探偵は教会に棲む Returns 

BACK NEXT TOP


Return22:母の日に失踪・後篇


 ホリィ・ロマの身体からは、嗅いだことのない独特の香草の匂いがした。麻薬かと勘違いしそうになるものの、海外では合法の国もある。この子もそういった例だろうと茜は解釈した。そしてどうやら彼女の声は茜にしか聞こえないのだと悟った。
「君、どうしてここにきたの?」
「…………」
 少女は何も言わない。表情は微笑んだままで、そのまま何の変化もない。まるでいい意味での幼い頃の自分のようだと茜は思う。まるで鏡のような、双子のような、そんな奇妙な感覚。
 いつか、智也の部屋の『組織』の機関紙を失敬してきた時のことを思い出した。あの写真に写っていたのはこの子ではない。この子は褐色の肌だが、あの写真の娘は少なくとも褐色ではない。白黒でもそのくらいの判別はできる。
「アカネ、何言ってるのかワカル?」
「私も無言でいるのは時間の無駄だと思いますがね?」
 茜の方を向いても、ホリィはくちびるすら動かさない。喋り方を知らないのかと思ったが、美千代のマンションに行った時には口で『アカネ』と言っていたらしい。この子はしゃべれないのではなく、喋らないのではないか。
「なにか言ってみて? なにかを知っているからここに来たんだよね?」
 優しく尋ねてみると、少女はそれまで合わせていた視線を閉ざし、直接茜に語り掛けてきた。
 ――セイランを、とめて。
 その声は間違いなく、ロンドンで聞いた声だった。留学先で一緒に事件を解決してきたあの子の声。だが見た目は大きく違う。一体どういうことなのか。やはり超常現象が絡んでいるのだろうか。
「あの、どういうことですか? 娘は無事なんでしょうか?」
 依頼人が業を煮やしたようにせっついてきた。彼女からしてみれば女手一つで育ててきた娘の安否は何よりも優先されるべきことだ。それなのに、いきなり乱入してきた少女にかかりきりとは、一体どんな了見だろう。
「あぁ、すみません。でもこの子は私に教えてくれるんです。娘さんの居場所を」
 茜はこの娘がロンドンで一緒だったローラ・キャンベルと同一人物だという不思議な確信を抱いていた。理由は全然理論だって説明できないのだが、それはこの世の超常現象を説明しようとするときにしばしば起こる出来事だろう。
 ――東の十六番倉庫。
 それは東京の外れにある倉庫街の番号だった。
 行ったことこそないが、『倉庫』ともなれば誘拐に使われる可能性は十分にある。
「シェーン、僕のパソコンから今から言う住所の情報を割り出して」
 茜がそう指示すると、シェーンが素早く入力する。目的の画像は、海のすぐそばだった。元は貨物用の倉庫のようだが、成人が誘拐されて軟禁されていてもおかしくない広さがある。そこにいるのだと茜は確信し、依頼人を残して上着を羽織る。
「シェーンは依頼人と留守番を。黒田さんは私と一緒に東の十六番倉庫に急ぎましょう!」
「娘をよろしくお願いします」
 依頼人は頭を下げた。
 推理の過程は不明だが、ある程度知名度のある探偵が断言するのならばそこにいるのだろうと、頼るしかない。何の手段も持たないというのはこういうことなのだ。
 茜は依頼人を見つめながらそんなことを思った。どれだけ不安だろうが、本意ではなかろうが、頼れる人が他にいない状況というのは孤独だ。孤独は怖いと茜は思う。出来ることならば、もう二度と味わいたくない。


 ホリィは茜のシャツの袖をつかんで駆けだそうとしたが、身体がついていかないらしく、途中で転んでしまった。
「大丈夫?」
 声をかけて、手を差し伸べたが、転んだ場所からは血は出ていないし、法衣にも血痕はなかった。にっこりとホリィは笑った。邪気のない笑みだが、この子があの危険なにおいのする女の関係者である以上はそう簡単に信用してはならないとは思う。ただし、今回は誘拐だ。時間との勝負でもあるこの手の事件においては、少しでも手掛かりにすがるしかない。
 ――鼻を使って。
 少女の声に従って、茜はくんくんと匂いを嗅いでみた。この娘と同じような、独特の香草の匂いがしてきた。東の十六番倉庫からだった。
「黒田さん! その扉を破れる?」
「当然です」
 黒田が全力で蹴りを入れると、頑丈なはずの扉は震えた。そして次の瞬間には扉は妙な音を立てて開いた。
「……これでよろしいでしょうか?」
「上出来だよ」
 嫌味ではなかった。さすがはあの大企業の社長がよこしたボディーガードだ。
 中に踏み込むと、女子高生が制服のままで縛られて倒れていた。血色は暗くて解らないものの、健康的な呼吸の音がした。
「よかった、無事だよ」
「ですが宮下探偵、なぜこの場所が解ったのです? 推理ですか?」
「今はこの場所から彼女を連れていく方が先だよ」
 茜は質問の答えをはぐらかした。できれば答えたくはなかったが、いつかははっきりと理由を述べなければならないだろう。黒田はそれもそうだと納得して、誘拐されていた彼女を肩に担いだ。
「……あれ? 君は一緒に来ないの?」
 ホリィはその場に残るように、動かない。くちびるは閉じたままで、何か言う様子もない。
 ――わたしがいないと、怒るから。
「え?」
 少女はそれだけ言って、黒田でも蹴りでないと開けられない扉をその小さな手で閉めた。


「愛美!」
「お母さん!」
 教会では感動の親子の再会が実現していた。
 その頃には若葉の元にやった明も戻ってきていたが、様子がおかしかった。まるで、なにかものすごい失態を演じたかのように。
「……親子っていいですね。あ、すみません茜さん」
「いいんだよ」
 黒田もどこか思うことがあるらしく、明後日の方向を向いている。シェーンは無邪気に喜んでいる。
「これでロトウに迷わなくてスムネ!」
 それは余計なひと言であり、明はハラハラしたのだが、茜は別段気にする様子もなく依頼完了を喜んだのだった。
 しかし茜はこの誘拐事件はあの男の仕業で、誘拐された女子高生に意味があったということもこの時点では知らない。

______________________
2017年 5月26日 莊野りず


BACK NEXT TOP


Copyright(c) 2023 rizu_souya all rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-