探偵は教会に棲む

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Case4:マナー教室のマナー違反


「何度言えば解るんですか! カトラリーは外側から使うのが基本だと申し上げたはずです!」
「……」
「しかもなんですかその姿勢は! そんな事では相手の女性も愛想を尽かすのは目に見えています!」
「……何だと?」
 しばらくは黙って文句に耐えていた智也だが、この一言で目の色が変わる。
「ですから、わたくしの話はきちんと聴いていただかないと――」
「だから俺はダメだというのか? 美千代さーん!」
 「美千代ってどちら様?」そう言いたそうな女性講師の顔など、今の智也には見えない、いや、見る気もない。今の彼の頭の中は、やっと出会えた『赤の似合う大人の女』の事で一杯だ。>br>  わずか数日間の付き合いながらも、この『安藤智也』という青年との付き合いは、仕事上の付き合いとはいえ、もうウンザリだ。彼女は彼に見えないように溜め息をつく。
 ――一体どうしてこのわたくしが?
 日ごろの行いはいいはずだ。毎日仏壇には手を合わせているし、電車で出会った年配者には進んで席を譲るし、見知らぬ相手でも、それが例えスーパーのレジ係だろうと笑顔で挨拶を交わす。……『善行』と呼ばれるだけのことはしているはずだ。それが、なぜこうなったのだっけ?
 目の前で乱暴にカトラリー――ナイフで乱暴にメインの肉料理を無理やり細切れにしている彼を見るたびにそう思う。
 彼女の行いが悪かったわけでは決してない。ただ単に、この『安藤智也』に関わる者は大抵こんな事に巻き込まれるのだ。いわば彼は『疫病神』と言ってもよかった。……その『疫病神』であるところの彼の向かいでは、似たような年頃の少女が、彼とは正反対の洗練された、『優雅』という言葉は彼女のためにあるような、そんな動作でメインの肉料理を食べているところだった。途端に彼の表情が不平そうに変わる。この時は多分、純粋に驚いているのだろう。
「……どう考えても無知無教養のお前が、なんで俺よりもそんな風に食えるんだよ!?」
 とんでもない侮辱の上に、とんでもない言いがかりである。しかし少女は何とも思わないらしく、涼しい顔でメインを食べ終え、ナプキンで、これまた優雅に口元を拭ったところだった。
「あたしはそういう女だから。……どう? いい加減にあたしの魅力にコロッと参っちゃってもいい頃合じゃないの?」
 彼女は自信たっぷりに、多分、挑発する。しかし彼も負けてはいない。
「『赤』も着こなせない小娘のくせにナマ言ってんじゃねーよ! 『女』は『赤』が似合ってこそ一人前だ! このバカ小娘!」
「なんですって? バカは認めるけど、小娘には異議あり! そういうあんただって、所詮は『小僧』じゃない! それとも『坊や』って可愛く呼ばれたいワケ?」
「なんだと? 言わせておけばこの小娘が!」
「そっちこそ言わせておけばこの小僧が!」
 ……こうして低レベルの喧嘩が始まるのも『日常茶飯事』だ。以前はもっと平和な教室だったはずだ。それなのに、十八歳だと主張する、若すぎる男女カップル? にはとても見えないし、『兄妹』と言われてもいまいちピンとこない二人組――安藤智也と三ツ星さくら。この二人の喧嘩にはもう慣れた。しかし、純粋に疑問なのだ。なぜ、メインターゲットを熟年の主婦層に絞っている自分のマナー教室に、この若すぎる二人がいるのかが。……このマナー教室の講師兼オフィスのオーナである彼女は頭を抱えたくなった。


「それじゃあ、正式に『依頼』よ?」
 美千代があまり厚くはない、むしろ薄いファイルを二人に手渡した。ほとんど同時に渡された二人――智也とさくらはそれを捲っていた。カラー写真が一ページ目にあり、写っているのは品の良さそうな中年女性。しかしそれはそう書かれているから解ったことであり、外見からはとてもそうは見えない。
「美魔女ってやつね!」
「……イイ赤を着てるなぁ」
 二人の感想はその一言。それにも構わず美千代は先を読むよう促す。従う二人。そこから三ページにわたり、詳細すぎるほどの『事件』の情報が記載されていた。
「坂野上マナー教室で殺人事件? 『坂野上』って?」
「それは……」
「財界や政界の大物の妻が嗜むマナー教室よ。その筋では常識よ」
 智也の疑問に口を挟もうとした美千代が気遣って躊躇った答えを、さくらが明快に答えた。美千代は彼女の『正体』を知っている以上、彼女が知っているのは当然だと解っていたが、そんな詳しい事情など智也には当然わからない。
「……なんで俺が知らないことをお前が知ってんだよ、バカのクセに!」
「どんな言いがかりよ!? 言っとくけど、あたしだって好きで知ってるわけじゃないんだからね!」
「それはどういう……」
「ストップ! ……とりあえず二人にはこの『坂之上マナー教室』に潜入してもらいます。そして事件を解決してくれると万々歳だわ」
 それまで口喧嘩に発展しそうだった十八歳の二人は美千代の言葉には素直に頷き、そしてその日のうちにマナー教室を受講すると申し込んだのだ。


「さて、それでは本日の教室では、時間を延長しましょう。その代わりに次回はお休みを頂くのですが、ご了承くださいね」
 講師である坂野上幸子は『村』出身の智也でも名を知る政治家の妻で、マナーに関しては右に出る者がいないと噂の人物だった。その彼女に直接指導してもらえるという事で、このマナー教室は連日の人気だった。智也とさくらが潜り込めたのは、美千代の呼ぶ『上の連中』の手回しのおかげらしい。
「げぇ、まだやんのかよ?」
「プロなら文句は言わないもんでしょ?」
 すぐに胡坐が書きたくなる智也に対して、さくらはこの数時間の間中、ずっと背筋が伸びたままだ。和食、フレンチ、イタリアンと、たったの十分間の休憩を挟んだだけで続けてやってきたのに、彼女は疲労の色を見せない。智也は元の頭がいいので、覚えるべきポイントは抑えたという自負はあるのだが、やはり疲れた。
「……なんか、お前イキイキしすぎじゃねーの?」
「だって、美味しいモノが食べられるし。いいじゃん?」
「そう言われれば、そうだな!」
「でしょ? マナーなんて心がけ次第なのよ」
「バカバカ言ったの撤回するわ! お前意外とスゲーじゃん!?」
「ふふん! もっと褒めてもいいのよ?」
 そんな会話は当然この教室では『異質』だ。生徒の三名が特に強く苦情を言っている。肥満体の女性、痩せすぎの女性、メタルフレームの眼鏡の気難しそうな顔の女性。坂野上は彼女たちに同感のようだが、仮にも『生徒』だ。邪険にするわけにはいかない。
「あれ? そういや例の……」
「シッ!」
 様子が明らかに変わった。これまでふざけてばかりだった若者二人が何やら企んでいるようだ。
 ――もしかして、『例の組織』の連中かしら?
 『彼女』はそう思ったのだが、まさかこの普通そのものの自分が疑われるはずなどない。『組織』が実在するのかと驚きはしたが、ただそれだけだ。普通の自分がまさか疑われるずもない。
「さて、次はラストです。パスタと各々が苦手と見える料理です」
 それぞれの量自体は多くはないとはいえ、女性がこれだけの量の食べ物を食べてはたして平気なのだろうか? そう智也は思ったのだが、彼女たちが求めるのは『礼儀作法』としてのマナーだ。そしてそれを見につけることの難しさを身を持って実感した智也は、もう開き直ることにした。
 そんな智也の前にはペペロンチーノとチキンの香草和え、さくらの前にはナポリタンと焼き魚が運ばれた。彼女はナイフとフォークよりもむしろ箸の使い方の方が下手だった。
「あれ? 確かナポリタンって日本で出来たメニューじゃなかったのか?」
「あら、さすが智也。単に好きだからこれにしてもらっただけよ。『パスタの食べ方』なんだから、種類は関係ないでしょ?」
「それもそうだな」
 そして智也はいくら手首を上手く使おうとしてもフォークに余計に絡まるパスタをフォークで切ろうとする。これにはさくらも驚いている。
「ちょっと! 何してんのよ?」
「何って……パスタが長すぎるから切ろっかなって」
「それはマナー以前の問題よ! スプーンを使うってだけでも十分恥ずかしいのに、フォークはないわよ!?」
 「ある意味凄いわ」とよりにもよってさくらに言われ、智也は些かムッとした。その様子を遠巻きに他の生徒達は見ている。流石に講師の坂野上は我慢がならないらしく、智也にきつく嫌味交じりの注意をした。大げさなジェスチャーを混ぜて。
 その時だった、メガネをかけた先ほどの女性が腹部を押さえているのが見えたのは。
「鴻上さん!」
 坂野上が寄る。智也とさくらの席のすぐ傍だったから、『駆け寄る』必要はなかった。その二人も近づく。
「……これは重症かもな。刺された位置が女性には致命的だ」
 そう言いながら、智也は自分の携帯電話で救急車に電話を入れる。さくらも神妙な顔で倒れた名も知らぬ女性の応急処置をしている……つもりらしいが、それは誰が見ても見当はずれな適当な処置だ。しかし、散々迷惑だったこの二人の若者の態度を見て、生徒たちの目が変わった。見直したという意味で。
「……これ以上は続けられませんわね。残念ですがここで解散――」
「いや、待てよ。犯人が逃げんじゃねーよ!」
 携帯電話での通話を終えた智也がすぐに坂野上に告げる。さくらも頓珍漢な手当てを終えて、彼女を睨んでいる。他の者たちは何事かと事態を見守っている。
「……え?」
「以前この教室で起こった『事件』、未遂とはいえ今回の『事件』、いくら旦那が大物政治家だからって逃げ切れると思うなよ、オバサン!」
「そうよ、こんな不細工な犯行なんて恥ずかしくないの、オバサン!」
 NGワード『オバサン』を連呼されて喜ぶ『オバサン』などいない。坂野上は苛立ちながらも二人を見つめる。
「……誰がオバサンよ! それにわたくしがやったという明確な証拠でも……」
「……じゃあ、俺が使ったナイフはどこにやったんだ?」
 ――まさか!?
「その顔は自分が犯人だって言ってるわ。一目で解る。智也、やっぱりあんた凄いわ」
 小娘はごく普通の調子で小僧を褒めた。彼もそれが『当然だ』という表情のままだ。そして周りの生徒達も騒ぎ始める。『そういえばナイフは?』と。
「……くっ」
 坂野上はその場に崩れ落ちるしかなかった。小僧――安藤とかいう彼のナイフは『凶器』だ。だからすぐに小娘――三ツ星とかいう彼女のミートソースの中に突っ込んで誤魔化して「汚れたから交換」を係りの者に命じた。……それが『マナー」であり、決まり事。
 智也もさくらも呆れた顔で言う。
「よりにもよってマナー教室のセンセイが、カトラリー――ナイフで殺人なんて皮肉もいいトコだな」 「あら、マナー以前の問題よ。食べ物を粗末にするのは食べ方とか行儀以前、『恵みへの感謝』が欠けてる証拠よ。智也の方が遥かにマナーがいいわよ」
 ただ単にそう思っているだけの言葉だろうが、これだけ坂野上を追い詰める言い分はなかった。彼女は罪を認めた。


「……確かに、これじゃ、やめらんねーや!」
 初めての正式依頼の報酬は、さくらが以前渡したものの半分程度だったものの、予想以上に良かった。
「これだけ楽な仕事なら、俺は正式に『探偵』にでもなろっかなー」
 その横ではさくらが面白くなさそうに俯いている。だが、『安藤智也』という人物が自分の中で大きくなっているのもまた事実だった。周囲の男子にはない、魅力。第一、イケメンである。
「……」
 ――あの女はどこまであたしのことを知ってんのよ?
 さくらの脳裏に浮かぶのは、美千代という女の余裕の表情。何もかも見透かすようなあの瞳に、らしくもなく不安になる。
「さくら、俺んちにでもこねーか? 金入ったし、男の料理でも食わせてやるよ!」
「え?」
 いきなりの、しかも実は初めての異性からの自宅へのお誘い。気になる彼の誘いを断れるほど、さくらは誘惑には強くない。
「……うん、行く。行きたい!」
 その後、さくらは猛烈に後悔するのだが、そんな事などこの時点で解るはずもなかった。

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2015年 5月21日 莊野りず


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