城物語

第八章 月城烏――ツキシロカラス――

 褥は急いでいた。
 『月下』という名はどこかで聞いた覚えがあった。この場合『情報』を売りにする彼女が思い出せないというのは、プロ意識に欠けると言っていいほどの大失態。客の欲する情報を瞬時に分析・見極めて、最も効果的に伝えてこそ、『伝説の情報屋・褥』だ。それは先代である、彼女の父が息を引き取る直前に、一人娘である現在の『褥』に伝えたことだった。
 ――まだまだあなたには程遠いねぇ、あたしも。
 そう現・七代目褥は思う。
 どこだったかも思い出せないまま、鷹との待ち合わせ場所へと、城の最短距離を走る。そんな中で、彼女らしくもないことに、父との思い出が次から次へと脳裏に浮かぶ。
 ――ちっくしょう! こんな事を考えている場合じゃないってのに!
 『褥』、そう最初に父に呼ばれたのはいつの頃だったか。少なくとも赤ん坊の頃にはそう呼んでいたに違いない。今は亡き父は、この『城』では類まれな百年以上前の日本という国の理想的な父親と呼ばれるような男だった。
 先代ということで、彼もまた『褥』と呼ばれ、自らもそう名乗っていた。幼い現・七代目褥であるところの少女には、それは酷く奇妙な事だった。だが、すぐに慣れた。……『城』というのはそんな場所だから。
 自分が『褥』だという名で呼ばれることに対しては、『城』の住人にしてはまともな名だと最初は思った。この『城』で生まれる子供は親の教養が極端にないため、変な名ばかり付けられる。
 同年代の少女で、つい最近知り合ったと言ってもいい『烏』はその中では割とマシな方だ。
 遮蔽物が通路を封鎖している。よく父と共に仕事を教わる時に通った道。褥は舌打ちし、通り道をする。……もちろん、この先に何があるのかは、『伝説の情報屋』である褥はよく知っていた。知り合いだった、あまり好きではないが、一応『友情』と呼ばれる何かを褥は感じていた。
 その道の先にあったのはφの店だった。φと銘々の姉弟には依頼をされて、断った経験があった。……当時の彼女にとってはあまりにも無理難題で、できないのなら最初から引き受けないべきだという、至極真っ当な言い分があった。だから『彼女』もしぶしぶ納得したのだった。
 だから、早く通り過ぎようとした。出来るだけ、友達とはいえ『彼女』は苦手だから、逃げたかった。……しかし彼女はこの時大変な運に見放されている状況だった。
「あっ、褥!」
 銘々がこちらを見て、思わず笑顔になる。それは褥が最も恐れる、『あること』をする時の、彼女の極悪顔。
 ――しまった、面倒な奴に見つかった。
「褥ぇー、あなたももっと可愛い恰好しましょうよ! お化粧とか!」
「いや、あたいは……」
「遠慮しないの! さーて、今日はφもいないし、思いっきりオモチャにしようっと!」
「……心の声が聞こえてるんだが……」
 ……こうして褥は鷹との待ち合わせに大幅に遅れる事になる。


「……言ってしまうのか、お前自身の口から」
 なぜか鷹は悲しそうな顔をした。そんな彼を小馬鹿にするように、どころではなく、実際に小馬鹿にし、鼻を鳴らした。その意味は、まだ烏には解らない。だが、尊敬する『師匠』である鷹にそんな『侮辱』そのものの態度を取るただの『女』――月下が気に食わなかった。……具体的にどのように、とは無知無教養な烏には説明が不可能なのだが。
「そうだ。なぜ私が遠慮しなければならぬ?解せんな」
 鷹と月下の親密そうな空気が烏に違和感を覚えさせた。今まで『城』の中で生きてきて恐らくは初めての感覚。『殺し専門』とある程度の雑魚には恐れられてはいるものの、所詮はただの経験の足りない小娘。そんな小娘風情が口を挟むのも無粋かとも考えたのだが、これだけは明らかにしておきたい。カラスの忠告の声すら無視して問う。
「……それで、あたしはあんたの娘なの?」
 これだけは、どうしてもはっきりさせておかなければならなかった。自分の生まれる経緯などは知ってはいたが、あまり関心はなかった。『城』という場所は『力』が全てだ。烏は『人体攻撃に最も効果的な知識』というのが『力』だし、鷹は『正々堂々戦っても基本負けない力強さ』が『力』だ。どう見ても最弱であろう褥だって、『代々伝わる情報屋としての知識、圧倒的な経験、実績という名の根拠のある情報』という、カタチは違えど『力』がある。……しかし、目の前の子の女――月下には、そのどの要素も感じられない。なのに烏の周囲で声を上げるカラスたちは「コイツは強い」「気をつけろ!」と、うるさいくらいに鳴き続ける。
 ――どう見ても、ただの『雑魚』じゃない。……みんな、勘違いをしているんじゃないの?
 『友達』に対しては失礼だが、正直な話では烏はそう思った。賢いと言われているモノの、所詮は『鳥』だ。その動物の考えなんて、『人間』という理性的な生き物には劣るだろう。……無意識下に思ったのだが、それは傍らのカラスたちにも伝わったらしく、烏の頭を次々に啄んでくる。
 月下はしばらく烏の顔を見つめていたかと思うと、挑むように睨みつけた。一通り、彼女――烏の貧相としか言いようのない細すぎる体格とシンプルで返り血を浴びた黒いワンピース姿、黒い長髪を眺めた。そしてきっぱり言った。
「知らんな」
 その反応に、思わず烏が果物ナイフを手にしても、月下は全く怯む様子がない。仮にも名の知れた『殺し専門』の烏が果物ナイフを手にする――この行為がどんな事を指すのか、理解できないほど頭が悪いのか? それともまだ烏が無知なだけで、他にも彼女が自信を持てる『強さ』があるのか? 烏の頭で思い浮かんだのはその『たった二つ』しかない可能性だけだった。
 月下はむしろ興味深そうにその烏を見つめる。少なくともその目は、親が愛情を持って子供を見る目ではなかった。それだけは断言できる。彼女はただ淡々と逆に烏に問うた。
「なぜそれほど親にこだわる? 親などいなくとも子は育つだろうに」
「育たない! 鷹がいなかったら、あたしは! あたしはっ!」
 いつもは冷めている烏が激昂しているのを見て、カラスたちは不安げに鳴いた。心からの気遣いの声が彼らがただの『獣』ではないことの何よりの証明だ。烏は素直に詫びる感情をこめる目線でカラスを見つめると、彼らは今度は彼女の細すぎる指先を甘噛みした。
 それにうんざりしたように月下は言う。カラスに対する一連の少女の動作を観察していたらしい彼女が、当然の事のように。
「……ふむ。確かに外見は、お前は私に似ているな。ならば、お前は私の娘、月城烏だ!」
「そんな乱暴な!」
 あまりにもいきなりの発言な上に、論理的以前の問題だ。因果関係も何もなく、ただ単に『似ている』という理由で、『私の娘』などと言い出す。その思考回路、神経、何もかもが『わけがわからない』。流石の烏もこれには絶句した。傍らのカラスたちは、月下に向かって容赦なく鳴き喚くが、その彼女の一睨みで、一様にぴたりと鳴き止む。……カラスたちがこれほど警戒する『人間』を、烏は初めて見た。
 ――一体何なのかしら?
 烏の抗議にも月下は涼しい顔をして、切り裂かれたフードを乱暴に脱ぎ捨てる。まるで、それが『当然』とでも言いたげに。
「……この男が『私とお前は母娘』だと言っている。これ以上に説得力のある言い分はないと思うが?」
 確かに、鷹はこれまで一度も烏に嘘や出まかせを言わなかった。むしろ『城』では危険要素しかないと知りながら、『良心』の存在を信じてもいい、とまで言っていた。……その鷹が、烏にはよく解らないが『DNA』という証拠まで用意して言っている。  ――鷹の言った事は 『真実』。なら、あたしは本当にこの女と……。
 互いの外見が似ている、それもまた事実だ。だが『似ている』だけで親子だと解るわけがないではない。しかし、鷹はDNAという『確実な』証拠を用意している。この傲慢そのものの、『力』が感じられない、ただの『女』と『母娘』。……信じたくないし、認めたくもない。自分は『城』の住人全員が認める、とまではいかないが、『殺し専門』としてそれなりに名を馳せる『強者』だ。実力は十分にあると考えていいはず。その自分が、この程度の女と『母娘』。
 ――こういうのは『虫唾が走る』って事よね?
 話の成り行きを黙って眺めていた鷹が、ここでやっと口を挟んだ。
「……烏、お前が月下の娘かどうかというのは、どう考えても『事実』なんだ」
 鷹の声に違和感を覚える。いつもの彼ならば迷いなど一切感じさせない、躊躇いのない物言いをする。烏のためを想うからこその言葉しか言わない彼が、動揺しているという事実から、『言っている事は事実』だと納得できる。証拠もある事だし、不快ではあるが、『事実は事実』だ。受け入れるしかない。
 その鷹が、何か重大な事を言い出しそうで不安になる。これまでの経験上の勘が、訊くべきではないと警告し、カラスたちも烏の思考は読めないだろうが「聴かない方がいい」と心から助言してくれる。……だが、好奇心が疼くのは、『知りたい』という欲求は、昔から当たり前の人間の『本能』だ。イヴは禁止されたリンゴを食べて『知恵』を得て、パンドラは「空けてはならぬ」と言われた箱を開け、混乱を生じさせたように。
「……」
「……俺は『城』の『上層部』に行った事がある。あの頃は若くて、何にでも挑戦したかった」
 そう前置きした。カラスたちはしびれを切らしたのか、今度は鷹に群がろうとする。無理やりにでも口を閉ざすつもりだと烏は察知して、仲間を宥めようとしたのだが、その前に月下がただ『睨みつけた』だけで、カラスたちはすぐに大人しくなった。 ……傍から見てば、さぞかし奇妙な状況だとしか思えないだろう。烏自身も、この状況は奇妙だと思っている。
「……『上層部』は『貴族』の楽園であり、地獄でもあったんだ……」
 鷹は本当に話してもいいのか迷っているようだ。話す最中にいちいち烏の方を見るのが不自然だったのだが、『知りたい』という自らの強い欲求には敵わなかった。カラスたちは黙りはしたものの、他の手はないかと思案している様子だった。
「あたしは大丈夫だから、続きを聴かせて?」
 躊躇いながらも鷹は口を開く。その目はいつも以上に烏を『心配する』目だった。いつもは厳しく当たるのが常なのに、この時ばかりは徹底して『同情』『憐れみ』『慈しみ』などの感情が見え、最も多く比重を占めていたのは『愛情』だった。烏には彼からこんな目で見られるような要素はない。自分たちは『師弟』という関係ではあるが、あくまでもただそれだけの関係だ。それ以上の意味はない。
 月下は退屈そうに烏の住まいを眺めている。
「『上層部』の『貴族』たちは子供を作り、跡を継がせるためだけにその子を育てるんだ」
「……それで?」
「上には前世期の医療機器も大量にあって、生まれたばかりの赤ん坊の、将来伸びるであろう『資質』が簡単に解る。ここまでは解るか?」
 難しく感じるが、よく考えなければ大丈夫だ。『資質』というのは烏の言葉で言うところの『いい所』だろうと見当をつけた。烏は先を無言で促す。
「女は次々に子供を産み、赤ん坊は検査を受ける。そして『素質』のない赤ん坊は『下』に捨てられる」
 鷹が淡々と告げた『事実』に、一瞬唖然となる。だが、すぐに烏は彼の言いたい事を察し、思わず言葉にしていた。
「そんな……ひどい!」
 『城』の『下』。……『殺し専門』として、少なくとも外見にはそぐわないレベルの実力者である烏の棲む場所が、『中腹』。幼い頃に棄てられていた場所も、同じく『中腹』。だが、このエリアに棲むこと自体が『城』の中では一目置かれる、少なくとも『実力を認められる』最低ラインだ。実力があると自負する烏でさえも、根っからの『城』育ちの成人男性相手では、勝算は薄い。その『中腹』の下には『中の下』『下の上』『下の中』と、きてやっと『下』。つまりは『最下層』ということ。そしてこの時代の『城』の最下層は『命があるだけでも強運』の場所だ。……そこに我が子を『自ら捨てる』。この神経が、烏には全く理解できない。
 そこまで口を閉ざしていた月下が「当然だ」という顔で話に割り込む。
「『上層部』がいくら豊かでも、食料が無限にあるわけでもない。『資質』のない子供は捨てられて当然だ」
「……それじゃあ、あたしたち『孤児』は……まさか!」
「『上』から見捨てられたんだろうな」
 月下があっさりと認める。それが彼女の『常識』、『価値観』。
「だが、烏とやら。お前は特別に『上』に連れて行ってやろう。そのカラスと意思疎通できる『能力』、無駄にしたくはあるまい?」
 目ざとく烏の『能力』を見抜いていた月下は不敵に笑う。
 そしてその手を烏に向かって差し出す。何の躊躇いもなく、ただ『無表情』に。
「……この手を取るという事は、あたしは『ただの烏』ではなく、『月城烏』になるのね?」
「そうだ。お前のような下々の者には想像もできない暮らしが待っている」
 それを聞いて、烏はゆっくりと月下の手を取った。

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2014年 月日 莊野りず

クライマックスです。
前半の褥と銘々のパートと後半の鷹の話でバランスを取ったつもりです。
鷹が遅れた理由は銘々でした(笑)。
あと二話で完結です。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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2015年 4月20日 莊野りず

上でバランス云々言ってますが、直してるとアラが目立ちすぎです(笑)。
とりあえず、これまでの前提をひっくり返す設定を出しましたが、烏関連人物は基本的に『中腹』で生活できるだけの能力があります。
察しの良い方にはお解りでしょうが、鷹が烏に取る態度の理由は……。
次章ですぐに解ります。
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