城物語

第九章 月城鷹――ツキシロタカ――

「では行くか。鷹、案内しろ」
 月下はさも当然のように鷹に命令する。命令された鷹も、そんな彼女の態度には慣れているのか、文句ひとつ言わない。
「……俺も『外』の生活が長かったからな。昔のようにはいかないさ」
「ならば、どうするのだ?」
 今、烏の手は月下の手と繋がっている。
 多分、いやどう考えても不快ではあるが、『本当の母親』である月城月下と再会しても、何の感慨もない。あるのはただ空虚な感情。彼女と再会する前に鷹の言った言葉は、未だに胸の中に強烈に残ってはいるのだが、相手が冷静過ぎて逆に冷める。『上層部』に行くことにも何の喜びも感じない。……本当に、烏の中にあるのは何とも言えないただの『満たされない』感覚。
「……烏」
 鷹が声をかけてくる。いつもより気遣わしげ、優しいその声音の中に『ある可能性』に対して確信する。しかし、それは今この場では口にしない方がいいだろう。
「大丈夫か?」
 本当は大丈夫ではない。だが、鷹の気遣いを無下にするほどには、烏も非情ではない。やっと働き始めた頭の中で、鷹の話がぐるぐる回っている。『上層部』の話。
『天国であり、地獄でもある』
 それがどんな場所か、想像もできない。元々、烏には想像力がなかった。そんなモノを鍛える時間も手間もなかったし、何よりも『生きる』こと自体に常に必死だった。生きるためにならばどんなことだってしてきた。……本当はやりたくなくても。最近はφの店でまともに『買い物』が出来る程度にはなれた。その事の凄さを、少し考えていた。
「この私を連れだしておいて、帰り支度がないとはどういうことだ?」
 月下が鷹を責める。彼女の言い分はやはり傲慢だとしか感じない。烏は『傲慢』などという言葉自体知らないが、月下の言動そのものが傲慢だ。
 残念ながらその光景――月下が鷹を責める、にも何も感じることはない。普段ならば『師匠』である鷹への侮辱に、相手の頸動脈を容赦なく切り裂いてやるところなのだが。それを月下に対してしない、できないのは、やはり母娘だから? それとも別の理由か?
 ただ、烏の心の中では確実に、暴力的な感情が渦巻いている。その正体が何なのかだけははっきりしていたのだけれど。


 路頭に迷う烏たちの元に、慌てた様子の褥が走ってきた。なぜか髪はいつものアップではなく下ろしている。そこには明かに『彼女』の趣味が反映された飾りがついている。
「すみません旦那。ちょいと厄介な奴につかまってまして……」
「褥……無事だったか。あまりにも遅いから勝手にここまで来てしまった」
「大したもんですよ! 『城』はすぐ状態が変わるってのに」
 褥は心底感心したように鷹を見上げた。
「……疲れているところ悪いんだが、『上』に案内してくれないか?」
 さらりと鷹が言った一言に、『情報屋』である褥は瞬時にその意味を悟り、大いに驚いた。だが、伝説の情報屋らしくあくまでも冷静に依頼の内容の確認を口にする。
「『上』って、『上層部』ですよね? あちきも数えるくらいしか行った事ないです。門の前までなら案内できますけど……」
「そこまでで十分だ。『鍵』がいるからな」
 そう言って鷹は月下を見た。その動作には違和感はないのだが、烏はその『鍵』という言葉が引っ掛かった。その月下はぷいとそっぽを向いた。
 褥は何かを考えているようだったが、烏が切り刻んだローブの残骸を見て、ある程度の経緯について納得したようだった。この程度の事はこなせなければ、とてもではないが『伝説』とは呼ばれない。
「任せてください。さあ、こっちです!」


 褥の案内は『上』への最短ルートに思えた。予め彼女は「安全でも長い距離を歩かねばならない道と危険だが最短距離、どっちがいいですか?」と鷹に訊いていた。彼は迷わず後者を選択した。ゆえに、思えた、どころか確実に最短ルートなのだろう。褥が知っているのだから。
 しかしその分、通り道の状態が悪かった。腐りかけた床を歩く程度だとタカをくくっていた烏だが、流石に自身の細すぎる腕で細くて安定性のまるでない木を登る時には閉口した。それも序の口に過ぎなかったわけだが。予想に反して、鷹はともかく月下が何の躊躇いもなく、烏でも苦労する『最短距離』に文句ひとつ言わなかった。これには烏も内心では驚いた。その月下は脂汗一つかいていない。
 そして『上層部』と『下』を分ける分厚い鉄の門の前に着くと、褥は何も言わず去っていった。彼女なりにこの三人の空気の異常さを感じ取ったのだろう。それはむしろ優しい気遣いからくる行動なのだと、褥に好感を抱く。
「ねぇ、『鍵』って?」
 烏が鷹に尋ねると、鷹は黙って月下の方を指さした。その男性独特のやや太い指が差す方向をつられて見た烏は、彼女の首筋にある銀の鎖と蒼い石がぶら下がっているのを確認した。……『ペンダント』というものを知らない烏には、それは変な飾りにしか見えない。
 月下は石を鉄の門の穴に差し込んだ。鉄の門にはくぼみがあり、その石はくぼみの形とぴったり一致していたため、隙間もなく収まる。
 しばらくする重くて頑丈なはずの門が、どういう原理なのかは全く不明だが、自動的に開いた。多分φの店のあのドアと同じ原理なのだろうとは思った。ただ思ったのはそれだけだ。
「前世期の遺物だ」
 鷹はそう解説する。そして前方にいた月下からわざとやや遅れて、彼も追うように、だが追い越す真似はないように用心して歩く。その意味が烏には全く解らない。門自体は分厚かったのだが、空けた先はそこからがすでに『別世界』だった。思わず烏もしばらくは身動きができない。いや、そんな気にもなれなかった。目の前の光景は『城』で生まれ育った烏にとってはまさしく『未知の世界』だったからだ。
 まず、 門の先は光であふれていた。その事にまず驚く。『城』はそもそも前時代の『オフィスビル』とかいう建物の集合体だ。建物の集合体である以上、本物の『光』など青空もめったに拝めない環境ではお目にかかる機会など滅多にない。なのに、目の前の光景はどうだ? 本物の『光』が、文字通り『あふれて』いる。
 ――『光』というのはこういうものなの? なんて、温かい……。
 そして眩しい光の更に少し先には、朱塗りの屋敷が数件、並んでいる。烏は当然『屋敷』など知らないのだが、『高価な建物』である事はその外見から理解した。屋敷の外壁も見た事もない鮮やかな色で、同じ系統の『紅』が他にも、少なくとも『血とは別の紅』が存在する事を初めて知った。
 整えられた通路では小さな子供たちが『遊んで』いる。
 ――殺しの訓練? ではないわよね? じゃあ何をしているのかしら?
屋敷の窓からは本を片手に勉擁している子供の姿も見える。『本』は鷹から送られたノートがあったので、どのようなモノかは理解していた。ただ、当然ながら、その本の表紙に書かれた文字が何なのかは解らない。『文字』だという事は察せるのだが、それが何の意味があるのか見当がつかない。……とりあえず、『大事』なことらしいという事だけは解った。『下』では『生き抜く術』が全てだが、この『上』の世界では『生き抜くこと』は『本を読むこと』らしい。……なぜそうなるのかは全く理解できないのだが、一応納得しておくしかない。いちいち尋ねていてはキリもない。
 月下は通路の真ん中を堂々と歩く。彼女よりも明らかに年上の女は当然のように頭を下げ、男は眩しいモノを見るように手を合わせる。その姿に、遊んでいた子供たちが恭しく礼をする。……誰一人この奇妙な様子に疑問を抱いている様子が見受けられない以上、この場ではこれが『常識』なのだと烏は悟る。『下』、少なくとも自分の棲む『中腹』とは大違いだ。やはり『上』の連中の考えることは解らない。
「沙耶は勉強しているの?」
 同一人物とは思えないほど子供――烏からしてみれば絶好のカモ――に、優しく尋ねる月下に、烏は驚きを隠せない。
「沙耶様は語学の習得に精を出されているご様子です。わたくしとは大違いで、流石は月下様のご息女です」
 小さな子供の言葉とは思えないほど、子供の敬語は完璧だった。烏は彼女よりも遥かに年上なのに、言っていることが何なのかも解らない。……なんて言っているの?
 上を見上げてみると空は近く、太陽の光は紫外線カットのガラスで遮られている。烏はそんなもの聞いたことも見たこともないけれど。ここにいる者たちは清潔ないい素材の、仕立てもいい服を着て、とてもいい匂いを纏っている。それは控えめながらも主張する、品のいい香りで、思わず烏も警戒を解きそうになる。
 建物も『城』の中とは思えないほど、発達した技術で造られていることは烏でも解る。
「……確かに天国かもしれないわね」
「……棲みたいのか?」
 烏の呟きに鷹が反応する。
「……解らない。けど、あたしはやるべき事をしにここまで来たの」
「……そうか」
 『愛弟子』の言葉に、鷹はそれ以上何も言わなかった。
 月下の後について行くと、最も立派な館にたどり着いた。外観の大きさ、凝った装飾、周囲の朱塗りとはまたひと段落、いやそれ以上に、まさしく格が違う『紅』を見て、烏はこの世には少なくとももう一つの『紅』が存在する事を知った。
 周囲の人間が男女問わず深く頭を下げる中、その中央を無言で通る。
「……」
 烏は妙な居心地の悪さ、落ち着かなさを感じたのだが、月下はもちろんなぜか鷹も『当然』の顔で歩く。……この意味が理解できないほど、烏も鈍くはないし、愚かでもない。そして『可能性』は事実だと悟った。
「変わりはなかったか?」
 お付きの者たちが集まってきて、月下の着替えを差し出す。
「お前たちはそこにいろ」
 そう烏と鷹に告げた月下は別の部屋へ移動して、しばらく二人を待たせた。戻ってきた時には差し出された着替えを着ていたのだが、この意味が烏には解らない。
 ――着替えなら、この場で済ませればいいのに。『上』では『普通』なの? 理解できない。
 すると、ほぼ同時に、長い廊下の奥の方から可愛らしい足音が聞こえてきた。音は間違いなく幼い子供のものだ。その音源は褥のような服を着ているが、彼女のものとは明らかにモノが違う、素材からして大違いの者を着た自分の半分くらいしか生きていないであろう幼い少女だった。彼女は何の躊躇いもなく、月下に甘えるような笑顔で抱きついた。
「……」
 なぜ、こんな事ごときでこんな気持ちになるのか、自分でも自分が全く理解できない。だが、心が痛かった。
「……」
 鷹はそんな烏の心情を察したのか、彼女の幅の狭い肩にそっと手を置いた。振り向く必要はない。『可能性』は事実なのだから。
「お母様!」
「沙耶、変わりはないか?」
 月下は途端に母の顔になる。娘を抱きしめた月下は優しい母親にしか見えない。
「……月下の跡継ぎ娘だ」
 鷹の囁きはどこか悲しげだった。烏は今度は自分が『師匠』の心を悟る。『愛弟子』なのだから、これは当然だ。
「沙耶、今日は『下』から一人引き取る事にした。烏だ」
 月下が烏の方を指差して、沙耶の顔を烏の方に向けさせた。次の瞬間、沙耶の顔にあったのは明らかな『嫌悪』だった。それは烏自身が相手を『自分より弱い』と見なした時のものと同質のもの、優秀な者がそうでない者を見下す目つき。……それはやはり月下と同じものだった。
「……お母様が決めたのでしたら、反対は致しません」
 『沙耶』という名らしい少女は、まだ六つか七つにしか見えない。それなのにこの言葉遣いは、やはり優秀な遺伝子を持つ者なのだと納得する。
 月下は烏と鷹の方を振り返り、厳しい顔をして告げる。
「烏と鷹は魚の間で夕食を食べろ」


 魚の間は地面と大して変りはなかった。そもそも野外なので『部屋』でもない。お付きの者でももっといい部屋で食べるだろう。だが、いつも食事をする場所よりははるかにマシだ。命の危険がこの場所には存在しないのだから。文句など言いようもない。
「……ねぇ、一つ訊いてもいい?」
 食べたこともない美味しいリンゴを齧りながら、烏がぼそりと言った。
「何だ?」
 彼は慣れた手つきで白米を食べている。『下』では見た事も聞いた事もない『それ』に危険性はないのかが気になった。 「どうして月下と? ……月城鷹さん」
 鷹は箸を落とした。
「……なぜ解った?」
「『師匠』は月下が絡むとどこか変だった。それにあの『上層部』の扉を開ける時……考えたら、そういう結論になった」
「……」
「それにあたしを育てた。他にも『上』から捨てられた赤ん坊は沢山いたはずなのに、あたしを。……だから『そういう』こと?」
「……そこまで解ったとは。俺の遺伝子も侮れないな」
 そう言って鷹は笑った。それは最初で最期の『月城鷹』としての満面の笑みだった。


 食事を終えて広間に連れて行かれると、月下は替えの服を用意させていた。
「これに着替えろ。それから、私の子供になるのだから、『あたし』はやめろ」
 相変わらずの命令口調。……それがかえって気持ちよかった。
「……『沙耶』の父親は鷹じゃないのね?」
 烏の質問を月下は鼻で笑う。……相変わらずの『傲慢』。
「『沙耶様』と呼べ。当然だ、あんな男などお前という『失敗作』が生まれた時点で捨てた。……まぁ、お前に『能力』があったとは思わなかったがな」
「そう。なら……」
 烏はいつもの通り、自然な動作、無駄など何一つない動作で、果物ナイフを取り出す。いつも通りの黒いワンピースに、今日はやけにナイフの銀が映える。
「何をするつもりだ?」
 月下は若干慌てた。しかし、『母親』である自分が『殺される』など露にも思わなかったのだろう。
 ――『何をするつもりだ』? 当然――
 烏があくまでも『いつも通り』の動きで操る果物ナイフは、『いつも通り』の役目を果たした。

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2014年 月日 莊野りず

後味悪い展開ですみません。
  こういうの好きなんです。
前回の話といい今回といい、核心に近づくと長くなるのはどうにかならないのか。
次で最終話です。
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2015年 4月21日 莊野りず

上で『長くなる』とか抜かしてますが、実際はこれ以上に短い仕様でした。
本当に短文しか書けない仕様はどうにかならないのか。
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