探偵は教会に棲む

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Case3:『赤が似合う大人の女』


「……四月に例のホームレス事件を解決。四方学院の怪奇現象も、同じく」
 その女は報告書を読み上げる。とある大学生に関するものだ。書類には写真も添付されていて、彼女から見れば『可愛い坊や』といったところだ。多少からかって遊ぶのも楽しいかもしれない。
「あら、彼女は……そういうことね。彼も人が悪いわ。これだから、男っていやぁね」
 添付された写真には『この筋』では有名な少女も一緒に写っていた。やはり血筋なのか、『彼』の面影が確かに彼女にはあった。だが、時期早々だと思うのは自分だけだろうか? まだ十八歳だ。十分に青春というモノを謳歌する権利がある。こんなくだらないことに巻き込むのは可哀想ではないか。
「……」
 とりあえず、自分のやるべきことは一つしかない。この彼――安藤智也という大学生に直接会って、コンタクト取ること。それが自分の成すべき、第一の『仕事』だ。労働は嫌いではないし、むしろ自由な方が困る。実家はそれなりに裕福だし、傍から見れば自分も『お嬢様』だ。しかし、『平和』と『自由』は時として人を堕落させるものだと彼女は思う。だから敢えて働く。
 彼女――長月美千代が安藤智也の好みのタイプ、『赤の似合う大人の女』だったのは実はかなりの強運だったのだ。

「……あん?」
 午後のコーヒーショップ、学生向けの安値での提供が最優先の店の、安い味しかしないコーヒーを飲んでいたら絡まれた。誰に? 『例の女子高生に』である。気分屋な智也は特にコーヒーにもこだわりはなく、ただ今日は『そういう気分だったから』、甘いコーヒーをセレクトした。ただそれだけのことだ。
「同い年とはいえ、『大学生の男』が甘党なんて、可愛い!」
 数日前に知り合ったばかりの彼女――三ツ星さくらは、なにがそんなに嬉しいのか智也の顔をじっと見つめる。そこから感じ取れるのは、ただ純粋な興味。しかし、ナルシストな彼としては異性からこんな目で見られるのは決して不快ではない。むしろ喜ばしい。……しかも相手は好みの美少女で、好みのナイスバディだ。
「そういうもんなのか? ……じゃあ俺もたまには敢えて甘いヤツ頼んでみるか」
「女はギャップに弱かったりするもんだから。ほら、眼鏡かけてる男子に弱いって、この雑誌にもデータがあるし!」
 そう言ってさくらはそれまで視線を落としていたムック本を智也に見せる。先に表紙を見ると、でかでかと『メガネ男子フェチに捧ぐ!』なんて文字が躍っていた。これは興味深い。
「……なになに、曇ってるのはもちろん論外。『ブリッジを中指と人差し指でくいっとやるのが特にツボ!』……女のフェチも理解しがてぇもんだな。さくら、お前的には俺がメガネかけてたらどうだ?」
「うーん、智也は『家でだけメガネ』がいいと思うよ? 普段は普通なのに、家では『実は目が悪かった!』なんてのもマニアックだろうけど『ギャップ萌え』の一部だろうし」
 こういう話となるとさくらは解りやすい説明が可能だ。学校の勉強は大の苦手だと言っていたのに、この手の流行やらモテる秘訣、各種テクニックの情報に敏感らしい。
「……俺もまだまだリサーチ不足か。前の報酬も残り三千円しかねーしな。次の仕送りまで二週間か……」
 ふと漏らした智也の一言に、さくらが敏感に反応した。大げさに震えてみせる。そして次の瞬間には信じられないモノを見るような目で智也を見た。
「あんた、よく二週間をたったの三千円ぽっちで暮らせるわね!? あたしだったら絶対に無理だわ! 凄いわよ、ホントに!」
 普通ならば、あれだけの額の報酬をどう使ったらそこまで減らせるかが気になるところだろうに、さくらはその事には一切触れず、ただひたすら「凄い!」を連呼する。そこで調子には乗らずにいられないのが智也だった。
「あぁ、俺はすげぇんだよ。んなこと言わなくても解んだろ? 成績は常に一科目以外はオール5だったし!」
「えっ、マジで!? ホントに智也ってルックスも頭もいいんだ?! 完璧じゃん!?」
 さくらの感嘆の声は智也の鼻を容易に高くする。……ちなみに彼女は智也が苦手な科目は『家庭科』だと、正解には辿り着いていた。しかし、まさか智也が自活も出来ないほどの家事が苦手な男だとは微塵も思っていない。イケメンな彼ならば、苦手なのは『裁縫』であり、苦手といっても『4』くらいだろうな、という斜め上の解釈をしていた。
 そんなことには露とも気づかない二人のズレた会話は今日もグダグダ。さくらはどうやら何かの『目的』があって自分に近づいてきたという事は察せたのだが、具体的な事は何一つ不明だ。一体この女子高生『三ツ星さくら』とは何者で、何が目的なのだろう。
 考え事をしながら五月の心地よい、というよりは『村』より遥かに『暑い』東京のコーヒーショップの野外席でコーヒーを飲んでいると、予想以上に『赤の似合う女』は多かった。幼馴染は『いるわけがない』的なニュアンスで言ったのだろうが、道行く『赤を纏う女』たちは例外なく似合っている。顔はもちろん、『赤』という色に相応しい、引き締まっているのに肉感的な柔らかさを感じさせるのが、智也的にはポイントが高い。……そんな彼を、生温かい目でさくらは観察している。
 その『道行く赤の似合う女』の中でもかなりの高ポイント、「実際に付き合うのならこの中では彼女だ!」と言い切れるだけの美人、というか『美女』という表現がしっくりくる赤スーツ姿の女性がこちらに寄ってくる。
「おっ、逆ナンか?!」
 鼻の下を伸ばす智也に、「そうかもね」とさくらは気のない返事を返す。さくらから見ても十分な『イイ女』な女性は、どう考えてもこちらに向かっている。そして予想通りの言葉を言った。
「……カップルさん? 相席よろしいかしら?」
「もちろんです! つーか、こいつは彼女でも何でもないですよぉ!」
 なんと、『あの』智也が揉み手までしている。さくらはその事実に軽くショックを受けたのだが、そんな事など当然智也は知らない。愛想笑いを浮かべ、向かいに座っているさくらを無理やりどかし、店員を呼んでイスをもう一つ用意させる。……その動きの自然なこと。
「あら、悪いわね」
 ここで美女は余裕の微笑み。
 ――要注意ね、この女。
 さくらは本能から真っ先にそう悟った。『今までの経験』からくる『本能的な勘』というか、『鍛え上げられた観察眼』。これがさくらが自分で言う、『女の勘』の正体だった。彼女は自分の置かれた『特殊な環境』から、どうしても自分だけの武器が必要だった。ゆえに、自分が発育の良い美少女だと悟った上で、『女としての武器』を鍛えてきた。
 そして『女の勘』というモノには、ちゃんとした科学的な根拠もある事も知っている。太古の人類は、『男』は狩りに行ったからこそ身体能力や状況判断力が発達した。それに対し『女』は、『集団生活』を営んでいたが故に『対人スキル』に長ける。……つまり『観察』が得意なのは女の『本能的な武器』なのである。
 そのさくらも、伊達に様々な人種を見て育ったわけではない。これだけ危険な匂いを纏う女、それもどう見ても狙ったように現れたこの女はどう考えても『智也にとって危険』だ。逆に彼に問い詰めたいのは、「なんでアンタは頭がいいのにこんなベタな方法に引っかかるのよ?」ということだ。……本当の『単純なバカ』はコイツなのではないだろうか?
「いえ。貴女のような美人と出会えたのは、『運命』ってヤツかもしれませんね」
 智也はどう見てもこれで落ちない女はいないであろう、『爽やかイケメンフェイス』を作ってこう言った。これまで『村』で交際経験も堂々の第一位の智也は、さくらがプロフィールの時に紹介した『ナンパでの話術』をフル活用した。どうやっても落としてやる! という意気込みで。……しかし、この『美女』も、三ツ星さくらという『女子高生』も色々な意味で『只者』ではなかった。
 ふたりは同時に思った。……「所詮コイツはこの程度の男だ」、と。台詞の言い回しが古くさい上に、『運命』という言葉をわざわざ強調するあたりが逆にイラッとくる。しかもナルシストによくある、『自分に酔った表情』。ここまででも十分に『モテない男』感が半端ではない。だが、二人とも智也には種類は違えども『目的』があって近づいている。ここで空気を乱すのは得策ではない。
「……どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないわ。席をありがとう、安藤智也さん」
「どういたしまして。……そして、なぜ貴女まで俺の名をご存知なんでしょうか?」
 さくらの一件で『都会の女にもストーカーされる俺』に智也は酔っていた。だから一切態度を崩さず答えられたのだが、相手の女性はそれが想定外とばかりに驚いた。
「ちょっと、なぜ私が何者かを訊かないの?」
「え? 訊いていいんですか? ではお言葉に甘えて、お名前は?」
 

 『長月』と銀のプレートにこだわりの感じられる字体で彫り込まれている表札。いつかはこんなマンションに棲んでみたいものだ、などと智也が思っていると、美女――美千代は鍵を開けた。なぜか一緒に来ると言って聞かなかったさくらは別に珍しくもなさそうに、「この女の部屋ってどんなのもの?」という意味での興味があるらしい。
 赤いスーツが実に良く似合う美女は長月美千代と名乗った。詳しく話すにはここはあまりにも向かないし、自分の部屋である話がしたいと持ち掛けてきたのだ。それは智也にとっても、なぜか部外者のさくらにとっても『少なくとも損ではない』話らしい。いぶかしいとは思いながらも一緒に来てしまったのが、美千代の魅力によるものだろうと『男』の智也は思う。しかし『女』のさくらは、彼女なりに熟考した上で決めたことだった。
「美千代さんみたいな美人の部屋なんて……初めてで……」
 『村』にいる間に付き合った彼女――恋人という意味での――たちの部屋は、例外なく『田舎娘』という印象だった。どうにも垢抜けないのがやはり不服だった。そんな智也が無意識のうちに『期待』してしまうのも無理はない。……そしていざ入った、『赤が似合う大人の女』の部屋は――。
「……凄いですね」
 ――いや、マジで、純粋にそう思う。
 自分に言い訳をしている自分に驚いていた。それだけ彼女の部屋は酷い有様だった。男である自分ならまだしも、仮にも社会人にしか見えない大人の女性が、自分以上に、ここまでだらしないとは誰も思わない。
「うわー、生ゴミはいつから出してないんですか?」
 さくらは正直に思った事を訊いている。「ちょっとは空気を読め」と言いたくなるが、そんなことをすれば自分が彼女に嫌われる。なぜか美千代は照れ臭そうに「確か三か月前には出したわよ?」と首を傾げた。
 そして彼女は客用と思われるマグカップにティーパックで紅茶を入れた。『村』ではお目にかかったことがなく、流行やおしゃれに敏感な智也でさえも知らないそのメーカーは、おそらく海外のモノだと思った。なぜかさくらはそれを知っているようで、「ここのはあたしも好きですよ」と笑った。
「……それで、肝心の『話』というのは、安藤智也さんと三ツ星さくらさん、お二人を『雇い』たいのよ」
「え?」
「は?」
 過程を素っ飛ばし過ぎで、とにかくどんな目的で言っているのかも、どこに雇いたいのかも全く解らない。美千代は「説明するより診てもらった方が早いわ」と言って、紙に字を書いた。アルファベットの羅列で、さくらは混乱したようだが、智也には要は『K』と『Q』という組織があり、その上に『上司』に当たる者がいる、とだけ理解した。
「安藤智也さんには、是非『Q』に入ってもらいたいのよ。私が『上の連中』って呼んでいる連中は、例の『ホームレス殺人事件』から、貴方に目をつけていたし、調査もしていた。……ここまで言えば、貴方ならば私がどこまで知っているかは大体解るんじゃないかしら?」
「……なぜこの俺が『K』じゃなくて『Q』なのかの説明が欲しいところですね」
「えっ? 智也は今の説明で解ったの?」
 敢えてさくらのツッコミはスルーで、智也は事務的に訊く。自分に絶対的な自信を持つナルシストである彼ならば当然だ。
「……自惚れないでね? 今の貴方は『探偵』ではないの。ただの『博識な大学生』よ? 『K』はそう簡単に名乗れるような、軽い称号ではないわ」
「……成程」
 きつい事を言った時は目が鋭くなった美千代だが、次の瞬間には微笑んでいた。やはり要注意だとさくらは自分の勘が正しかったことを知る。『探偵』と一口に言っても、さくらの知る『探偵』は『危険』な仕事だ。彼女はそう言う世界に生きてきた。
「でも普通の大学生のアルバイトよりは破格の報酬が得られるお仕事よ?」
「それならば、やりましょう」
 もうすぐ闇金でも手を伸ばしそうだった智也にとっては経緯はどうあれ、幸運だ。さくらも自分が智也より頭脳面で劣るという自覚はあるので、彼の傍にいたいと思った。
「じゃあ、お二人に腕試しよ。私が着ていたスーツを当ててみて?」
 美千代は先ほど着替えを終えていて、部屋着の白いAラインワンピース姿だった。その彼女はクローゼットを開けた。そこには色合いの違う『赤いスーツ』がずらりと並んでいた。軽く二十着はある。
 ――この二人の実力ならば、容易いはずよ。
 

 そして結局二人は一枚のスーツを五分もしない間に探し当てていた。結果はもちろん正解。二人がそれを選んだ理由を訊くと、智也は『コーヒーショップで零したシミをヒントにした』という論理的な結論を下し、さくらは『あたしの目から見たら色の違いなんか白と黒と同じくらいはっきりしてる』という観察眼を元にした根拠を述べた。
「どう判断しても合格だわ。しばらくの間、智也さん、いえ、智也君には『Q』所属の探偵、さくらさんにはそのサポートをお願いするわ」
 この満足な美千代の言葉に、十八歳のふたりはニッコリ笑った。

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2015年 5月19日 莊野りず


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