忘れモノ探し

〜少年の章〜

 いつも夢を見る。それは当たり前かもしれないけれど、オレの場合は違う。いつも同じ夢だ。忘れたくない、子供の頃の夢。
 でも、いくら忘れたくないからって、いつも同じ夢ばかり見るのも嫌になる。しかも決まって彼女が泣いている場面だ。
 名字は覚えていないけれど、遠縁の、たしか同い年の女の子。名前はサクヤといった。
「あ」
 まただ。またあの子の夢だ。少しだけ肌寒い日もある、津軽の夏。大量のひまわりを背にして、彼女が笑ってる。当時は彼女の方がほんの少しだけだけど、オレより身長が高くてくやしかったことは忘れていない。
『どうしたの? ひーちゃん?』 
 サクヤが首を傾げた。
 オレは夢の中ではガキの頃に戻っていた。
『なんでもないよ』
『ヘンなひーちゃん』
 そう言って、サクヤは笑った。
 笑って、ひまわりを見上げた。まだ小さいから、ひまわりを追い越せない。それがなぜかもどかしい。
『……サクヤは僕のこの髪をどう思う?』
『キレイなきんぱつ。たいようの色だね。うらやましいな。わたしはまっくろだから。ひーちゃんって、お人形さんみたい』
 そう言ってサクヤはオレの髪をもてあそぶ。まるで本当に人形にしているかのように。姉ちゃんにさえ、こんなことはさせなかったのに、サクヤが相手ならば許せてしまう。たぶん、オレはサクヤが初恋の相手だったから。
『でも、めがあおくないからってみんながバカにする。……くやしいな』
『いいじゃない。言いたい人には言わせておけば。ねぇ、ひーちゃん?』
『なに?』
『ずっと友達でいてくれる?』
 サクヤの髪が風に揺れる。肩までの黒髪は艶やかだった。そこに水がひとしずく流れている。涙だ。
 オレは今でも彼女がこの時になぜ泣いていたのか解らないままでいる。もしもこの時の涙の意味をちゃんと理解できていたら、オレは後悔しなかっただろうか?


「……さむっつ!」
 真冬の東京は、下手をすれば北国と同等レベルに寒いのかもしれない。地球温暖化が叫ばれて久しいが、本当に温かくなっているのか疑問だ。
 オレはぬくい布団からいやいや腕だけを出して、エアコンのリモコンを探る。昨日も寝る前は寒かったから暖房をつけて、枕元に置いておいたはずなのに見当たらない。
「リモコンどこだよ」
 探してみるも、やはりないものはない。
 諦めて全身を布団から出して、やっとリモコンを発見した。場所は机の上。さては姉ちゃん、またオレの部屋で仕事してたな。
「スイッチオン」
 暖房モードにして、温度は二十五度設定。寒いんだからしばらくは強風モードだ。学校がある日でもないのに早起きをするのは、こうしてささやかな温もりを体感するためだ。あぁ、あったかい。
 そんな贅沢な時間を邪魔するのは、決まって母さんの声だ。
「ひふみー! 起きてるんなら早くご飯食べなさい! テーブルが片付かないでしょ!」
  「もうちょっとだけ待って。オレ寒いんだもん」
「誰だって起きたては寒いわよ。母さんだっていつもそうよ。家族の誰よりも早く起きて、ストーブに火を入れてるのはいったい誰のためだと思ってるの?」
 母さんの小言はいつものことだ。毎日のように同じことを言われるこっちの身にもなってもらいたいものだ。オレは暖房のぬるい風に当たりながら、準備をする。特に予定はないけれど、部屋着に着替えて、愛用の青いヘッドホンを装着する。聞くのはジャズかロック。とにかくうるさければなんでもいいし、歌詞の意味も解らないままでいい。音楽を聞くのが目的ではないから。
 だいたい暗記した曲が流れたところで、エアコンのスイッチを切った。身体も温まったことだし、朝食だ。階段を降りる。
 リビングでは、母さんが片づけを始めていた。
「やっと降りてきた。もう目ぼしいのは隠しちゃったわよ。適当に食べなさい」
「へいへい」
「なによその気のない返事は? いったい誰のために作ってやってると思ってるの?」
「……オレのためじゃなくて姉ちゃんのついでだろ? 今日も仕事?」
 図星だったようで、母さんは姉ちゃんの出勤時刻を告げた。午前四時。職業上しょうがないとはいえ、この寒い中、姉ちゃんも大変だ。本人はやりがいを感じてるらしいからまぁいいんだろうけど。
 もくもくと朝食――毎日決まっている目玉焼きとほうれん草の和え物というおかずを食べていると、急に電話が鳴った。
 うちにかかってくる電話は、たいていが姉ちゃんに仕事を頼みたいというものだ。しかし、この時は違ったらしく、母さんは驚いている。ひたすら電話機に向かってぺこぺこ頭を下げる。嫌な予感がした。
「ひふみ、あんたに相談事ですって」
 母さんは嬉しそうだが、オレはありがた迷惑だ。電話の用件は察しがつく。
「断ってくれ。オレにそんな余裕はないんだよ」
 言いながら、ヘッドホンから聞こえる音楽の音量を最大にする。鼓膜が破れそうだが、『聞こえる』よりはましだ。母さんが苦い顔をした。
「ちょっと、それやめなさいよ。耳がおかしくなったらどうする気?」
 母さんの言っていることは、大声だったから辛うじて聞き取れた。でも、忠告に従う気はない。
「ごちそうさま。……調子が悪いから、ひとりにして」
「もう!」
 母さんは不機嫌そう、いや不機嫌そのものだが、誰だって自分の身が一番大事だ。もちろんオレもそう。だから逃げる。
「お姉ちゃんはちゃんと能力を生かしてるのに……」
 そんな独り言なんか、聞こえない。
「オレ、二度寝するから。起こさないでくれよ?」
 それだけ告げて、オレは少しの朝食を終えた。目玉焼きにベーコンが添えられていないのが子供の頃からの不満だった。耳元ではロックが騒がしい音を立てている。雑音が聞こえなくて心地いい。階段を上ってドアを閉める。
「…………」
 自分の部屋でベッドに横になりながら、あの子のことを考える。今日もあの夢を見たから。そう自分に言い訳しているようなのがおかしい。そんなことする必要なんてないのに。
 今頃あの子はどうしているだろうか。津軽の冬は厳しいから、さぞかし寒い思いをしてるんだろうな。

 オレたちの家は複雑だ。有名な霊能力者を数多く輩出している、八乙女家というのが宗家であり、オレたち八木家はそこから遠くに離れた分家だ。でも不必要な霊能力は二分の一くらいの確率で分家にも受け継がれるものらしい。基本的には女の方が発言する可能性も多いらしい。迷惑なことに、オレもまたそのいわゆる選ばれた二分の一のひとり。いついかなる時でも、この世に未練を残して成仏できないでいる無数の死者の声が聞こえてくる。
 その声はほんっとうに耳障りなもので、なにかとオレに話し相手になってもらおうとあの手この手で話題を振ってくる。その対策として、オレは青いヘッドホンが手放せない。大音量で洋楽を聞いていると、なぜか死者の声が聞こえなくなる。オレの場合は対策があるだけまだましだ。他の望まぬ霊能力者は対策がなくて、ご愁傷さまとしか言いようがない。
「……サクヤ」
 サクヤという女の子は、オレと似た系譜の者だ。けれど彼女は(オレからしてみれば)幸運なことに、霊能力を持っていなかった。今頃は津軽でのんきにスクールライフを送っているのだろう。
 オレたちの家族は、アメリカ人の親父が職探しにちょうどいいからということで、オレが小学生の頃に津軽から東京に越してきた。それ以来は八乙女家とは縁が切れたと思っていたのだが、姉ちゃんが巫女の仕事を始めたせいでオレまで声がかかるようになった。姉ちゃんはちゃんとお祓いの能力があるが、オレはただ死者の声が聞こえるだけ。これでは能力なんか中途半端で、ないほうがましだ。
「津軽海峡、冬景色、か」
 ガキの頃は冬になるのが楽しみだった。サクヤと雪遊びをするのが楽しかった。親戚の他の子供たちは、オレたちよりも年長だったから、自然とサクヤとふたりきりで遊ぶことが多かった。たまに姉ちゃんがかるたを読んでくれて、ふたりで取りあった。いつもオレが勝って、サクヤはいつもくやしそうにしていたっけ。
 昔の事を考えていると、母さんが呼んでいる。どうやら客人らしいが、オレに依頼しようと言っても断固として断る。
 そのつもりで階段を降りていくと、母さんの傍の三和土に見知らぬ女がいた。見知らぬという形容詞だけじゃ済まない、紫がかった灰色の髪をしている。長さは腰より下まである。サイドの髪は、いわゆる姫カットというやつだろう。眼の色は青い。服装は、真っ黒のワンピース。まるで年寄り見えるが、遠目でもその肌は若く見える。
 彼女はオレの顔を見るなり、嬉しそうな顔をして言った。
「久しぶり。ひーちゃん!」
 唐突だったが、彼女の正体が解った気がした。オレのことをそんな風に呼ぶのは、たったひとりしかいない。だが、まさか。そんな、都合のいい話なんかあるわけがない。
 ただ、彼女には確かに面影があった。髪の色も、眼の色も、あの頃とはぜんぜん違う。それでも、顔立ちに残っているのは、あの子の面影。
「……サクヤ?」
 相手は照れたように微笑んだ。
「んだよぉ〜! ワアはサクヤ! 忘れねぇでけだが〜!」
 この言葉遣い、忘れもしない、津軽独特の訛りだ。日本の方言でもかなり難しいとされているらしい、津軽弁。自称サクヤは感極まって、というノリで抱き付いてきた。
「わわっつ!」
「なんぼ寂しがったっきゃ! まむしふっちゃべ?」
「悪い、なに言ってんのか解んない」
「元気だった?」
「最初からそう言えよ!」
「せばって……標準語に慣れてねぇはんで」
 サクヤは申し訳なさそうに手を合わせた。津軽弁独特の早口は聞き取りづらい。あの夢の中のサクヤは、オレに都合のいいように標準語に直されていたらしい。
「久しぶりでオレも嬉しくないわけじゃないけどさ、いい加減離れろよ。母さんも見てるんだぞ?」
 オレがそう言ってやると、やっと自称サクヤは慌てて離れた。
「それにしても変わり過ぎだろ! オレがこっちに引っ越してから何があったんだよ? その髪は白髪か? 眼は?」
「……ん〜ひーちゃんは知らん方がいいよ? わがってまったら、もう戻れねえはんでな」
 自称サクヤは言い渋っている。本当に、これがあのサクヤ? オレが知るサクヤは性格はだいたいこんな感じだったけれど、外見はまったく違う。
「どうしても知りたい?」
 彼女は真面目な顔で言った。それはこれまでに見せたことのない、オレの知らない彼女の表情だった。
 ここで母さんが口を挟む。
「サクヤちゃんなら遠縁とはいえ親戚だし、泊まっていく? 部屋なら……そうね、空きをどうにかするから」
「待て母さん! まだ彼女がサクヤ本人だって証明できたわけじゃないぞ?」
「でも、本人がそう言ってるじゃないの」
「そういう詐欺かもしれないだろ? どうしてそんなに不用心なんだ!」
 母さんは主婦歴が長いくせに、抜けている。ちなみに母さんに霊能力はない。……まてよ、霊能力?
 オレはヘッドホンを外した。
 途端に聞こえてくる、無数の死者の声。
「あぁ、ひーちゃんの能力だぁ!」
 自称サクヤは嬉しそうな声を上げる。この声は昔と変わってない。だけど、声だけじゃ似てる奴もいる。サクヤの声はよくある声だ。
 霊がオレに語り掛けてくる。大半は愉快犯だが、中には親切そうな声が混ざっている。聞き覚えのある声が聞こえた。サクヤの母親の声。そういえば、サクヤは母親を早くに亡くしていた。
「そうよ、この子は本物のサクヤ、ワアの娘っこ。サクヤをよろしくね、ひふみくん」
 優しさが溢れだした声、というのはこういう声だ。サクヤの母親の声はどこかの声優のように特徴がある。
 それでやっと確信できた。
 信じられないが、今オレの眼の前にいる女は、間違いなくサクヤだ。
 甘くて苦い、初恋の相手だ。
「ひーちゃん、どう?」
「解ったよ、信用する。おまえは本当にサクヤなんだな?」
 オレが眼を見つめると、彼女は青い目をきらきらさせて笑った。
「そんだっていってらよ」
 ……相変わらず、訛りが激しいな。

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2016年 12月16日 莊野りず
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