城物語

第四章 鷹――タカ――

 新調した果物ナイフは烏の手に馴染む。一世代前に愛用していたものと同じメーカーの物だからかもしれない。相棒が無事に戻って来たようで、どこか気分も弾む。
 烏はφと銘々の住む店の裏手にある居住スペースに一晩泊まると、自分のエリアに戻った。この『城』では領域争いが盛んで、群れになった男たちが、たまに烏の棲む場所に攻め込んでくる。一々場所を変えるのも面倒なので、師匠直伝のナイフさばきで撃退している。
 それでも他の者が烏の領域に入ってくることは絶えない。……いい加減にしてほしいものだと、烏はその度に思う。追い払うだけでも、手間は手間なのだから。
 カラスがギャアギャア鳴いている。
 ――また侵入者か、いや、この気配は……!


 烏の棲む場所は、かつてはデパートの洋服売り場だったと思われる場所だった。もちろん、その全盛期にはこの世に生まれてすらいなかった彼女には知る由もないのだが。一目見た時から、師匠の言う『条件』を満たすいい場所だと確信してのことだ。ある程度広さがあり、遮蔽物もある。……尊敬する『師匠』のアドバイス通りに選んだ場所だった。
「……元気だったか?」
 忘れようのない声、懐かしい声。忘れるものか。忘れようとしても烏の脳裏に焼き付いて離れない、低い男の声、力強い声。それは烏の師匠である『鷹』のものだった。
「……」
 烏は声を出す事も忘れて立ちすくむ。それもそのはずだ。鷹は烏の目の前で……殺されたのだと思っていたからだ。当時の苦い記憶は、トラウマとなり、今でも夜毎に烏を苛む。今では『外』に出ていくための嘘だったと頭では理解できるようにはなったが、あの時、鷹を囲む屈強な男たち相手に、なす術もなく倒れ去った彼の背中には、深い傷があった。……それも、ただの見せかけだけ?
「……本当に、本当に、師匠なんですか?」
 信じられない、嬉しい喜びに烏の声は裏返る。鷹はジャケットを脱ぎ、致命傷である心臓に負った傷があるはずの場所を彼女に見せた。だが、驚いた事にそこには傷など全くなかった。むしろ、健康的すぎるくらいの肌の張りと筋肉質な暑い胸板がそこにはあった。
「……あの時は、お前を試したんだ。お前が『城』で生きていけるかどうか」
 鷹が背負った荷物の中から分厚い本、いや、正確には百科事典を取り出す。そこには深い刺し傷があった。……今のカラスならば解る、子供仕掛けのトリックだ。
「じゃあ、でも、どうして?」
 上手く言葉が紡げない。鷹が生きていたことは嬉しいが、納得できない部分も多い。それを詳しく説明して欲しかった。もっと言えば、ただ彼とこうして話をしていたかった。
「それはお前の食事を馳走になりながら話すとしよう。……お前には嬉しいか悲しいか解らない報告もあるしな」


 烏の食事はいつもリンゴ一つだ。彼女が美味しそうにリンゴを齧る姿を見ながら、鷹は携帯用の食料を荷袋から取り出した。前時代からあるような、固形のスティックタイプの、ジャンクフードに近いモノ。
「ほら、もっと食え。痩せすぎだ」
 彼は携帯食料を烏に勧めるが、烏はそれを受け取ろうともしない。ひたすら、真っ赤なリンゴを小さな口で齧るのみ。……まるで昔話に出てくる小食の姫のようだ。しかし、そんなことではこの先やってはいけない。
「あたしはリンゴしか食べないから」
 その言葉を聞いて、鷹は残念そうな顔をする。いや、して見せる。少しは興味を惹いて、食わせるという魂胆だ。だが、いくら彼が美味そうに食べてみても、彼女は見向きもしない。……本当に『食事』の楽しさすら知らない少女が哀れに思えた。
「この世には美味いモノがたくさんあるのになぁ」
 それを聞いて、烏は少し罪悪感を覚える。……せめて、受け取るべきだったかもしれない。そう後悔はするものの、未だに十二、三歳の少女には、そんな気遣いは出来ない。まして、彼女は親もいないし、常識やマナーを教えてくれるような人物とは無縁だった。
「お前は親が生きていたら、『嬉しい』か?」
「……え?」
 考え込む烏に突然質問をしてくる鷹。それは烏にとっては突拍子もないものだった。……両親がいる事すらも頭から抜けていた。子供が生まれる理屈だけは銘々に叩きこまれて知ってはいるが、しようとは思わない。
「……いいえ。あたしを捨てた両親なんていらない」
 カラスも鷹の頭をつつく。彼女の言葉の真意を理解しているからだ。カラスたちはひたすら鷹の頭をつつく。ついばむ、齧る。それでも彼らの勢いは止まらない。
「おい、この鳥を何とかしろ! 俺は何も両親とよりを戻させたくて城に来たんじゃない。逆だ」
 鷹の必死さが伝わったのか、カラスは鷹の頭をつつくのをやめた。当の少女、烏も驚いて鷹を見返す。彼はやっと鳥から解放されて、髪を直している最中だ。
「……逆って?」
 烏が興味深そうに尋ねる。その瞳には単なる興味ではない、深い何かが映っていた。単純に一つの感情には絞れない、複合的な何かの『感情』。
「……お前を捨てた両親に復讐しないか?」

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2014年 6月24日 莊野りず(初出)

伏線も何もなく、気分で書いてる連載四章めです。
思ったより早く師匠が出てきちゃいました。
烏は何と返事をするのでしょうか?
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2015年 4月11日 莊野りず(加筆修正後更新)

鷹が何を考えているのかはミステリアスキャラゆえ秘密です。
大体どうなるのかは見えるんじゃないでしょうか?
でも大概のセオリー通りの展開ですね。
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