探偵は教会に棲む Returns 

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Return17:花見・後篇


 暴君は、暴君ゆえに暴君なのだ。
 山瀬明はそのことをよく知っていた。身をもって、存分に、幼馴染によって。
 その幼馴染が連絡してきたのは、仕事中。とはいえ、ここ最近には教会に棲む探偵に依頼するものは激減していた。ので、明の仕事といえば、過去に解決済みの事件のファイルを片付けることだった。智也のマンションの掃除といい、ここでのファイルの整頓、果てはシェーンが使っている汚部屋と化した元神父の部屋の掃除といい、明はまるで自分が灰かぶりの生まれ変わりではないかと思うこともあった。
 最近になってやっと買った、型落ちのスマートフォンには、智也からの連絡が大量にたまっていた。『おい』『いないのか?』『これ見たら返事よこせ』『まだ仕事か?』『これ以上待たせるようなら、おまえの恥ずかしい秘密を暴露してくぞ?』『まず明は中学生まで』……最後のはとてもではないが誰にも見せられない、智也だけが知る秘密である。このとんでもない量の連絡に寒気がした明は、液晶が少し汚れたスマートフォンで電話をかける。相手はワンコールで出た。
「遅い!」
 開口一番、智也が叫んだらしく、電話口から低い男の声が響いた。
「なにごと?」
 自分はホームページ制作に精を出していた茜が怪訝そうに明の方を見たが、明の友人づきあいなどたかが知れている。十中八九『アイツ』だろうと見ているし、声も聞いた。シェーンは茜のためにコーヒーを淹れている。彼女に掃除を任せるとかえって汚れるので、仕方なく任せている仕事だった。
「……智也ですよ。さっきからストーカーのごとく連絡をよこすので、気になったんです」
「あの智也が男に走るわけはないけど、君が妻子持ちだってことを忘れてんのかな? もうボケが始まったとか?」
『おい小娘! 俺がその場にいないからって好きかって言いやがって! ……まぁいい。今回はおまえにも用がある。つーかよ、未だにガラケーってどうなんだよ? 探偵なら最新機器も使いこなせよ!』
 智也はきっとSNS未対応の茜の端末が気に入らないのだろう。その智也の干渉が気に入らない茜は、もう半ば意地でガラケーを使い続けている。実は智也に言われることもあるが、これは神父と過ごした日々の思い出もつまったものなのだ。そうやすやすと買い替える気にはなれない。
「で? 智也がなんの用もなしに連絡しては来ないよね? 何の用か訊いてよ」
 茜は『宮下探偵にお任せあれ!』というロゴを作るのに夢中になっている。ノートパソコンを広げたまま、フォントを選ぶのに真剣だ。
「何の用なの? 僕だって給料分は働かないと茜さんにどやされるんだけど?」
『おまえのとこは忙しくもないくせに忙しいふりして、どうせ花見もまだだろ? 家族に申し訳ねぇと思わねえのか? それでも一家の主か? 大黒柱か? ……あ―こんな甲斐性なしが幼馴染だと思うと情けない! おまえさ、あの美人妻に幸せにするって言ったんだろ? なら花見の時間くらい作れよ』
「ぐ」
 智也はいたいところをついてきた。たしかに毎年家族三人そろって花見に行くのは恒例行事だ。しかし、茜の元で働く限り、安定した休みは取れない。雇い主の茜自身、いつ仕事にありつけるかわかったものではないのだ。それでもアルバイトよりはまだましなのでここで働いている。
『小娘にも用があるしな。つーこった。ちゃんと小娘にも来るように伝えとけよ? おまえの家族は全員集合! 滅多に食えない高級弁当を用意してやる。紹介したい奴もいるしな』
 相変わらずの一方的な決定だが、明は断ることを放棄した。みんなで花見は魅力的な提案だし、自分の稼ぎではとてもではないが食わせてやれないような高級弁当もまた魅力だ。……こんな智也との差を思い知らされるだけでも、もう明の中の男のプライドはずだずただ。
「なに? 智也と一緒にお花見?」
 茜がPC用メガネを外しながら、やっと明の方を向いた。どうやらロゴは完成したらしく、茜の表情は明るい。先日の一色若葉と話していた時とは大違いだ。
「はい。なんでも高級弁当を用意しておくとか。あとは紹介したい人がいると言ってましたけど……」
「それ、シェーンも行ってイイ?」
 コーヒーの淹れ方だけはここで一番上手なシェーンが口を挟む。それまでは黙々と茜の元にコーヒーを運んでばかり、ただそれしか仕事がなかった彼女は暇だったのだろう。
「もちろん! でも、智也の毒牙にかからないようにね? アイツは美少女となると見境なしのケダモノだから!」
 「それは貴女も似たようなものでは?」と言いかけて、明は慌てて口をつぐむ。智也も秘密を知られている分恐ろしいが、茜もまた雇い主だけに怒らせたくない。明よりも安い給料で雇う相手など山ほどいるだろう。就職難の今日日、フリーランスの探偵だろうが金さえもらえれば明のする仕事ぶんくらいはするだろう。
「デモ、高級弁当ってなんだろうネ? シェーンは山菜が食べたいナ!」
「智也だからね。ある程度値の張る物は準備するんじゃないかな? アイツ、見栄っ張りだし、女相手にはデレデレだらしない顔するし、モテるのを自慢するし。ホントヤな奴だよ!」
 ひどい言いざまだが、間違ってはいない。だから明も特にツッコまない。ただ、久しぶりに妻と娘に美味しいものを食べさせてやれるのは嬉しいことだ。
「……秋奈と秋帆、喜ぶかなぁ」
 明は最愛の妻と娘の喜ぶ顔を想像して、茜にサボるんじゃないと叱られたのだった。


「クロコダイル!」
「……黒田です」
 女社長のプライベートルームに呼ばれた、いかつい男は、見た目に反して小さな声で自分の名を訂正した。
「そんなの黒子だろうが、黒字だろうが、どうでもいいわ。あんたにあたしが求めるものは……解っているわね?」
「はっ」
 女社長は基本的に赤い服を好む。プライベートでは十中八九は赤い服だ。そこに何かこだわりがあることは明らかだったが、このクロコダイル……もとい、黒田と呼ばれた男にはどうでもいいことだった。自分の主がどんな服を好もうが、そんなことはどうでもいい。ただ、先代社長が愛した娘の身辺を守るのが自分の役目だ。
 大企業の社長となると、本人が無自覚なままでも敵を作ることは少なくはない。先代かて、そんな冷たい人柄では決してなかったが、ライバル会社と揉めた結果、遺言書を遺して失踪してしまった。……そうして最期はホームレスとなり、死んでいたのだった。
 その先代の娘であり、現社長として業績を上げているのは三ツ星さくらという名の女社長である。彼女は悪名高い四方学院という高校の出身だが、社長としての才覚は父親譲りで、一時期は株価が最低ラインまで低下した川岸コンッツエルンを見事に立て直した。黒田はそんなさくらのことを、先代に代わって娘のように守っていきたいと思っている。彼女のためならば、例え火の中水の中である。
 それなのにこの女社長は普段は「鈍い」が口癖のくせに、自分に関することは大概鈍かった。
「あんたにあたしが求めているものは忠誠と、強さ。それは承知しているわね?」
「もちろんでございます。さくら様のためならば、この黒田、たとえ――」
「忠誠心があるのならば話は早いわ。あんた、今日からあたしの護衛を外れなさい」
 黒田の話を遮って、さくらがぴしゃりと言った。
「……は?」
 当の黒田には、なにがなにやらさっぱりだ。なぜここまで誠心誠意仕えてきた相手に「護衛を外れろ」などと言われなければならないのか。
「あたしは他にもガードがいるし、別にあんたがついてなくても別段危険じゃないのよ。あんたみたいな凄腕は、もっと能力を生かせるところに行くべきよ。じゃないとせっかく鍛えた肉体が泣くわ。……そういうわけで、あんたはクビ。安心してよね、ちゃんと再就職先はあるから。給料もあたしが出すし」
 寝耳に水の話だ。繰り返すが、黒田はさくらのことを娘のように守っていきたいと思っている。それなのに、当人はクビだとなんでもないことのように言う。こんな残酷なことがあるだろうか。いや、ないに違いない。
「私は――」
 大の男が泣きそうである。泣き落としでさくらの同情を買う気はないが、それでも泣かずにはいられない。黒田は頑丈そうな見た目に反して非常に涙もろいのだ。気が弱いともいうが。
「じゃ、そういうことだから。あ、ちゃんと護衛する対象の情報は揃えてあるわ。はい、これが写真。十年前のだけど」
 渡された写真に写っていたのは、美しいさくらとは大違いの、一見すると少年のような少女だった。……なぜこんなちんちくりんを?
「り、理由をお聞かせ願えますか?」
「理由? ……そんなの簡単よ。智也に頼まれたから」
 それを聞いて、ますます黒田は泣きたくなった。さくらが安藤智也という気に入らないイケメンに想いを寄せているのは知っている。向こうも応える気があるのならば何とも思わないし、むしろ頑張れと応援したい。しかし、向こうはさくらを利用するだけ利用して捨てる気満々のように思えてならないのだ。そんな男などやめておけと何度忠告したことか。しかし、それを聞くたびにむしろ夢中になるあまのじゃくがさくらなのだ。
「安藤智也にですか?」
「そ。あ、そうだわ、今度のお花見であんたを紹介しようと思ってるの。智也がね、あたしも一緒にどうだって。向こうから誘ってくれたのって何年ぶりだろ? あ―楽しみ!」
 さくらは鼻歌を歌いながら、ウォークインクローゼットの中を歩く。衣替えは秘書の鳴海の役目で、彼も最近は白髪が目立つようになってきた。黒田は鳴海よりは少しだけ若いが、よくもまああれだけ白い髪になるものだと他人事のように思っていた。しかし黒田にとっても今度の話は他人事ではなかった。
 安藤智也は暴君であり、その暴君に惚れる者もまた、暴君なのだ。

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2017年 4月16日 莊野りず


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