城物語

第二章 φ――ファイ――

 城の中央に位置するのは、前世期には大量の観光客を呼び込んだという、地上五百メートルのビルだ。 烏は階段を、一段一段、辛抱強く上る。彼女の細すぎる手足は悲鳴を上げているが、ここで倒れても誰も彼女を助けてくれる者などいない。むしろいい餌だと食われるだけだ。それがここ『城』の真理。
 栄養不足を感じさせる、その細すぎる身体は何度も倒れそうになるが、傍らの大量のカラスたちが、ふらつくたびに心配して寄ってきてくれる。「大丈夫か?」と。彼らがいるから、彼女も一人でも平気なとこともある。
 この烏という少女は、全体的に栄養不足だ。胸も当然ペタンこで色気も何もあったものではない。仮にも成長期と呼ばれる年代だというのに。主食は大抵りんごで済ますのは彼女の悪い癖だ。カラスたちもそれを指摘はするが、それ以上は踏み入ってこない。……やはり友人にはうるさい人間なんかよりも、静かで心優しいこの獣が一番だと思う。
 しかし、こうした幼い少女に魅了される危ない男がいることも事実だった。いつの時代にも、『危ない奴』というモノは、残念ながら一定数以上はいるものだ。……その中には、これから彼女が会いに行く『φ』も入っている。
 非常に残念な事ながら、武器を売る店というのは限られるし、彼女の体力的にもどこまで行けるのかも未知数なので、妥協するしかない。それに加えて、彼の姉もまた、『厄介』なのだ。


 烏は鳥のカラスを引き連れ、φの店のドアをくぐった。『城』では珍しいことに、この店のドアは自動で開く。……この時代、電気の供給率は非常に低い。烏が不思議だと毎回思うのも無理はない。前世期には日光を集めて発電する、ソーラーパネルというものが流行ったと聞いたことがあるが、『城』にはそんなものはない。
 ここは『外』の世界とは拒絶されているのだ。いくら『外』に便利なものがあったとしても、この『城』を出ないことにはその恩恵に与れない。その事を解っていても尚、この『城』の住人は減ることがないのだ。
 それだけこの『無法地帯』の居心地の良さに慣れてしまっているのだろう。何しろこの『城』の中での殺人は当たり前だが、『外』の世界では、『ケイホウ』という名の、死より辛い拷問という責め苦が待っている。
 いくら時を重ねても、人間の持つ『残虐性』というものはなくならないのかもしれない。


「φ、いるの?」
 φの店は商品がごちゃごちゃと並べられて、本来広いはずなのに狭く感じる。その『狭く感じられる店内』には、果物ナイフからマシンガンまで、様々な武器が売られている。烏は辺りを見回すが、目当ての人物は影も形も見当たらない。留守かとも考えたが、仮にも貴重な『商人』である彼が店を開けるなど考えにくい。
 店内を占めるのは銃火器の類だった。しかし、銃は人気がないらしく、いつも売れ残っている。理由はカラスにはよく解る。この『城』に棲む者たちは、殺人を『楽しみたい』者で占められているため、一発で獲物を仕留められる銃は不人気なのだ。  烏としても頸動脈を切り裂く瞬間が好きで、敢えて威力の低い果物ナイフを愛用している。……あの頸動脈を掻っ切る時の快感ときたら、語りだしたらきりがないくらいだ。
 しばらくごみ溜めのような部屋で待っていると、細目の男が顔を出した。彼は身体のラインも細く、烏と同じく『貧相』という言葉が当てはまりそうな体格をしている。この男こそが、烏が捜していた『店主』のφだ。どうやら彼は、商品整理をしていたらしい。漆黒の髪に埃が降り注いでいる。
「烏ちゃん! 結構久しぶりじゃないか? 元気にしてる?」
 こう尋ねてきたの。相変わらずの親しげな口調には苛立ちを覚えるが、これも武器のためだと耐える。この男の話は大抵の場合長くなる。近況報告なんか『城』ではするべきではない話題だ。なぜなら、自分の素性がうっかり漏れる危険があるからだ。この事も師匠に教わった、『生き抜くための術』だった。
 φは大陸出身だと言っているが、多分これは本当だ。彼のような顔立ちの同国人を、少なくとも『城』の中では見たことがないから。そして彼は。幼い頃にこの『城』を一目見て以来、虜になったと言っていた。
 『城』にはこうしたタイプの人間も珍しくない。あくまでも自身は手を汚さず、他の者たちの生死を愉しむタイプ。そんな者も残念ながら少なくはない。だが、このφは、純粋にこの場所に惹かれたのだと思う。でなければ、どうして『武器商人』などという、面倒極まりない職業をしているのかが不明だから。ただ、自分の売った武器が人を殺すのが楽しい、という歪んだタイプなのかもしれないが。
 彼はタートルネックの、男性用チャイナドレスを着ている。……いつ見ても同じような格好だ。敢えて違う点を挙げるのならば、色違い、という点のみ。デザインも全て同じで、ある意味では彼自身がこの店の看板のようなところもある。
「……久しぶり。果物ナイフが錆びちゃったの。新しいのが欲しい」
「烏ちゃんの獲物は、いつも『果物ナイフ』だねぇ。たまには銃とかどう? 安くしとくよ?」
 それがセールストークだと解っているので、烏は首を左右に振って断る。……元々、このφは好きな部類の人間ではない。無神経に質問してくるという点が特に嫌だ。しかし、彼はそんな烏の様子など目もくれずに、『商品』を手で操る。その手際の良さだけは素直に凄いと思える。
「果物ナイフなら、これなんてどう? 折り畳み式で切れ味抜群、ライトもついてるよ」
「それは『サバイバルナイフ』でしょ? あたしが欲しいのは『果物ナイフ』!」
 こうして多くを語らねばならない時が、彼女にとっては苦行だった。言葉を発するのが苦手で、下手にむずかしい言葉を使われると混乱してしまう。師匠は基本的な事しか教えてくれなかったし、彼にも事情があったらしく、当時の本当に『幼い』という形容が似合う少女だった烏を置いて『外』へと去った。……それでも、彼に感謝している事には変わりはないが。
 ――カラスたちならば何も言わなくても解ってくれるのに。
「じゃあこれでどう? ジャック社の新製品、何でもよく切れる『肉切り包丁』」
 段々苛々してきた。自分は『果物ナイフ』を求めてやってきたのだ。『ナイフ』なら何でもいいわけではない。烏には彼女なりのこだわりがあって、相棒ともいえる武器を『果物ナイフ』に選んでいるのに。
 こういう事を察することのできないところがφの嫌いなところの一つだった。カラスはショーウィンドーを覗き込み、以前使っていたのと同じメーカーの果物ナイフを見つけた。即、φに指で示す。彼は嬉しそうに低身長の烏の方を振り向き、だらしない顔をした。
「φ、あたしこれにするわ」
「そんな安物で大丈夫?」
「あたしは生まれた時からここにいるのよ? たったの三年で『死の商人』なんて呼ばれてるからって調子に乗らないで!」
 一気にまくし立てるとφは黙った。そしてこれまでの上機嫌は嘘のように、渋々ショーウィンドウから目当ての果物ナイフを取り出す。
「……三千円」
 烏は千円硬貨を三枚出した。「まいど」という、不機嫌丸出しの声は、接客には失格だ。だが、どうにか目的は果たした。あとは帰るだけだ。『彼女』にも会わなくて済んだし。
 ――これでやっと帰れる。
 そう安心した時だった。φがドアの前で立ちふさがっている。帽のように細長い両手両足を出来る限り伸ばして、自動ドアの動きを極力阻害するように。
「……何のマネ?」
「もうすぐ銘々が帰ってくるんだ! 烏ちゃんがいたことを知られると怒られる!」
 『銘々』という名を聞いただけで、烏の顔からも血の気が引いていく。ある意味では、このφ以上に苦手な相手、会いたくない相手だ。その彼女が、『帰ってくる』? 冗談じゃない。
 烏が帰ろうとφの封鎖を抜け切ろうとしたところで、カン高い女性の声がした。

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2014年 6月12日 莊野りず(初出)

元々φの名前はウエイでした。PCクラッシュする前に書いてた話なんですね。
でも自分でも変な名前だと思って、せめて記号にしてやろうと思ってφにしてみました。
ファイ・ブレインから取りました。あのアニメ、ヤンデレが多くて好きですv
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2015年 4月7日 莊野りず(加筆修正後更新)

烏が苦手なキャラ二連続登場。
その第一弾がφです。
こんなヘンテコネームがあっても、荒廃した未来ならばアリじゃないでしょう
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