本人も忠告したんだろうな、あの性格の女だ。いつ自分が裏切るのか解らないとでも言っていただろう? なぜ素直にそれを聞き入れなかった? 聞いていれば今のおまえは貧しくとも幸せだったんじゃなかったのか?」
 女は、泣いていた。静かに、泣いていることを悟られたくなくて。しかしこの男は傷口に塩を塗る才能は一級品だ。
「私はね、あの聖女様を愛していたのよ。大事だったの。憎いのに、大事なの。貴方にとっての娘たちのようにね」
「女のくだらん感傷には付き合いきれないな」
 この男のこんなところが嫌いで、好きだった。敵とみなした相手はもちろん、そうでなくとも自然に、息をするように他者を傷つける。サディストという言葉はこんな男にこそふさわしい。もし自分がこの場でむごたらしく殺されたとしても、彼はむしろ大笑いするだろう。そういう男なのだ。
 彼は席を立った。行き先など、彼自身にも解らないのかもしれないが、一応礼儀として尋ねる。
「……どこに行こうというのです?」
「俺の居場所だ」
 また新しい女だろうか。不思議なことに爆弾魔として名を馳せていながらも、彼の周囲から女性が絶えたことなどなかった。かくいうセイラン自身も大西の不思議な、悪の魅力に取りつかれているひとりなのだが。
「私がいなければ、あの小娘は言うことを聞かないのよ! それでも――」
「駒は既に揃っている。あとはどう転がすかだ」
 男は残酷なほど低い声で告げた。いつの間にそんなモノなど用意したのだろうか。例の若い女、一之瀬小夜子だろうか。しかし、彼女は宮下茜に近づきはしたものの、失敗している。所詮、『格』というものが違い過ぎるのだ。仮にもこの男の遺伝子を継ぐ者というのはそういうことだ。
 セイランはくちびるを思い切り噛みしめる。
 こんなことになるのならば、どんな手段を使ってでも大西の子供を手に入れておくのだった。彼の子供さえいれば、どうにかなる、どうにかしてくれる。あの一色若葉ほどの出来でなくとも、宮下茜程度でも、慰めにはなる。


 そんなやり取りをドアの隙間から少女は見ていた。
 彼女は昼寝などしていなかったのだ。
「…………」
 だがセイランと相対する男と、視線がかち合う。
 慌てて逸らそうとしても、彼の鋭い眼光に怯んでしまい、結局はそのままだ。それが宮下茜と一色若葉の実父なのだ。

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2017年 7月2日 莊野りず


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