城物語

第一章 烏――カラス――

 二十一世紀はとっくの昔の世界。
 多くの人類が夢想したような、夢のような世の中、にはならなかった。無理に発展を目指した人類が、最後にたどり着いたのは、果て無き荒廃だった。建物は朽ち果て、人々は次々に食料を求め、餓死していく。地獄のような光景がその時代だった。
 そんな世界が荒廃した時代の、日本、東京。
この国も、一戸建ては風化し、影も形も残ってはいない。建物に触れると、手に砂のような、建築物の残骸らしきものがべっとりとつく。……ここももう駄目か。仮にも世界でも有名な国だったはずなのに、今では日本国民すら寿司というものがどのような食べ物かも知らない。
 そんな場所で、残っているのは、丈夫に作られたオフィス街のビル群のみ。それも高層ビルのみ。これらはその性質上、普通の建物よりは幾分か上部に立ててあったためだと思われる。幸か不幸か。
 そして、とある地帯に廃ビル群が集合体と化している場所がある。前世期の電柱とおぼしき棒と棒の間には電線が絡みついている。それはまるで大昔に使われていた洗濯物を干すためのロープに似ていた。建物が集合したこの場所は、見通しが悪くて薄暗い。まだ日は落ちていないというのに。自生する茂みからは、今にも獰猛な生き物が顔を出しそうだ。人々がこの場所を意図的に避けるのも無理はない。
 無限に広がるビルのフロアは、天然の迷路と化していて、生きて出ることはほぼ不可能い近い。この建物に精通した者ならば話は別だろうが。入り組んだビルが合体している様は威圧感たっぷりで、見上げるだけでも本能的な恐怖を刺激してくる。ここの住人はこんな場所で、よくも気が狂わないものだ。
 ここは紛れもなく城だ。……少なくとも、ここに棲む者はそう思っている。ここは自分たちの故郷で、帰るべき場所である、と。優しい春風が肌に優しい、四月の晴れた日に物語は始まる。



 ガリガリに痩せた少女が、信じられないスピードで走っている。少女と呼ぶのには、若干幼すぎる気がしなくもない。見た目から察する年齢は、まだ十二、三やそこら。彼女もこの『城』の住人らしく、飢餓に苦しんでいると見える。ろくに食べていない事が、その貧弱と呼ぶべき体格から解る。
 細すぎる手足はまるで棒のようだし、胴体かてナイフで胸を一突きにされれば、すぐに息絶えるであろう薄さ。少女らしさは体格からは微塵も感じられない。だが、顔立ち自体は非常に愛らしく、その微笑みは多くの者を魅了するであろうことは容易に予測が可能だ。……ただし、本当に笑ったのならば、の話だが。その他の特徴としては伸ばしっぱなしの長い黒髪が挙げられるだろう。艶あるのは栄養を十分に取っている証拠か、それとも別の要因か。とにかく彼女の整ったパーツは顔と髪のみだった。
 彼女がその身にまとうのは、ノースリーブの黒のワンピース一枚。何の刺繍もレースもない、年頃の少女が着るにはあまりにも簡素で、飾り気のないモノ。動きやすさという点を重視して選んだと言われてやっと納得するレベルの安物にしか見えない。その裾が派手に揺れながら、少女の超人的なスピードについてっている。
 彼女の、その細すぎる手には果物ナイフが握られている。それがこの『城』という名の特殊な空間で自身の身を守るための相棒として認めた武器であり、彼女の数少ない大事なモノの一つだった。
 この少女は、名を烏といった。生ゴミを漁ったり、人間に悪さをする、知能の高い鳥。黒くて威圧感があり、襲われたら人間でも対応策は難しい、あの鳥の名前だ。
 彼女は誰とも群れを作ろうとしない、一匹狼の少女だ。ごく一部の人間と、同じ名の鳥であるカラスとしか慣れ合おうとはしない。下手に深入りすれば、利用されて殺される。……ここはそういう場所なのだ。彼女以外にも群れを作ろうとしない者は大勢いる。ただし、この幼さで単独行動を紺むのは、この少女くらいのものだ。よほど自信があるのか、それともただの愚か者か。
 鳥の方のカラスは、常に少女に付き従っている。カラスたちは烏を裏切らない、信頼できる、貴重な彼女の『仲間』だ。……そして彼女には、なぜか不思議な『能力』が生まれつき、かどうかは不明だが備わっていた。
 彼女の『能力』。それは、鳥のカラスの鳴き声が、『ヒトの言語』として聴き取れることだった。例えば、カラスが「カアー」と鳴けば、時にはそれが「お腹空いた」と聞こえるし、時には「イタズラしたい」とも聞こえる。……要は、常人には到底理解不能なカラスの鳴き声を『言語として』聴く能力、といったところか。
 そして、今現在の彼女――烏は獲物を追っている。久しぶりに見かけた『外』の者。この『城』は弱肉強食。この『城』の外の理屈など通用しないし、何の言い訳にも、命乞いにもならない。ここが『城』である以上、当然存在するのが『外』だが、烏はその『外』を見た事が一度もなかった。だから興味がある。
 ちょうど今追っている獲物は『外』から来たとしか思えない格好と体格をしていた。
「……」
 彼からは『外』について聴けるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、スピードを上げてゆく。当然、相手も必死なので、ここでの攻防戦が相手の命の瀬戸際だ。
 烏は、この『城』で育った。もちろん、他の多くのものと同じく、親の顔など知らない。ここに棲む者のほとんどはそうだ。例外には知り合いの姉弟がいるが、彼らは『大陸』の出身だし、関係ないだろう。赤子の頃にこの城の中腹に捨てられていた、と育ての親兼師匠は言っていた。……『天涯孤独である』ことを悲しいとは思わない。そんな感情は烏にはない。
 その代わりに烏にあるのは、大きすぎる破壊衝動。つまりは、『殺人衝動』。烏はカラスと同じく、血の匂いが大好きなのだ。この『飢え』を満たすためだけに『殺し専門』の仕事を引き受けては、その衝動を満たしている。報酬は錆びて変形したコインが数枚程度だが、小食の彼女には十分な額だし、目的はあくまでも『理由のある殺人』だから、それさえ満たせれば、後はどうでもよかった。


「ひいっつ! 見逃してくれ!」
 でっぷりと太った男は全力疾走しながら懇願する。そんな反応は見飽きた。もっと目新しい反応が欲しい。烏が自身の武器である果物ナイフの刃を見せつけると、彼は更にスピードを上げた。……烏からしてみれば、そんなものは無駄な時間稼ぎでしかないのだが、一応『抵抗』の意志はあるのだと素直に感心する。
「俺には妻も子供もいるんだ! 生きなきゃならないんだ!」
 三段腹を揺らしながら、男は『城』に興味本位で入ってしまった事を後悔しているようだ。この反応は久しぶりだ。興味を惹かれて、烏は問いかける。更にスピードを上げて、男との距離を詰める事も忘れない。余所者――『外』の連中にも、この『城』のルールは守らせるべきだ。
「……ならなぜ入ったの? この『城』は有名なんでしょ? 『外』の世界では?」
 鈴の音のような烏の涼しげな声は、男にとっては死刑宣告を告げる声だった。烏はいつでも仕留められるよう、手元の果物ナイフを握る手に力を込める。彼女にとってはいつもより甘い対応だった。それでも男の顔からは恐怖の色が消えない。……たかが小娘など、どこが恐ろしいのだろうか?
「だっ、だって! ここには宝がたくさんあるって聞いて……」
 なんだ、そんな理由かと、彼女はこの男を殺すことに決めた。……こんな回答などいつもの事だ、聴いて時間を無駄にした。苛立ちながら、更にスピードを上げて近づくと、次第に男のペースが落ちてくる。一気に興ざめ、さっさと殺して『終わり』にしてしまおう。
 烏にはいつでもこの男を殺すことが出来た。それをしなかったのは、僅かに聞いたことのある『外』の世界への興味という理由があった。師匠が言っていた、「『外』はいい」と。だから、純粋に興味があったが、こんな雑魚しかいない世界など『つまらない』の一言だ。
 彼女は『城』で育ったため、『外』の世界の事は何一つ知らない。だから、たまに『外』から来る者を相手にする時に尋ねて知るくらいのことしか出来ない。しかし、やはり『外』の連中は雑魚ばかりで歯ごたえがない。
 あえて『外』に出るという選択肢は、烏には初めからなかった。この『城』より心地よい住処を見つけられる自信がないからだ。それに、『殺人』という『狩り』の楽しみのない世界にも、何にも魅力を感じない。
 片手に持った果物ナイフを、軽く頸動脈に当てるだけで、あれだけ命乞いをした男は、あっさり絶命した。烏は冷たくなった彼を一瞥して、果物ナイフに付着した血液を機械的に拭った。黒いワンピースはハンカチ代わりにも使われ、数多の血を吸っている。彼女の着ている黒いワンピースは仕事着であり、喪服であり、普段着なのだ。


 男は金持ちだった。しかし、紙幣はもう価値がなくなっている時代だ。主に形の整った硬貨が、高値扱いになる。 男の荷物を漁っていると、鳥の方のカラスが肩に止まった。
 彼女はそれを撫ぜると、荷物の中に入っていたリンゴを、簡単に切り分けてから、鳥たちの群れに投げてやった。その瞬間に、勢いよくリンゴを食い尽くしていくカラスたち。その様子に満足な烏。…… 最初は死肉をついばんでいた烏たちも、最近では随分な美食家になったものだ。
「……ナイフ、錆びちゃった」
 烏自身もリンゴを丸齧りしながら、手についた返り血を洗い流しもせずに舐める。途端に苦い顔になる少女。
「あの男の血、不味い」
 それが男を葬った感想だった。感覚がマヒしているとしか思えない彼女。しかし、この『城』はやらねばやられる、そんな世界。強者こそ正義、弱者は食われるしかない。それが嫌ならば『城』から出ていけばいいだけの話だ。……彼女の知る限り、そんな人物には師匠以外にはお目にかかったことがないが。
「……φの店に行かなくちゃ」
 錆びた古い果物ナイフを捨て、烏はφの店の方角へと歩き始めた。彼女の背後には大量のカラスたちの黒い影。人々はその姿を見ただけで凍り付く。
 ――これが『殺し専門』烏か、と。


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2014年 6月9日 莊野りず(初出)

近未来ものファンタジー、のつもりです。
一応土地としては東京の百年後くらいの頽廃した街という設定です。
カラスって名前の女子キャラが書きたくて、思い切って書いちゃったものです。
φとかいう名前って近未来でもいるのかな?
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2015年 4月6日 莊野りず(加筆修正後更新)

色々酷かったところや描写不足を修正。
発達した未来もいいけれど、逆に荒廃した未来があってもいいのではないかと思ったのが書きはじめたきっかけです。
一応全話書き終えてるけど、修正作業のためここで中断。
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