探偵は教会に棲む Returns

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Return14:美千代と御神


 四月に入っても、晴れの日はそれなりに温かいが、雨の日はまだまだ肌寒い。
 長月美千代は身体のラインが出る赤いスーツの下に、極薄の防寒着を着こんでいた。外見はまだまだ若く見えるものの、実年齢はだいぶ……な彼女は最近は冷たい飲み物は口にしていない。それはともかく。
「ないわね。……もっと奥かしら? それとも禁書扱い?」
 彼女はひとり、『組織』の資料室を訪ねていた。今日は休日であり、誰もここにはいないだろう。そもそも何のために用意されているのか理解しがたい部屋だった。雇っている探偵たちが解決した事件の概要が記してあるファイルがあったり、なぜか親が子供に語って聞かせるような童話全集もすべてそろっていた。資料室であり、ちょっとした図書館のような場所だ。本のジャンルは偏りが激しいものの、興味を持ったものにとってはお宝ものだろう。生憎と美千代が興味を引かれるものはなかったのだが。
 ここは『組織』の関係者ならば出入り自由だったが、美千代は十年前に一度『組織』を抜けていた。理由は簡単。まだ二十歳前だった宮下茜の肩を持ちすぎて、つい感情的になり、売り言葉に買い言葉で辞職すると告げてしまった。その後、茜は自分のいない所でもちゃんと実父と決着をつけたので、美千代もまた憑き物が落ちたように冷静になれたのだ。美千代にとって茜は、最初こそただの使い捨ての飼い犬のような探偵に過ぎなかったが、彼女の複雑な家庭事情を知った時、特別な存在になったのだった。
 そして、神父も彼女を守ってくれるであろう人物もそう多くはない現在、美千代に出来ることといえば先日訪ねてきた見知らぬ少女のことを調べることだった。あの幼い少女はたしかにくちびるで言ったのだ、『アカネ』と。それは間違いなく宮下茜の『アカネ』であるに違いない。聞けば智也のところにも怪しい女が尋ねてきたというし、これはきっと関係があるに違いない。
 それにしても――
「関係なさそうな本、多すぎでしょ!」
 美千代は思わず手にしていた本、『ウサギとカメ』を放り投げた。表紙には狡そうな笑みを浮かべたウサギと、どんくさそうなカメのイラストが描かれている。投げられ、宙を舞ったその本はそのまま床に落ちるかと思っていたが、そうはならなかった。
「貴女はいったい何をしているのですか? 長月コーディネイター」
 冷静、というよりも、まるで感情のない声が聞こえて、美千代はどきりとした。書籍を乱暴に扱っているところを見られたかと思ったのだ。声の主はやれやれとばかりに『ウサギとカメ』を本棚に収めた。
「……御神」
「お久しぶりですね。そのハイヒールは相変わらずやかましい。香水も変えましたか?」
 御神は無表情で、美千代が漁っている資料に素早く目を通した。それらは一見関係なさそうだが、キーワードは容易く推測できたのだろう。御神は書類を几帳面に時系列順に並べ直した。
「宮下茜、関連ですか。そういえば、あれからもう十年になりますか。彼女は変わりなしですか?」
「それを貴方に話す義理はあるのかしら?」
「別にありませんね。ただ、私の上司は気になるだろうと思いまして。……その書類は私が預かります。明日の会議で使いますから」
 そう言って御神が指差したのは、幼い褐色の肌に白髪の少女の写真が添付された、薄い書類だった。その写真の少女は、紛れもなく、先日美千代を訪ねてきた謎の少女だった。
「ちょっと! なぜ貴方がこの書類を?」
「ですから、明日の会議で必要なのです。『奇跡の少女』、やっと見つけた」
「『奇跡の少女』?」
 美千代が怪訝な顔をすると、御神は変わらぬ無感情に言った。
「あぁ、ちょうど貴女が我々と距離を置いていた時に議題に上ったのですよ。今更話す必要はないでしょうし、これはSクラスの機密事項です」
 Sクラスの機密事項。それは『組織』の中でもトップクラスの秘密を意味する。あの大西隆のデーターでさえもAクラスだったのに、あの少女はそれ以上の機密だというのか。しかもその詳細を御神は知っていて、自分は知らない。そのことがひどく美千代の癇に障った。たしかにあの頃はバタバタしていたものの、もっと冷静でいればよかったのだ。
 せめて、少しでもかの少女の情報が欲しい。彼女本人からは邪悪な気配は感じられなかったものの、あの年頃の幼子が一人で何かを出来るとは到底思えない。きっと裏にはなにかもっと、恐ろしいナニカがついているはずなのだ。
「……私、この子と直接話したわ」
 すると、それまで無表情だった御神の顔色が変わった。そんなにあからさまな変化など、この男はこれまで一度も見せたことがなかった。
「なんですって?」
「だから、この女の子、私のマンションに来たわよ。ひとりでね」
「……そんなこと、あるはずがない!」
 突然の御神の激しい驚きに、美千代も内心では驚いたものの、これはいいチャンスだと思った。動揺している者ほど、情報を漏らしやすい。しかもそれが普段異様に冷静な者ほど効果は絶大だ。
「本当よ。なにやら茜ちゃんに関係があるようだったわ。だから、御神。これはお互いに情報を隠している場合じゃないと思うの。……貴方の持つ、『データとしての彼女の情報』と、私の『直接コンタクトを取った者の情報』を共有しましょうよ」
 半分以上ははったりであり、ブラフに過ぎない。直接コンタクトを取ったといっても、美千代はただ、彼女のくちびるが『アカネ』と言いたげだったということを知っているだけだ。だが、混乱しているらしい御神にはとても魅力的な取引に映ったらしい。
「…………」
「私が独り占めしちゃってもいいのかしら? 貴方も、『上の連中』も、喉から手が出るほど欲しい情報なんじゃないの?」
 追い打ちをかける。ここで美千代は自分の情報の価値が高いのだと主張した。……一応、直接コンタクトを取ったというのは嘘ではない。
「……解りました。条件を飲みましょう」
 御神は諦めたように言った。そして、手にしている書類に添えられた、例の少女の写真を指差した。
「この少女の名は『ホリィ・ロマ』。通称、『奇跡の少女』。我々のような『組織』と似たような『教団』のトップの、いわゆる『ご神体』のような立場の娘です。『教団』というのは、必ずしも宗教的な意味での呼称ではありません。ただ所属する当人たちにとって都合のいい呼び名として使っているだけです」
「……『教団』ねぇ。なんだか胡散臭いわね」
「新興宗教というものは得てしてそんなものですよ。実際、この『教団』が創設されたのは、今から約三十年前。歴史も浅ければ、教祖と呼ばれるべき立場の指導者すらない。宗教と呼ぶのもおこがましいくらいです。それでも『教団』としての体面を保っていられたのは、他でもない、『聖なる少女』の存在があったからにすぎません。……私が話せるのはここまでです。次は貴方が情報を提供する番ですよ。長月コーディネイター」
 頭の中で情報を整理しながら、美千代はあの少女が尋ねてきた時のことを隠しておくことにした。十年前の時点で、『組織』の非情さを知っている美千代は、そこまで従順になる木はない。
「その『ホリィ・ロマ』って子はね、直接喋ることができないわ。でも不思議と何が言いたいのかは伝わってくる。それが『奇跡』ということかしら?」
「…………」
 それが美千代の持つ情報の限界だった。御神はもう知っていたのか、何も言わなかったが、ただ顔には書いてある、「その程度の情報か」と。
「貴女と取引しようとした私が愚かでした。とにかく、この件は他言無用です。いいですね?」
 御神はやや厳しい顔をして、資料室を出ていく。いつもならばここで「休日の入室は禁止ですよ」とでも言われるところだが、今日の御神はやけに余裕がなさそうに見えた。

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2017年 4月10日 莊野りず


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