神父の遺体は、そこいらの墓地に葬るつもりはなかった。
しかし、当時は『組織』からも首を切られ、所属がなかった。依頼人は『組織』の評判を聞きつけて依頼して来るのに、その後ろ盾を失ったのは大きな痛手だった。
それでも、今はどうにか個人で探偵事務所を切り盛りしている。自分にこんな才能があったとは思っていなかったし、最初は正直に言えば自信がなかった。だから馴染みの明をやとい、心を許せるシェーンを仲間に迎え入れた。気に入らないながらも三ツ星さくらがよこしたボディーガードの黒田もいる。寂しくなどない。大丈夫のはずだ。……そう思っているのに。
「……どうしてだろうね、神父。僕は未だに神父がいないとダメなんだよ」
共同墓地に、茜は一人でいた。
てっきり黒田は反対するだろうと思っていたのだが、予想外にも一人での外出を許してくれた。いったい何の心境の変化かと思っていたら、本来の主が出掛けるという。その主もまた、父親を亡くしているからだという。
そして偶然というのは必然ともいえるのかもしれないと思われる出来事が起きた。
「……さくらさん?」
線香を上げ終えた茜が顔を上げると、すぐ隣の墓に赤を纏った美女が立っていた。黒いスーツを着た、体格のいい男も一緒に。三ツ星さくらと黒田である。女主は振り向き、茜を見た。視線が「あら?」と言っている。
「あなたも誰かを亡くしたの?」
「さくらさんも?」
相手は静かに頷いた。力ない笑みを浮かべる。
「……ちゃんと、お別れはしたの?」
さくらは茜の問いに仕草だけで応じ、質問をしてきた。今度は茜が答える番だ。
「なんとか。でも神父が見ていたのは僕じゃなかったんですよ」
神父の最期。彼は茜の名を呼ばなかった。最期に彼が選んだのは、本当の家族だった。茜ではなかった。
「そう。悲しかった?」
どうしてこの女性はこんな質問をしてくるのだろうか? 第一、なぜ彼女のような大企業の女社長が、こんな貧乏人御用達の共同墓地になど来るのだろう? そして、なぜあれほど智也と縁が強いのだろう?
「さくらさんはどうだったんですか? 父親は元社長だったんでしょう? それなら、なんでこんなところにいるんです?」
「探偵なら、推理してみたら? 智也は見事に当てたわよ。もっとも、向こうはヒントがあったわけだけど」
智也の名を出され、茜はむっとした。今でも智也はライバルだ。昔のように一方的なものでなく。その彼と比較されては推理しないわけにはいかない。
三ツ星、という苗字の経営者の名を見た記憶はない。それにもうだいぶ時間は過ぎているだろう。世間からも、記憶からも風化している、忘れている。推理には材料が必要なのに、最後の一ピースどころか、必要なパーツはまったくそろっていない。
「……川岸コンッツエルンって、たしか『三ツ星』って名字の社長ではなかったと思うんですけど」
「よく覚えてるわね。ちゃんと新聞を読んでたんだ? それで当てたことにしてあげる」
さくらは感心したように呟いた。最初から茜が当てるとは思っていなかったようで、少しだけ頭にきた。だがここは死者が眠る神聖な場所だ。声を荒げたりはしてはいけない。
「あたしの父はね、ホームレスとして死んだの。だから、身元が判明しなかったからここなのよ」
「え?」
大企業の社長がホームレスというだけでも信じがたい話なのに、その遺体をここに埋葬するとは。さくらは当時なにをしていたのだろう? それが顔に出ていたのか、さくらは再び力なく笑う。自嘲の笑みだ。
「当時のあたしは高校生で。何の力もなかったわ。バカの吹き溜まりと言われる四方学院だったし。ただ生活費だけはあった。あたしは妾の子で、父には愛されていないって思ってたの。……でもそれは誤解だった。子供だったのよ、あたしは」
「…………」
本当にこれがあの三ツ星さくらなのだろうか。いつも智也にべったりという印象で、美人だがあまり深入りはしたくないタイプだった。なのに、今は『父を失った』者として気持ちは察せる。
「そのお金を使って、智也に近づいたの。お金は力だってことだけは、いくらバカなあたしでも理解してた。そういう世界をずっと見てきたから。そんな大人の汚い世界をあたしに見せたのも、今では愛していた証だって思えるの。いつか自分の跡を継ぐには、汚いことでもしなきゃならないって教えたんだと思う。あなたも――」
さくらがしっかりと茜の方を見つめた。黒曜石のピアスが揺れる。
「ホントに大切なものを守りたい、失いたくないって思うのなら、時には手段なんか選んじゃダメよ? 汚い手を使う相手は世の中にいくらでもいる。それに常にクリーンな方法だけが正しいとは限らない。探偵ならそのくらいは解るでしょ?」
「はい」
敵は、あの父親は、常に手段にはこだわらない。いくらでも手の打ちようはあるとでも言いたげに、卑劣な手を使ってきた。さくらの言う『汚い手』によって、茜は大事な人を失ってきたのだ。神父、四ノ宮聡、宮下和子、明の妹……数え始めたらきりがない。
風が出てきた。六月の風は気まぐれだ。暑すぎる日もあれば、肌寒い日もある。今日は後者だ。
「命日がはっきり解らないから、せめて父の日にはって思ったんだけど。こんなに冷えるなんてね。あなたも早めに切り上げた方がいいわよ。探偵は身体が資本でしょ?」
「もうしばらく、ここにいたいんです」
神父の本名が刻まれた墓石を見つめながら、茜は答える。さくらもそれ以上は言わない。
てっきり甘やかされて育ったお嬢様とばかり思っていた彼女にも、そんな過去があったとは。智也も智也で、そんな事情があるのなら言ってくれればいいのに。
そこまで考えて、やはり自分は成長していないと思う。
誰だって言われたくないこと、踏み込まれたくない事情はある。そこに勝手に文は言っていい権利など誰にもない。茜の心の中の神父を、聡を踏みにじられたくないように。
「黒田、行くわよ」
うって変わっていつもの声音に戻ったさくらを追って、黒田も歩き出す。
再び一人になった茜は、ゆっくりと神父に語り掛ける。
――ねぇ、神父にとって僕はどんな存在だった?
当然ながら、死者からの回答はなかったが、茜はその行為だけで満足だった。
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2017年 6月18日 莊野りず
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