忘れモノ探し
〜???の章〜
『帰らなきゃ、叱られるよ?』
女の子の声、それもまだ小学生くらいの、幼い子の声。……オレはこの声に聞き覚えがある。つい最近、聞くようになった声だ。オレの夢にしては珍しいことに、視界がない。つまりは何も見えない。ただ、声が聞こえるだけだ。こんな夢は初めてかもしれない。女の子が立ち上がったような音がした。草を踏んだんだ。
『解ってるよ。でも、どうせ怒られるんだもん。だったら最後まで遊んでいたい』
『ダメよ。そんなことわたしが許さないんだから。わたしだけじゃない、お母さんだってお父さんだって、親戚中のみんなが許さないよ。あんたのは我儘なの! 赤ちゃんみたいに駄々をこねているだけ。身体が大きい分、よっぽどたちが悪いわ』
どうやらもうひとりいたらしい。ふたりの声はよく似ていて、まるで姉妹のようだ。我儘だという責める言葉で、ようやく渋っていた方が立ち上がったようだ。再び聞こえるのは、草を踏む音。それでここが草原か、それに似たどこかだと解る。今日の夢はなにやらいつもと違う気がする。どこがどう、と具体的には説明できないが、強いて言うならばオレの中の何かに反応しているような、そんな感じだ。
『……ほら、あんたがのろまだから、ひーちゃんにも勘づかれたじゃないの。いい? 『あのこと』はひーちゃんの中ではなかったことになってるの。わたしとあんたは不本意だけど一心同体、一蓮托生の身なんだから、自重してもらわないと困るのよ。さて、ひーちゃんにこれ以上は聞かれちゃ駄目。特にこのことはわたしたちだけの秘密なんだから。……いいわね? さくや』
女の子の口から、『サクヤ』という名前が出てきたところで、オレの意識は強制的に覚醒させられたようだった。
「……八木ちゃぁーん? またお昼寝かしらぁ?」
どうしてオレは、授業もまともに受けることができないんだろう。さすがに授業中まで大音量で音楽を聞くわけにもいかず、ヘッドホンを外している。その弊害がこれだ。
「ちゃぁんと話を聞く気はあるのかしら? 授業がそんなにつまらない?」
「そんなわけではありません。ただ、ちょっと体調がすぐれないだけで――」
「ひーちゃんは霊能力をオートで使ってらはんで、体力を消耗しやすいんず。けんど、それはひーちゃんのせいじゃなくて、ワンドの家系の血のせいなんず」
あんな夢を見たせいだろうか。やけにサクヤの声が耳に残る。なんだろう、この感覚。懐かしいような、淋しいような、不思議な気持ちだ。サクヤは席を立つと、オレの方へと寄ってきた。
「ひーちゃん、保健室にいこ。調子が悪いんなら無理はまいね」
まるっきり、夢の中のあの声と同じだった。だったらあれはサクヤとその母親の声か? それにしてはあのもう片方も『お母さん』って呼んでたっけ。あれはいったいどういうことなんだ? サクヤは再会した時から何一つ変わってはいないというのに。変わったのはむしろオレの方で、それなりにサクヤのイタコとしての仕事に協力するようになった。けどさ、サクヤ、おまえは本当にイタコなんかやってていいのか? サクヤの使う降霊術は、素人のオレから見ても不完全だ。本人は『一人前のイタコ』だと主張してるけど、オレかて霊能力の家系の者だ、本物くらいは見たことはある。サクヤの術は大事な部分を省略しすぎて、肉体にダメージが大きい。……本人はそれを認めたがらないけれど。
「すみません、保健室に行ってもいいですか? 八乙女さんも一緒に」
「いいけど……アンズちゃんに迷惑かけちゃダメよ? 落とすのが大変なんだから」
いったいなんの話をしてるんだ。この学校の先生の方が保健室を何だと思っているのかと、オレは問いたい。しかしサクヤには何のことなのか見当もつかないらしい。ひたすらクエッションマークを浮かべるサクヤに、スイレンが耳打ちをする。やめろ、余計なことを吹き込むな。
「…………」
サクヤは眼を見開いて大げさに驚いた後、オレの方をじっと見た。だからやめろ、そんな眼で見るな。
「ひーちゃん不潔」
「なんの話だよ!」
まったく、こっちは本気で調子が悪いというのに。ヘッドホンを装着して、ロックを大音量にする。漏れる音が周囲にとってはさぞかし迷惑なことだろう。早く保健室に連れてってくれ。そんなことを念じている時、ヒトヒトちゃんが「忘れないように」と神妙な顔をした。……またくだらないことでからかう気じゃないだろうな。
「最近ね、この辺りでこの学校の生徒を狙った通り魔が出現したらしいのよ。出所したばかりの連続殺人鬼とかって。弁護士にお金を積んで、罪を軽くしてもらったそうよ。まったく、たちが悪いわよね。だから、ひーちゃんも気をつけるのよ?」
「……先生までひーちゃんはやめてください」
そんな危ない奴がうろついてることをこのタイミングで話すとか、この先生もどっかずれてる。普通は全校集会とかで呼び掛けないか? ……うちの学校全体が『普通』じゃないからか?
「じゃ、ひーちゃん。保健室にいこっか。ワアがついてってあげるはんでな」
サクヤに頼るのは癪だが、テストも近い。スイレンだって大学の推薦を狙ってるんだし、今は大事な時期だ。迷惑はかけられない。その点、サクヤなら将来もイタコという専門職だから心配はないだろう。それに、オレの身体はもうふらふらだ。夢を見るたびに体力を消耗するこの体質はどうにかならないのか。ならないんだろうなぁ。
「あら、また来たの? 今月に入って一体何回目? 覚えているだけでも二回も来てる気がするんだけど? それに野郎の汚い手で女の子の肩に触るなんて汚らわしいわ。今すぐ私の前から消えなさい。もしくは消滅しなさい、この世に一片の欠片も残さずに! さぁ、早く!」
「その言い方は、あんまりにもあんまりじゃないでしょうか……?」
相変わらずアンズちゃん先生は男に対しては風当たりがきつい。ヒトヒトちゃんのことはどうなんだろうかと思ったが、男の話題を出しただけで嫌そうな顔をするこの人には、それは言わない方が身のためだと思った。サクヤがなんとかベッドを貸してくれるよう交渉してくれることを祈ろう。
「ひーちゃんは、そういう体質なんず。ワンドの家系は特殊な力があって、ひーちゃんは自分でそれをコントロールできないんず。だはんで、オンオフも自由にできなくて、夜もろくに眠れなくて、ずっと大音量で音楽を流して誤魔化すしかないんず。先生、ベッドを貸してやってください」
するとアンズちゃん先生はサクヤの顔をまじまじと見つめた。
「その顔は本当みたいね。毎度サボられちゃ保険医失格だし、ちゃんと見極めなきゃって思って厳しくしてたんだけど。でも、こんなにカワイイ子が嘘を言うはずがないわよね。荒唐無稽な話の方が逆に真実味があるわ」
意外や意外、アンズちゃんはサクヤの説明をあっさり信じた。これまでのオレの苦労はいったい何だったんだ? いつもスイレンが交渉役としてついてこなければ、応急手当も受けられなかったというのに。やはり問題教師というのはこういう人のことを言うのだろう。ああ、考えごとしたら更に調子が悪くなってきた。霊たちの声だけで酔いそうで、吐きそうだ。気持ちが悪い。
「吐くんならいいものがあるわよ。ほら、尿瓶」
なんつーもんを勧めてくるんだ、あんたは! そう叫びたかった、叶うことならば。だがオレの体力気力ともに限界で、その場にしゃがみ込んで口を押さえることしかできない。吐いたところで出てくるのは、きっと霊たちのこの世の未練なのだろう。サクヤと一緒に暮らすようになってから、オレは元からあった霊能力の高まりを感じていた。霊の声を聞く能力に加えて、イタコであるサクヤの能力、オートの口寄せとでもいうべきことができるようになっていた。これはオレが勝手にそう呼んでいるだけであって、実際にそんな名前の能力が存在するかなど知らない。霊の声を聞くという能力の他に、そのままその霊に身体を貸すことができるというか、そんな感じだ。
「アンズちゃん先生、さすがに尿瓶はちょっと……。せめて吸い飲みで」
サクヤ、おまえは素で言ってるのか? 吸い飲みは逆だろ。しかしアンズちゃんは動じない。
「ごめんねぇ、吸い飲みは用意してないのよ。女の子限定で口移しのサービスしてあげるから」
それのどこがサービス? むしろ罰ゲームだろ! つーか、アンズちゃんは本気でそうじゃないのか? どう考えてもそれは本物の言い分だぞ?
「じゃあひーちゃん、吐き気がするんならワアが吸い込んでけるよ」
「…………」
サクヤと一緒に保健室に来たのが間違いだった。無理でもスイレンに一緒に来てもらうんだった。さっきからこのふたりが話してるのはコントのネタ合わせにしか聞こえない。それも、本人たちは本気だから更に手に負えない。妙に息ピッタリだし。
「じゃあ、オレは休ませてもらいます。ホントに調子が悪いんで――」
無理にでも逃げなければ、オレの身がもたない。ヘッドホンから大音量の音楽が聞こえてくるというのに、オレは睡眠を欲していたらしく、すぐに眠気が襲ってきた。これなら眠れるだろう。そう安心していると、サクヤがオレの顔を覗き込んだ。
「ゆっくり眠ってていいからね」
……一瞬、サクヤの青い瞳が赤く光って見えたのは、きっと気のせいだろう。
『ひーちゃんはね、勘づいてるよ。あんたのせいなんだから』
『ごめんね。ワア、そんな気はなかったんず』
『嘘でしょ? あれだけそばにいれば、ひーちゃんの力が目覚めるのも時間の問題だって解ってたはず。あんたは自分が生きていたいからって、わたしを犠牲にする気なんだ! 返してよ! わたしの器を返してよ! そうすればひーちゃんは――』
『それだけは、いや!』
『ふぅん? わたしの器を奪っただけじゃ物足りないってこと? そんなに未練があるの? だったらなんであの時、言わなかったのよ? そうすれば今でもあんたとわたしは別々でいられたのに!』
女の子の声。それは段々激しさを増し、口論になってゆく。いったい何のことなのか。オレには見当がつかなかった。
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2017年 2月18日 莊野りず
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