若葉はわざとらしく顔を思い切りしかめた。明にも気持ちは解る。それだけ安藤智也の棲み処はひどい有様だった。
「まぁ、座れよ。おまえがぼんやりしてたって事態が好転するわけじゃねえだろ?」
座れと智也が指差したのは、いかにも何かを零したような汚い座布団だった。ダイニングテーブルと立派なイスもありながら、そこは既にゴミの山になっている。元が一体何だったのかすら判別できない。そういえば最近は掃除に来てなかったっけな。そんなことをぼんやりと明は思った。だが明にそんな義理もない。有料ならばともかく。
「……このわたくしに、こんな汚らわしい場所に座れと?」
予想通り、一色若葉はプライドの塊だった。
茜以上とも思える察しの良さに、医師という職業上の知識も和也よりも上であり、智也の部屋を見ただけで大体の生活ぶりを当ててみせた。いつもインスタントばかりではないということを当てたのは明にとって驚きだった。カップラーメンのゴミが散乱しているのに、それには誤魔化されなかった。理由を尋ねると、
『彼はモデル並みのボディラインを保っているわ。わたくしもモデルだったから解るのよ。体型に気をつけている人種は食事も気をつけるものだわ。筋肉のつき方も、独特だし――』
以下、若葉による医学的見地から察せる智也の食生活を聞いた時、智也本人はどこか照れ臭そうにしていた。
『流石は天才少女だな。あの小娘には似ても似つかねえ。……あ、地雷だったか? 悪りィ、悪気はねえんだわ』
本気で悪いと思わないのが智也の悪いところだ。しかし、大抵の場合はそのイケメンフェイスで許される。もちろん、女性限定だが。
しかし若葉はそうはいかない。彼女もまたまれに見る美人であり、元カリスマモデルである。
『外見だけの男って、つまらないわね』
その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。なんて智也は言うが、茜に関係しているであろう今回の事態には、若葉の存在は必要だと判断したらしい。茜に関する情報は智也もそれほど持っていない。若葉も同様だと本人が言ったのだが、共通の父親がいるだろうという智也の一言で止まることとなった。
「言っておきますわ。わたくしは『現在は』パパと敵対している……のかもしれませんけどね、完全に決別した訳ではありませんのよ?」
「そりゃ、そうだろ。おまえは元から爆弾魔である父親が好きだったんだろ? 俺はマザコンじゃねえが、親を思う子供の気持ちはだいたい解る」
「……わたくしも別にファザコンではありません!」
智也と関わると、あの一色若葉でもこの調子だ。女性を扱わせたら智也の右に出る者はいない。積極的に働きかけなくとも、智也には女性を引き付ける何か強烈な魅力があるらしい。アキナに興味がなくてよかったと思う一方で、アキナの方が智也に恋していたらどうしようかと今更ながらに思う。
「――ら、明! おい聞いてんのか!」
「え? あ、うん、たぶん……」 「たぶんじゃねえよ。俺らの話してたことを復唱してみろ!」
「……すみません、聞いてませんでした」
まったくしっかりしろよ。智也も若葉も呆れ顔だ。
若葉はといえば、汚れ(たぶんカップラーメンの汁だろう)がしみ込んだ座布団に触れるのも嫌らしく、書類を寄せて座るスペースを作っていた。丁寧に抗菌スプレーまでかけて。そんなところは茜に似ている。やはり姉妹だ。
「若葉、おまえから話してやれよ。俺らの今度の方針を」
「なぜわたくしがそんな雑事を? こまごまとしたことなら探偵の出番でしょう?」
すでに若葉は智也の上手を行っているようだ。だが、智也も智也で負けていない。
「いいか? おまえはたしかに美人だし、グラマーだ。医者という部分なら和也よりも知識も経験も上だ。……だがな、この手の話は俺ら探偵の専門分野だ。おまえは世間を知ってるつもりだろうが、そんなのは世間知らずの思い上がりだ。十年前のことは俺だってそれなりに知ってる。おまえがいなきゃ、あの小娘だってとっくに死んでた。だが、おまえはまだまだ未熟な小娘二号に過ぎないんだよ。自分を知らないというのはそういうことだ。少しはその無知を恥じたらどうだ?」
智也はもっともらしいことを言った。若葉はむっつりとした顔で聞いていた。こんな顔も出来るのかと明は感心した。……時間にしてほんの十秒ほどだったが。
「言わせておけば、なんですの? このわたくしを小娘? 言ってくれますわね。ただの年寄り、ただの老害の分際で。あなたのような傲慢な連中がいるから年配者は煙たがられ、終末医療従事者はやりたがらないんですわ。本当に早く死んでくれないかしら? ねぇ、貴方もそうは思わないこと?」
今度は明の方を向いて、若葉は微笑んで毒舌を吐く。その笑顔は流石元カリスマモデルだと思ったが、向かい合う智也はカチンと来た顔をしている。この小娘の味方をする気か、裏切り者。そう眼が言っている。
「え、ええっと、僕はそんなケンカはしない方がお互いのためではないかと。全然建設的じゃないし、ここで僕らが揉めてもなんにもならないじゃないですか」
なぜか敬語になってしまう。これが明が散々舐められる原因なのだ。本人には自覚はないが。
「じゃあ何か? 俺にこの小娘相手にヘコヘコしろとでも?」
「なんですの? このわたくしが、この楼外のご機嫌取りをするべきだと?」
智也は付き合いがそれなりにあるが、若葉とは直接話したのは病院での時が初めてだ。茜から大体の話は聞いていたものの、ここまで我が強いとは。あの茜でさえ扱いに困っているのに、自分に出来るはずがない。しかも当の茜に黙ってだ。今日も妻子のことがあると嘘をついて抜けてきたのだ。茜もシェーンもまったく疑っていないようだったのが申し訳ない。
「そうは言っていませんって。だいたい僕は茜さんの助手ですよ。本来ここにいること自体がおかしいんです」
「別に小娘に話すなとは言ってねぇぞ?」
「バラされて困ることはありませんしね」
智也も若葉も平然としている。あれ? そうだったんですか? 僕はてっきり――。
「ま、どっちにしろ役立たずを置いとく義理はねえわな」
「そうですわね。帰ってよろしくてよ」
てっきり自分がいないと成り立たないとばかり思っていた智也と若葉は、明を除け者にして、ふたりにしか通じない会話を始めるのだった。
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2017年 6月9日 莊野りず
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