忘れモノ探し

〜少年少女の章〜

 また、夢を見た。あの別れの時の夢。あの時、なぜサクヤは泣いていたのだろうか?
『ひーちゃん、わたしね、わたしね』
 なにかを言い出そうとして、口止めでもされているのか、言えないらしい。ここまで見たのは初めてだ。
 思い出の中にはあったはずのシーンが、どうしても思い出せない。オレの中の何かが、この夢に反応している。
『なに?』
 ここでサクヤは泣き出した。泣く要素など、オレには思い当たらない。それとも、ただ忘れているだけで、なにか大事なことがなかったのか?
『……へばな』
 サクヤが手を振った。津軽弁で『へばな』といえば、別れの挨拶、もしくは再会が解っている時の『バイバイ』。
『へばな』
 オレも手を振っているらしい。でもその手は、オレが思っているよりもかすかに小さかった。


「おはよう、ひーちゃん」
「…………」
 身体に重さを感じたが、まさか現実にそんなことはない。
 だがしかし、オレのその考えは甘かったらしい。
「おい」
「なに?」
「オレの上で何してる?」
 そう、これはどうやら現実らしい。
 サクヤがオレの上に乗っていた。布団の上から。パジャマ姿で。
「起こしてる」
「…………」
 サクヤは、オレの美しい初恋の思い出を自らぶち壊したいらしい。
 ガキの頃でもこんなことはなかった、断じて。
 他の親戚が子供だからと男女そろって風呂に入っている時も、オレらはちゃんと別々だった。
 同じ布団で一緒に寝る、なんて展開もあったのに、サクヤは子供ながらに照れて嫌がった。その時のオレは落胆したのに、今やられても全然うれしくない。この違いはいったいなぜ。
「年頃の女がなんてことしてるんだ。オレが危ない男じゃなかったら、今頃は餌食になってるぞ?」
「……まいねがった?」
「あぁ、まいね」
 不純男女交際、ダメ、絶対。お父さんは許しません。って、誰がお父さんだ。
 セルフで自己ツッコミしてると、やっとサクヤはオレの上から降りた。
「あーあ、ぬくかったのに」
「何度でも訊くが、おまえは本当にあのサクヤか? オレの思い出とひどく食い違うんだが」
「ワアはサクヤ。おかっちゃも言ってたんでしょ?」
「一人称も思い出と大違いだ……」
 オレは初恋というものを美化しすぎているらしい。引っ越しで別れるというよくあるシュチュエーションを、ときめきと勘違いしているのだろうか。
「ところで、学校は? ひーちゃんのおかっちゃが学校だからって起こせって頼まれたはんで、こうしてらんだ――」
「しまった!」
 今日は平日じゃないか。昨日はサクヤが来たばっかりで、どたばたしすぎて忘れてた。母さんがサクヤの歓迎会なんかするもんだから、うっかり夜更かしした。
 オレは飛び起きて(サクヤが暖房を入れてくれていたおかげで温かい)、慌てて制服に着替える。制服は、いわゆる学ランだけど、ボタンじゃない。ジッパーで前を開け閉めするという、変わったデザインだ。色は男女ともに墨色で、まるで毎日が葬式のようだと悪評高い。
 サクヤはそんなオレの様子をじっと見ている。というか、着替えを見るな。
「ひーちゃんは小柄でめごいね」
 ぐさり。オレの昔からのコンプレックスを、この女ぁ……。かわいいと言われて喜ぶ男が少数派だということを知ってるのか。
「あんがとな」
 せめてもの皮肉を返すと、サクヤはにこにこ笑っている。なにがそんなにうれしいんだか。
「ひーちゃんの制服ってハイカラだねぇ」
「おまえの言葉のチョイスはいつの時代の言葉だよ」
「ワアもひーちゃんの学校に行ってみたいなぁ」
 その言葉で思い出した。
「そうだ、サクヤ、おまえ学校は?」
「……ん〜わんつか事情があるはんでなぁ。ワアは行きたいんだばって……」
「なんだよ、事情って?」
「仕事」
「仕事ぉ?」
 どう考えてもオレと同じ高校生だろ。なのに仕事とか、おまえはいったいどうしたんだ。オレと別れた後で何があったんだよ。それでなぜ眼を逸らすんだ。
「ワアな、今はイタコとして働いてらんだよ」
「はぁぁぁぁぁ?」
 イタコって、津軽じゃねぇだろ! 本場恐山はむつの方だろうが!」
「おかっちゃが死んだ後で、おとっちゃのつてでむつの方に行ってな。そこで修業したんず。今では立派なイタコだはんでな!」
 オレと別れた後でそんな劇的な人生の変化があったとは。でもサクヤは霊能力はなかったはず。それを訊いてみると、
「おかっちゃがワアの力を封じてたらしいんよ」
 よく解らないが、サクヤの母親はなんらかの理由があって娘の霊能力を封印していたらしい。時間がないから、詳しい事情は訊いていられない。
「まぁ、仮にも八乙女宗家の娘のひとりだったはんでなぁ……」
 サクヤがしみじみと言った。ってちょっと待て。八乙女宗家だと。
「……まさか、サクヤのフルネームって――」
「八乙女サクヤ」
 なにィ。サクヤがあの八乙女宗家の血筋だと。初耳だ。というか、そういう大事なことはちゃんと言っておけよ。オレと同じ分家かとずっと思ってた。
「分家の子じゃなかったんだな」
「んだよ〜」
「なんでそう言わなかったんだ?」
「…………」
「サクヤ?」
 サクヤは寂しそうな顔をした。理由は不明だが、ちょっとだけオレの胸も痛んだ。
「だばって、避けられると思ったんず。宗家と分家は関わっちゃいけないって言われてたはんで」
「でも、オレとはよく一緒に遊んだじゃないか」
「……うん、んだな」
 サクヤは遠い顔をしたけれど、母さんが余計なこと(朝ごはん早く食べなさい!)を言ったので、オレは仕方がなくサクヤをおいてリビングに向かった。


 ひーちゃんは、やっぱりひーちゃんだった。
 わたしは安心した。やっぱりチャンスは活かすものだ。決して自分から手放すようなものじゃない。
 彼に言った通り、わたしはお母さんが死んで以来、イタコとしての修業に打ち込んできた。……ひーちゃんに言ったのは、やや誇張が混ざっているけど、それはご愛嬌ということで見逃してもらおう。
 イタコはイタコでも、まだ『立派な』という形容詞がつくほどじゃない。せいぜい、『一応一人前』レベルだ。でも、必要最低限の能力は備わっているはず。なぜなら、わたしはかなりの逸材だと師匠にお墨付きをもらったから。
 毎年六月の金木町への出張にはメンバーに入れてもらえる。だから、一応は一人前扱い。
 お父さんには反対されたけど、わたしはずっとひーちゃんに逢いたかった。なぜ親の勝手で好きな相手と引き離されなければならないのだろう。幼い頃から、ひーちゃんがわたしのことを嫌っていないことは知っていた。むしろ、恋愛感情としての『好き』という想いを抱かれていると確信していた。それなのに、運命というものは非情だ。
 ひーちゃんは覚えているだろうか。わたしとの別れの時のことを。たぶん、曖昧にしか覚えていないんだろうなぁ。ちゃんと覚えていてくれたら、あんな冷たい対応はしないはずだ。  彼と別れたのは、小学三年生の頃。だから覚えていないのはある意味では仕方がないのかもしれない。……などと、わたしが納得するとでも思ったか。あんなに急にお別れが決まったというのに、ひーちゃんは泣きもしないし、引きとめもしなかった。普通、好きな子とのお別れというのは一大事のはず。そんなにわたしのことなどどうでもいいのか。
 傷心のまま、わたしはお父さんの都合で故郷である津軽から引っ越し、恐山で修業を始めた。きっと普通はもっと幼い頃から修行するのだろうが、わたしは遅かった。だけど『遅咲きの天才』ともいうし、わたしはどんなに厳しい修行だろうが弱音は吐かなかった。いつか、ひーちゃんと再会した時に役に立てるように、足手まといにならないように、必死で頑張った。その甲斐あって、今では身体に霊を下ろすことができる。やはりわたしは天才といっても差し支えがないに違いない。
 ひーちゃんは物心ついた頃から、自分の霊能力に悩まされていた。死者の声が聞こえるというのは、幼い子供にとっては恐怖でしかないに違いない。それがコントロールできないのならばなおさらのこと。だけど、お母さんの不思議な能力によって力を封じられていたわたしに出来ることは特になかった。せめて、声が聞こえづらくなるように、ヘッドホンをプレゼントするのが精いっぱいだった。今でも使ってくれているのは嬉しかった。わたしのことを忘れていないという証だと思えたから。
 でも、わたしの姿かたちはすっかり変わってしまった。イタコとして霊を下ろすには、膨大なパワーが必要となる。そのパワーの源となるのが、生命力だ。わたしは若さを失いたくなかったから、霊によって吸収されるパワーを髪だけに絞った。その結果として、わたしの髪は紫がかった白髪になってしまったのだった。姫カットにしているのはせめてもの抵抗であり、髪を伸ばしているのは少しでも多くの生命力をため込むため。おかげで街を歩いただけでほとんどの人物がわたしを振り返る。いい迷惑だ、まったく。
 おかげでひーちゃんには誰なのか解ってもらうのが大変だった。『ひーちゃん』と呼ばなければ、きっとずっと解ってくれなかっただろう。
 そんな努力(?)の甲斐もあり、八木のおばさんには宿泊許可をもらった。しばらく一緒に暮らしてもかまわないとのことだ。なんという好都合。やっぱり、チャンスというものは活かすものであり、自分から作り出すものだ。手始めにわたしがひーちゃんのことを忘れていないということを表現するために、手厚く起こしてあげた。それなのにひーちゃんったら年頃の男子になっちゃって。からかうのは楽しいからいいけれども、このままでは進展はない。
 なにかいい手はないだろうか?
「サクヤちゃん?」
 ひーちゃんのお母さんがわたしに話しかけてきた。わたしがしていたことはといえば、リビングのふかふかのソファでクッションを抱いて考えごとをしていただけ。これでは居候として肩身が狭い。
「なんですか?」
「その……サクヤちゃんも高校生なのよね?」
「はい。休学中です」
 この展開は、まさか。
「じゃあひふみと同じ高校に通ったら? あそこはそんなに転入試験も難しくないっていうし」
 棚からぼたもちとはまさにこのことだろう。わたしは一旦遠慮する。
「でも……学費とか――」
「なにを水くさいことを言ってるのよ? 親戚でしょ? 頼るべき時は頼ってもいいの!」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとうございます!」
 やはり、チャンスは活かすもの。自分で作るものだ。ただ待っているだけでは、幸運の女神さまも微笑んではくれないのだ。
「それにしてもサクヤちゃん、標準語もそれなりに喋れるのね。昔はガンガン津軽弁使ってたのに。おばさん、たまにサクヤちゃんが何を言ってるのか解らなかったのよ?」
 おばさんはくすくす笑う。わたしだって、ただイタコの修行だけをしていたわけじゃない。本やカセットで標準語での意味を勉強していたのだ。ただし、イントネーション、アクセントはどうにもならないけど。すべてはひーちゃんに再会した時のためだ。
「じゃあさっそく女子制服も用意しないとね。サクヤちゃんはサイズいくつ? 女子はセーラー服なのよ」
 野暮ったいでしょ、なんておばさんは笑うけど、ひーちゃんが学ランならぴったりだ。学ランとセーラーなら、きっと一緒に歩くと絵になるだろうな。
 わたしはその時のことを想像して、ひとりでニヤニヤするのだった。

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2017年 1月6日 莊野りず
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