探偵は教会に棲む Returns

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Return15:茜と若葉


 一色若葉がその話を聞いたのは、夜勤明けのぼんやりとしたまどろみの中でだった。若葉の他には男性医師しかその場にはいなかった。彼らはカルテの整理をしながら、気分転換も兼ねてその話をしていたのだろう。
「――なんでも、今度目撃されたのはイギリスだったとか。よその国のことだけど、大変だよなあ」
 最初はレアメタルの話でもしているのかと頓珍漢なことを考えた。イギリスのような島国でレアメタルなど発見されることはないだろうに。しかし、まどろみの中なのだから仕方がない。
「そんで、例のお嬢ちゃんはいくつになったんだっけ? 前に聞いた話じゃ、まだ学校に行くような年頃でもないだろ?」
 その言葉で、話題は見知らぬ女の子の話なのだと解った。病院でする類の噂話なのかと興味を引かれた若葉は起き上がり、眠気覚ましのコーヒーを淹れた。基本的には紅茶の方が好みだったが、ドイツに来てからは紅茶は控えるようになっていた。お国柄に配慮して、若葉なりに空気を読んだのと、眠気覚ましには紅茶よりもコーヒーの方が効果があると悟ってのことだ。
「なんの話ですの?」
 若葉が起きたことを知ると、話し込んでいた男性医師たちはコーヒーのおかわりを淹れてくれと頼んできた。自分はお茶くみじゃないと反発しそうになったものの、ここは大人しく話を聞くために従う。
 コーヒーを持って戻ってくると、ずっと同じ話題を繰り返していたらしく、二人の医師はコーヒーの入った紙コップを受け取ると若葉も話の仲間に入れてくれた。
「フォア・イッシキは『教団』を知っているか?」
「『教団』? ……新手のカルト教団か何かかしら?」
 若葉は正直なところを口にした。宗教は信じないし、興味もなかった。ただし、留学のために教養としてのキリスト教についての基本的な知識はある。信仰はしていないが、それは秘密である。
「ここ十数年前から世界中で秘密裏に知られる組織だよ。キリスト教の流れを汲む、由緒正しき教えがあると言っているが、内容は新興宗教そのものさ。薄っぺらで、中身もない」
「そうそう。ただしそれは『教団』というものが出来上がった直後の話でね。五年くらい前からかな? 『奇跡の少女』というのを担ぎ出したんだよ、連中は」
 二人の言い分は信じていないと言いながらも、どこか興味津々なのだと思わせるような何かがあった。かくいう若葉自身もその『教団』とやらに興味を持っていた。その集団自体はどうでもよかったが、合理主義者である医師二人までも信じさせる『奇跡の少女』とやらがやけに気になったのだ。
「その少女がいるから、貴方たちも『教団』を信仰するのかしら?」
 すると二人はとんでもないとばかりに首を振った。 「まさか! あんな無茶苦茶な集団に混ざるなんてどうかしてる」
「ありえないよ」
 二人の話はここまでだった。それからは難しい手術に忙殺され、すっかり『奇跡の少女』についての詳細を聞く機会はなくなったのだった。


 そして、現在。
 若葉は日本に帰国して、片方だけ血のつながった姉とともに古ぼけた教会の中で、久しぶりに紅茶を飲みながらのアフタヌーンティーを楽しんでいた。もっとも、ここには若葉の好むような高級茶葉などないのでティーパックで我慢している。
「それで、『奇跡の少女』に会った、とは?」
 さながら女王様のような風格で教会の古びた椅子に腰掛けながら、安物のティーカップを傾ける若葉は、茜よりもよほど教会の主のようだった。
「若葉でも知らなかったの? 裏社会では有名な話なのに」
「……貴女はわたくしを何だと思っているのかしら? たしかに、わたくしは『昔は』、パパのお手伝いをしてましたわよ? でもね、ちゃんと決別したじゃなくて? あの時も、わたくしがいなければ、貴女はこの世にはいないんですのよ。その点は覚えてらっしゃるでしょ? その鳥頭でも」
 若葉はさっそく毒舌攻撃をお見舞いしてきた。こんな所は変わらないと茜はつくづく思った。姉の威厳ってなんだろう?
 十年前、神父と婚約者だった聡が死んだとき、茜も死にかけた。いや、実父である大西隆に殺されかけた。だが本当に危機一髪のところで、この義妹が助けてくれたのだ。おかげで大切な人は失ったものの、茜自身は五体満足で無事にこうして生きている。
 しかしそのことは当事者である茜と若葉のみ知るところであり、詳しい話は美千代にも智也にも話していなかった。その二人に加え、今の仕事のパートナーである明とシェーンも知らない。ゆえに、若葉の言っていることの意味が解っていない。
「ワカバってアカネにはツメタイね」
「お久しぶりね、シェーン。ここはちゃんと給料は出ているのかしら? 依頼が入るのかすら怪しいのに」
 若葉の言うことは茜には耳に痛かった。彼女の言う通り、ここ最近はあの怪しい女が来たのが原因のように普通の依頼がまったくと言っていいほど入らなくなっていた。事件性の濃いものはもちろん、定期的に来る浮気調査も失せモノ探しも、さっぱりだった。
「若葉はさ、超常能力って信じる?」
「信じるんじゃないかしら。実物を見たのならばね」
 若葉は明が否定したことをあっさり認めた。茜が実際に体験したのだとすぐに見抜いたのだ。具体的にどうとは言っていないものの、彼女には通じたらしい。妙なところでつながっているのだと茜は実感した。
「それじゃあさ、なにかの薬品で身体が縮むとかってあり得るって思う?」
「それはないですわね。フィクションじゃあるまいし。現在の技術では無理ですわ」
 医者としての見解は茜にとって大いに参考になる。なぜこの義妹が医者という道を志したのか、その理由は未だに解らないものの、その道に進んでくれたことは茜にとって助かっている。若葉は紅茶を優雅に飲み干した。
「……まさか、人間が縮んだところを実際に見た、とでも仰いたいのかしら?」
「さすが。話が早くて助かるよ。僕がロンドンに留学していた時、その『奇跡の少女』はたしかに十代の少女だった。僕よりは年下だけど、パッと見では僕と同じ年くらいだった」
 若葉はそれを聞いて大きなため息をついた。
「世間には同じ顔が三人はいる。そんなことも知らないのかしら?」
「偶然だって言いたいの? ただの他人の空似だって?」
「……だって、そうとしか考えられないじゃないの。相変わらず、よくその頭で探偵が務まりますわね」
 この一言で探偵という仕事に誇りを持っている茜はカチンと来た。子供の頃から本職として多くの事件を解決してきた、仮にも『姉』に言うことかと。そんな茜の怒りの気配を察した明が慌てて場を取り持とうとする。
「こっ、紅茶のおかわりはいかがです?」
 自分よりも遥かに年下である若葉相手にも敬語を使ってしまう明は、やはり根っからのパシリの星に生まれた下僕体質なのだろう。そのへりくだった態度に茜も若葉も呆れを通り越して憐れになってきた。
「……ケンカはやめようか」
「……そうですわね」
 それから適当な話題として、先日の一之瀬小夜子の話を持ち出した。
「彼女とはどんな仲なの?」
「どんな、と言われても……『元』親友だとしか言えませんわね。わたくしも殺されかけたわけですしね」
「あんな美人が、ねぇ。なにがきっかけで?」
 若葉はなつかしそうな顔をした。現在二十四歳、駆け出しの女医である若葉はまだあどけなさが残る顔立ちをしている。その彼女は再びモデルとして紙面を騒がしても、まったくおかしくなかった。
「嫉妬ですわ。恵まれた者には常に嫉妬がつきまとうもの。わたくしって、貴女もご存知の通り、天才美少女だったもの。もちろん、学校の生徒はわたくしのファンでしたけど、嫉妬する者も中に入るのです。自分の身を弁えない愚か者」
 その不遜さは若葉独特の突き抜けっぷりで、茜は思わず笑ってしまった。
「……よく今まで刺されなかったよね。いや、一之瀬さんが殺したくなったのも何となく解ったよ」
 茜は自分の分のコーヒーを飲み干した。若葉は『奇跡の少女』の詳細を知らなかった。ドイツではそれほど有名ではないのかもしれない。それとも単に、若葉が知らないだけか。しかし若葉に限って後者はないだろう。
「シェーンは聞いたことはない? 『奇跡の少女』」
「ウーン、シェーンはちょっと知らないかな」
 首を傾げるシェーンは、若葉と別の方向に可愛らしい。
「茜さん、僕には訊かないんですね?」
「だって明は知らないでしょ?」
「それもそうですけど。……そんなあからさまに仲間はずれにしなくてもいいと思うんですが」
 役立たずの自覚はあるが、安月給で雇われている身ではあるが、仲間はずれにはされたくない明としてはそう呟く。智也ならばこの状況を「ハーレムだ!」とでも言って喜びそうなものだが、既に妻子持ちの明にはそんな気など微塵もない。
「とにかく、今は情報が欲しいな」
 茜は新しくコーヒーを淹れながら、そう言った。今は敵らしき連中のことなどほとんど知らないのだから。

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2017年 4月14日 莊野りず


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