城物語

第六章 褥――シトネ――

 『月下』に連絡を取ることにした。その手段には手紙がいいと鷹が主張するので、そこは素直に彼に従う。あくまでも教わったのは主に読み方だけで、烏は自分の名である漢字、『烏』の文字と読み方しか知らなかった。ひらがなも酷い癖字で、烏本人にしか何が書いてあるのか解読不能と言う有様だ。
 そのような事情から、拙い文字しか書く事の出来ない烏は、鷹に代筆を頼んだ。……自分が育てた娘とあっては鷹としても断れない。
「……お前は相当親を恨んでいるようだな」
「当たり前よ」
 普段は冷静で冷めた少女である烏が感情を露わになるなど珍しいことだ。鷹としては喜ばしいが、その利湯が理由なので複雑な気分だ。その理由もたかが持ってきた話、持ち掛けた話が原因なのだが。……とにかく、この状態の烏には何を言っても無駄だ。
 鷹は手荷物の痛んだ鞄の中から、便箋と封筒を出して手紙を書き始めた。もちろん『城』は元はオフィスビル群だったというう話は鷹は知っているが、その『オフィスビル』という建物は、これほど平らな場所もない所だったのだろうか。そんな事を考えながらも、便箋を自分の字で埋めていく。
 烏はそんな鷹の様子をただじっと見ていた。親代わりでもあり、殺人の師匠でもある。『殺し専門』という名を背負うことが出来るまでに成長したのも、鷹のおかげだ。彼が護身術代わりに簡単に人を殺す術を教えてくれなければ、とっくに自分は死んで冷たくなっていたはずだ。そうならず、むしろ嬉々として同じ『人間』という生き物を殺す、何の躊躇いもなく。……もちろん彼はそんな真似を推奨したわけではない。あくまでも『自身の身を守る』ための術だった。
 しかし、まるで鷹は、烏がこうなる事を予め知っているようだった。


「それにしても師匠、なぜあたしがここにいるって解ったの?」
 今更な疑問。鷹の言う通りに、誰も来ないような、腕に自信のある者しか来られないような、烏としてはそんな場所を選んだつもりだ。それをこうも容易く再会できるとなると……居場所を変えるべきだろうか。
「理由は簡単だ。情報屋を雇った」
 情報屋は城には多い。何しろ襲われれば即死に繋がる場所なのだ。基本的には弱者が頼るものなのだが、優秀な情報屋ほど当然要求してくる額も桁違い。ゆえに相当な旧運の持ち主しかかかわりを持つことはできないのが暗黙の了解だ、……情報はこの城では何よりも価値が高い。
 鷹が雇った情報屋というのもかなりの腕利きなのだろう。あれだけの確信を持って選んだ場所なのに、と自分もまだ甘いとつい俯く、舌打ちする。
「そんなにがっかりするな。……俺の雇った奴は褥という名の女だよ。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
「褥……」
 確かにφの店で銘々から聞いたことがあった。『城』が存在する以前から存在する、謎だらけの情報屋。その姿を見た者は、残念ながら繁盛しているφの店でも、あらゆる男に言い寄られる銘々が得意の駆け引きを駆使してでも、一人もいなかったらしい。それだけ名が知れていながらも、実在するという証拠はあまりにも少なく、半ば伝説と化している。……それが烏の知る、『情報屋・褥』についての全てだった。
 φも銘々も褥を雇いたいが、金がないと言っていた。目的が何なのかはあえて訊いていないし、訊く必要もない。商売のためだろう。『死の商人』とも呼ばれる武器商人でありながら、情報屋を雇うこともままならないと聞いた時には情けないと思ったが、今思えばそれも当然だった。どうして一介の武器商人に何のメリットもなしに伝説の情報屋が『会いたい』などと思うだろうか。
 『褥』という名は、『城』に最初に棲んだ者が使っていた名だと聞いた。それは今から百年は前になるだろう。『城』が出来た、そう呼ばれる場所と化したのは、烏が生まれてくる、少なくとも百年は前の話だ。瑠プ手の全ての指を使ってみるも、それがどれだけの『昔』なのかは、烏には解らない。その『最初の褥』が死ぬと、その子が二代目『褥』を名乗り、その後はその子が……と代々名を継いで、出来たのが現在の『伝説の情報屋・褥』というわけだ。
「今の褥は女なの?」
「ああ。七代目だと言っていた。俺も『城』は久々だからな。迷わないよう念のためだ」
 武器商人であるφでさえも雇えない、あの『褥』を雇うなど、鷹は相変わらず凄い男だ。それだけの実力と賢さ、判断能力。それらは自覚のある、烏に欠けるモノ。烏はごく当たり前にそんな優れた存在である鷹が誇らしい。自分はなんという大物に育てられ、教えられたのだろう。その事は非常な幸運だと断言してもいい。
 尊敬の眼差しで、烏は鷹を見上げる。その鷹は自分を慕う愛弟子の頭を、武骨な手には不釣り合いなくらいの優しい仕草で撫でる。
「……そろそろ褥が来る時間だ」
 どうやら鷹は『外』へ行くつもりらしい。……ついて行けば母親だという『月下』という名の女の情報も手に入るかもしれない。何しろ彼は、書き終えたばかりの『手紙』を出すというのだから。一体どんな仕組みで、ユウビンキョクとやらがこの無法地帯である『城』の、多分『上層部』に棲む女の元に届けられるのか。その仕組みは烏には解らない。そもそも烏はそんなことまで頭が回るほどの余裕はない。ただ、日々を、毎日を生きていく事だけに精一杯なのだ。
 ……やはり、烏には『城』を出る覚悟はなかった。


 鷹が懐中時計のふたを開けて時間を確認する。
「……時間だ」
 物珍しそうに懐中時計を見る烏を尻目に、鷹は上を向いた。釣られて烏もそちらを見上げるが、あるのはいつも通りの蜘蛛の巣が張った埃だらけの天井。ボロボロで、ここ一帯を雨のしのげる場所として機能しているのは、朽ちたベニヤ板のみ。そこにもカビが生えている。そんなところなど、気にするなんて鷹らしくない。
 しかし、しばらく待つと、フロアの天上に空いた小さな穴から、どう見ても人影が飛び降りてきた。
「!?」
 あまりにも急な出来事に烏は驚いたのだが、鷹はそれも想定内だとばかりに影を見つめる。その影も、相手が鷹だと気づくと、にっと笑った。それはやはり漠然と抱いていた『褥』という名の情報屋らしい、どこか皮肉めいた笑いだった。
 日本ではすでに廃れて久しい、烏にとっては見た事も聞いた事もない『奇妙な』と形容するしかない、着物姿のどこか斜に構えたような目つきをした女、いや、少女。歳の頃は烏自身と大して変わらないのに、彼女は細いがバランスのいい体格をしている。それだけ食事にも恵まれているのだろうという事は、物知らずな烏にもすぐにピンときた。
 それが『褥』だった。
着物の裾を上に上げて、細い生足を晒している。銘々のような『透き通る』と形容されるであろう白い歯fだとは対照的に、所々に黒いボツボツした部分が目立ち、顔にもいくつもの肌荒れと見える現象がある。外見には気を配らないタイプのようだ。それとも仕事の都合上、自然とそうなったのか。どこか『赤』を連想させるセミロングの髪は、二本の簪でアップにして纏め、煙管を咥えて紫煙を燻らせている。一体どうやってそんな無茶な事をしながらやってくるのだろうか。それほどまでに、この嫌なにおいのする物質は美味しいのか?
 そんな烏の事など最初から眼中にないらしい褥は、鷹に向かって先ほどと同じにやりとした、どこかドライな性格を窺わせる笑顔を向ける。
「待ったかい? 旦那」
「いや、時間ぴったりだ。確かな仕事で助かるよ」
 褥は烏の方を見て人の悪い笑みを浮かべた。そんなじっと見られるなんて事はφと銘々以外の相手には初めてだった。烏は大いに戸惑い、昔のように鷹の後ろに隠れようとするが、彼はそれを許してくれない。
「へぇ。旦那の探してた女ってのは、烏のことだったのか」
 褥は一通り烏の『観察』を終えると、なぜか満足げに微笑んだ。今度は何も感じられない、邪気のない無邪気な笑み。
「……あたしを知っているの?」
「この城の事は誰よりも知ってるさ。さぁ、旦那は『外』へお帰りだ。言いたい事があるなら今のうちに言っときな」
 褥は気を遣ってくれているようだ。初対面の烏はあくまでも『嫌われ』はしなかったらしい。その事に、内心で安どのため息をつく。『情報屋』を敵に回すことは、この『城』では絶対にやってはならない事だ。そんな真似を進んでするのは自殺志願者くらいのもの。『情報』はそれだけの『武器』だ。
「じゃあ一つだけ。……また、会えるよね?」
「……」
 鷹は何も言わずに褥の後をついて行った。手紙はきっと『月下』の元に届けてくれるのだろう。鷹は昔から、弟子であり娘のような存在である烏には、結局のところで甘かった。
 それでも胸の中の不安は消えなかった。

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2014年 7月17日 莊野りず

褥という名前は私の中の中二心が発作的に出て決めた名前です。
廃れた雰囲気の少女も結構好みなので。
さて、いよいよ折り返し地点です。
ちなみにこの時代には法律も何もなくなっているので、十代でも喫煙OKなんです。
殺人が認められてる時点で察してください。
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2015年 4月13日 莊野りず

なんか滅茶苦茶な世界観で申し訳なくなってきました。
でも、大概の世紀末はこんなもんじゃないでしょうか。
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