忘れモノ探し

〜クラスメイトの章〜

『ひーちゃんの好きな花ってなぁに?』
 またあの夢の中だ。サクヤは小さな胸いっぱいにひまわりを抱いている。オレは特に好きな花なんかなかったけど、サクヤに好かれたい一心で「ひまわり」と答えた。てっきりサクヤも同じくひまわりだと答えると思ったら、答えは意外な花だった。
『わたしが好きな花はね、彼岸花』
 当時のオレは彼岸花というのがどんな花か知らなかったから、適当に相槌を打った。そんなのは、サクヤにはお見通しだったらしく、「本当は知らないんでしょ」と流された。
 どんな花かと尋ねると、サクヤはしばらく考え込んで、説明を諦めた。一言で説明できる花ではなかったらしい。
 後に図鑑で確認すると、やはり説明は難しそうな花だった。ただ、その血のような赤さは鮮明にオレの脳裏に刻まれた。


「はぁぁぁぁ? サクヤがオレの学校に転入!?」
 母さんが呑気にお茶を飲んでいる時、オレはあまりのことに大声を上げた。しかし母さんは動じない。
「そうよ。サクヤちゃんだって勉強が遅れちゃ大変でしょ? それに、あんたの学校なら転入も簡単だし」
 オレはちゃぶ台をばんと叩くが、やはり母さんは動じない。我が家の女は母さんといい姉ちゃんといい、強くて怖い。
「そういうことを言ってるんじゃない! サクヤの外見を見ただろ? まるで婆さんじゃないか!」
「ちょっとひふみ、それを本人に言うんじゃないよ。なんでもイタコのお仕事でああなったそうじゃないの。なら、横で支えるのがあんたの役目でしょ」
 母さんは湯気の上がる湯飲みを持って、もっともらしく言う。たしかにサクヤには同情するが、それは自分で選んだ道だろう。オレたちがどうこう言うことじゃない。
「とにかく、オレは反対だからな!」
「勝手に反対してなさい。サクヤちゃんの学費はあたしが出すんだから、誰にも文句は言わせないよ」
「ぐっ」
 金のことを言われると貧乏学生は辛い。バイト禁止の学校でなければ、オレだって働いて欲しいものを手に入れているというのに。
 そもそもオレが今の学校に入ったのは、姉ちゃんの学費が予想以上にかかったからで、そのしわ寄せがオレに来ただけだ。怨むべきは姉ちゃんだが、彼女は今や我が家で一番の稼ぎ頭だ。オレにもたまに金を施してくれるので、敵に回すのは得策じゃない。
 母さんだって、一家の財布を握っているし、父さんの一日の楽しみである晩酌だって母さんの準備がなければ成り立たない。
 悲しいかな、これが我が家の力関係。父さんに逆らう気はないのかと共同戦線を張ろうと持ち掛けたが、三秒で却下された。
 そんな苦い経験があり、オレと父さんは女たちに絶対服従なのだ。そこにサクヤが加わってみろ。我が家の女たちと同レベル、とまではいかなくとも、影響を受ける可能性は高い。変なところでサクヤは素直だからだ。
 そのサクヤはといえば、オレの部屋でおニューの制服を身体に当てて喜んでいた。女子のセーラー服も男子の者ものと同じ墨色で、スカート丈が長い。スカーフは白くてリボン結び。男子以上に葬式を連想させるデザインだ。
 サクヤはオレに気づくと、嬉しそうに眼を輝かせた。
「ひーちゃん! 見て見て! 似合う?」
 正直かなり似合っていたが、そこはストレートに言うような気分じゃなかった。
「まあまあじゃないのか」
「まあまあでも嬉しい!」
 サクヤはにっこりと笑った。邪気のない笑みはオレの心を溶かした。……わけではない。
「それで? 本気で転校すんのかよ?」
「んだよ。ワア、ひーちゃんと同じ学校に行くのが楽しみだったんだ!」
 サクヤの満面の笑みは、本気で嬉しそうだった。ここで水を差すのも悪い気がした。せっかく久しぶりに会った幼馴染なんだし、ここで優しくしてやるか。
「そうか。そりゃよかったな。なんでオレと同じ学校に通いたかったんだ? 学校ならいくらでもあるだろ?」
「ひーちゃんは相変わらず鈍いね。……ひーちゃんがいるから、学校に行きたいんじゃない」
 まるで告白だ。昔は活発なイメージの強かったサクヤが、髪を伸ばして女らしく笑っているのを見ると、無下にするのはかわいそうな気がしてくる。オレに遺伝しなかった青い瞳も見れば見るほど吸い込まれそうなキレイな色だ。
「……ひーちゃん?」
「え? あぁ、おまえずいぶん変わったと思ってさ」
「誰だって子供のままじゃいられないんだよ?」
 当たり前の事を諭されてしまった。しかし、このサクヤの言い分には、何とも言えない説得力を感じた。まるでサクヤだけが大人になってしまったかのような。そんな感じ。
「そりゃあ、そうだろうけどさ……。なんかおまえの場合は外見がすっかり変わったから、それでかな?」
 我ながら苦し言い訳だ。サクヤがオレの傍に寄ってくる。ベッドのスプリングがギシリと歪む。
「ひーちゃん」
「……なに?」
 サクヤの顔がすぐ傍にあって、オレはドキドキした。好きなクラスメイトとこんなに距離が近かったら、もっとドキドキしたのだろうか。
「照れた?」
「……は?」
「その顔は期待してたでしょ?」
 サクヤはくすくす笑う。それでようやく、オレはからかわれただけだということを悟った。人が心配してるってのに、こいつときたら。
「誰がおまえなんかに――」
「ひーちゃん」
 オレの言葉を遮って、サクヤが顔を近づけた。抱き付いてくるつもりかと、オレも警戒した。
「……好きだよ」
 そう言ったサクヤの表情があまりにも真剣だったので、オレもまた身構えた。が、やはり予想していたような展開ではなく、サクヤはキスを待つかのように眼を閉じた。はっきり言えば戸惑ったけど、これもどうせサクヤなりの冗談だろう。律儀に付き合う必要はない。そう解っていても、無視はできなかった。
 サクヤの頭を軽く引っぺがし、どうにか笑い顔を作るけど、上手くできない。
「バーカ。そういうのは本気で好きな奴のために取っとくもんだよ」
「……本気なのに」
 サクヤは村眼しげな顔をしたけれど、こんな好きか嫌いかもはっきりしていない男相手にキスされても、サクヤの方が後悔するだけだ。これでいいんだ。
「さぁ、そろそろ寝るから、おまえは姉ちゃんの部屋へ行けよ」
「はぁい」
 まだ不満そうだったが、サクヤはしぶしぶ頷いた。


「ひーちゃんちも目玉焼きにベーコンがないんだね」
 朝、サクヤが朝食のおかずにコメントした。我が家はベーコンエッグなんてシャレたものは朝食に出ない。御子を生業としている姉ちゃんの身体が穢れると言っては、肉類を遠ざけてきた。
「ワアのうちでもそだよ、やっぱ親戚だねぇ」
 サクヤは美味そうに目玉焼きを食べる。オレもサクヤも目玉焼きには醤油だ。
「……あれ?」
「え? どうかしたの?」
「おまえ、目玉焼きには醤油派だったじゃないか」
「あぁ……味覚が変わったんず。ソースめぇよ?」
 言いながら、ソースをかけてゆくサクヤ。別れてから何年だか覚えていないけど、サクヤはたしかに醤油派だったはずだ。そんな細かいことが気になるオレの方がおかしいのだろうか。
「ふたりとも、遅刻するよ」
「もうこんな時間か……行くぞサクヤ。転入初日から遅刻とかありえないから」
「はあい」
 それでもサクヤは朝食に未練たらたらだ。まったく、動物じゃあるまいし、食べ物でがっつくなんてはしたない、いやみっともない。
「サクヤ、おまえ食い過ぎだぞ?」
「だばってぇ……おばさんのごはんめっきゃ」
 弁解するように舌を出して見せるサクヤはカワイイ。そう、たしかにカワイイんだけど、なんか作り物のような気がするんだよな。外見はもちろん、中身も昔のサクヤと重ならない。それは単純にオレの思い過ごしなんだろうか。
「ここだよね、『市立薄氷高校」!」
 サクヤが校門のところから手を振っている。やめてくれ、まるでお上りさんじゃないか。周りの生徒がじろじろ見てるし。恥ずかしいじゃないか。
 しかしサクヤはそんなオレのことなどどうでもいいらしく、ずんずん校舎へ向かってゆく。周囲の眼が気にならないらしい。ある意味では羨ましい。オレもそこまで堂々とできたらなあ、なんて。
「ひーちゃん? どしたんず? 来ないの?」
「今、行くところだったんだよ!」
 オレは慌ててサクヤの後を追う。まるでサクヤの弟か金魚のフンになった気分だ。サクヤがあまりにも上機嫌だから、その顔をずっと見て痛い気もするけれど、クラスメイトにそんなオレの間抜けな姿を見られるわけにもいかず、オレは泣く泣くサクヤを追い越して一年三組の教室に入る。
「やっぱし都会の学校はハイカラだっきゃ! ワアずっと楽しみだったんずよ! ひーちゃんに逢えてよかったぁ!」
「こら、そんな大きな声で『ひーちゃん』って呼ぶな! 恥ずかしいだろうが!」
「だって、ひーちゃんはひーちゃんだよ? それ以外の呼び方なんてないじゃない?」
「ひふみさんとでも呼べよ。とにかく家でならまだ許せるけど、学校で『ひーちゃん』って呼ぶなよ? 読んだら絶交だからな!」
「……はーい」
 しぶしぶといった具合にサクヤが頷いた。オレも昔はサクヤのことを『サクヤちゃん』なんて呼んでたけど、今じゃその事実が恥ずかしい。思い出イコール黒歴史だ。そういえば、今日は霊の声が全然聞こえない。穏やかなものだ。ジャズもロックも流す気分じゃなくて、オレはヘッドホンのスイッチを切った。耳にはクラスメイトの談笑するざわざわという雑音しか聞こえない。それがまた心地いい。
「ひーちゃん嬉しそうだね」
「解るか?」
「うん。ひーちゃんは嬉しいことがあると口角が上がるんだよ。気づいてた?」
 それは知らなかった。さすがサクヤは、付き合いが長いだけあって俺自身知らないこともよく知っている。オレの能力のことも八乙女本家であるサクヤならば封じる方法を知っているかもしれない。そうすれば、この煩わしいヘッドホンともおさらばできる。万々歳だ。
「ワアはちょっとしらねはんでなあ……」
 サクヤにオレの霊能力を封じる方法を聞いてみたが、知らないとのこと。サクヤはイタコとしては優秀なのかもしれないが、霊能力すべてといった場合にはあまり頼りにならないのかもしれない。
 そんなことを考えているとチャイムが鳴り、担任教師が入ってきた。一房一郎、通称『ヒトヒトちゃん』だ。ちなみに男だ。だが中身は乙女というか、オカマだ。
「ん〜、ミンナ、お・は・よ・うッ! 今日は転入生が来たから自己紹介してもらおうかしらネ。それじゃあ、八乙女サクヤちゃん、自己紹介をおねがいね!」
 するとサクヤは速やかに立ち上がって黒板に自分の名前を書く。意外と字が下手だ。
「八乙女サクヤです。出身は青森の津軽、言葉は凄くなまってるけど、ワアにとってはこれが自然なので、特に治す気はねっきゃ。よろしく!」
 そう言ってサクヤが頭を下げると、男子生徒から歓声が上がった。実は自己紹介の前から一部の男子たちに粘着質な視線を送られていたのがサクヤだった。その男子たちというのがいわゆる『オタク』だ。彼らはサクヤを見るなり『萌え萌え』とブツブツ言っていて、正直不気味だ。しかしサクヤはそんな奴らにも全然ビビッていない。天然なのかもしれないけれど凄いな。
「はい、八乙女ちゃんどうもね。そういうわけだから、ミンナ、八乙女ちゃんと仲良くしてあげてネ! 先生からは以上です。これでホームルームを終了としまぁす。じゃあ一時限目は体育だから着替えて黒木先生を待っててね」
 はーいという元気のいい返事が教室中でこだました。黒木先生は体育担当の男性教諭。男とはかくあるべし、的な前時代的な先生だ。オレはそんな黒木先生のスポコンもののような調子が苦手だ。しかもオレは身体に自信がないから基本的に見学ばかりだ。不意にサクヤの方を見ると、隣の席の女子と更衣室に向かうところらしい。
「サクヤは体育参加すんのか?」
「もちろんだよ。イタコは身体も鍛えねばまいねはんで。水連ちゃんと一緒に着替えるんだ!」
 言いながらサクヤは隣の霞が関水連――通称『スイレン』に話しかけた。
「あたしはクラス委員だからね。転入生の八乙女ちゃんの面倒はあたしにまかせな! 八木はどうせ見学なんでしょ?」
 スイレンはオレの方を見てにやりと笑った。くそう、オレだってもっと身体が丈夫だったなら、こんな得意気な顔をさせておかないのに。サクヤのことも取られずに済んだのに。……って、取られるってなんだ!
 まるでオレがサクヤのことを好きみたいじゃないか。そんなわけじゃない。そんなわけじゃない。
「まぁ八乙女ちゃんの着替えはあたしがばっちり監督しとくから、安心して見学してなさい。じゃ、行くよ八乙女ちゃん!」
「うん、スイレンちゃん。ワアはどこをどういったらいいかわからねえはんで、助かるっきゃ!」
 サクヤとスイレンは笑顔で談笑し合いながらオレの前から消えた。なんだか心に穴が開いたような気がする。心に、大きな穴が、ぽっかりと。って、俳句かよ。
 こうしてオレは他の男子と共に教室でハーフパンツの体操着に着替えた。


 今日は晴れなので、持久走をするという。みんなよくもまあこの寒い中で走る気になれるなぁ。全面的に感心する。それはオレが運動苦手だからそう思うのかもしれない。ガキの頃こそ津軽にいたオレだが、最近では暖冬という東京の冬に慣れてしまっている。いや、いくら東京といっても寒い日は今日みたいに寒いわけだけど。
「全員いるかあ? ……見学はいつも通り八木だけか? うむ、関心感心」
 黒木先生はオレの方をちらっと見て、嫌味っぽく言った後でわざとらしくそんなことを言った。オレだって好きで見学しているわけじゃない。霊の声が聞こえるせいで、睡眠不足になって、ふらふらの貧血なんだ。その苦しみを知らないからこそそんな簡単に言えるんだよ。オレは黒木先生に向けてそんなことを言おうとして止めた。どうせ無駄だ、この手の先生が相手じゃあな。
「先生ッ!」
 そこでサクヤが勢いよく挙手した。嫌な予感しかしない。
「君は……ええっと、今日から来たという転入生か。名前は?」
「八乙女サクヤっていうっきゃ。そんなことよりも先生、ひーちゃ……八木君に謝ってください」
「なんだと?」
 おいサクヤ、おまえいったい何を言うつもりだ?
 そんなオレの心配をよそに、サクヤは厳しい顔をして黒木先生を睨みつけている。
「八木君は霊能力者です。死んだ霊の声が聞こえるんです。本人が望むと望まざるとに関わらず。だから夜だって満足に眠れない日もあるし、いつも音楽を大音量で聞いてるから鼓膜は敗れる寸前出しで、大変なんです。なのに、教師がそこでとどめを出すのはどうですか? おかしいとは思わないんだすか?」
「生憎と俺は霊という非科学的な存在は信じていないからな。そんなことは関係ない。本人がたるんでいるのが悪い。以上だ」
「……このほんずなし!」
 サクヤがキレた。
「わからずや、おたんちん! あぁもう、なんで学校の先生ってこうもわからずやばっかりなんだろ? ほんずなし!」
 サクヤはひたすら『ほんずなし』と繰り返している。こりゃあ相当キレたもんだな。サクヤもまた学校でいわれなき偏見に晒されてきたらしい。スイレンが慌ててサクヤを宥めている。が、そこで納得するような奴じゃないだろうな、サクヤは。
「教師に向かって何やら暴言を吐いたようだが、この後どうなるのか解ってるのか?」
「わがっでら! けんど、このままじゃひーちゃんが可哀想だはんでな。はっきりいわせてもらうんず!」
「八乙女ちゃん、どうせ黒木はわからずやだから、何を言っても無駄だよ。それに八木君だって自分で言わないのは悪いと思うよ?」
「スイレンまでんなこと言うんず? なしてや? ひーちゃんが霊能力者なのは、ひーちゃんのせいじゃない! ついでに言えば、ワアだって好きでイタコなんかしてるわけじゃない!」
 とうとうサクヤは泣き出してしまった。それにしてもイタコだと言った時にはあれだけ得意げな顔をしていたくせに、『好きでイタコをやっているわけじゃない』とはどういう意味か? てっきりサクヤが自ら望んでイタコになったんだと思ったんだが。その辺りにも何か事情が隠れていそうだ。
 そして結局、体育の授業は大変な持久走となり、サクヤは真っ青な顔になりながらも完走したのだった。


「八乙女さんって、大人しそうに見えてあんがい気が強いのね」
 体育の授業を終えて、着替えを済ませて、教室に戻ってきたスイレンはそう言った。すっかりオレとの中もバレバレだ。オタク男子にはさぞかし妬ましい眼で見られるんだろうなあ、あーあ。
「んなことねがって。大好きなひーちゃんのことを貶されて平常心でいられながったってだけで……」
「そんなに八木君が好きなんだ?」
「うん、ワアひーちゃんだいすき!」
 あまりにも当たり前のようにサクヤが言うので、オレは照れ臭く、恥ずかしくなった。今すぐ穴を自分から掘って埋まりたい気分だ。しかし、スイレンがニヤニヤしながらこっちをみているので、それは叶わない。
「ふーん、ごちそう様だわ。あたしもいい男が幼馴染だったらなぁ……、八乙女さんみたいにひたすら一途に尽くすのに」
 スイレンらしくもない、乙女チックな言い分だ。ヒトヒトちゃんといい、スイレンといい、そしてサクヤといい、今日は乙女チック祭りなにかか? 乙女分が多すぎて胸焼けしそうだ。この後の授業は現国に数学、化学といった授業を終えて、オレとサクヤは連れだって家に帰ったのだった。

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2017年 1月10日 莊野りず
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