探偵は教会に棲む Returns

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Return8:暗い部屋の中


 真っ暗な部屋の中、少女はひとりで『保護者』の帰りを待っていた。彼女は喋ることはできないが、その分、他の感覚が鋭い。いつもならば外出したとしても、もう帰っているはずの『保護者』がまだ帰ってこないのは、なにか彼女が企んでいるのだということを察知していた。その企みがなんなのかまでも、少女には見当がついていた。
「…………」
 久しぶりに会った彼女は、あまり成長していなかった。それは精神的・頭脳的な意味ではなく、身体的な意味でだ。変わらない彼女には、どこか安心したものの、最大ともいえる危機が迫っているのだということを知らせてやりたかった。だが、少女にはその手段がない。『保護』という名目で、『軟禁』されているからだ。こんな時には奇跡が起こせればいいのにと思う。彼女は少女を『奇跡の少女』と呼んでいたが、そこまで大げさに言われるほどには、少女は奇跡という形容が似合わないと思っている。
 そんなことを真っ暗の部屋の中で考えている時、やっと『保護者』が帰ってきたらしい。手には野菜が入ったビニール袋を下げている。今日の夕食だろう。野菜の種類から察するに、『教団』の精進料理だろう。
「ただいま戻りました。……どうなさったのです? 電気もつけずに、こんな暗い部屋で?」
「…………」
「まぁ、貴女がいいのならばそれでいいのです。夕食は貴女が好きな精進鍋ですよ。すぐに支度しましょうね」
 傍から見れば、自分たちは親子に見えるのだろうが、少女は『保護者』を自称するこの女性を気に入ってはいなかった。近くに寄ってきた彼女の身体からは、男物の香水の匂いがした。すぐに彼女が出掛けた目的を察し、少女は気分が暗くなった。相手はきっと、元恋人なのだろう。外見こそ幼いものの、中身はそれなりに大人である少女は、嫌悪感を露わにする。男と――しかも犯罪者と――平気で抱き合って、こんななにもなかったような顔をする女など、一緒にいて欲しくない。しかし、少女の目的と願いのためには、一緒にいるしか手がなかった。
 とんとんと音を立てて野菜を切る音を聞きながら、『保護者』に見つからないよう、彼女からのプレゼントである『お守り』を首元から取り出す。それは純銀製のロザリオで、少女の所属する『教団』のシンボルとは違っていた。法衣のすれる音がして、少女は慌ててそれを胸元に隠した。こんな時にはぶかぶかの法衣でよかったと少女は思った。
「――そういえば、そろそろバレンタインですね。日本では女性が好きな男性にチョコレートを渡す日だとか。ご存知でしたか?」
 もちろん知っている。『親友』から聞いていたから。彼女には久しぶりに会った記念に、彼女の好きな『オカモト』のチョコレートを贈りたい気分だった。『オカモト』というメーカーのチョコレートは食べたことがなかったが、彼女は憧れていた。そう、ロンドンで一緒になった時に熱く語っていたのだ。
「ホリィ様ならば、怪しまれずに毒入りのものを渡すことができそうですが。用意いたしましょうか?」
 一瞬、悟られたのかと思ったが、この『保護者』気取りの『教団』でも指折りの権力者は、そんな細かい感情の起伏にも気づかない。野菜――香草の煮える匂いがぷんと鼻についた。
この女は少女がこの匂いを気に入っているものだと勘違いしているようだが、少女は実はこの精進鍋という食べ物を嫌っていた。だが、身体が子供のものなので、硬いものが食べられない。だから仕方がなく、べちゃべちゃになった野菜がたっぷりと入った鍋を我慢して食べている。一緒にいる女は、遠慮なく肉をどっさり食べているというのに。
「あの小娘の父親は、優秀な者には大概甘いのです。ですからホリィ様ならば、簡単に毒を仕込んで殺せるやもしれません」
 たしかこの女と彼女が言う『小娘の父親』は、元恋人だと言ってはいなかっただろうか? それなりに経験はあるものの、少女には愛情のある相手を殺そうとする気持ちが全く解らない。『保護者』は平然と肉を次々に口元へと運んでゆく。いつの間にか不思議そうな顔が表に出ていたのか、『保護者』は嫌な笑い方をした。
「彼との関係はですね、すでに破綻しているのですよ。彼が私以外の女との間に子供を、娘を作った時から。私が惚れたのは、飄々とした身軽な彼であって、所帯持ちの父親という種類の男ではないのです」
「…………」
 そういうものかと少女は思ったが、なにも言わない、なにも言えない。いくら外見が似ていようとも、この『保護者』と少女は親子にはなり得ない。彼女は不妊症で、子供など妊娠できない身体なのだから。その体質は、いくら聖女と呼ばれる少女にも癒せない。そもそも癒してやる気もなかった。少女の幸せや大切なものを奪ったのは、他でもないこの女なのだから。
「食事を終えたら、お祈りをしましょう。ミヤシタアカネが一刻も早く――」
 ばんと強い音を立てて、少女はその先の言葉を封じた。何度も何度も言い聞かされてきた言葉だった。そしてうんざりしてきた呪詛だった。『保護者』を名乗る女はそんな少女のささやかな反抗に、嬉しそうに目を細めた。この女の考えを理解できるのは、世界で片手で数えられるほどにしかいないに違いない。


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2017年 2月6日 莊野りず


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