忘れモノ探し
〜被害者の章〜
幼い女の子が見える。彼女は、昔のサクヤだ。黒髪に黒い瞳、日本人らしい色白の肌。周囲は向日葵に囲まれていて、夏だということが解る。
しかしその光景もあっという間に真っ白に染まってゆく。雪だ。冷たい空の落し物は。見る見るうちに周囲を白く染めて、その中心にいるサクヤの手足も伸びる。やがて幼い少女から、一人前のサクヤが完成した。黒い髪はゆっくりと紫がかった白髪に染まってゆき、黒い瞳は真っ赤に染まった。……真っ赤? サクヤの瞳は青のはずなのに? サクヤがオレに気づいたらしく、振り返った。その表情は妖しい笑みを湛えていた。
『やっと……会えた』
サクヤがオレの頬に手を当てた。その手はぞくりとするほどに冷たく冷え切っていた。そのままサクヤはオレのくちびるに自分のそれを合わせようとしたが、オレは慌てて彼女を突き飛ばした。こんなことは簡単にしてはいけないと思ったから。しかしサクヤは残念そうに顔をしかめた。
『ここでも思い通りにならないんだね、ひーちゃんは。だからいいんだけど』
彼女らしからぬ妖艶な表情で、サクヤは右手を舐めた。その舌の赤さに驚く。真っ白の肌の中に唯一ある赤。そういえば、サクヤの着ている制服はたしかにうちの学校のものなのに、真っ赤だ。まるで血のように、という比喩はありがちすぎるか。でも実際にそう見えたのだから仕方がない。
『ねぇひーちゃん、わたしの名前を漢字で書くとどうなるか覚えてる?』
それはそのまま『サクヤ』とカタカナではないのか。サクヤの名前を漢字で書いたことなど記憶にない。サクヤはしばらく考え込むオレを見ながら残念そうに言った。
『ひとつ、忠告してあげる。わたしはね、津軽弁なんで話せないのよ?』
たしかにいつも夢に出てくるサクヤは、標準語しか喋っていない。てっきり記憶が修正しているのだと思っていたが、他に何か理由でもあるというのだろうか。赤いセーラー服を着たサクヤは心から残念そうにつぶやいた。
『……さぁ、つらい現実の時間よ』
目を覚ますと、そこはオレの部屋のベッドの中だった。最近はあまりよく眠れていなかったけれど、ベッドの中でぬくぬくと眠れるのはありがたい。夢の内容は気になったものの、サクヤがなんとなく恐ろしい気がして、本人に直接確かめる気はない。人間、知らない方が幸せなこともあるはずだ。そのままベッドの中で伸びをしていると、サクヤが青ざめた顔で入ってきた。こころなしか、髪の毛先が青く見える。
「どうした? そんな顔して。オレならもう起きてるからな。イタズラしようったってそうはいかないぞ?」
「……そだんじゃねえよ」
「じゃあなんなんだよ?」
「…………」
サクヤは黙り込んだままで、静に泣き出した。サクヤは涙もろい面もあるし、泣き出すとなかなか泣き止まない。……あれ? サクヤって昔からこうだったっけ? サクヤの代わりにオレに説明してくれたのは、オレをわざわざ起こしに来た母さんだった。母さんもまた、悲しそうな顔をしていた。それでもわけを言わねばならないという使命に燃えているようだった。
「ひふみ、落ち着いて聞くんだよ?」
「なんだよ。サクヤといい、母さんといい、そんな大げさな――」
「霞が関さん、ってあんたのクラスメイトよね? サクヤちゃんとも親しいって聞いてるわ」
霞が関、と聞いて最初はぴんと来なかったが、その後のファーストネームを思い出して納得した。霞が関水連、通称スイレン。たしかにオレもサクヤも世話になってる相手だ。
「スイレンがどうかしたのか?」
「あんたってどこまで鈍いの? 最後まで言わなきゃ解んないの? それでも八木家の者なの?」
「うるさいな。霊能力とスイレンに何の関係があるんだよ?」
結論が出ないので、オレは苛立っていた。そんな遠回しな言い方をしなくとも、結論から教えてくれればいいようなものじゃないか。母さんの横からサクヤが飛び出てきて、重大なことだとばかりに言い出した。
「ひっく……これは、ひっく、黙っててもバレちゃうことだから言うね。……スイレンちゃん、ひっく……殺されたの」
「は?」
二の句が継げないというのはこういうことをいうのだろう。オレにはサクヤが何を言っているのか一切解らなかった。頭をすり抜けていったと言っても間違ってはいない。だって、まさか、そんな。あんな殺しても死ななそうなスイレンが……?
「信じられないだろうけど、死んだのよ。……それも、言葉に出来ないくらい残酷な殺され方で、家族でもやっと判別できたそうよ」
「…………」
吐き気を覚える。あのスイレンが、昨日までは呑気に「バイバイ」なんて言いながら別れてたスイレンが、死んだ? それ自体が何か悪い夢をみんなが見ているのではないか。しかし、サクヤはともかく、母さんにまでそんな能力はない以上、夢の一言で片付けられない。
「ひっく、ひっく」
サクヤは泣いている。青い瞳から零れる涙には、うっすら赤が混ざっている気がしたが、たぶん気のせいだろう。
「……それで、犯人は?」
「あたしが知るわけないでしょ? でも警察が最優先で追ってるのは、出所したばかりの凶悪な連続殺人き出そうよ」
そういえば、ついでのようにヒトヒトちゃんが言ってたっけ。弁護士に金を積んで合法的に出所した殺人鬼がいると。恐らくスイレンはそいつに襲われたのだろう。家族でもやっと判別できるレベルということは、いわゆる快楽殺人者というやつなのか。サクヤはいつこの訃報を聞いたのだろうか。夜に聞いたのなら、ゆっくり眠ることも出来なかったに違いない。
「学校は今日は休みだそうよ。……当然よね、死者が出たんだもの。しばらく警察が調査するらしいから、あんたたちも家で待機してなさい」
言われなくてもそのつもりだった。オレ一人ならともかく、サクヤまで巻き込むのは本意じゃない。サクヤはただでさえ白い顔をさっきよりも青くしている。
「大丈夫……じゃないよな。おまえも霊能力がある以上、スイレンが味わった苦しみを何分の一かは解ってしまうから」
オレでさえも自分が殺されるイメージがスイレンの死を知ってからというものひっきりなしに飛び込んでくる。サクヤの場合は身体を貸すイタコだから、霊媒としての器としては適合しすぎるのだろう。だから顔色も悪いのだ。きっとそうだ。
「とりあえず、二人とも朝ごはん食べちゃって。気持ちは解るけど、いつまでもそのままでいても死者は喜ばないわ」
「母さんの言う通りだ。メシにしよう、サクヤ。……サクヤ?」
「……ワアは悪いけど遠慮する。今くったら吐いてまる」
本気で気分が悪そうだ。霊視の能力はないが、サクヤの周囲を無数の霊が飛び回っているのだという気配だけはいやというほどに感じた。仕方なく、オレだけいつものベーコンなしの目玉焼きを食べた。
「……サクヤ」
サクヤは姉ちゃんの部屋で姉ちゃんのぬいぐるみを抱きしめていた。たしか『ラッキーウサギ』とかいうそのグッズは、サクヤだけじゃなく、姉ちゃんも好きだ。紫色のそのウサギはあまりかわいいとは思えないが、サクヤが抱いていると幾分かはましだ。オレは軽くつまめるものを持ってきたが、これでも食べられなかったらどうしようかと迷っていた。が、その心配は無用だった。
「ひーちゃん、食べ物持ってきてくれたんず? やっぱりひーちゃんはやさしっきゃ!」
さっきまでの悲しみムードはどこへやら。サクヤは嬉しそうにクラッカーを頬張った。片手でつまめるスナックがあって良かった。
「…………」
「…………」
しばらくお互いそのまま黙っていたが、沈黙に耐えきれなくなったらしいサクヤが口を開いた。
「……ねぇ、ひーちゃん」
「協力しないからな」
「まだなにも言ってない」
「お前の言うことは解る」
サクヤのことだ、また身体を張って、スイレンを成仏させるつもりだろう。それに加えて、今回は第二の被害者を出さないためだという大義もある。しかしそれでもオレは反対するのだ。理由は簡単。サクヤの身体が心配だから。……なんて心配しても、サクヤには全然通用しなくて。
「ひーちゃんが協力してくれないって、緋美湖お姉ちゃんに言ってやるんだから!」
「サクヤ……流石にそれはずるいぞ?」
姉ちゃんにチクられるとなれば、協力しないわけにはいかないじゃないか。こっちはサクヤのことを思って言っているというのに。本人はそんなこと意に介さない。昔から、こういうところは嫌いだった。木に登って降りられない猫がいると、後先考えずに上って、猫と一緒に降りられなくなるのだ。
「ひーちゃんには迷惑かけないから!」
「オレがいないと霊の居場所も解らないくせに?」
「……ひーちゃんのほんずなしっ!」
オレのことなら何とでも言えばいい。オレは最近になってやっと気づいたんだ。この歳になってもあまり女子に興味が持てなかった理由が。それはきっと――。
「今回だけだからな? 今回霊を下ろしたら、もう霊媒はなしだからな?」
「うんっ!」
こういう時のサクヤは、本当に嬉しそうな顔をする。そんな顔されたら、反対なんかできなくなるじゃないか。たとえサクヤの身が危うくなろうとも。
「じゃあ――」
ヘッドホンを外す。途端に聞こえてくるのは無数の霊の声。その中に混ざって、新鮮というか、鮮やかに聞こえる声がある。これは間違いなくスイレンの声だ。
「聞こえたぞ! 今、呼ぶ」
「はいっ!」
サクヤが受け入れるポーズをとる。彼女が手を高く掲げると、そこを入り口として、霊が入ってくるのだ。サクヤの身体を借りたスイレンは、しばらく眼をしばたいていたが、それが自分の身体ではないと早々に悟ったようで、なぜこんな所にいるのかという疑問符を浮かべた。まぁ、それが普通の反応だよな。
「……八木? 八木じゃないの? なんでこんなところに?」
「こんな所で悪かったな。ここはオレの家、オレが住んでるとこだよ。今の外見を見てみ?」
全身鏡を持ってくると、サクヤの姿をしたスイレンの表情の少女が映った。サクヤの身体のスイレンは、自分の頬をつねろうとして、やめた。どうやら自体は飲みこめたらしい。サクヤがイタコであることはスイレンも知ってたはずだ。まさか自分が口寄せされるとは思ってもみなかったに違いないが。サクヤの身体に入ったスイレンはため息をついた。両手で頬を覆った。
「そっか、あたし、もう死んだんだね? そうなんでしょ?」
「…………」
オレにはこういう時にどう慰めていいのか、言葉を持たなかった。だから沈黙で肯定する。我ながらずるいことだと思うけれど、残酷な殺され方をした本人に追い打ちはかけたくなかった。純粋にそう思うんじゃなくて、祟りも怖いという、オレ自身の保身も入る。だからずるいんだ、オレは。
「あーあ、青春真っ盛りで、まさか殺されるとは思わないわよね。しかもあんなグロイ殺し方するなんて、狂ってるわ」
「そんなに?」
「詳しく聞きたい? あたしがどうやって殺されたのかを?」
「いや、いいです」
スプラッタ映画は辛うじて平気だが、あれは人工的に作られていると解っているから安心して見れるのだ。まさか現実の事件をその被害者の口から聞くだなんてごめんだった。ほら、やっぱりオレは保身に走る。
「で? なにか思い残しがあるんだろ? だから成仏できずにさまよってる。……違うか?」
するとスイレンが入ったサクヤがにやりと意味深に笑う。サクヤの白髪を弄りながら、スイレンはくちびるをつき出した。
「その通り。ずっと片思いしてたあんたに想いを伝えようとしたのに、あんたったら全然気づかないんだもん。鈍いにも程があるよ。少しは女心を知るという努力をしなさい!」
「オレに……?」
まさかスイレンにまで好かれていたとは。サクヤは言動がストレートだから、その想いは簡単に解る。けど、まさか、あの竹を割ったようなスイレンがオレのことを好きだなんて、そんなの夢で見るくらいしか思い浮かばない可能性じゃないか。スイレンはそのままオレにのしかかってきて、押し倒してきた。
「ちょ、ちょっと待て! よりにもよって、なんでオレなんだよ? 他にもイイ男ってたくさんいるだろ? オレみたいな冴えない奴よりも、もっといい奴いっぱいいるだろ?」
「……八木、大事なことを忘れてるわ。あたしはもう死んでるの。今更どうやって他のイイ男なんか探すのよ? あんたのそういうところは嫌いじゃなかったんだけど。でもやっぱり、幼馴染には敵わないか」
スイレンはオレの頬にそっとくちびるを寄せた。だがこの身体はサクヤのものであって、スイレンのものではない。気分的にはサクヤにキスされた気分だ。そのサクヤの身体が光っている。
「うん。あたしの心残りはもうないわ。あんたに告白する、それがあたしがやり残したことだったの。……あんたも、大事なことはちゃんと伝えておかないと、いつどうなるか解らないんだからね?」
「それは警告か?」
「あたしが経験したことからくる経験談よ。あーあ、生きたまま切り刻まれるのは痛いやら怖いやらで、大変だったんだ。それでも自我を保って、悪霊にならずに済んだのは、あんたのおかげよ。ありがとう」
スイレンはそれだけ言って、サクヤの身体から出て行った。
残されたオレは、サクヤを抱き起し、スイレンの言った言葉を反芻していた。
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2017年 2月20日 莊野りず
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