●● レンアイオムニバスーSideB --- 1、お人好しにも程があります ●●
広大な敷地面積を誇る豪邸。ここに住むのは当主であり、わたくしのご主人様である正春様とメイドが……把握しきれているだけで五人。ご主人様はお父様を亡くされてから、このお屋敷を継がれました。傲慢を絵に描いたような先代のご当主様―― 正春様のお父様の頃よりも、遥かにこの家は栄えています。それは正春様のご人徳の賜物であると、わたくしは思うのです。
……ですが、時々どうしようもなく不安になるのです。なぜならご主人様は――。
がちゃん、と鈍い音がして、それまでわたくしの手の中にあったマイセンのお皿は床に落ちて、粉々になりました。元々どんくさいところのあるのがわたくしの欠点。
「ちょっと! あなたは今月だけで一体何枚のお皿を割ったと思っているの? 六枚よ、六枚!」
「……はい、把握はしておりますが、どうにもわたくしはこういった作業が不得手のようで……申し訳ございません」
「まったく、自覚があるのに直らないなんて余計にたちが悪いわ。ねぇ、みんなもそう思うでしょ?」
その場にいた、わたくしとその年配の彼女を除いた残り三人の年上のメイドたちは彼女の言葉に頷きます。
「本当にそうだよ。どんくさいし、気は利かないし、余計な事しかしないし。先代の旦那様もどこがお気に召したのやら」
「どうせ見た目だけでしょうよ? 若いって得よねぇ」
「本当にそうだわ」
彼女は口々にわたくしの悪口大会を始めます。……これもいつもの事なのです。更に『いつもの事』なのは……。
「その辺で許してあげてくれないかな? 僕は彼女の淹れる紅茶が大のお気に入りでね」
どこからこのちょっとした騒ぎを聞きつけてくるのか、毎回不思議に思うのですが、ご主人様はいつも、必ず、わたくしがこうして困っていると救いの手を伸ばしてくださるのです。なんて優しくて、気配りの出来るお方! 先代とは真逆の、まだ高校一年生のこの歳下のご主人様に、わたくしは自分でも驚いた事に、胸がときめいてしまうのです。
彼は他のメイドたち四人がそそくさとキッチンから出ていくのを見届けてから、いつもの言葉をわたくしに下さいます。優しい微笑みを浮かべながら。
「大丈夫ですか?」
その微笑みにノックアウト――古いでしょうか、この表現は――されてしまうのです。……相手は五つも年下の現役高校生だというのに。
「はっ、はい。おかげ様で何事もなく……」
「雇っている者を守るのは主人の義務だよ。……たとえ僕がどれだけ幼くてもね」
そう言い切る彼は、もはや立派なご当主様。それでもわたくしがそう呼ばないのは、勝手で一方的な、淡い恋心が芽生えているからなのだと、最近思い至りました。
「そう、なら良かった」
このご主人様は、本当に私の理想の男性です。……しかし、残念な事にどんな人間にも『弱点』や『欠点』の類は必ずあるモノなのです。わたくしは多少はご主人様より社会経験を積んでまいりましたので、その辺りの事だけは彼より詳しいと自負しているのです。
「ところでご主人様、玄関先に見知らぬツボを見かけたのですが……」
「ああ。あれは貧困に苦しむ後進国の子供たちが一つ一つ手作業で作ったというものだよ。その売り上げはきちんとその本人たちの国に寄付されるそうだ。だから奮発して百個ほど、ね?」
……これがご主人様の欠点、『お人好し』。わたくしたちメイドが一斉に注意喚起をしても、温和な彼には珍しい事に、頑として聞き入れないのです。
元々、わたくしとご主人様とでは育ちが違いすぎるのです。わたくしが明日のパンにも飢えていた頃、ご主人様は当たり前のように好きなだけ大好物のスイーツを食べていたそうです。……どれほど世間が『平等』を掲げようとも、格差が生じるのはごく当然の理なのです。それをこのご主人様は全く理解してはいないのです。
「……ご主人様、一介のメイド風情が失礼だとは存じておりますが、くれぐれもお父君の遺された遺産は大切になさってくださいませ」
そうわたくしが忠告すると、彼も流石に些かムッとして学生鞄を手に取り、無言でこの場から去ってゆきます。
「お気をつけて」
そういえば、もう登校のお時間でした。わたくしは自分が割ってしまった高価な陶器の欠片を、ひとつひとつ拾い集め始めました。
そんな調子のご主人様ですから、ご本人が望むと望まざるとに関わらず、屋敷には連日『お客様』がいらっしゃいます。……わたくしとしては最も来ていただきたくない『お客様』。
「――ってなワケや。どや、乗らんか?」
胡散臭い関西弁を不自然に操るその男は、ご自身の名刺を差し出すなりマシンガントークを開始しました。その図々しさは、当然のごとく、このお屋敷とは相反しています。
メイドたちは不審を露わにして、気づかれないよう「早く帰れ」と目くばせをしますが、このような輩に限ってそんなものは効果がないモノなのです。話の内容は、実は関西出身のわたくしにはよく解りました。――要は闇金の無理矢理の貸付の結果、ご主人様が保証人になって契約していた青年実業家が失踪した、というものでした。
未成年でありながら、保証人になれるのにはこの屋敷が政治に深い影響を与えてきた名家だからです。法律に触れるような『保証人』になる事も、暗黙の了解というヤツで許されてしまうのです。……それが今回は大変な事に災いしたのです。
「ですが、僕はまだ未成年で――」
「関係あらへんなァ! 未成年かて、実印がここにあるんやで? どう言い逃れできる思うトンねん!」
アクセントが滅茶苦茶なこの男は、おそらく脅しには関西弁が一番だとでも教わっているのでしょう。その後も散々尤もらしい屁理屈を並べ立てながらも、その実、筋が通ったことを言うだけ言って去っていきました。残されたわたくしたちは、混乱しているご主人様にかける言葉などありませんでした。
そしてとうとう『その日』はやって参りました。
あの後、例の胡散臭い関西弁の男は強引に、このお屋敷を借金の担保に入れてしまったのです。代々続く名家の血が、このままでは途絶えてしまいます。ご主人様は赤い紙だらけの、がらんどうになった広い屋敷の一室で呟きます。
「……一体何がいけなかったのかな?」
そんな弱気な言葉は、声は、ついぞ聞いた事などございません。わたくしは当然驚き、ですが、とりあえず暖かい紅茶を淹れます。……ご主人様が『大好物』だと仰った紅茶を。
「どうぞ」
わたくしがソーサーを添えてお出しすると、彼は無言で何かを考え込んでいるご様子でした。いくらご当主様といえども、やはりまだ高校生。わたくしは今こそがチャンスだと確信いたしました。
「……だから何度もご忠告申し上げたのですよ? 『お人好しにも程があります』と。もはやこのお屋敷に残ったメイドはわたくしのみですね」
最後に添えた一言で、勘のいいご主人様はわたくしが何を言いたいのかを簡単に察したようです。彼はいつものように柔らかく微笑んでこう言うのです。
「……苦労する事になりますよ?」
「それも覚悟のうちでございますわ」
わたくしはどこまでも、この素晴らしいご主人様に尽くすと心に誓います。……だって、まだ伸びる可能性は無限大なのだから。
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