城物語
第七章 月城月下――ツキシロゲッカ――
鷹が褥と共に去ってから、烏の『日常』は戻ってきた。
いつもの通りに『獲物』を狩り、果物ナイフが錆びたらφの店に行き、たまに銘々に絡まれる。『穏やか』とも『平和』ともいえる、物騒ながらも『飽き飽きした』日常。それは、大多数の他の城の連中とも何も変わらない。
烏は、時計も手帳も持っていなかったので、あれからどれだけ時が流れたのかも解らない。それだけの時を一人きりで過ごした。φと銘々の姉弟はそろって絡んで来るが、鷹から『あの話』を持ちかけられて以来、ずっと落ち着かなかった。
『両親に復讐しないか?』
あの時、なぜ鷹はそんな事を言い出したのだろうか? 慎重で思慮深い彼が、ただのその場の流れに流されるわけなどない。あの言葉には、何か『大きな意味』があるはずだ。すっかり『殺し専門』として名を馳せる烏だが、『大昔は親殺しなどあり得なかった』という話は、『外』の連中の間ではいまだに健在らしく、烏の獲物はそれを前提とした行動を取った。……だからこそ知っている。なぜ『自分の良心を殺してはいけないか』、その理由を。
だからこそ気になって仕方がない、あの時の鷹の言葉。……大人である彼よりも遥かに幼く、未熟だと認めざるを得ないj分でも知っている、『倫理観』と呼ばれるらしい概念を、まさか鷹が知らないわけがない。しかもその鷹は、自分を愛弟子として扱ってくれ、時には親のような事も当然のようにやった。……今ではそこにも何か深い理由があるような気がしてならない。
――鷹、あなたは一体なにを考えているの?
烏の疑問は次第に大きくなっていき、夜の眠りこそ満足に取れたが、獲物への態度が無自覚のうちに変わっていくのを実感していた。これまでは頸動脈を狙い、一撃で仕留めていた。虫でも殺すような感覚で。だが、今では人体の更なる急所、敢えて苦痛を長引かせる方法を探るような殺し方をするようになった。自分でも、どんどん残酷に、『人として越えてはいけない一線』とでも呼ばれるものが崩壊していくのを、いやというほど感じていた。……一刻も早く鷹からの接触が欲しかった。
そんなこんなで一年が過ぎ、そろそろ床に就こうと思ったその時に、褥の声が天井裏から聞こえた。
「烏、鷹が来るよ」
急な褥の声に驚いて飛び起きると、そこにはひらがなのみの手紙が落ちていた。鷹の筆跡で、『明日の朝にそちらに着く』という簡単な内容が書いてあった。他にも文章は書かれていたのだが、いくら鷹の字が整っていて読みやすいといえども、そもそもその文字の読み方すら、言葉の意味すら知らない烏には、何を書いても無駄な事でしかない。しかし、思わず目がいった『月下』の文字に、目が釘付けになる。
烏を驚かせたのは『追伸』に『月下を連れて行く』と書かれていた。
「……烏?」
怪訝そうな褥の顔など、一瞥しただけ。彼女も烏の気持ちを察したのか、それきり何も言わない。……手紙を持つ手が震える。これは『歪んだ歓喜』であり、得体の知れない『自分の母親』に対する、認めたくない『恐怖』でもあった。
思わぬ再会の兆しに、烏は眠るために、生まれて初めて『必死』にならなければならなかった。
城の住人にはファミリーネーム――名字がない者が多い。いや、『多い』という言葉はこの場合相応しくない。『ほぼ全員がそうだ』が正解だろう。
『城』の人口の九割以上は流れ者やゴロツキ、わけありの者たちだ。そうでない者は当然『安全』『平和』『暴力での争いがない』と評判の『外』に棲んでいるらしい。実際、『城』の住人のほとんどは『外』に棲むことを熱望している。……烏には理解できないことに。
彼女からしてみれば、『力』が絶対正義のこの故郷『城』を出る事は、『自分が自分ではなくなる』こと、とほぼ同義と言っていい。それくらい烏にとって純粋な『生き抜く力』は最重要・最重視すべきモノで、逆に言えば『それ以外のモノは最低限で足りる』。……この時点で、『烏』という名の少女は狂人の吹き溜まりといってもいい『城』の住人の中でも『かなりの狂人』の部類に入るだろう。
対して、『城』の上層部に棲んでいる者たちには、ファミリーネームがある者ばかりらしい。何でも百年以上前には『城』にも存在した概念らしいが、当時からしてみれば『狂っていく』中では邪魔としか思われなくなり、廃れていったらしい。『家族』など、この『個人』が重視されるこの環境では当然の流れだと言ってもいいだろう。烏もそう考えている。というよりも、そもそもなぜ百年以上前にはそんな『無駄』なモノが存在していたのかもそもそも疑問だ。
そして、その上層部に上るためには数か所ある分厚い鉄の門を抜けなければならない。これは上層部の連中を守るためのシステムだと褥は言ったのだが、烏からしてみれば「なぜそんな事をする必要があるの?」という疑問しかない。実力があるのならば、『守る』ためのシステムなど必要ないし、『弱い』人間は『城』の住人には相応しくない。……『弱い』のならば、好きに『城』から出ていけばいい。そう返すと、褥は「やっぱ、そう言うと思ってたよ」とどこか諦めの表情を見せた。……どうやら『情報屋』である褥には理解できても、『殺し専門』の烏では、やはり考え方とやらが相当違うらしい。
更に、誰もそんな面倒くさいことをしてまで『上』に行こうとはしない。上に上るほど『良い暮らし』とやらが出来るらしいが、烏にとっての『良い暮らし』とは獲物とリンゴに困らない、仲間であるカラスたちと生きるか死ぬかのギリギリの生活だ。『平和』『争いがない』……そんなものは彼女にとっては『生きている』とはいえない。ただ『無意味に生かされている』だけだ。……なぜか『城』でも猛者と呼ばれる者ほど上を目指すモノらしいが、なぜそんな『堕落』としか思えない環境に進んで大事な身を差し出すのだろう? ……まったくもって理解不能だ。
『上』に行った事のある鷹の言う分には、上層部の者はもれなく『キゾク』だそうだ。『キゾク』の意味がよく解らない烏に、鷹はこう説明した。
『何もしなくても偉い奴、いや、偉ぶっている奴』
それを聞いて以来、烏はその『キゾク』とやらが大嫌いだ。自分を敢えて危機的状況に晒し、生き抜いてきた烏からしてみれば、実力もないのに偉そうな奴というのは、最も嫌いな人間だ。堕落した人間など、存在自体がくだらない、生きるに値しない。
しかも『キゾク』たちは、何不自由なく『家族』そろって暮らしているというのだ。当然、『下』の者の気持ちなど考えたこともないに違いない。
幼い烏は勝手にそう結論付けた。そしてそれは今でも変わっていない。
翌日、烏はいつ鷹が来るのかとそわそわしながら過ごした。いつも一緒にいるカラスたちは敏感に同じ名の少女を気にかけ、ギャアギャアと同調するように鳴き、彼女の小さな方に我先にととまろうとする。
「……ありがとう」
種族は違うのに、彼らはこれほどまでに自分を心配してくれる。なんて優しく、頼もしい『仲間』。烏はやはりこの能力を持って生まれた事だけは、何かに感謝したい気分だ。気持ちは温かくなったものの、待てども待てども、鷹は姿を現さない。朝に着くと書いてあったのに、昼になり、夜になった。
結局、鷹が烏の元に辿り着いたのは真夜中だった。しかも彼らしくもなく、程度の違いはあれど身体中に傷を負っていた。鷹は強いが、邪道の攻め方――対複数戦となると一気に状況が苦しくなる。そういう戦い方をする男なのだ。だからこそ烏も、鷹を自分よりも『遥かに格上』の人物だと思わざるを得ないし、彼の言う事には比較的素直に従う。
そんな鷹が、約束を破った事などこれが初めてだ。
「すまん、遅くなった。『月下』を連れてくるのに苦労してな」
そう言って不敵に笑ってみせる鷹は、いつもの彼だ。その点は安堵し、胸を撫で下ろす。しかし、怪我を追っているのは事実だ。
「どうしたの? その怪我は!」
こぞって急所を狙われたのだろう。だが、流石は幼い烏に生きるすべを教えた張本人なだけあって、すれすれのところで鷹は避けたようだった。怪我は一見では『酷い怪我』に見えるが、それは血が身にまとうモノに滲んでいるだけのことで、本人のトイ度の通り、大したことはないのだろう。
「なぁに、客人には『傷一つ負わせるな』と褥に言われてな。女だしどんくさいから、守るのも一苦労だ」
そうおどけて笑い方を変える余裕まである。この調子ならむしろ心配する方が失礼だ。烏は師匠のけがの応急処置腐――あくまでも最低限、だが、鷹の後ろに隠れている人影を目ざとく見つけた。
「……『月下』?」
大きなローブを着た上に、フードを被っていたが、その隙間から零れるように溢れる、滑らかな黒髪は隠せない。……その髪質、色合い、艶、その全てが烏のものと酷似している。
「おい、まだ乱暴はするなよ!」
鷹が慌てて制止する。……が、時すでに遅し。烏は果物ナイフで、顔を覆い隠すフードを器用に切り裂いていた。顔には一切傷などつけずに。それが尤も恐怖を煽れる方法だと確信した上で。
「……あちゃー」
そこから露わになった『月下』の顔は、烏がそのまま大人になったような、どこか無感動で無表情な、美しいけれど近寄りがたい雰囲気を纏っていた。彼女は眼前に果物ナイフの動きがあったというのに、眉ひとつ動かさない。……無意識のうちに、烏はつばを飲み込んでいた。その動揺は、確実に彼女――月下という名の女に伝わったことだろう。
「あんたが……『月下』!?」
怒りをそのままに、烏は月下に掴みかかる。無意識のうちに、果物ナイフは手に持たなかった。……カラスの群れは一斉に高い鳴き声を上げる。それは忠告と警告の声だった。
月下は表情を全く変えず、よく通る、烏とこれまた酷似した、鈴の音のような高い声で言い放つ。
「図が高いぞ! 私は月城月下! 上層部月城家の当主であるぞ!」
『月下』、もとい『月城月下』はそう宣言した。まさかこう返ってくるとは全くの予想外。この女の前では、『殺し専門』の異名を持つ烏でさえも、『ただの小娘』に過ぎなかった。
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2014年 月日 莊野りず
月下登場。
か弱い印象にしようかと思ってたんですが、強気な感じでもいけるんじゃないかと思ってこんな感じになりました。
果して彼女は烏の母親なのか?
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2015年 4月14日 莊野りず
上ではこれで良かったのかな?的なこと書いてますが、この先はむしろこれで良かったな展開です。
あと三章、『烏について』が明かされますが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。
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