●● レンアイオムニバスーSideB --- 5、努力だけは人一倍しています ●●
わたしは真中。ただの『真中』じゃなくて、この場では多分大勢の者から『先生』または『教諭』と呼ばれる立場。……それが目当てでこの職業を志したわけではない。『教育』というものに、強く『憧れて』いたからだ。今時は流行らない言葉かもしれないけれど、『熱血先生』という評価が欲しいし、そのためならばどんな努力も厭わず、ここまで頑張ってきた……『つもり』だった。
でも『現実』は残酷だ。
「真中センセ―、もっと大きな声で言ってくれないときこえなーい!」
「真中ちゃんって何カップ?」
「男子ーやめなよー?」
教室に響き渡るのはわたしの声、ではなく、無秩序な『可愛らしい教え子』のカオスな声ばかりだった。
――やっぱり、『理想』は理想でしかないのかな?
わたしは密かにため息をつくと、それを目ざとく見つけた生徒はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。……嫌な予感がするし、実際のその予感はこれまで一度も外れたことがなかった。我ながら皮肉なことに。
「……やっぱ、真中ちゃんって、『教師』に向いてないよ」
彼女は机一面に堂々と広げたメイクの道具の中から無表情にマスカラを選び、ふたを開ける。十分今のままでも長い睫に更に重ね塗り。せっかくの十代ならではの綺麗な肌が、ファンデーションで覆われるのは大変もったいない。
「……間宮さん、貴女はまだ若いのだし、それほど塗らない方がいいわ」
するとこんな時だけはクラスはまとまって、どっと笑い出す。
「出た! 真中ちゃんの的外れなツッコミ!」
「ババアの言い分なんかどうでもいいしー!」
「そういうのを『余計なお世話』っていうんだろ? どうなの? 『先生』?」
わたしから見れば十分に『可愛い』はずの教え子たちは、そういう言葉ばかりを言う。こんな時――『教師』という生き物を毛嫌いして攻撃する時にはこうやってまとまって。
「……」
多勢に無勢、これではどれほど正論を言ったとしても、誰ひとり納得はしないだろう。わたしはこんな時ばかりはこの『クラス』、『一年五組』を簡単に引き受けた事を後悔せざるを得ない。……どれだけ『可愛い』と言っても、『意図的に傷つける』言葉を言われて黙っていられるほどには、わたしも彼らの言う『ババア』ではないから。
『一年五組』というクラスは、いわば『隔離』のためのクラスだ。どういう意味かは察せるかもしれないけれど、自分でも頭の中を整理したいから考えてみる。
『校則違反』『暴力沙汰』『学力が著しく低い』『低モラル』……大体の『一年五組』の生徒は、このうちの二つを満たす要素がある生徒だ。言い換えれば間違いなくこう言われるであろう『問題児』揃い。それが『一年五組』という『クラス』だ。この高校は一学年が五クラスあり、成績が優秀な順に『一』、『二』……と続くのである。それなりに名の知れた名門校でもあるのだ。
それでも、何事にも『例外』というモノもあるものなのだと、わたしは教育大学を卒業して初めての赴任先であるこの学校で嫌というほど実感した。それが『一年五組』だ。
最初にこのクラスの担任をやらないかと持ち掛けてきたのは、この学校の実権を握っているといってもいい、教頭だった。本来はその上の立場であるはずの校長は、『生徒の自主性を伸ばしたい』ということで、あまり現場に干渉はしなかった。……それがこの場合は災いした。
『どうです、真中先生? 困難の中のチャレンジというのも燃えませんか?』
『はい! 是非やらせてください!』
あの時の教頭は、思い返せばどこかの悪代官のような顔をしていた。それに全く気づかなかったのは、念願の『教師』に慣れた喜びと、新しい生活、初めての『労働』に心躍らせていたためだと思う。
『じゃあ、お願いしますよ。……貴女のような『新任教師』がどこまでやれるか、とても楽しみですし、期待していますよ』
……今になっては、あの時のこの言葉は、どう考えても『期待』ではなく、むしろ『嫌味』でさえあったのだ。今更だが、わたしはいい加減に、自分のこの『迂闊さ』が嫌になる。昔から、幼い頃からわたしは抜けていて、いざという時に限って大きなミスをやらかすという、大変困った『自覚のある欠点持ち』だった。
例えば、中学の先輩が、『あのTシャツ』を持ってきてくれない?と頼んできた時。『あのTシャツ』というのは、所属していたボランティア部で老人ホームを花で彩り、ご年配の方の視覚だけでも楽しませよう、というわたしにとっては大変素敵だと思うイベントの時に着たものだった。当時は部長に推薦されて、わたしはリーダーシップを発揮すべき立場、後輩の面倒を見るべき立場だった。
『はい! 任せてください! みんなに伝えておきますね!』
『えぇ、お願いね。卒業アルバムに載せる写真を撮る時に着ようと思っているから……』
先代部長で、わたしが最も懐いていた先輩はそう言って微笑んだ。わたしが『こうありたい』と思うような、そんな素敵な先輩で、心から尊敬していたし、もちろん大好きだった。だから安心してもらいたくて、こう言った。
『じゃあお爺ちゃんお婆ちゃんからの手紙も持つとかは?』
こういう成果のある部活だという事が強調出来るし、思い出にもなる。先輩は「それは……」とあまり乗り気ではなかったのだけれど、当時のわたしはそれを押し切って決定した。
……そしてその写真を撮る日。わたしがやらかした『大きなミス』というのは、自分が提案した手紙を用意するどころか、先輩が頼んできた『例のTシャツ』すら、先輩本人に指摘されるまで文字通り『頭から抜けていた』。
この後の事は、先輩に申し訳なくて、卒業式まで落ち着かなかった。優しい先輩はそんなわたしを一切責めなかったけれど、卒業式には目に見えて落胆していた。他でもない、『わたしのせい』で。
それからは必死に直そうと思ってはいるし、努力もしている。それでも『三つ子の魂百まで』なんて諺もある通り、わたしの悪い癖としか言えない『欠点』は一向に治る気配がない。……そのせいで、『可愛い教え子』にもバカにされるのがわたしの日常だ。
「それで? この結果ですか。……やはり『新任教師』には荷が重かったようですね」
初めての中間テストの結果を見て、教頭はそう言って笑う。その顔には「予想通り」だと書いてある。俯くわたしは、何も言えない。悔しいけれど、事実だもの、わたしがあくまでも『新任教師』にしか過ぎず、指導力がないのは。……あれだけ大学で熱心に、周囲に引かれるほど『必死に』教えを受けておきながら、たかがこれだけのことしかできない。こんな自分が情けない。せめて、もっと工夫を凝らして、少しでも『学ぶ楽しさ』というモノに触れて欲しかった。『教師』という職業は、ただ『必要な事を教える』だけではなくて、そういう『気配り』もする仕事ではなかったの?
「まぁ、あまり気に話さらず。最初から期待なんかしてはいませんしね。……どうせ『五組』ですし、ダメな奴らは何をやっても、この先の人生でもやはりダ――」
「それは聞き捨てなりませんね」
得意げに語る教頭先生の声を遮ったのは、わたしも聞いた事のない、低いながらもどこか若さを感じる、覇気のある声だった。教頭の言いたい事は話の流れから察せるし、わたしも反論しようと身構えていたのだけど、どう言えばいいのかが解らなくて困っていた。
――ここは『職員室』だし、この時間は教師しかいないはず。……まさか、この人は……。
「こっ、校長先生!」
「お久しぶりですね。皆さんもお変わりはありませんか? これは信州の名物だそうですよ」
そう言って微笑みながら、箱菓子の包みを掲げてみせるその男性――どう見ても四十代にしか見えない――は、教師たちにごく自然にそう言った。彼よりも確実に二回りは老けて見える、今でははっきりカツラ使用だと解る頭にてをやった。
「お帰りなさいませ、校長」
そう言って応えたのは、一年生の学年主任の女性教師。彼女は一年一組を担当している。嬉しそうに五つある箱菓子の包みを開ける彼女は、以前自己申告した年齢より遥かに若々しい。
「さて、岩西教頭先生。貴方の仰りたい事の続きをどうぞ」
「……いっ、いえ!」
「『ダメな奴は、何をやってもダメ』とでも仰りたかったのでしょうか? ……貴方の考えはどうも『教育者』には向かないようですね、非常に残念ながら」
流石の『教頭』でも、『校長』には逆らえないらしい。これだけ齢が違うのに、年下なのに、目の前の『校長先生』は威厳が漂う。
「……お言葉ですが校長、それは単なる『理想論』に過ぎないでしょう? 今時の若者が何を考えているのかさえ全く解らないと言っていい事件が続出ですよ! これこそが『ダメな奴はダメ』という、何よりの証拠でしょう? 違いますか!?」
教頭は何がそれほど気に食わないのだろうか。……もしかして以前、生徒にカツラのことをからかわれたとか? 私がそんな見当はずれな事を考えていると、校長先生は優しく、『諭す』ように言った。
「確かにそれも一理あります。今時の若者は何を考えているのか解らない、そんな事件も多いです。……しかし、そんな世の中だからこそ、『良心』の存在を信じる価値もあるのではないでしょうか?」
「ですから、それこそがただの『理想ろ――」
「私自身が手の付けられない非行少年だったとしても?」
――えっ?
強く、職員室中に響き渡る音量は高くないけれど、声の質が『強い』としか言いようのない声で、校長先生はそう言った。彼の外見から受ける印象は、『昔はさぞかし大人しかったのだろうな』と誰もが思うであろう線の細い身体に、『典型的優等生』だったとしか思えない、大人しそうな顔立ち。
「私も若い頃は無茶をしたものですよ。犯罪も進んでやりました。それも何度も。……詳細はとても語る気にはなれませんがね。そう見ても『ダメな奴』でしょう?」
「……」
「その『ダメな奴』を今の立場、『校長』にまでしてくれるほどの教えをくださった『教師』、それは確かにこの学校に務めてらっしゃった。……残念ながらお亡くなりになりましたが。さて、私の言いたい事はお解りですよね、『教頭先生』?」
教頭は顔を真っ赤にして、しかし何も言わずにいる事も出来ないのか、必死で反論しようとしますが、校長先生の言う事には敵いませんでした。彼はわたしでも驚くほどに『ダメな奴』だった。……彼のしたことに比べれば、わたしの受け持ちの『一年五組』の日常など、本当に『可愛い』もの。
そして何も言えなくなった教頭が職員室を出ると、校長先生はわたしの方をじっと見ました。それは純粋な少年のような表情でもあり、過ちを犯し続けたが故の『成熟した大人』の表情でもありました。
「……私も、努力だけはしているつもりなのですが、どうも似た立場の生徒が絡むと言い方が厳しくなってしまう。まだまだ未熟です。……貴女はきっと『彼』とは違うのでしょう?」
「はい! わたしは、わたしは……みんなに『学ぶ楽しさ』を知ってもらいたくて! それで『教師』になりました!」
わたしの答えに、満面の笑みを浮かべた『校長先生』は、心から嬉しそうでした。周りの女性教師が思わず見とれているほどに。……そして、わたしの中にも強烈な想いが芽生えました。
――好きになっても、いいですか?
生憎とこんな時ばかりは意気地なしになってしまうのも、わたしの『欠点』。もう少しでも、『彼』に近づけたと確信した時には、訊いてみてもいいでしょうか?
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