探偵は教会に棲む Returns 

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Return19:若葉母の異変


 帰国した若葉は、元とはいえ親友の変貌に驚いて……いたわけではなかった。
 天才である彼女には小夜子が悪の道に染まってしまうであろうことは、十分に予想できたことだった。十年前、自分を殺そうとした時に若葉の中で芽生えた感情の名を何と呼ぶのか、若葉本人は知らない。断定できるものではないから。同時に小夜子の中で芽生えたのはきっと、反社会意識。実父である大西隆と同じモノだ。ただし彼と彼女ではそのレベルは大違いなのだが。
 黙って自室にこもって荷物の整理をしていると、どっと疲れた。ここ数ヶ月まともに眠っていない。緊急のオペが多く、学ぶ機会は多かったものの、徹夜続きではその効果も半減する。若さという武器はあるものの、まだ若葉はモデルをしていた頃の癖で食事をセーブしがちである。それゆえにもしも智也が会ったら絶賛するであろう、抜群のプロポーションを保っているのだが、医者の世界ではそれは武器にはならない。
「ワカバ! ●▽◇!」
 日本に帰化しすぎて、母国語すら怪しくなった北欧出身の母が若葉の好きな茶葉で淹れた紅茶を持ってきてくれた。久しぶりにはちみつをたっぷりと入れる。もうモデルではないのだから、このくらいの糖分の摂取は許されるだろう。
「ママ、日本語はまだ覚えられないの? シェーンはちゃんと喋れてよ?」
 ドイツでホームステイした時にお世話になった彼女の名を出すと、「最近会ったの?」と訊いてきた。突然の帰国で、普通ならばそんなことにまで思い至りはしないものだが、さすがはあの大犯罪者大西隆の選んだ女であり、若葉の母親である。
「会ったことは会ったのだけれど……それどころではなかったわ。ねぇ、ママは宮下茜をどう思って?」
 母親のカップにミルクをたらす手が止まった。それは触れてはならない話題だったかと今更になって若葉は思ったが、硬直したまま自分を見つめる母親の様子に『そうではない』と確信した。
「……カズコ」
「カズコ?」
 人名のようだが、もしかしたら何か、意味のある言葉なのかもしれない。方言だとしたらお手上げだが、日本出身ではない彼女にはなじみはないだろう。だとしたら母国語だろうか? いや、やはり人名の方が可能性が高い。
「タカシの……」
 そこまで言って、母親は倒れた。それまでよかった血色は短い間に土気色になっていた。
「ママ? ママ!」
 若葉は慌ててスマートフォンで救急車を呼ぶと、すぐに応急処置に入った。
 義姉である宮下茜に助けを求めようかと思ったのだが、本人に向かって助けてなどと言うのは癪だ。ここは彼女の部下である山瀬明のところに電話しよう。
 若葉は素早く判断を下し、電話を入れた。


「――といった次第ですの。貴方、何かご存知? 『カズコ』という人名や単語、その他なんでもかまわない。心当たりはなくて?」
「……と、言われましても」
 山瀬明は茜とは違ったタイプの彼女の異母妹と対面していた。教会では一色若葉の名を聞いて様子がおかしくなった黒田を茜が止めている。というよりも、黒田が茜のボディーガードである以上、茜の行く場所には彼も同行しなくてはならないので、そうなると必然的に若葉とも対面することになる。それは避けたい事態だった。
 よって部屋に閉じこもるシェーンを無理に呼び出すわけにもいかず、明がここにいるのだった。若葉の母親――クリスティが緊急入院というのは、彼女からしてみればたしかに『緊急』だ。
 明には『カズコ』という言葉に聞き覚えも馴染みもなかったが、それは茜の実母の名だった。智也でさえ茜に対してそこまで踏み込んだ話をしないので、元から茜に対して苦手意識を抱いている時から訊く機会がなかった。しかし、もしここに茜がいたとしても、十年前に亡くなった彼女がなぜ今更になって出てくるのか不思議で仕方がないだろう。
 若葉も明も頭を抱えた。若葉からしてみれば、大西と結婚した理由が『優秀な子供が欲しかったから』という身もふたもない理由である母が、他の女の名が出たとしても動じないだろうと思っている。実際、クリスティはそういった女性であり、一夫多妻には特に抵抗はないらしい。『優秀な遺伝子が残るのならいい』とすら言っていた。そのクリスティが倒れたのは、『宮下茜』という名を若葉が出したからだった。
「……まさか」
 若葉の中で父親譲りの頭脳がひらめいた。茜のことを口にした時、フルネームだった。それまで若葉は彼女についての意見を母親に求めたことはなかった。フルネーム、これがカギだ。母が反応したのは『茜』ではなく、『宮下』だったとしたら? だとしたら『カズコ』は茜の母親ということになるのではないだろうか?
「でも……まさか。それに、なぜ今更?」
「一色さん?」
 一向に考えのまとまらない明は、若葉を怪訝そうに見た。若葉の中である仮説が生まれた。
 そしてすぐにそばにいる年上の義姉の部下に命じる。
「貴方も宮下茜の関係者なら、『教団』の情報を入手する機会はあるんじゃなくて?」
 明はなぜ若葉がそこまで鋭いのか、びっくり仰天だった。つい先日、『教団』についての資料は大雑把だが眼を通したばかりだ。しかも、若葉の眼光はメイクのせいでやけに鋭い。
「どうなの?」
 年下の美女にぐいぐい詰め寄られ、妻子持ちでありながら、明はついどきりとしてしまった。
「……『ユグドラシル教団』、それが貴女の言う『教団』のことですか?」
「ご存知なのね? 詳細を教えなさい! いいえ、詳しく吐きなさい!」
「それは……」
 明が『教団』について知っていること自体が、明だけの秘密だった。それなのに、なぜこんな大事な時にうっかり自らバラしてしまったのだろうか。茜ですら明が知っているということを知らないのに。なのに、ここで若葉に話してしまっていいものだろうか?
「い・い・か・ら、お吐きなさい!」
「教祖の名は、ポーラー・ロマ。だがその実権を握っているのは今やセイラン・ロマという女だ。だが本物じゃねぇ、赤の他人と言っていいニセモノだ。……俺がここで提供できる情報というのはこの程度が限界だな」
 壁の影からコツコツと足音を響かせて出てきたのは、なんと智也だった。幼馴染の危機に参上したとでもいうのだろうか? だがそれにしてはタイミングが良すぎる。
「……どなた?」
「直接会うのは初めてだな。俺は安藤智也。あの小娘のかつての同僚だ」
「ということは、貴方も探偵なのね?」
「鋭くて助かるぜ。ホントにあの小娘の妹か?」
   若葉はモデルとして活動していた経験から、未だに全国に復活を望むファンが多い。智也もそのうちのひとりなのだろうと見当をつけた。
「半分だけ、ですわ。その情報は確かですの? ソースは?」
「それは見せられない。だが、妙だとは思わねぇか? あの小娘の教会を襲撃してきた女と『教団』。その女が連れていた娘。……俺もSランクの依頼が入っていてな。Aくらいなら俺だけで十分だが、Sともなると和也かさくらレベルの相棒が欲しい。そこで、だ。提案がある」
「……わたくしに探偵の仕事を手伝えと仰るの?」
「そっちにとっても悪い話ではないと思うが?」
 互いに火花が散りそうなやり取りで、間にいる明がドキドキする。若葉は智也の顔をしばらく眺めていたかと思うと、一度目を伏せてキッと智也を見た。
「解りましたわ。このままではママの抱えている秘密も、パパの秘密も明らかにならない。それはこのわたくしが蚊帳の外ということ。許しがたいことだわ」
「よし! じゃあよろしくな、若葉!」
 智也はにっこりといい笑顔を浮かべて手を差し出したが、若葉はそれを払いのけた。
 既に波乱が見えそうな関係に、無関係の明の方がハラハラするのだった。

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2017年 5月15日 莊野りず


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