忘れモノ探し
〜一二三の章〜
オレはまた夢を見る。ガキの頃の、津軽にいた頃の夢を。津軽平野は本当になんにもない、まっ平らな場所だったが、夏から秋にかけては米が実る。それが揺れる音は心地よくオレの耳に響く。まるで楽器がゆったりとした音楽を奏でるかのように。その時は霊の声なんか聞こえない。聞こえたとしても、霊たちも一緒にこの音を訊いて楽しんでいるようだった。笑い声が耳に心地よく響く。
『ひーちゃん』
サクヤが親戚の集まりから抜け出してきたらしい。オレは分家だし、どうでもいいくらいしか霊力がないから、宗家の連中からはお呼びではないからいいものの、サクヤは大丈夫なのだろうか? サクヤもたぶん分家だろうが、昔からサクヤはなにか、ハッキリとは言えない何か、凄い能力があるような気がした。それは霊たちがオレにささやいたからだったのか?
『なに? サクヤちゃんはみんなのところにいないと怒られるよ?』
『ひーちゃんだって、ここにいるじゃない』
その一言はオレをむっとさせた。
『……オレはいいんだよ。才能ないんだし。ただ霊の声が聞こえるだけなんて、そんな能力なんかほしくなかったよ。こんな中途半端な能力なんか、いらないよ』
サクヤは途端に悲しそうな顔をした。
『そんなこと言っちゃダメだよ。ひーちゃんのその能力は、きっと困ってる人を助けるために、神様が授けてくれたものなんだから。わたしなんか、全然だよ』 そう言って俯いたサクヤは、ひどく傷ついた顔をしていた、気がする。本当にこんなことがあったっけ?
オレに語り掛けてくる霊たちが、余計な記憶を捏造しているのかもしれない。だとしたら、せっかくの幼い日の思い出を穢されたみたいで面白くない。サクヤとの思い出は、オレにとっては大事な宝物。何物にも代えがたいもの。それをどんな理由があったとしても歪めるなんて許せない。
『ひーちゃん……』
黒髪のサクヤの姿が、幼いまま、婆さんのような今の紫がかった白髪頭に変わっていく。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
「ひーちゃん? どしたんず?」
「はぁ、はぁ、はぁ……サクヤ?」
オレは寝汗をびっしょりとかいていた。どうやらうなされていたらしく、夢の中で出た悲鳴は現実でも出ていたらしい。姉ちゃんは数日間泊りがけの仕事が入っているから、今はサクヤが一人で姉ちゃんの部屋を使っている。だからだろう、サクヤにはオレの悲鳴が聞こえたんだ。サクヤは心配そうにオレを見ている。心配させたくないので、平気なふりをする。ヘッドホンは外して寝るのが習慣だが、今日はもう一度つけて寝なおそう。なにしろ夜中の二時だ。
「ひーちゃん、本当に大丈夫? 無茶してねぇが?」
「オレは大丈夫だ。無茶してる時は無茶してるって正直に言うって。だから、おまえは姉ちゃんの部屋に戻って寝ろよ。オレももう一度寝るからさ」
「だばって……」
なおも、サクヤは心配そうにオレを見る。
「風水的にも、この部屋は方角が悪いと思うんず。ワアが使ってる部屋で一緒に寝ぇ?」
ちなみにオレの部屋は姉ちゃんの隣の二階の東部屋だ。姉ちゃんの部屋は西窓で、南側にも窓がある。だから夏は暑いが冬は暖かい。姉ちゃんは巫女という職業上。お札も使ったりする。それはオレたち八木家のすべての部屋の鬼門である北側に張ってあるが、今日に限ってオレの部屋のお札は剥がれていた。
「事故だよ。だから大丈夫、そんなに心配すんなよ。ガキじゃあないんだから」
「でもひーちゃんは霊の声が聞こえるだけで、何の対抗手段も持ってないんだよ? それで本気で『大丈夫』っていえる?」
サクヤのくせに痛いところを突いてくる。たしかにサクヤの言う通り、オレは霊の声がオートで聞こえるだけ、いわばレーダーの役割しか出来ない。力のある能力者と組めばそれなりに活躍できるんだろうが、オレにその気はまったくない。霊の声が聞こえるってだけでももう日常生活に支障をきたすというのに。なぜわざわざ自分からトラブルの元に首を突っ込まねばならないのか? ……だから、オレはこのままでいい。
「だばって、ひーちゃんが夜中に起きる時って、必ずなにかの霊が成仏できずに困ってら時だはんでなぁ……」
「……そんなことまで覚えてたのかよ」
昔からオレが夜中に目覚める時は、必ず不吉なことが起こった。これも一種の霊能力の働きなのかもしれないが、いちいち大騒ぎされてはオレの生活が壊れてしまう。そういえば、昔から八乙女宗家の連中は日頃はオレの存在を無視するくせに、こういう時だけは敏感にオレを頼ったっけ。
サクヤがオレの手を突然握りしめてきた。いわゆる『恋人繋ぎ』と呼ばれるつなぎ方、いや、握り方だ。
「ひーちゃん、一緒に怪奇現象を解決しようよ。そうすればひーちゃんだって八乙女家に必要とされるよ! ううん、ワアが推薦する! そうすれば、ひーちゃんの能力を誰にもバカにされないで済む! 万々歳!」
「バカ言うなよ! オレは平凡に、平和に、普通の学生生活を送りたいだけだ! 誰もこんな能力、欲しいなんて言ってない! 勝手なことばっかり言ってんじゃねえよ! なにも知らない、お気楽サクヤのくせに!」
オレの声は、大音量になっていた。そのせいで一階で寝ているはずの母さんと父さんも起きてきて、オレの部屋に乱暴に入ってきた。
サクヤは……今にも泣きそうな顔をしていた。実際には泣いていたのかもしれないが、津軽の連中らしく負けず嫌いで、涙を見せまいと耐えている。それは間違いなくオレが傷つけたせいだ。心が、良心が痛んだ。
「一体なにごと!?」
「一二三、なにを騒いでいるんだ?」
母さんと父さんはほぼ同時にオレの部屋に突入してきた。そして目ざとく泣いているサクヤを見つけると、オレに向かって鬼のような表情を見せた。父さんはともかく、母さんは鬼そのものだった。
「ひふみ! あんたって子はぁ! あたしゃ、女の子を泣かせる男にあんたを育てたつもりはないよ!」
「そうだぞ一二三。こんなにカワイイ、か弱い女の子を泣かせるなんて、おまえは本当にダメな奴だ!」
二人そろうとすごい剣幕だ。オレはガキの頃に怒られた時と同じ気分で、穴がなくても自力で掘って逃げたい気分になった。しかし、それを許してくれるような甘い親ではないのだ、オレの両親は。霊能力がない代わりに、父さんは優秀な商社マン、母さんはプロ顔負けのカリスマ級主婦だ。それでも父さんは、母さんに頭が上がらないわけだが。
「……すんません」
「あたしらじゃなくて、サクヤちゃんに謝りなさい。それが筋ってものでしょ? そんなことも解らないのかい? まったく。……本当にごめんねぇ、サクヤちゃん。女心のわからない鈍い上に乱暴な息子で」
「それは別に気にしてないんず。ただ、ひーちゃんが未だに『あのこと』を引きずってるようなのが気になっただけで――」
サクヤが口にした『あのこと』というのには、オレはまったく心当たりがない。だが、母さんにはあるらしく、それまでサクヤに向けていた柔らかい表情が嘘のように、こわばった。いったい、『あのこと』とは何なんだ? サクヤの口ぶりから察するに、オレが直接関係しているっぽいんだが……。
「サクヤちゃん、気の毒だけど、ひふみは『あのこと』の記憶がないの。緋美湖に封印してもらったから」
「ひみこお姉さんに……?」
『ひみこ』、もとい、『緋美湖』というのはオレの姉ちゃんの名前だ。姉ちゃん、オレ本人が知らない間に、なにやってんだよ。サクヤと母さんの口ぶりだととても重要賞なことじゃないか。それを当人らしいオレにだけ秘密というのはさすがにひどくないか? たぶん、オレの霊能力に関することだろうけど、どうせ。
「……そうですか。そうですよね。ひーちゃんにとっては辛いだけだはんでね。……うん、しょうがない……」
サクヤは見るからに意気消沈した。まるでこれまでの明るくて元気なサクヤが嘘のように。今のサクヤは、髪の毛の見た目通りに何十歳も老けて見えた。青い瞳から今にも涙が零れそうだ。
「うん、しょうがないもんね……」
そこまで言われると、オレがとんでもない人でなしな気がしてくる。オレがおまえに何かしたか、サクヤ?
「サクヤちゃんにとってはとてもショックだとは思ったのよ、あたしも。……でもね、ひふみにとってはこうするのが一番だと思ったの。サクヤちゃんならわかってくれるでしょ?」
「……わがりたぐね。けんど、わかるっていわねばまねんだろ?」
サクヤの津軽訛がひどくなった。いつも訛っているけれど、あれでもサクヤなりに通じるように頑張っているのだと初めて気づいた。
その夜は、サクヤがどうしてもというから、オレと同じ部屋に布団を敷いて、サクヤはそこで寝た。それでもオレもサクヤもろくに眠れなかった。
朝になって起きる時間になったころ、やっと眠気が来た。が、もう起床時間だ。早く起きなければ学校に遅刻する。オレは布団でぐっすり眠っているサクヤの身体を揺さぶって起こすが、一向に起きない。
「おいサクヤ! 朝だぞ! 起きろ! 遅刻だ! サクヤ! 起きろ!」
そう繰り返しても、サクヤは起きる気配がまったくない。仕方がない、オレはサクヤをそのままにして、先に朝食を食べることにした。メニューはいつもと同じ、ベーコンなしの目玉焼きだ。
「遅かったのね。で、サクヤちゃんは?」
「まだ寝てるよ。……あいつって、あんなによく寝る奴だったっけ?」
「……サクヤちゃんも成長期だからね。よく言うでしょ? 『寝る子は育つ』!」
「それはガキの話だろ……」
オレは軽口を叩く母さんに、同じく軽口を返しながら目玉焼きを切って、口に放り込んだ。みそ汁は白菜。米は玄米だ。身長が小さいことを気にして、最近ではカルシュウムが多い牛乳も無理して飲んでいる。
そこへやっとサクヤが降りてきた。やけに疲れた顔をしているが、それは睡眠不足のせいだろう。
「はよ、サクヤ」
「おはよう、ひーちゃん。……その、昨日? はごめん。ワア、気が動転してて――」
「オレはもう気にしてないからお前ももう気にすんな。それでチャラだ」
するとやっとサクヤはいつものように笑った。そしてオレに抱き付いてきた。
「ひーちゃん、なんぼやさしっきゃ! だはんで好きだよ!」
「やめろよ、母さんもいるんだぞ?」
オレが慌てて窘めても、サクヤは嬉しそうに抱き付いたままだ。母さんはそんなオレとサクヤを眼を細めて見ている。ただし、サクヤを見つめる眼差しがどこか寂しげに見えるのは、オレの眼の錯覚か、それとも見間違いか? 複雑な感情が含まれているとオレは感じ取った。こんなことくらいは能力に頼らなくとも解る。
「仲がいいことはいいことよ。サクヤちゃん、朝は紅茶? それともコーヒー?」
「紅茶がいいです。紅茶なんて久しぶりー! ひーちゃんちってやっぱりハイカラだねぇ」
「だから、ハイカラとか、おまえはいつの時代の奴だよ……」
やっと離れたサクヤは、淹れたての紅茶を上手そうに飲んでいる。うちの紅茶は母さんこだわりの無添加茶葉だから、紅茶党のサクヤはさぞかし喜んでるだろう。……って、あれ? なんでオレはサクヤが紅茶党だって知ってるんだ? 大抵の小学生は紅茶なんて飲まないのに、なぜサクヤが紅茶派だったって知ってるんだ? オレの記憶はないと夜中になにやら言っていたけど、それと何か関係があるのか? だったらどんなことなんだ? オレは一気に自分のこと、自分の記憶が信頼できなくなった。
サクヤと母さんは、相変わらず女同士で親密そうに会話を楽しんでいるようだったが、オレには全てが疑わしく映った。
――オレは、いったい誰で、いったいなんなんだ? その疑問に答えられそうな人は、姉ちゃんくらいしか心当たりがないが、姉ちゃんは仕事でいない。しばらくこのモヤモヤが続くかと思うとやり切れなかった。
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2017年 1月18日 莊野りず
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