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● レンアイオムニバスーSideG --- 6、女の武器、見せたげる ●

 十八歳、高三。もうすぐ大学入試。本来なら、みんなもっと真剣になるべきだ。なのになんだ、このうるさい空間は。……何もかも『アイツ』のせいだ。
 ……失礼、俺としたことが、自己紹介がまだだった。俺の名前は中村真一、十八歳で高校三年生、そして風紀委員の委員長を務めている。自分で言うのもなんだが、俺ほど真面目で品行方正で清廉潔白な優等生などいないのではないかと思う。
 頭がいいだけではなく、性格も優しく親切、悩みごとの相談は二十四時間いつでも受け付ける。もし君が悩んでいるのな>ら、話を聞き、的確なアドバイスをしてやってもいい。アドバイスだけでは解決できないのなら、行動を起こすことも厭わないぞ。
 ほら、俺って凄く真面目な優等生だろう? 頼りがいのある男だからな、俺は。
「あー真一の方の中村~、後ろ後ろ~!?」
「はぁ?」
 後ろと言われて振り返ると、そこには俺の『天敵』がいた。……しかし、気付いた時にはもう遅かった。俺の胸元には……淡いピンクのレースがふんだんに使われた女性用下着――ぶ、ぶっ、ぶらじゃーが当てられていた!
 背後から素早く前に回したのだろう。俺の周りにいる奴は勉強する事も忘れて、みんながアホ面で笑っている。
「……お前だな」
 アホ面を晒して笑っているクラスメイトの中で、一人神妙な顔をしている女子がいる。
「……ふむ。真一にレースは似合わん、っと」
 ご丁寧に生徒手帳のメモ用ページに俺がコイツ(ブラジャー)を当てられた時の感想をメモしている。そしてそれが終わると、俺の方を見て「ヨッ!」と元気よく白い歯を見せた。
 この女、中村明美は俺の『天敵』である。名字が同じ「中村」で、最初から席が隣同士だった。……今思い返してみれば、俺の完璧かつ薔薇色な高校生活がおかしくなったのはコイツのせいとしか思えない。


 高校二年までは同じクラスになる事はなかったが、噂くらいは聞いた事があった。――なんでも、男女関係なくセクハラする痴女がいるらしい。そんな、根も葉もない噂だった。
 俺は鼻で笑ってやった。高校三年という大事な時期に、セクハラ行為など愚かしい真似をする者などいるはずもない。三年に進級する時、初めて中村と出会った(いや俺も中村だが)。
 中村は俺がイメージする『痴女』とは全く反対で、制服の着こなしは清楚、スカート丈も校則通り、正直言って好みのタイプだった。スカート丈を守らない女子が多くて、風紀委員長としては困っていた時だったため、彼女への第一印象はかなり良かった。
「君が中村さんか。俺も中村だ。中村同士仲良くしよう」
 俺が爽やかに挨拶をすると、中村はにっこり笑った。
「うん、あたしも中村君には興味があったんだ。……中村君って風紀委員なんでしょう?」
「ああ。先輩が卒業してしまったから、今は俺が委員長やってる」
 そう答えると、中村は更に笑みを深めた。……可愛いなどと思ってしまった、あの日の自分を殴りたい。股間に違和感を感じたのだ、それも突然に。
「……え?」
 ゆっくりと視線を下に向けると、女子の制服であるブレザーの袖が見えた。俺はますます混乱し、更に下を見た。……見なければよかった。
「これで、トモダチンコだね!」
 ……あまりにも、いい笑顔だった。その日以来、俺はほぼ毎日、この同姓の痴女にセクハラを受けるようになった。


「うひゃひゃひゃひゃ~見ろよ、このグラドルの乳! あたしの目測だとGは確実にあるね!」
「マジか!? いやでも、中村が言うんなら間違いねーよな」
「……いや、でもバランス悪いって! このウエストでGじゃパットでも入れてない限り絶対将来垂れるって!」
 日課の俺へのセクハラを終えた中村は(俺も中村だが)、教室の真ん中でグラビア雑誌を広げた。その周りには男女関係なく、クラスメイトが群がる。そしてそのグラビアアイドルの顔やスタイルについて好き放題言いあう。
 大多数のクラスメイトは中村に好意的だが、一部の大人しい生徒は当然いる。彼らは常に、この騒がしい連中に自習の邪魔をされている。
「おいお前たち、いい加減にしろよ!? ちゃんと勉強してる奴を見習え! あと、その雑誌は没収だ没収!」
 俺が手を叩いて注意すると、連中は蜘蛛の子を散らすようにバラバラになる。
「あ~! それ、あたしが一生懸命バイトで稼いだ金で買ったんだよ!? お宝ものの袋とじ伝説のGカップグラビアまだ見てないのにぃ~!」
 ……オッサンまで入っているのか、手におえない。
「じゃあ学校に持ってくるな! 学校は勉強するところだぞ!?」
「でも日本は民主主義国家だよ? みんな~! 多数決でこのひらひらレースのブラが全然似合わない堅物からグラビア取り戻そう!」
「賛成!」
「じゃあ俺、直径から実はいくつか計算してみる!」
「袋とじはやっぱみんなで共有してこそだよな~!」
「イヤイヤ、一人でじっくり堪能もありだぞ!」
 一人、また一人と、中村(俺も中村だが)に同調するクラスメイト達。……体育祭では全く団結せずに、うちのクラスはビリッケツで負けたくせに、こういう時だけは『悪ノリ』という名の絆ででも結ばれているのか?
 当然俺たちのような真面目な優等生はこいつらのノリには負けてしまう。そして毎回最終的に勝つのは中村(俺も中村だが)なのだった。


「真一、今回の模試はどうだった? 高校生活最後の模試は?」
 母さん手作りの、イモの煮っ転がしを食べていたら、そう訊かれた。……まいったな、俺から言い出そうと思っていたのに。
「ああ、過去最高だ。全国十三位」
 ふふん、こんな賢い息子を持ってさぞかし幸せなだと思うだろう。俺は賢いだけじゃなく、孝行息子だからな。
「……凄いわ! 私の……ゴホッ」
 多分息子と続けたかったんだろうが、母さんは言葉に詰まった。
「大丈夫か?」
「……平気よ、これくらい。多分気管に入っちゃっただけだし。それにしても凄いわぁ!」
 俺が鞄から、模試の結果の載った紙を見せると、彼女はうっとりとそれに見入った。
「これなら何にでもなれるわねぇ。お医者さんか弁護士さんか……職業は自分の好きな道に進むといいわ。真一なら何でもできるもの!」
 そうだろう、そうだろう、俺は何でも出来るんだ。大学入試の主要教科はもちろん、家庭科も体育も、音楽も得意だ。だが俺は謙虚で慎み深いから、そう思っていても口には出さない。
「そんな事はないが、まぁ……医者辺りは妥当だな」
「もうっ! 本当に真一は謙虚ねぇ! 親として鼻が高いわぁ!」
 この言葉ですっかり気をよくした俺は、いつもより勉強時間を二時間増やし、三時に寝た。


 そして目覚めた時、時計を見ると八時を回っていた。いつも目覚ましがなくても決まった時間に起きられるのは俺の特技の一つだが、昨日はいつもより就寝時間が遅かったためか、寝坊した。普段なら起床時間を過ぎても二階から降りていかない時は、母さんが起こしに来るのだが……。
 嫌な予感がして、慌てて一階へ降りると、焦げ臭い匂いが充満していた。慌ててコンロの火を消し、換気扇を回す。そしてコンロの前で転倒している母さんを助け起こした。
「母さん!何があったんだ?」
「……あら、真一。ごめんなさいね。なんだか眩暈がして……。でも私の事になんて構ってないで、学校に行きなさい。大事な時期でしょ?」
 俺はしばし逡巡した。母さんに外傷はないし、ただ煙を吸い込んでしまった事によって眩暈を起こしたのだろう。それなら彼女の言葉通りに学校に行くのが『孝行息子』の正しい行いだ。俺はそう結論づけ、学校へ遅刻すると電話を入れてから家を出た。
 学校で授業が始まっても、俺は生まれて初めて、勉強に集中できなかった。もちろん母さんの事があるからだ。
 そんな時だった、後ろの席の中村(俺も中村だが)からキャンパスノートが回ってきたのは。今日はとてもじゃないがアイツの相手をする余裕などない。……そのままスルーしようとしたら、隣の席の男子生徒がニヤニヤ笑って小声で囁いてくる。
「……見てみろよ。ふせん貼ってあるとこは特におススメだし!」
 逆らうの気力もないが、これ以上黙っていたらコイツらを増長させるだけだ。ページを捲ってみると、そこには昨日の『アレ』を当てられた俺の写真がスクラップされていた。いつの間にか撮られていたらしい。乳首の部分には星のシールが貼ってある。
 ――いい加減限界だ。
「いい加減にしろよ! 人が黙っていれば調子に乗りやがって! ふざけんな!」
 授業中にも関わらず、俺は中村(いや、俺も中村だが)に、そう怒鳴りつけていた。教師がぽかんとしている。……俺はまたしも、生まれて初めて学校を早退した。


 家には誰もいなかった。母さんのメモがダイニングテーブルの上に置かれている。――『自分で救急車を呼んだので、大丈夫です。夕食はこれで好きなものでも食べて』。そう書かれたメモに千円札が三枚添えられていた。
「……はぁ」
 激情に任せて早退なんて、我ながら情けない。俺の事を心配して自分で救急車を呼んだ母さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 チャイムの音が聞こえたのはその時だった。今はまだ午後の二時を少し回ったところだし、多分回覧板か新聞の集金だろう。後者だったら母さんが置いて行った三千円で足りるのかと少し不安になりながら玄関のドアを開けた。
「……ウス」
 そこにいたのはよりにもよって中村だった(いや、俺も中村だが)。
「……何の用だ? 学校は? 授業はどうした? ……まさかまだ俺を弄り足りないってのか?」
 一気にたたみかけると、中村は手にしたレジ袋をよく見えるよう持ち上げた。
「真一って、熱あるでしょ? 後ろの席で見てたけど、いつもと肌の色が違ってたし」
「……はぁ?」
 何を言っているんだコイツは。俺は真面目な秀才な上に健康優良児だぞ。
「信じられないってんなら熱、計ってみなよ。あたしの見た限りじゃ、八度はいってる」
 見た目が清楚だからご近所さんにはただのクラスメイトにしか見えないだろうが、コイツの事だ。どうせ胸の大きい女性が道を歩いていたらセクハラするに違いない。そう判断した俺は、コイツを家に招き入れた。
「おじゃまします」
 母さんがいると思ったのか、大人しい。そういや初対面時はコイツもこうだったな。
「……ほら、体温計どこ?」
「ああ、自分で出す。今は母が留守なんだ」
 どれだけ俺を弄れば気が済むんだ。
「あ、そろそろ時間だ。出して」
 俺は体温計を見てみた。すると水銀が九度まで達していた。
「……嘘だろ」
「ほ~らみろ! あたしはこの一年、ずっと真一の事を見てきたんだから。待ってな、あたしが栄養のある美味いもん作ってやんよ!」
 制服姿のまま、手際よく材料を下ごしらえしていく中村(いや俺も中村だが)。学校の調理実習の時には班のメンバーの足を引っ張っていたくせに、俺より……上手い?
 十分もしないうちに、梅粥をベースにしたらしい、薬膳のいい香りのする粥が出来た。
「あたし特製、薬膳梅チーズ粥!冷めないうちに食べな!」
 上手そうな匂いに釣られて、レンゲを動かす手が止まらない。薬膳の臭みをチーズが上手いこと消し、更には梅の酸味がさわやかな口当たりを与えている。
「……そんなに美味しい?」
「……なんでこんな美味いモノが作れるのに普通にしてないんだ?」
 すると中村は(俺も中村だが)照れくさそうに笑った。
「トモダチンコ以外には女の武器は見せたくないから」
「……は?」
 言葉の意味が理解できずに固まっていると、突然唇を奪われた。
「鈍いんだよ! ……初対面の時から好きだったって事!」
「……なんだって? じゃあお前は、好きな相手にセクハラするのか?」
「好きじゃなきゃセクハラしない。あたしピュアだから」
 どの口が『ピュア』などと言うのか。……しかし、よく考えてみれば俺より気の弱そうだったり、からかいがいのある奴は大勢いたのに、そいつらには一切手を出さなかった。
「中村同士だから、結婚しても名字が変わんなくて済むのがいいよね」
 ――ああ、やっぱりこいつは俺の『天敵』だ。どこまでも俺のツボをついてくる、この『痴女』が、こんなにも気になるなんて。
 俺は心の中で白旗を上げた。
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