モドル | ススム | モクジ

● レンアイオムニバスーSideG --- 9、惚れ直したかも、…なぁんてね ●

 綾坂あやめ、十八歳、高三。
 これだけのプロフィールなら、「ああ、ただの女子校生か」ってみんな思うでしょ? でも残念、あたしそんなその他一般の普通の女子校生じゃないの。
 超ラッキーな事にあたしは齢十八にして、既に野望を達成しているの。凄いでしょ? その野望っていうのはね、聴いて驚きなよ?


「プロポーズぅ!?」
 あやめの周りに集まっていたクラスメイト(主に女子)たちは一斉に大声を上げた。休み時間なため大声を出しても怒られない。すぐに噂話の大好きな女子の事、あやめの話にみんなが食いつく。
「相手は? イケメン? 金持ち? どっちにしても羨まし~!」
「そうよ、たとえ不細工でも金持ってりゃそれで万々歳だし、イケメンだったら顔で稼げるし……」
「でも、あやめの事だから金持ちでも不細工は嫌なんでしょ?」
 周りに群がる彼女たちの前で、あやめは大げさに咳をして見せる。
「……あたしの野望はね、イケメンかつ金持ちとの結婚、即ち玉の輿よ!」
 ふふんと教卓の上に座って足を組むあやめはまるで女王様気取りだ。しかし『プロポーズ』という言葉に浮き足立つ同級生たちには気にならないらしい。
「もっと詳しく教えてよ? どっかの御曹司とかでしょ? あやめのことだから」
 親友のミナミがみんなを代表して大事な質問をする。待っていましたとばかりに、あやめは満面の笑みで口を開く。
「月下証券の次男坊の早乙女聡っていうイケメン。年は二十四だしちょうどいいじゃん?」
 自慢だという事を隠しもせずに、あやめは軽い調子で言うが、周りは大興奮。
「月下証券って言ったら、業界でもトップクラスの大企業じゃん! どこで知り合ったの?」
「次男坊で満足なの? あやめの事だから長男狙いだと思ってた」
 ミナミはそんな事を呟くが、あやめ的には次男狙いが当然なのだ。
「だって長男っていうと、姑にどやされて、しかも老後の面倒も見なきゃいけないでしょ? そんなのご免だし」
 ……あやめは野心がある割に考え方が古い、とその場のみんなが思った。


 その日の授業が終わると、校門前にベンツが停まっていた。黒塗りのその車は他との格の違いを様々と見せつけている。クラスメイトが唖然と見送る中、運転手らしき男がドアを開けるのを待って、あやめは車に乗り込んだ。
「……藤間さん、今日は聡さんとディナーの約束があるの。着替えの準備はある?」
 ドレスコードのある高級レストランでセーラー服は確実に浮く。藤間と呼ばれた運転手は後ろにございます、と丁寧に応えた。後部座席にはあやめの好きな、淡い紫のドレスが十着ほどかかっていた。
 彼女はその中から露出度の高いものを選ぶと、カーテンを閉め着替えた。
「……大変お似合いでございます。やはりあやめ様には紫が一番お似合いです」
 その言葉であやめは大いに満足。
「聡様がお選びになったのですよ」
 その言葉で更に満足。
「速く着かないかしら。待たせるのも忍びないわ」
 あやめはワザと上品な言葉遣いで言った。本当は「超楽しみー」とでも言いたいが、そこは我慢だ。
 ……そうそう、忘れてはいけないと鞄からケースに入った指輪を取り出し、指にはめる。一千万もした、あやめの誕生石であるルビーがあしらわれた、繊細なデザインのもの。これは聡からプロポーズの際に受け取ってほしいと渡されたもので、選んだのはあやめではないが、彼女の好みを熟知したものだ。
 きっと選ぶ時に苦労したのだろうと想像すると非常に愉快だ。真っ赤になりながら年下の自分にこれを贈った聡の事を考えると、野望の事など忘れるくらいに。
 そんな事を考えながら、変わっていく街の景色を眺めていると車がスピードを落とした。
「着きました。大変お待たせしてしまい、申し訳ございません」
 道路はどこも混んでいて着いたのは約束のわずか五分前。着替えは済ませてあるからいいものの、フロントでのやり取りで五分などあっという間に過ぎてしまうだろう。内心ではこの運転手に悪態をつきたくなったが、そんな暇もない。
「いいえ、無事に送り届けてくださっただけで十分です。ありがとうございます」
 そう礼儀正しく言って、レストランのある三十六階へと急いだ。


「お待たせ。……待ったでしょう、ごめんなさいね」
 あやめは店の者が恭しく椅子を引いてから着席した。やはり聡は先に着いていて、軽く食前酒を飲んでいるところだった。
「いや、それほど待ったわけでもない。僕は先に食前酒をいただいていたし」
 流石いいところのお坊ちゃんは違う。態度も口調も洗練されていて、こんな高級レストランでも全く物怖じしていない。あやめは未成年なので前菜をオーダーすると、聡に向き合った。
「それでさっそくだけど、本題に入っていいかな?」
「ええ、もちろん」
 あやめが高校を卒業したら、すぐに豪勢な結婚式を挙げる予定なのだ。きっとその打ち合わせだろうとあやめは気楽に考えていた。ブライダルプランは雑誌を何冊も集めて、最上級の結婚式にしようと思っている。
「……実は兄さんが不祥事を起こしたんだ。妻がいるのに他の女性と……」
 あやめにとっては寝耳に水だった。結婚したら義兄となる彼とはどこか合わないと感じつつも、一生懸命合わせてきて機嫌を取っていた。次男の聡とは違っていつも高圧的でだらしない印象の男だったが、自分の会社に関わる事は熱心だったと記憶している。
 ……その義兄が不倫?
「だから、株価も大暴落で。立て直せるのは僕だけなんだ」
「……じゃあ、婚約解消しましょう」
 あやめの決断は早かった。
「え?」
 当然驚く聡に、あやめは容赦なく現実を伝えた。
「お坊ちゃん育ちの貴方じゃ会社の立て直しなんて無理でしょ? だから婚約は解消」
 あやめはそれだけ言い放つと、ちょうど前菜を運んできたボーイにも目もくれずにその場を去った。残された聡には何が何だか理解するのにかなりの時間を要した。


 新聞で月下証券の株価大暴落を知ったクラスメイト達の反応は様々だった。
「余計な欲を持つからいけないのよ」
「ツイてないねー。でも世の中そんなもんだよ」
「結婚する前に解って良かったじゃない」
 ミナミはそう励ましたが、一千万の指輪を見るたびに本当にツキがなかったとしか思えない。時は刻一刻と過ぎ、卒業式も前日を迎えた。
 あやめは卒業祝いの装飾が施された、広い体育館に一人で立っていた。安っぽい、紙で作った造花に折り紙を切って丸めた入り口のアーチ。高校を卒業する頃には、こんな安っぽい世界ともお別れ、華やかな世界で生きていくとそう信じていた。
「……バカみたい」
 残ったのは、返さなかったルビーの婚約指輪のみ。せめてこれでも質屋に入れてしばらく贅沢でもしてみようか。そんな空しい事を考えるほどにあやめは落ち込んでいた。


 卒業式ではただ卒業証書を受け取り、大して親しくもない後輩たちに見送られて校門を出た。教室では一人一人に卒業アルバムが配られ、これから頑張るようにというお決まりの言葉を担任が喋るのをただ聞いていた。その後半、もうすぐ終わろうとする担任の言葉を聞いていると、真後ろの席のミナミが肩を叩いた。
 後ろを向くと目で窓の外を見るよう合図してきた。つられてそちらに目を向けると以前と同じ立派なベンツが校門前に停まっていた。更にミナミは経済新聞をあやめに渡した。聡と離縁してからはご無沙汰だった、黒塗りの高級車。そこから出てきたのは聡だった。
 野心があるとはいえ、交際していた相手の姿を忘れるほどに、あやめは薄情ではない。
「……どうして」
 ふと渡された経済新聞に目を向けると、月下証券の株価が急上昇していた。そこでちょうど担任の話も終わり、お開きになった。
「早く行きなよ。玉の輿はアンタの夢……野望なんでしょ」
 ミナミは急に騒がしくなったクラスメイトを押さえ、言ってくれた。あやめは慌てて校門前の聡の元へ急ぐ。息を切らせて聡の前に来たあやめを、斬新なものを見る目で、ただとても優しい目で、聡は見た。
「学校だと君はそんな感じなんだ? いつものおしとやかな君より、こっちの方が好きだな」
聡はやはり昔と変わらぬ、仕立てのいいものばかりを身に着けている。近づくと、セーラー服姿のあやめの手に恭しく唇を寄せる。
「……まだ僕の事を忘れていなかったら、嫌いになっていなかったら、僕と結婚してくれますか?」
 新聞には社長が聡に変わった途端、業績が上がったとピックアップ記事に書かれていた。長男は会社から去り、もう社内でもめ事はなくなったとも。
 イケメンで、金持ちで、自分だけを一途に想ってくれて……他に何を望むことがあろうか?
「もちろん。ただし条件があるわ」
 あやめはあの日以来ずっと鞄の中にしまい込んでいた、一種のお守りと化していたルビーの婚約指輪を取り出した。
「これを、また嵌めてくれる?」
 照れくさい、古い少女漫画みたいだ、とは自分でも思う。でもこれは、結婚前の大事な儀式だとあやめは思っていた、ずっとずっと幼い頃から。
「……喜んで」
 聡は冷え切ったあやめの指にそっと指輪を嵌める。あやめは口には出さないがこんな事を思っていた。
 ――惚れ直したかも……なぁんて、ね。
 惚れた晴れたのこの勝負、あやめの完敗。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2023 rizu_souya All rights reserved.
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-