探偵は教会に棲む Returns 

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Return18:気に入らない


 茜はあの花見の一件以来、機嫌が悪かった。
 なぜかといえば、クロコダイル……もとい、三ツ星さくらと名乗った美貌の女性がよこした、黒田というボディーガードがすぐ傍で眼を光らせているからである。さくらは茜好みの美人で、なぜ智也の好みの赤を纏っているのかが不思議だったものの、『元々相棒』ということで大体の智也との関係を察した。大方、さくらが智也に惚れているのだろう。というか、こんなものは推理でも何でもなく、花見の席で酔っぱらったさくらが思い切り智也に向かってベタベタしていたからだった。茜から見れば、さくらが酔っているのは明らかに演技も混ざっていたが、まんざらでもない様子の智也に水を差すのも今回ばかりははばかられた。
「……ちゃんと、きっぱり、断っときゃよかったよ」
「なにかおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない」
 茜は半径一メートルの距離にいる大男に向かって小さく言った。さすがに預かっている相手であり、大企業の社長の元ボディーガードである。近くにいるだけでプレッシャーが半端ではない。おかげで久しぶりに入った仕事も片付かず、こうして資料を見ているだけだ。どこかに調査に出かけようとしても、四六時中この黒田がついてくるのには辟易していた。あの花見からまだ三日である。
「茜さーん! 依頼は終わりましたか?」
 二階から明の声がした。彼には数日前と変わらずファイルの整理を任せてある。少しの間で構わないから、この位置を代わってはもらえないだろうか。黒田の半端ではないぷれっしシャーに耐えながらする推理はいつもの心躍る物とは程遠い。
「アカネ、コーヒー飲んで! 落ち着こうヨ!」
「あぁ、ありが――」
 シェーンが気を利かせてコーヒーを淹れてくれたのだが、それは茜の手には収まらず、男の大きな手によって奪われてしまった。黒田である。
「なにすんの!」
「……毒は入っていないようですね。大丈夫です、私はこう見えて毒物全般にも精通していますから。毒見はお任せください」
「そういうことを言ってんじゃないの! せっかくシェーンが淹れてくれたのに!」
 すると黒田はその鋭い眼光をシェーンの方に向けた。そこにあるのは猜疑心。
「山瀬明はあの安藤智也の幼馴染なので信用しますが、彼女はまだここに来て日が浅い。そんな者を信用しろと? いいですか、宮下探偵。護身術というのは日頃の心がけが大事なのです」
「だからって!」
 せっかくシェーンが真心を入れて淹れてくれたコーヒーを、断りもなく飲むとは許しがたい。しかも『毒見』などと言う悪意ある言い方もする。茜はこの三日間でこの黒田がすっかり嫌いになりそうだった。まだ『なりそう』ですんでいるものの、しばらくすれば『嫌いだ』となるだろう。それは容易に想像できた。
「いいんだヨ。だってシェーンはまだブガイシャ。しょうがないヨ」
 しょんぼりとした顔をしたシェーンが、珍しく沈んだ顔で下がっていく。向かっているのは、自分の部屋として使っている元神父の部屋だ。
「ゴメン、アカネ。せっかくお給料くれるのに、シェーン調子が悪いから、休むネ!」
 彼女は彼女なりに精一杯の笑顔を作った。茜はその表情を見ただけで胸がいっぱいになった。まるで十年前、次々に仲間がいなくなっていく感覚は覚えがある。シェーンは今、十年前の茜の気分をひとりで味わっているのだ。
「差し出がましいようですが、彼女ももう首になさっては? 山瀬明とふたりでもやっていけるでしょう? 昔は貴女おひとりで推理で生計を立てていたのですから」
「そういう問題じゃない!」
 あまりのもデリカシーのないいい方に、茜は完全に頭に来た。さくらの前では忠犬そのものの態度だったくせに、茜に対しては始終この調子だ。いい加減に堪忍袋の緒が切れる。
「私だって貴女の護衛など本意ではない。しかし、私はさくら様のボディーガード。たとえ『元』がつこうとも。ボディーガードはいかに自分が嫌われようが、任務を遂行することが最優先課題です。貴女かて『プロ』なのでしょう? ならば同じプロである私のこともご理解いただけると思ったのですが」
「…………」
 今度は茜が黙り込んだ。
 プロの探偵であるということ。
 それは茜の唯一の自己表現の手段であり、アイディンティティである。黒田に言われるまでもなく、茜は自分がプロだということを知っている。半生も探偵として働いてきたのだ。そのプロの誇りが今、試されようとしているのだ。
「……シェーンは欠かせない存在だよ。彼女の勘は僕たちに必要だ」
 黒田は『勘』という言葉に敏感に反応した。それはさくらの口癖である。『女の勘よ!』といつも言っては、いつも無茶なプロジェクトを立ち上げる。しかし、それでも一度も失敗したことなどなかった。それほどまでにさくらにとっての勘は大きな武器だった。その秘密は誰も知らないし、少なくとも黒田は知らない。
「『勘』……ですか。まさか探偵がそんなモノに頼るとは思いませんでしたよ」
「推理に迷った時にはね、突拍子もない選択肢を選ぶことも重要なんだよ」
 茜はシェーンが消えた神父の使っていた部屋の方を見た。今頃、彼女はきっと傷ついているだろう。十年前の茜自身よりは年上とはいえ、多感な年頃の娘があんな言われ方をして傷つかないはずがない。そんなことも解らない、デリカシーのないこの男が、茜は心底気に入らなかった。きっと、さくらの元からこんなところに来る羽目になった原因である自分も気に入らないのだろうと茜は黒田を見た。彼は難しそうな顔をしたまま、なにかを考えているようだった。
「お二人とも、まだやっていたんですか。電話ですよ、若葉さんから。緊急だそうです」
 そこで空気を読まない明の発言が入る。
「な・ん・で、君はそんなに空気が読めないかなぁ? 今の僕らはね――」
「若葉さんから、緊急ですよ!」
「だ・か・ら、なんで君のところに若葉から連絡が来るのさ? 普通僕でしょ?」
「なんでも、『しばらくは無知なサルとは話したくない』とかで――」
「若葉のやつ! そういう高飛車なところは全然変わってないんだから!」
 明が相手だと茜も素直に自分の気持ちを出せる。しかし、若葉から緊急の用事とは何だろう? あの義妹に限って手術に失敗……ありえない。
「……あれ、黒田さん? どうしたんです? そんな眉間にしわ寄せて?」
「一色若葉……『あの男』の娘、ですね?」
 黒田は忌々しそうにつぶやいた。何を今更そんなことを言うのだろうか。
「そうですけど……。でもそれを言ったら、茜さんだって――」
 明が口走った瞬間、黒田は素早く茜を見た。茜とて、何がなにやら解らない。
「……なに?」
「宮下茜、貴女があの男の娘? あの男――大西隆の?」
 それは肯定したくはないが、事実だった。十年前には育て親である神父をも殺し、茜自身も殺されかけた。そんな男など、怨むしかない。
「そうだけど? 若葉は僕の異母妹」
「……なんということだ」
 黒田は見に纏う灰色のスーツを脱ぎだした。その身体には、火傷の跡があった。明にはそれが何のことなのか解らなかったが、茜には嫌と言うほど理解できた。
「これでお解りでしょう? なぜ私が一色若葉と、そして貴女を今から憎もうとしているのか」
 茜は無言で頷いた。今や黒田の瞳は、茜を何かの仇をしてみていた。実際に似たようなものだ。
「……貴方もあの男の、あの爆弾魔の被害者なんだね」
 それは第二の神父の出現か?
 復讐を誓う者の強さは、茜が一番よく知っていた。

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2017年 4月26日 莊野りず


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