探偵は教会に棲む Returns

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Return12:ホワイトデーの頼みごと


 テレビをつけると、ホワイトデーフェアのCM。外に出ると、ホワイトデーのお返しののぼり。街はホワイトデー一色だ。それもそのはず、今日はホワイトデー当日なのだから。
 安藤智也は、十年前と変わらずバレンタインデーにチョコを貰っていた。ただ、この年にもなると互いに時間調整に苦労するため、直接会ったのは三ツ星さくらただひとりだった。彼女は彼女なりのデートプランを考えていたようだが、明の娘を同伴したのがまずかったらしく、いまいち機嫌が悪かった。女心にはそれなりに通じていると自負する智也でさえも、さくらの心中だけはなかなか読めない。考えてみれば出会った時からそうだった。
 互いに十八歳という難しい年頃で、大学生と高校生のコンビでいくつか事件を解決してきた。中にはさくらの協力なしには解決できなかったものもあり、バカながらにバカにできない、バカゆえの何かがあった。
 そして最近は身の周りがきな臭い。つい先日も法衣を纏った謎の女がマンションを訪ねてきた。彼女の目的は不明のままだが、どうやら茜に関することだということだけははっきりしている。そんな時、智也が思うのはただ一つ。
 ――なんで俺を頼らないんだよ。
 そういうことだけだ。自分好みの赤の似合う大人の(?)女に成長した茜が苦労するところなど見たくはない。こういう時は素直に頼ればいいのだ。なのに茜にはその気がまったくないらしい。……気に食わないことに。
『智也ァー、さっさと出なさいよ!』
 スマートフォンからは、ひっきりなしに聞こえてくるさくらの声。さくらからは高級老舗チョコレートメーカである『ブレイン』のチョコを貰っていた。正直、智也としては『ブレイン』のチョコは食傷気味だった。会う女たちがみんな示し合わせたかのように『ブレイン』のチョコをばかリ贈ってくるからだ。その中から、一個百円やそこらの安物のチョコを見つけた。茜からの義理チョコだった。
「はいはいはいはいはい……つーかさくら、お前なぁ、会うたびに厚化粧に露出狂寸前のカッコすんのはいい加減やめろよ。一緒にいる俺が恥ずかしい!」
『なによそれ? 智也が喜ぶと思ってるからこそのあのカッコなんじゃないの! いったい一着いくらすると思ってんのよ?』
「しらねーよ! 次に会う時あんなカッコしてたら、もう二度と会ってやんねえからな!」
 言いながら、智也はさくらに対してひどいとは思ったのだが、名案が浮かんだ。女社長三ツ星さくらの運営する川岸コンッツエルンは、彼女がついでから業績はうなぎのぼりだ。多種多様な方面に新たな事業を次々に展開している。当然、それを取り仕切る立場であるさくらの身の回りの安全は十分に確保されているだろう。
 ――こんな時は男の意地とか言ってる場合じゃねえよな。
 智也は妙なところでは意地を張るくせに、基本的には合理的・論理的な考え方が出来る男だった。学生の頃からただ成績がいいだけではなく、上の学年の問題も教科書を読んだだけで理解し、応用まで解いてしまう地頭の良さがあったし、応用力もあった。それはたぶん天性のものだろう。
 その智也がたどり着いた結論。それはさくらに茜の身の回りの安全を確保してもらうことだった。茜のことは昔から『小娘』と呼び、智也なりに妹のような存在としてかわいがってきたつもりだった。それが茜本人に届いているかは別問題だが。とにかく、巨大企業である川岸コンッツエルンに警護してもらえれば、それなりに安全な生活を送れるのではないだろうか? 今のさくらは昔の高校生の小娘ではないし、そんな簡単な融通も気かにないような石頭でもないだろう。もしも彼女がそんなタイプの女性だったら、智也はとっくに離れている。
『……智也? え? なによ? どうかしたの?』
 あまりにも智也の沈黙が重かったのか、さくらは急に心配そうな声を出した。まだ先月のバレンタインのことを引きずっているのではないかと多少は危惧していたのだが、バカはバカらしく忘れっぽいらしい。それが智也にとっては幸運だった。
「さくら、宮下茜って覚えてるか?」
『みやした……? あ、そうだ! バレンタインにアンタに再開する前に思い出した子だった! あの一色若葉の異母姉でしょ? 彼女がどうかしたの?』
 さくらにしては奇跡的な記憶力だった。あの時は色々と事情が複雑で、今は亡き神父という当時未成年だった茜の保護者が彼女を心配して、智也に連絡してきたのだ。それで、桜との再会と相成った。さくらにとっては茜はキューピットだ。忘れるはずがない。多少は名前を失念したとしても。
『で、そのミヤシタアカネがどうしたの? また失踪したの?』
「そんなころころ失踪なんかされたらたまったもんじゃねえよ。……今のあいつは、なにやらきな臭いことに巻き込まれてるんだよ。あの小娘自身には覚えはないようだが、向こうはあいつを知ってる。なんとかしてやりたい。明だってあの小娘の保護者のおかげで今や子持ちの一家の主だしな」
 さくらにとっては混み合った事情過ぎてなかなか呑み込めない。とりあえず、あの教会に関係する者はキューピット、ということで理解した。
『なるほどね。明って智也の友達でしょ? 今度紹介してよね。それで協力したげる。……あ、それと、当然ホワイトデーは空けてあるわよね?』
「……こっちも忙しかったんだよ。ホワイトデーの予定なんか詰めてるヒマなんざねえよ」
 それを聞いたさくらは大喜び。鼻歌まで歌い出しそうな声音で言った。
『じゃあ、バレンタインの時の仕切り直しも兼ねてデートよ! 今度はバーがいいって言ってたわよね? ちゃあんと準備してあるわ! 近くにはホ――』
「おまえなぁ、その行動力を他に生かせないのかよ……」
『あら? ちゃんと生かしてるからこそ、今の川岸コンッツエルンがあるんじゃないの。智也ったら!』
 それはたしかにそうかもしれない。さくらはたしかに頭は悪いが、ここぞという時の勘は半端ではないほどに鋭いし、特に観察眼は智也の知る者の中で並ぶ者はいない。彼女にかかれば嘘だってすぐに見抜かれるし、いざという時の判断は素早い上に正確だ。それが彼女の生きるための武器であり、短期間とはいえ智也の相棒が務まった所以だ。なんでも本人曰く、似たような色の服があっても、多少の違いはあるらしい。智也にはない能力なので、そこは純粋に凄いと思う。
「解った。じゃあバーで夜でいいか?」
『もちろん! ……寝かさないからね?』
「……そういうことは男が言う言葉だろ」
 相変わらず積極的なさくらの言い分には脱力するが、何の見返りもなく協力してくれる者というのは今では貴重だ。十年前は道長和也という相棒がいたのだが、彼は実家を継ぐために『組織』を抜けている。今や”K”の称号を持つ探偵は、『組織』でも智也を入れて三人しかいない。詳しいことは仕事に復帰した美千代でも知らないらしく、もし知っていたとしても教えることのできない極秘事項だろう。ただし、美千代は十年前も茜に肩入れしすぎたという理由で詳しいことは話してもらえない立場だそうだ。それでも強気な性格を直さない所は彼女らしくて好感が持てる。
 さて寝るかと、智也は寝室に向かおうとした。……それはいい、が。
「…………」
 最近は茜関係のごたごたのせいで、片付けている暇などなかった。否、元から智也には部屋を清潔に保とうという気は皆無だった。食べ散らかしたインスタント食品やコンビニの弁当箱にゴキブリが何匹かたかっていた。
「あーもしもし? わりぃ、俺だよ、智也。おまえさ、今から来れないか? 今までの三倍払うからよ、部屋の掃除を頼みたいんだ。秋奈からバレンタインにチョコはもらったんだろ? お返しにオカモトのチョコでも……え? オカモトのチョコは持ってる? なんで? ……小娘からのおっそわけだぁ? あんの小娘がぁ!」
 十年前と変わらず、明は収入が少ない時には智也の部屋の掃除のバイトで稼ぐこともあった。十年も経てば人間少なからず成長はする。それでも掃除能力のなさは相変わらずで、電話口の向こうの明に大げさに呆れられた。そして、せっかくの大口の稼ぎ口だというのに明は断った。なんでも、明日は朝早くから遊園地に家族三人で出かけるという。
「……明のくせに」
 それは智也なりのやっかみのようだったが、実は幼馴染への祝福の言葉だった。


「…………」
 智也のマンションも、それなりに高級で、夜景が自慢だ。そのマンションの前に、そのマンションでも不釣り合いな高級車が止まった。間違いなく、さくらの差し金だろう。
「安藤智也様ですね? どうぞ」
 運転手らしき男にドアまで開けてもらって、さすがの智也も恐縮……するわけがなかった。あのさくらのことだ、ただの迎えでもこのくらいのことはするだろう。智也はさっそくバックシートに座り、冷やしてあったシャンパンを開けようとして、運転手に止められた。
「今夜は社長とのお約束がございますでしょう?」
 ここで運転手を敵に回すのは得策ではない。そういえばこの運転手、十年前にも会った経験があった気がする。たしか、名前は……男の名前など進んで覚える気などないので忘れた。そのなんとかさんは、まだ五十やそこらなのに、白髪がやけに目立った。きっとさくらの運転手兼秘書と言ったところだろうと見当をつけた。あのさくらに振り回されるなど憐れだが、人にはそれぞれの宿命というものがある。
「……さくらは」
「はい?」
「誰とも結婚する気はないのか?」
「それはわたくしが漏らしていい秘密ではございませんので」
「そりゃそうか」
 仮にも社長のガードは固い。本人が好意を寄せる相手にもこの調子なのだから、さくらの命令ならばちゃんと茜を守ってくれるだろう。智也の頭の中はそのことで占められた。さくらという女に会いに行くというのに、他の女のことを考えるなど、やはり自分はさくらに相応しくない。
「着きました」
 左ハンドルの外車が止まったのは、都内でも有数の繁華街。……ではなかった。どこかうらぶれた風情のある汚い街で、どこもかしこも小さくて汚い安さが売りの居酒屋が並んでいる。まさか、さくらの趣味ではないだろう。
「本当にここが?」
「ご案内いたします。会員制のバーなのですよ。様々な業界人がよくご利用になります」
 そういうことかと智也はひとり納得した。さくらの用意したのは、こうして汚い街に紛れ込んだ情報収集にもってこいの場所。ホワイトデーに、情報までプレゼントしてくれるとは、彼女らしくもない粋な計らいだ。
 階段を下って、ドアを開けると、そこはこじんまりとしながらも上品な空間だった。一流のテーラーに注文したと思しきサスペンダー付きのスーツを着たバーテンダーがシェイカーを振り、百年以上前のワインをテイスティングするソムリエもいる。ここはバーというよりも、小料理と高級酒を愉しむ社交場のようだ。面積は小さいながらも、舞台のようなダンスホールもあり、そこでは年配の上品な紳士淑女がダンスを踊っている。
「やっと来たわね。待ちくたびれたわ。鳴海、迷ったんじゃないでしょうね?」
 さくらは、今日こそはまともなカクテルドレスを着ていた。色はもちろん智也の好みに合わせた赤だ。智也の格好はといえば、ブランド物とはいえカジュアルな春物のカットソーとスラックスだ。この場では智也の方が浮いている。バレンタインの時のさくらなりの仕返しだろうかと思うのは、智也の思い込みではないだろう。
「そういや、鳴海って言ったっけ。運転手は順調に案内してくれたぜ。ま、俺も一杯もらうわ。トムコリンズ」
「あたしもおかわり。スクリュードライバーね」
「さくら、今日は大事な話があるんだ。飲みながらじゃなくて、先に話したい」
 するとさくらはバーテンダーからカクテルグラスを受け取ったままで、智也の方を向いた。
「なに? ……もしかして、結婚の申し込み? それとも交際の申し込み? それとも――」
「どれも違う! なんでおまえはそうなんだよ! ……小声で話す。宮下茜の話はしたよな?」
「あぁ、あの子ね。あたしたちのキューピットの」
 さくらはアルコールを飲まない代わりに、付け合わせのサクランボをくちびるに挟んだ。その仕草だけならば、智也とてどきりとした。深紅の透明グロスが塗られたくちびるはみずみずしい。
「その宮下茜の警護を頼みたい。他にも『教団』という組織の情報も欲しい。……おまえの命令があれば川岸コンッツエルンならできるだろ?」
「はぁぁぁぁぁ!? あんた、バレンタインの時からなんも変わってないわね! 今はあたしだけを見なさいよ!」
 さくらの絶叫とでも呼ぶべき大声に、周囲の客は一斉に振り返った。下手に注目されては、智也としては商売あがったりだ。
「しーっ! 声がでけえよ。ホワイトデーのお返しは酒が入ってからだ。まずは俺の頼みを聞いて欲しいんだよ。この通りだ」
 智也が頭を下げた。姿勢が整っていて、この場には似つかわしくないカジュアルな格好でも、智也には品があった。さくらはこの男がここまで必死になるのを初めて見た。慌てて頭を上げるよう、無理に押し上げようとするが、叶わない。
「ちょっと、やめてよ! ……解った。解ったから、頭を上げてよ。ミヤシタアカネって子を守ればいいのね? あたしの川岸コンッツエルンの総力を挙げて守ってあげる。だから――」
「本当か! 言質撮ったぞ!」
 智也の手には、コンパクトサイズのレコーダーがあった。途端にさくらはその意図を悟った。嵌められたのだ。
「サイッテー!」
「その代わりに、俺がおまえのそばにいてやるよ」
 智也はトムコリンズを口に含みながら呟いた。こんなこと、素面ではとてもではないが言えそうもない。特に、というよりも、さくらに対してだけは。
「……は?」
 薄酔っぱらっているさくらには、その言葉の含むところが理解できなかった。もしもこの時、さくらが正気だったのならば、翌日にでも挙式だとでも言いかねない。だが現実の話、さくらは酔っぱらっていたので、この千載一遇のチャンスを逃すことになるのだった。


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2017年 3月14日 莊野りず


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