探偵は教会に棲む Returns 

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Return24;六月の花嫁


 明は改めて自分の置かれている立場について考えていた。
 入社した会社は、途中で首になった。明には特に責任がない代わりに、下っ端で、ひたすら雑務をこなして日々の乏しい稼ぎを得ていた。それでも明独り暮らしならばまだよかったが、帰国したアキナこと秋奈が押しかけ女房よろしくひたすらデートに誘ってきた。
元ヤンキーの秋奈は留学こそしたものの、それほど知力も高くなかったし、大学にも進学しなかった。実家はそれなりに金はあるものの、彼女のもとの知力が壊滅的だったからだ。留学前に通っていた高校だって、最低ランクの四方学院だ。留学できたのは金とコネ。ただそれだけ。
 そんな経済的に恵まれない明と、ヤンキーだが少しお嬢様的な秋奈の交際は、彼女の勢いに押されて続いていた。二十代になった明は女性に免疫がないのも相変わらずで、秋奈のいいなり。彼女がリードしていた。年下の女にリードされるのもどうなんだろうと明が疑問に思ったところで、智也が(今にして思えば余計な)助言をしたのだった。
『いつまでも女の尻に敷かれているつもりか? それでも男か? 仮にも俺の幼馴染ともあろうものが情けない! 男ならなぁ、もっと勢いつけて押せよ! 押し倒せ!』
 ……本当に余計な助言であるが、本人的にはいたって真面目なアドバイスなのだ。余計だという自覚がないのがまたたちが悪い。安藤智也という男がそんな奴だと知っていながらも、彼の女性遍歴だけは信用できるものだったので、素直にアドバイスに従ってしまったのだ。なんとう愚か者だと明は自分を責める。……本当に、余計なことしかしない。しかし、実行すると決めたのは明自身であり、決めただけではなく本当に実行したのも明自身である。それは動かしようのない事実だ。
「……はぁ」
 最近の秋奈は、娘の秋帆のことで手いっぱいのように思える。『思える』ではなく、実際にそうだ。すっかり明は忘れ去られたような気がする。結婚当初、新婚の頃は毎晩すごい勢いで迫られた。ぐったりした明のことなどお構いなしに、秋奈はひとりで寂しかったと訴えた。明の母、すなわち秋奈の姑が同居していないのは不幸中の幸いといえるのか否か。明としても、息子ひとり娘ひとり、そのうち娘とはすでに死別していて、明と共に暮らしたりするような精神的な余裕はなかった。明の妹である山瀬まみは殺されたのだ、十年前に。現在の雇い主である宮下茜の実の父親が裏で糸を引いていた事件で。
 明が失業したのはその事件がきっかけだと言っても間違いではない。茜の実父である大西隆は裏の社会では名の通った大物犯罪者であり、大体の企業のトップは彼を恐れている。大西は犯罪の計画を立てて依頼人に持ちかけることもあるし、第一彼本人は爆弾魔だ。大事な会社がたった一人の男によって破壊されてはたまったものではない。よって、彼の娘だと茜を知る企業は、彼女の関係者を切っている。明も例外ではなく、容赦なく首を切られたのだった。
 茜がかつて所属していた『組織』も、茜の実父を恐れて彼女を切った。大事に大事に育ててきたというのに。その決断は容赦がなく、美千代も上に掛け合ったというのだが、到底聞き入れられるようなものではなかったらしい。ただし関係者でも智也は未だに『組織』にいる。本人曰く、「腕がたしかだからな。俺がいなきゃ『上の連中』も困るんだよ。俺は特別だからな」。まったく、あんな女たらしでも特技があるというのは強みだ。そんな智也が羨ましい。
 現在は茜の元で薄給ながら、妻と娘を養いつつ働かせて『もらっている』。秋奈は「あんなニートのところで働くなんて」などと苦い顔をするものの、結果的に助けてくれた(と思っている)神父には恩義を感じているらしく、最近では文句は言わない。本当に神父さん様様だ。
「何してるの?」
 そんなことをぐるぐると考え込んでいると、その妻がコーヒーを持ってきてくれた。どうやら間に合わないと慌てていた秋帆の幼稚園の送迎は間に合ったらしい。
「考えごと。秋帆は元気、なんだよね?」
 秋奈はきょとんとした。自分の分の珈琲に口をつける。妊娠中はカフェインを飲めなかったので、再び飲むようになったのは秋帆が入園してからのことだった。
「もちろんよ。決まってるでしょ? あたしが明より優先して面倒見てるんだから」
 ヤンキーは情に厚い。仲間意識を持つ相手にはこの通りデレデレである。女の子は父親に似ると言われているが、秋帆はどちらかといえば明に似ている。秋奈が自分にはあまり似ていないと認めているし、智也は失礼なことに「大きくなったら明のようにモテない人生を送るんだろうな。それまでに男は確保しとけよ」なんて、本当に余計なアドバイスを物事がよくわかっていない秋帆に教えていた。だが本当に悪意がないのが厄介だ。
「……だよね。最近の僕らってさ、なんか、こう――」
「そういえば最後にしたのっていつだっけ?」
 秋奈は過激な発言にも抵抗がない。しかし明はその手のことに大変疎い。思春期には智也に散々下品に弄られ、あまりにも女子との接触や会話がないせいで、妹には「……兄貴って女嫌いなの? それともホモなの?」と明らかに智也の影響であろう、いわれのない罵倒をされてきた。その嫌な思い出から、明は未だにそうした会話に慣れない。三十代になった今もだ。
「君もさ、そういう話題を積極的に出すのってどうなの?」
 顔を真っ赤にした明は下を向いている。
 秋奈は平然とコーヒーを飲んだまま。
「だって、あたしたち夫婦じゃん。夫婦がそういうことしなきゃ、誰がすんのよ?」
 ヤンキー時代に茜を頼ったこともあるが、その時の友達の援助交際疑惑の時も、感じやすい年頃のはずなのに平然としていた。元からこの手のことにはあけすけなのだろう。一応お金持ちの娘なのに、どうしてこう育った? しかもこれで本人は明に合わせて湾曲表現にしているのだ。秋帆が眠った夜中であれば、十八禁用語のオンパレードだ。
「それに、あたしは結婚式もなかったし。せめてラブラブなんだって、愛を確認したいじゃん? 二人目、欲しくないの?」
 秋奈はどうなの?
 そう尋ねそうになって、明は戸惑う。今のタイミングで二人目が出来たら、色んな意味で大変だ。給料は低いし、周囲はきな臭い。十年前でさえ、大西隆一人に大勢が振り回されたのだ。加えて今度は正体不明の敵がいる。敵と断定できないかもしれないが、あの雰囲気からいけば十中八九、敵だろう。
「それは……男の子も欲しいけど。君に似た、度胸のある子が――」
 ふとカレンダーに眼をやる。今は六月だ。そして秋奈は言った。『結婚式もなかったし』。ならば、せめて結婚式……のようなものをしたらどうだろう? ジューンブライドは結婚を夢見る女の憧れらしいし。
「でしょぉ? 男の子もいいわよね。ガキ大将とか古いかもだけどさぁ。あたしに似てヤンキーになったりしてさ」
 秋奈は既にその気である。別の話で。
「秋奈、結婚式をやらないかい?」
「そうよね、ヤンキーが結婚式ってのはなんか泣けるよね。柄にもなくあたしに似た息子がさ、『母ちゃん、サンキュ』なんて言ってさ」
「……いや、僕らの結婚式だよ。秋奈だってしたいでしょ? あの頃はお金もなかったけどさ、今なら智也に頼めばどうにかなると思うし。ジューンブライドだよ?」
「男の子はジューンブライドとかそういうの、こだわらないんじゃないの?」
 話が平行線だ。結婚して知ったのだが、秋奈は思いこむとノンストップだ。いや、形だけの婚約でも大いにその気になっていたのだが。
「秋奈!」
 どんとテーブルを叩く。やっと秋奈の妄想の中の息子の姿は消えたらしい。
「なっ、なによ?」
「だから、やろうって言ってるの。僕らの結婚式!」
 秋奈は再びきょとんとして、数秒後に叫びだした。
「えぇぇぇぇ!?」


「それで? 僕が牧師の代理だって?」
 茜は予想よりも平然と対応した。てっきり断られるかと思っていたので、嬉しい意外性だ。
「断らないんですか? というか、嫌じゃないんですか?」
 そこへシェーンがちゃちゃを入れる。
「ヘンなの! 先に言い出したのは明の方デショ?」
 黒田は何も言わず、ただ茜の背後に陣取っている。どんな時も茜だけは守る。仕事として。
「いや、たしかにそうですけど。じゃあ引き受けてくれるってことですよね?」
「それは報酬次第かな。……明さぁ、僕に隠してること、あるよね?」
 どきりとした。なぜばれたのだろう?
「え? なんのことですか?」
「大根役者。僕にその手の誤魔化しが通用するとでも思ったの? ここ最近の君の動きを見てれば解るよ。なにかにつけて僕のパソコンのロックを外そうとしたり、勝手にファイルを調べたりさ。……気づかれないとでも思った?」
 花見の時にファイルを持ち出していたことがばれていたとは。しかも智也に協力を持ちかけられた時のためのカードのひとつとして情報を得ておこうとしたのは失敗だったらしい。すっかり茜にばれている。
「ファイルはね、あくまで古い情報を載せてあるだけだよ。パソコンで本来の情報を暗号化してあるから、あれだけじゃあれに載ってる情報は間違いだらけなの。それにパソコンはログインするたびにパスワードを変えてあるから。職業として当然じゃない」
 茜はやはりプロだ。その道半生を舐めていた。
「ソレデ? アカネはどうするの?」
 シェーンがわき道にそれた話を戻してくれた。茜は考え込んだように見えたが、最初から答えは決めてあったらしい。
「決まってるでしょ。あの元ヤンには明を助けてもらってるって借りがあるんだから。協力したげるよ」
 明は秋奈に助けてもらっているという自覚はないものの、茜がそういうのならそうなのだろうと勝手に納得した。しかしこれは茜の天邪鬼な秋奈への好意なのだとは知らない。シェーンは日本で初めての結婚式参加だと喜んでいる。結婚式の主役は彼女ではないのに。
 久しぶりに秋奈の『女』としての顔を見れる。明の心は踊る。
 智也はもちろん、和也にも美千代にも招待状を出そう。ウキウキしながら明は当日の準備を考える。それで、秋奈が喜んでくれるなら。
 明はそんな性格で、もちろん悪意など持ち合わせていない。……だが時にはそっちの方がたちが悪かったりすることを彼は知らない。


 当日は、晴れだという予想だったのにあいにくの雨。
 まぁこればかりはどうしようもない。誰のせいでもないのだから。
 ウエディング仕様に着替えた明は、普段よりは鏡を見るのが喜ばしかった。馬子にも衣裳というものだ。じっと鏡を覗き込む明を、智也は「ナルシストかよ」と、おまえにだけは言われたくないという一言を放った。しかし気にしていない。秋奈もきっと、さぞかし美しく着飾っているだろうから。
 何しろ今回の結婚式は予想よりも遥かに大規模になったのだ。智也に一番に電話したせいだ。
 智也は長年の幼馴染がやっと妻にそれらしいことをしてやるのだと聞き、当人よりも張り切った。張り切り過ぎて知り合いのコネを総動員して、業界大手『ブライダル美吉』という結婚式のプロフェッショナルスタッフを総動員した。明が普段よりもましになったのは、彼ら彼女らの功績である。パッとしないとよく言われる明でさえもプロの手にかかって『パッとしない』から、『そこそこ』といえるレベルになったのだ。秋奈の出来が楽しみなのは当然だ。
「早く見たいからって花嫁の控室に行くのはなしな。始まるまでのお楽しみというやつだよ」
「もちろん。元からそのつもり」
 秋奈がどれほど美しく変身しているか、とても楽しみである。
 結果として会場は当日になってこの式場に変更になったため、一部の招待客は都合がつかなくなった。牧師も茜ではなく、本職がやってくれるそうだ。まさしくいたせりつくせりで怖いくらいだ。
「和也は夫婦で来るらしいぞ。美千代さんはどんなカッコで来るんだろう? あぁ、おまえのために便宜を図ったって知ったら、俺に惚れてくれるかな」
 智也は呑気にそんなことを言っている。そんなわけないじゃないか。そう言いたいのをこらえ、明は式が始まるのを待った。
 やがて開始の時刻となり、新郎控室の明と智也は会場に移動する。茜とシェーンがいないのは、秋奈に付き添っているからである。なんだかんだ言っても、茜は美人に甘い。シェーンは純粋な好奇心だろう。そういう娘だ。
「じゃ、行くか」
 花婿介添え人の智也は、明の手を引いた。
 
 扉の向こうには、光沢のある青いドレスを着た秋奈が立っていた。もう既に夫婦生活数年を過ごした明でさえもうっとりしてしまう。「おいしっかりしろ!」という智也の叱責で、ようやく我に返る。
 牧師は今は亡き神父にどこか似ていた。この手の職業の者だからだろうか。ドレスを纏った秋奈はいつもよりも数倍は美人に見えた。ウエディングドレスを着ていてもピアスは外さないのはなぜだろう。おまけになんと、茜がいつも身に着けている婚約者だったという男からの贈り物である指輪にチェーンを通して首から下げていた。
「……どう?」
「綺麗だよ。とっても似合ってる。でも、それは? ティアラはさくらさんからでしょ? ドレスもそうだし。でもなんでピアスと指輪?」
 すると秋奈は呆れた顔をした。客席の茜も、シェーンも、近くにいる智也でさえも。
 そんなに自分は頓狂なことを言ったのかと明は自問するが、答えがわからない。
「サムシングフォーも知らないの?」
「さむしんぐふぉー?」
「新しいモノ、古いモノ、借りたモノ、青いモノ。その四つを身に着けた花嫁は幸せになれるっていうジンクスよ。ホントにそういうのは鈍いんだから!」
 とん、と額を叩かれてしまった。でも秋奈は幸せそうだ。茜のそばにいる秋帆も「パパとママ、らぶらぶだ!」なんて歓声を上げている。
 そうか、僕はまだ『失ってない』し、『奪われて』もいないんだ。
 十年前にはたしかに妹は失った。でも、他の者ほど重症でもない、と思う。自分にはまだ幸せが沢山あるし、これからも新しく築いていける。希望がある。
「新郎、山瀬明。貴方は辞める時も、健やかな時も――」
 牧師の誓いを確かめる言葉を聞きながら、明は自分がいかにちっぽけなことでくよくよしていたのかをはっきり自覚した。
 そして絶対に、何があったとしても、この幸せ――妻と娘がいる生活だけは死守してみせると誓うのだった。

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2017年 6月15日 莊野りず


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