探偵は教会に棲む Returns 

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Return21:母の日に失踪・前篇


 少女は軟禁されている。
 犯人はふたり。年齢を悟らせない男と、不思議な雰囲気を纏った女の二人組だった。彼らにはなぜか自分を傷つけるという明白な意思はないように思えた。自分を拉致した時も、古い友人に話しかけるかのように、あくまでも自然に話しかけてきたので、彼女はつい油断してしまったのだった。
 彼女は母の日のプレゼントのために期間限定のアルバイトをしていたのだった。母は少女が幼い頃にDV夫と離婚し、女手一つで娘を育ててくれた。母は決して丈夫な女性ではなかったものの、気力は誰よりもあった。誰よりも娘のために頑張ろうという気迫に満ちていて、片親だということで娘が悲しい思いをしないよう、しっかりとサポートしていこうとしていた。そんな母が少女の誇りだった。
「ママ、心配してるかな?」
 彼女はバイト先から帰る途中で、成人済みの男女に話しかけられた。もうすぐ母の日だし、気の利いたプレゼントはないかと迷ってるんじゃないかなと思って。そう彼らは言ったのだ。その言葉そのものは平凡だし、惹かれる要素はなかったのだが、男の深い色の瞳に吸い込まれるように、後をついてきてしまった。なにか超能力でもあるのかもしれない。……もっとも彼女はその手の話を信じているわけではないが。
 軟禁されてからも、彼女には不思議と危機感はなかった。あのふたりが自分に危害を加える気はないのだという気がしていた。それだけ罪のない顔をしていたのだ。実際は男は爆弾魔で、数多くの無実の人々を焼き殺してきたのだということは少女は知らない。ニュースは見るものの、男の顔は報道されたことはなかった。それだけ巧みに情報操作に手を加えられる立場の者だった。
「心配? それは貴女が自分のことを心配するべきですよ」
 いつの間にか、真っ暗な部屋の中に女が入ってきた。手には匂いのきつい香草が山のようになっている。その匂いにくらりとした。
「あたしは貴女がなにかするとは思えないの。だってあんなに親密に相談に乗ってくれたじゃない!」
「愚かですね。やはりこの国の者は平和ボケしているとしか思えない。危機管理能力の欠如が甚だしい。いいですか? 貴女は我々の糧となるのです。喜んでその身を捧げなさい」
 女はまるで自分の言葉に酔うように、唄うように言った。
 少女はその時になって初めて自分が最大限の危機に陥っているのだと悟ったのだった。


 教会には、久しぶりに依頼人が駆けこんできた。
 未だに黒田とのわだかまりは解けたわけではないが、茜にとって依頼をこなす時間というのは落ち着くときである。特に神父を亡くしてからは、精神を安定させるのに依頼は大いに役に立った。なにかをしていないと、生きている実感がなかった。
「娘は無事でしょうか? あの子は私のことを心配させたりはしないんです。だから、きっとなにかあったに違いないんです!」
 娘が失踪したという母親からの依頼で、茜は幼い頃の自分たち母子の関係をだぶらせた。
 茜の母親、宮下和子は茜が失踪した時は別段騒ぎもしなかっただろうし、むしろ喜んでいただろうと思う。茜には母の日の記憶がない。母の日という行事があることは知っていたものの、茜は母親に感謝する気はなかったし、育てられているという実感もなかった。なにしろネグレクト直前の生活だったのだ。その頃の記憶はそれほど鮮明ではないのだが。
「……最悪の事態を想定していた方がいいですよ」
 話を聞いたところで、余所者である黒田が口を挟んだ。そのせいで、それまでは比較的冷静だった母親の表情が一気に不安に染まった。
「それは一体どういう……?」
 茜は黒田を睨みつけた。
 こういうタイプの依頼人は、冷静でいてもらった方が情報も聞きやすいし、情報が多い方が解決もしやすい。……黒田もプロを連呼するくせに、この程度の想像もつかないのかと嫌になる。推理においては、黒田は完全に足手まといだった。
「落ち着いて下さい。まだ娘さんが失踪して一日ですよね? たったの一日では犯人も逃走ルートの確保などの問題で、そう遠くには行けません。誘拐してすぐに遠出したら、それは昭かに怪しい。浅はかな犯人でない限り、遠くへは行きませんし、浅はかだった場合は捕まえやすい。どちらにしてもそれほど焦る局面ではないんですよ」
 茜がそう言い添えると、依頼人は胸をなでおろしたようだった。
「オチツイテ。ハーブティでもドウゾ」
 まだ落ち込んだままだが、無理に笑顔を作ったシェーンがハーブティーを持ってきてくれた。気分が落ち着くカモミールティーだ。
「……ありがとうございます」
 それまで落ち込んでいた依頼人の表情が和らぐ。
 茜は依頼人に見えない角度で、黒田を睨みつける。『僕の仕事の邪魔をしないで』という言葉をこめて。
「…………」
 黒田はそれでやっと黙り込んだ。おかげでやっと集中出来る。
「それで、娘さんはいつからどんなアルバイトを始めたんですか?」
「たしか、オーガニック野菜専門店のレジ打ちだとか言っていました。購入者がお金を落としていくから、給料がいいと自慢してましたね。ほら、ここ数年はオーガニックって結構高級志向の人の間では流行じゃないですか。だからあの店を選んだんだと思います」
 茜はメモを取りながら、その店の名を尋ねた。
「ええっと、たしか『ナチュラルグリーン三号店』とか言っていましたね。香草が充実していると言っていて、帰ってくると娘の身体から香草の匂いがぷんぷんするんですよ」
「オーガニック専門店、『ナチュラルグリーン三号店』……」
 茜にはどこか引っかかるものがあったものの、その正体がなんなのかまでは解らなかった。
 そんな時、ハーブティーを出して下がったはずのシェーンが再び顔を見せた。
「アカネ、お客さんダヨ!」
「今は依頼人と話してる最中だから――」
「アカネに用事があるみたいだヨ? ホラ、レイのあの子」
 そう言ってシェーンが指差したのは、奇跡の少女・ホリィ・ロマだった。幼く、あどけない顔をした彼女は、茜の顔を見た途端に安心したように微笑んだ。
 ――助けてあげて。
 少女の瞳はたしかにそう言っているように、茜には思えたのだった。

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2017年 5月22日 莊野りず


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