忘れモノ探し

〜巫女の章〜

『……来るわ、わたしの邪魔をする女がね』
 今日の視界は一面真っ赤だった。いや、花だ。一面に咲く赤い花が視界を赤く彩っているんだ。血のように赤い花、これは……彼岸花?
『曼珠沙華ともいうわ。天上の花という意味。死人花ともいうの。ねぇ、なぜわたしがここにいるか解る?』
 夢の中のサクヤは、真っ赤に染まったうちの学校の制服を着て、瞳も赤い。普段からうちの学校の制服は葬式を連想させるものだが、これは死んだ瞬間を連想させた。縁起でもない。サクヤが死ぬなんてありえないじゃないか。あんだけ元気印の娘だ。
『おまえはいったい何者なんだ? なぜサクヤと同じ外見をしている? なぜオレの夢に出てくる? 何が目的だ?』
『わたしはね、サクヤに奪われたモノを取り戻したいだけ。忘れモノを探しているだけ。ただそれだけよ』
 彼女はかたわらに生えていた彼岸花を摘み取った。滴るのは、血のように赤い液体。だがその色合いは、まるで本物の血のようだった。
『忘れモノ? それならサクヤのイタコの能力を――って駄目だな。アイツにこれ以上の負荷はかけられない』
 すると相手は気に入らないとでも言いたげに、摘み取ったばかりの彼岸花を握りつぶした。掌の、指の間から溢れる、赤い液体。それはなぜか彼女の流した涙のように思えた。理由は解らないけれど、直感的にそう思ったのだ。
『わたしの探している忘れモノはね――』
 途端に彼女の腕がうねる触手のようになり、オレの身体に巻き付いた。その触手の力で、オレの身体は彼女の方に引き寄せられる。
『あ・な・た、でもあるの』
 今度こそ、彼女にくちびるを奪われた。触れあった瞬間に、口内に異物が入ってくるのを感じた。
『ん、んんっ』
 オレの口内で暴れるのは、棘のある植物のようなもののようだった。彼女はオレからくちびるを離すと、にっこり微笑んだ。それはまるで誰かへの一方的な勝利宣言のように感じられた。こんなことをしてなんになる、だなんて言える空気じゃなかった。彼女の瞳が、更に赤く燃えた。
『わたしね、強欲なの。ずっとあなたを探していたのよ。だって、あなたがいないとわたしの探しモノは見つからない。そして、あなたと再会した。……覚えていないでしょうね。あの夏のことを』
 オレは自分の口の中のことで頭がいっぱいで、まともに相手が出来ない。彼女はそれを満足そうに見つめていたが、辺り一面の赤に紛れて、いつしか消えていた。その場に残されたのはオレ一人だけだった。


「ひーちゃん!」
 サクヤの悲鳴のような大声で、オレは目を覚ました。あの悪夢はたしかに夢に過ぎない。たかが夢を大げさに騒ぎ立てるなんてばかけてる。どうかしてる。でも、あの夢の中の女がサクヤそのものだったので、オレはサクヤの顔をじっと見た。
「どしたんず?」
 サクヤの様子はいつもと変わらない。ただきょとんとした顔でオレを見つめている。だが、オレの中の何かがサクヤに反応する。なにが、とははっきりと言えないのがもどかしい。サクヤがオレの額の汗を拭いている。どうやらあの気色の悪い夢のせいで、脂汗をかいていたらしい。
「どうも様子がおかしっきゃ。なにかあった?」
「……いや、別に」
 そう答えるしかない。おまえのそっくりさんが夢に出てきたせいで調子が悪い、だなんて言ったら、サクヤもいい気分はしないだろう。今でも口の中で棘のある植物がうごめいているような感覚が残っていて、気持ち悪い。体調は万全のはずなのに、口の中の気持ち悪さで吐き気がする。……そういえば、あの女とはキスしたんだった。彼女の言う『探しモノ』とはいったいなんなのだろう。彼女からは霊独特の気配はなかったし、悪霊の類の持つ悪しき霊力もなかった。ただし、オレの能力はあくまでも声を聞くことくらいだし、大げさなことはできやしない。
「ひーちゃん、もしかして風邪?」
 額を寄せられて、思わず身体を引いた。危ない、このままではサクヤのくちびるとキスする羽目になっていた。あのサクヤそっくりの女とキスした後で、本人と、というのも微妙な気分だ。肝心のサクヤは眼をぱちくりさせて驚いている。
「そこまで驚くことじゃねっきゃ? まんず、おかしっきゃな」
「オレがおかしいか? ……サクヤ、おまえ何か隠してないか?」
「……どういうこと?」
 オレが問い詰めているというのに、逆にサクヤの方から問い詰められた。サクヤの青い瞳が真っ直ぐにオレを見る。その手の眼つきに弱いんだオレは、昔から。ことに、サクヤが相手では。サクヤはまだ布団の中にいるオレの上に乗っかって、本格的に問い詰めてきた。
「ひーちゃん、ワンドの間で秘密はなし!」
「解った! 解ったから、どけ! 重い!」
 本当は重くなどなかったが、あの夢の中の女と同じ顔で迫られるのに耐えられなかった。あれはまさかサクヤ本人も知らない、もう一つの人格とやらだったりしないだろうか。昔のドラマでそんな二重人格の主人公が人格交代を繰り返す作品があったはずだ。それと同じように。
 そこへ、能天気な声が聞こえてきた。
「おやおやおや……弟のくせに女の子連れ込むとはやるじゃんか。でも押し倒す側じゃなくて、押し倒される側ってのがあんたらしいわ」
 サクヤのせいで視界が封じられているから相手の顔は見えないが、この声の主はオレがよく知る人物のものだ。もちろん、母さんではない。オレの上に乗っかったままでサクヤが嬉しそうな声を上げた。
「緋美湖さん! なんぼひさしっきゃ!」
「……うん? その声は、誰だったっけ?」
「サクヤだよ。よくオレと一緒に遊んでた。八乙女宗家の出身だったんだよ。今はイタコやりながら高校生やってる」
 姉ちゃんに帰った早々に絡まれたくないので、簡単にサクヤのことを説明する。八乙女の名を出しただけで、姉ちゃんはすぐに「あぁ」と思い至ったようだった。
「なるほど、八乙女のサクヤちゃんね。どう? 本家は相変わらず? 年寄りが幅を利かせてるの? つーか、その髪どうしたの?」
 矢継ぎ早に繰り広げられる質問に対して、サクヤは律儀に答えていく。オレの姉ちゃん、八木緋美湖は、親戚の中でも巫女としては一二を争う腕前だ。主な仕事はお祓いや神事の手伝いだが、最近では悪魔祓いなんてものにも手を出して、それはもうエクソシストの仕事じゃないかとツッコミを入れたくなる。そしてその報酬ときたら、一度につき父さんの月給の二倍だ。我が家の女たちが強くなる元凶はこの姉ちゃんにあると言ってもいい。
 その我が八木家の星は、窮屈そうに肩をパキパキと鳴らし始めた。
「あーもつっかれた! どいつもこいつも、巫女を何だと思ってんのよ!? 便利屋じゃないっつーの! 疲れた身体を休めてんのに、『お茶』だとか、ふっざけんじゃねーよって感じ!」
 出た。姉ちゃんの半ギレ中の乱暴言葉。いつもは金髪碧眼のハーフらしい顔立ちをした美人巫女だと評判で、物腰も柔らかだが、本性はこれだ。外出先では気を張っている分、家では素でいたいんだろうが、一緒にいるオレら(特にオレと父さん)はたまったもんじゃない。学校ではアンズちゃん先生、家では姉ちゃんと、オレの身近にはまともな女はいないらしい。女運がないってレベルじゃない。……たしかに、サクヤとスイレンには告白されたけど。キスされたけど。サクヤは夢の中で、だけど。
「おい弟、お茶! ちゃんと玉露ね! ちゃっちゃと動く!」
 サクヤには文句を言わないくせに、どけとも言わないくせに、オレにばっかり命令するのはやめてもらいたいものだ。だがここで逆らってもいいことなど何もない。せいぜい、仕置きと称したいじめが待っているだけだ。そういう姉ちゃんなのだ。いい加減に『姉ちゃん』と呼ぶのは恥ずかしいが、本人が若作りだからそれを強要されているのだ。実際の姉ちゃんの年齢はオレとはピー歳離れている。詳しいことはご想像にお任せする。
「それにしても、あなたも随分身体にガタが来てるんだね。術式は? 師匠は誰? 霊媒を始めたのは何歳ごろ?」
 姉ちゃんはイタコとしてのサクヤに興味津々のようだ。これでオレが茶を淹れてくるまで機嫌が取れる。……と、思ったら、姉ちゃんがサクヤの手を握った途端に固まった。いったい何事かと二人の方を見ると、珍しく姉ちゃんが家で仕事用の顔をしている。引き締まったその表情は、まさしく霊験あらたかな巫女のものだ。
「……二人いる」
 この言葉にどきりとした。サクヤが二人?
  「それって、どういう意味だよ?」
「そのままの意味。この子の中には二人いるわ。なにが、とは現段階では判断できない。けど、なにか邪悪な感じがするわ。……純粋な敵意、とでもいうのかしら? 痛いほどに感じるわ」
「……敵意? オレは全然感じないけど?」
「その敵意はあたしに向けられてる。あたしだけに、ね」
「それって、どういうことなんだ?」
 姉ちゃんはしばし考え込んだ。巫女としての矜持にかけて、間違ったこと、曖昧なことは言えないという表情で。サクヤは無表情でオレと姉ちゃんを交互に眺めている。
「もしかして、同級生の霊がそのまま成仏できずに残ってるとか? ちょっと前にクラスメイトが殺されて、その霊を祓ったんだよ」
「そんな単純な霊じゃないね。もっと数年物の怨念というか、執念を感じる。……ついでに言えば、あんたのそのくちびるはどうしたの?」
「え?」
 サクヤが黙って手鏡を手渡してきた。そこを覗き込んだオレが見たのは、朱色に染まった自分のくちびるだった。口紅などの人口の色ではない、血のような赤がそこに染みついていて、拭っても取れない。
「あんた、夢を見る能力は相変わらずなの?」
 霊の声を聞くだけではなく、夢も見るようになったのは、一年くらい前から。姉ちゃんに相談しても「そういう能力もある」と取り合わなかった。しかし、今はこうして夢が現実に干渉している。オレは頷く。
「一度、本格的に祓ってみようか」
 姉ちゃんのその言葉を聞きながらサクヤの方を見ると、どこか不安そうな顔をしていた。

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2017年 2月23日 莊野りず
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