探偵は教会に棲む Returns

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Return3:返ってきた智也


 正月というのは、寝て過ごすものだ。食べて過ごす者もいるらしいが、おせちは総じてカロリーが高い。そんなもの、進んで摂取する奴の気が知れない。やはり正月は寝て過ごすに限る。
 もう三十代だというのに、まだ若々しさが残り、引き締まった筋肉を持つ安藤智也はそう思う。彼は『組織』に所属する探偵で、高額な収入を得ている。諸事情でフリーランスになった茜とは頻繁に連絡あまり取りあわないものの、それなりに親しい。
 正月から働く奴の気が知れないと思いつつ、届いている大量の年賀状に目を通してゆく。どれもこれも変わり映えのしない、平凡なものだ。中には若い頃にある事件に巻き込まれた時に知り合った、とある会社の女社長からのものもあり、それだけは感慨深く見つめていた。あの頃から約二倍歳をとったことになる。
「あーやだやだ! こうやってオッサンに近づいていくのかねぇ」
 十年前には、ここに相棒もいた。しかし彼は資産家の息子として、後継者として先に結婚してしまった。彼の素性からすれば当然だが、今になると特定の女性の存在のない生活というのも寂しいものがある。女性の方から言い寄られることは未だにあるのだが、どうも熱が上がらない。熱を上げているのは長月美千代だったが、彼女は十年経った今でも若々しい。それが一番の謎だ。
「……ん?」
 年賀状に茜のものが混ざっていた。彼女が成人してからは一緒に新年会くらいはするので、基本的に年賀状は出さない。さてはなにかあったのかと智也が考えた途端、マンションのチャイムが鳴った。
「っつったくよ、和也も明もいないんじゃ、俺が出るしかねーのかよ」
 そう愚痴りつつ、智也はマンションのインターフォンに出た。映っているのは、褐色の肌の女だった。濃紺の法衣を着て、前髪は短く、白髪だと解る。日本人にしては長身の智也と身長はどっこいだ。明らかに智也の好みではない。大女はご免だ。
「はいはい、何の用? 俺は年賀状を読むのに忙しーんだわ。つーか、日本語通じてる?」
 相手の女はにこりともしない。ただ難しそうな顔をするだけだ。その意味が智也には解らない。見知らぬ女にこんな態度を取られるような覚えなどない。
「これは失礼、安藤探偵。わたくしは『教団』の者ですの。貴方ならば意味がお解りでしょう?」
「……『教団』?」
 初めて聞いた単語だったが、情報戦において知らないそぶりは厳禁だ。特にこういった高圧的な類の相手では。智也はただ黙って頷いた。
「なるほど、『教団』の奴ね。で、俺に何の用だ? 用もなしにこの寒い中ぶらぶらしてたわけじゃねぇんだろ?」
「ミヤシタアカネに近づくな」
「は?」
「これは警告です。彼女に近づいた者は不幸になる。……貴方の幼馴染のように」
 明のことを口に出された時には頭の血が上っていた。
「明になにをした!?」
「それはご自身の目で確かめてみたらいかがです? 幸い、遺体は燃やされていませんし」
「てめぇっ!」
 智也は謎の女の胸ぐらをつかんでいた。ここまで激昂するのはいったい何年振りか。
 ――明が死ぬわけがない。あんな誠実すぎる奴が、妻子を残して。
 女は相変わらず笑みを浮かべたままだ。智也の反応を楽しんでいるようでもある。それがまた不快だった。
「……冗談ですよ。本気にするなんて、案外義理堅い。でもその調子で、本当に大切な者を守れますか?」
「あん?」
 胸ぐらをつかまれたままで、なおも女は笑う。智也の反応は、結局女を喜ばせただけだったらしい。それがますます気に障る。
「予言してあげましょう。貴方はミヤシタアカネから離れるべきです。彼女にはちゃんと必要な人物がいます」
「それを決めるのはアンタじゃない。小娘自身だ」
 智也は女から手を離した。こんな程度の安い挑発に乗せられた自分自身が腹立たしい。昔は茜を止める側だったというのに。やっと胸ぐらを自由にされた女は、恍惚とした表情を浮かべた。まるで今はもういない神父が神に祈りを捧げる時のように。そこにデジャブを感じた。何とも言えない、既視感。目の前のこの女とは何の接点もないはずなのに。
「……マジでアンタは何者だ?」
「だから、『教団』の者ですよ」
 話は堂々巡りだ。このままではらちが明かない。
 そう思った時、女の方がマンションのドアの前から出て行った。
「ひとつ、ミヤシタアカネに関わらないこと。ひとつ、我々の敵に回らぬこと、ひとつ、我々の邪魔をしないこと。それで貴方の友人一家の命は保証しましょう。いいですね? 貴方にとっては簡単なことでしょう? ミヤシタアカネと友の家族。比べるまでもないこと」
「信じられねぇな。名乗りもしない謎の女の言うことを素直に信じるほど、俺はお人好しじゃねぇ」
「困ったわねぇ……坊や」
 そこで女の眼が光った。褐色の肌に紫がかった黒い瞳は、それだけでどこか神秘的なものがあった。大量の修羅場を潜り抜けてきた智也でさえ怯みそうになる。
「大人しく私のいうことを聞いていればいいものを。まったく愚か者はつくづく救いようがない」
「アンタら宗教関連者はだいたいそう言うんだよ! とにかく取引に乗る気はない。わけがわかんねぇし」
「……可哀想な人」
 女はそれだけ言って、智也の前から姿を消した。足音がしなかった。


 長月美千代もまた、年賀状の処理に困っていた。
 仕事関係者、家族――は事件があったため来ていない、山のような年賀状の中から茜の手書きの文字を見つけると、やっと一息ついた心地だ。
「茜ちゃん、元気そうで何よりだわ」
 美千代は昔から掃除が苦手で、それは今も変わってはいない。以前は茜がたまに掃除をしに来てくれたものだが、『組織』との縁が切れたので、それも叶わなくなった。
 その茜の年賀状は、教会にはプリンターなどと言う高級品はないので、すべて手書きらしい。そこもまた茜らしい。『組織』とも縁が切れた後も、個人的には茜とは会っていた。神父の死には美千代もショックを受けたものだったが、当の茜の立ち直りの速さには驚いた。まるでつきものが落ちたかのような表情をしていたのが逆に心配になったくらいだ。
 その茜は、現在はフリーランスの私立探偵として自立している。天国の神父が知ったらさぞかし驚くことだろう。
 そんな感傷に捕われている時、マンションのチャイムが鳴った。三が日は汚部屋でグダグダ過ごすのが美千代の正月の過ごし方。誰にも見せるわけにはいかない。たとえそれがご近所さんでもだ。美千代は慌てて部屋着から仕事用のスーツに身を包んだ。赤いスーツは美千代なりの武装だ。
「はい、どなた?」
 ドアを開けると、誰もいない。
「……イタズラ?」
 まったく、正月早々暇なものだ。美千代は半ば呆れて部屋に戻ろうとすると、スーツを引っぱられた。その手は美千代の腰よりも下にあった。
「…………」
 まだ小学生くらいの、褐色の肌の少女が微笑んでいた。美千代は毒気を抜かれた。迷子だろうか。
「チャイムを押したのはあなた?」
 少女はこくりと頷いた。
 だが、チャイムは彼女がどれだけ手を伸ばしたところで届くはずのない高さにある。彼女の手には長さのある棒はないし、この辺りは整備されているので木の棒が落ちているわけでもない。
 美千代は薄気味悪い気持ちを押さえながらも、辛抱強く少女の顔を観察した。褐色の肌は元からそうらしいし、フード状になっている濃紺の法衣からは背中くらいの長さの白髪が覗いている。瞳は橙色だ。明らかに日本人ではない。
「……日本語、解る?」
「…………」
 少女は首を振った。そして手でサインを作った、どうやら喋ることができないらしい。
「私がなにか言っているということは解る?」
 すると少女は微笑んだままで頷いた。耳は大丈夫らしい。
 美千代はこの少女をどうするか迷った。一番いいのは警察に連れて行くことだろうが、彼女は美千代から離れない。唇を震わせて、なにか言葉を言いたそうにしている。
「なに? 何が言いたいの?」
 彼女のくちびるは、たしかに『アカネ』という形を作っていた。



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2017年 1月8日 莊野りず


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