「……で? どういう知り合いだよ?」
智也は茜の元にいた。見知らぬ女――おそらく外国人だろう――との関係を訊いているのだ。茜は明らかに狼狽した。
「本当になんにも知らないのか?」
「知らないって言ってるじゃん! 僕のところにも来たけどさ、要領を得ないんだよ」
「おまえに近づくなとか意味不明なことを抜かしてたぞ? 昔の事件かなんかの知り合いか?」
「だから、知らないってば!」
先ほどからこの問答だ。傍らの明とシェーンはただ二人の会話を聞いている。というより、それしかすることがない。ここで下手に口を挟むと途端に機嫌が悪くなるのが智也だった。だから明は空気を読んだ。
が、シェーンはそんなことなど知らない。
「喧嘩はよくないヨ! 仲良くしよ?」
――余計なことを。
明がいらんことしいの顔を凝視したが、幸いそれはいい方に転んだ。
「それもそうだな」
「それもそうだね」
明とは反応が全然違う。茜は女の子が好きで、智也もまた女好きだ。その差かと明がこの世の理不尽を呪っていると、古びた教会のドアが無理矢理開かれた。あまりにも古い上に、修繕もしていないので、開けるのに一苦労なのだ。
「ちょっと茜ちゃん、大丈夫?」
美千代の元にも例の女が来たのだろうか。そんなことを明が考えていると、彼女のもとには幼い少女が来たという。しかも、その子は喋ることができないらしい。
「またなにか、危ない橋を渡ってるんじゃないの?」
実際、フリーランスの私立探偵となってからは、茜は大分無茶をしてきた。でないと食べていけないから、手段を選ぶような余裕はなかった。美千代はまた茜が突っ走っていないかと心配なのだ。
「フリーランスって言っても、美千代さんが思うほどには大変ではないですよ」
「そうですよ。こいつかてまだ小娘ですが、仕事を選ぶだけの分別はあります」
「……その通りなんだけど、智也に言われると腹が立つのはなんでだろう?」
美千代は思わず笑った。このままでは『組織』にいた頃のままのようだ。この二人がポンポンやりあっているのを見ると安心するのはなぜだろうか。
「ともかく、茜ちゃんも無茶しないでね。私よりは幼いとはいえ、そこまでやんちゃするような年じゃないんだから」
美千代が『自分より幼い』という表現を使ったのは、彼女なりの年齢への抵抗だ。それが解っている面々は特にツッコまない。
「それで、奴らが最初に現れたのはいつごろだ?」
「『組織』で悠々自適の智也に教える義理はないよ」
「おまえ……昔と変わったのは外見だけだな。中身はちっとも変わってない」
「どういうこと?」
「それなりに見た目だけは女らしくなったが、ただそれだけだと言いたいんだ」
「……そんなことないし!」
茜は昔のことは持ち出されたくない。神父と聡の死。それは彼女の中で忘れたくない、忘れられない苦い記憶となって残っている。
「それに、あの女に奴が関わっていないと言い切れるか?」
そこで茜ははっとした。
神父と聡の仇、宿敵、そして実父。
たまに夢に見るくらいい、忘れられない敵だ。
その『彼』がこの件に関わっている、なんて考えもしなかった。
「大西隆……」
「油断してると大事なものをすべて失う。連中はその手先かもしれないんだ」
そんなこと、考えてもみなかった。だが、智也の言うように、その可能性はゼロではない。あの男は利用価値を見出せば何でも使う。それがたとえ、実の娘でもだ。幼かった一色若葉すら利用したように。
「でも差あの男とは違った雰囲気なんだよ。殺気がない……とでもいうのかな?」
「いちいち俺に確認を求めるな。たしかに殺気はなかったが……利用されている可能性だってある。本人も気づかないところで」
「そんなこと、あの男がするかなあ」
「何度でも言ってやる。あの女にも関わるな。おまえは狙われているかもしれないんだぞ? 少しは自分の危機を自覚しろ。そして明の給料を上げてやれ! アイツだって妻子持ちなんだぞ? 少しは両親が痛まないのか?」
あの智也の口から『良心』という言葉が出るとは、明も感無量だ。そうだ、給料の値上げは嬉しい、とても。
しかし、それでも良心が痛まないのが茜である。
「なんで明の給料を上げなきゃいけないの? 僕だってやっとのことで生活してるのに? だいたい、明が就職に失敗したのが運の尽きだったんだよ」
それを言われると痛い。明は受けた会社すべてに落ち、現在の安月給でという条件で茜の元で働いている。三十過ぎの男が年下の女上司にこき使われるのはぞっとしない。しかもその上司の仕事は探偵。しかもフリーランス。いくら愛する家族を養うためとはいえ、あんまりにもあんまりだ。
「明の妻子って言ってもさ、あのヤンキー女でしょ? あの女には明とゴールインさせたって貸しがあるし」
そうなのだ。秋奈と出会ったのは、彼女がやさぐれていた時で、神父も存命だった。その時に神父からクロスを託された。……しかし。
「別に茜さんの手柄じゃないですよね……」
その後、明と秋奈再会を取り計らったのが茜であることを彼は知らない。茜はあの時に真相を明らかにすべきだったと後悔した。
「いいからさ! もう智也の世話にはならないよ。僕だってもう一人前なんだから!」
「そういうところがガキのガキたる所以だよな。自分で何でもできると思い込んでやがる。言っとくがな、それは思い上がりだ」
「それは智也だってそうじゃん!」
そこに美千代が口を挟む。二人とも、相変わらず美女には甘い。
「はい?」
「なんでしょう?」
茜と智也はも見てしそうな勢いだ。まったく、明とは対応が大違いだ。だがそのくらいで呆れていれば、この仕事は続かない。ただ、シェーンだけが「誰?」と訊いている。明がうんざりしながら、「二人がお世話になった人」と答えると得心がいったようだ。
「アカネって美人がスキなの?」
「……昔からね。シェーンは会うのは初めてだよね? 彼女は長月美千代さん。茜さんが昔いた『組織』のエージェント、かな? 僕はその辺のことはよく知らないから……」
「ふぅん……ミチヨかぁ。どんなヒト?」
「いい人だよ。昔から茜さんに甘かったし。智也にはそれなりに距離を取ってたけど」
「あり得そうだね」
明の説明で納得したらしい、シェーンは時に爆弾発言をするが、頭は悪くない。すぐに茜と智也の関係を理解し、茜と美千代の関係も理解師ららしい。ただし、服のセンスはどうかと誰もが思うが。
「今はケンカしてる場合じゃないでしょ? 私たち、いえ、茜ちゃんに危機が迫ってるかもしれない。こういう時は協力すべきよ。情報の共有とか。生憎と私はデータを持ち出せないけど――」
すぐに意を得た智也が頷く。
「俺の出番ってわけですか。まったく、昔から小娘には迷惑をかけられっぱなしだ」
「……ごめん」
明はここで違和感を覚えた。茜と智也は、もはや犬猿の仲といってもいい。その茜が謝っている。彼女は自分が悪い時は素直に謝るが、そうでないときは謝らない。なのに、この変わりよう。茜は重大ななにかを隠しているのではないだろうか。
そのことに気づいたのは、どうやら明だけのようだった。
「茜さん」
「うん?」
「彼女たちと何かあったんですか?」
「……何かってなにさ?」
「解らないから訊いているんです。茜さんは凄いと思います。独学で大検を取って、どうにか自分の稼ぎだけで大学に通って、留学までした」
「だから?」
「海外に知り合いがいてもおかしくはないと思っただけです」
「……明のくせに鋭いね」
それは茜なりの褒め言葉だった。明の言う通り、彼女は大学に合格し、留学までした。その頭脳は父親譲りだろう。本人は否定するだろうが。
「それで、いつ気づいたの? あの子が僕の関係者だって」
「知り合いなのはあの子の方だったんですね」
これは茜の失言だった。てっきり二人とも知り合いだと思われていると感じたのに。
「……僕らしくない失敗だった。あの子は――」
ここで茜は言葉を切った。明は話の続きを待っている。
「『聖なる少女』、僕はそう呼んでいるよ」
「聖なる……? 茜さんが?」
「そうとしか言いようがないんだ。彼女は奇跡を起こす、聖女なんだよ」
茜の記憶は数年前へと飛んだ。
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2017年 1月12日 莊野りず
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