●● レンアイオムニバスーSideG --- 4、守られるだけなんてイヤ ●●
最初は守られているのが、とても心地がよかったのです。『彼』はまるで彼は私のナイト様、私だけの騎士の様で。でも最近は違うのです。
「……嬢様。お嬢様!」
今時、時代錯誤と笑われるでしょうけど、私は毎朝、ばあやの声で目を覚まします。
「由井お嬢様、早くお目覚めになりませんと……。遅刻ですよ?」
それでも私の意識はぼんやりしていて、目を擦る事に集中していると、ばあやは結局あの人を呼ぶの。
「……仮にも水鏡家のご令嬢がなんという寝相ですか?」
「植草さん!」
私はネグリジエのまま彼の太い首に腕を回す。
「お嬢様!」
ばあやが宥めようとも、この気持ちは止められない。そう、私の好きな人は今も嫌そうに首元を撫で直すこの人。お父様がボディーガードとして雇った植草さん。いつも仏頂面で、愛想がなくて、私をお嬢様扱いしかしてくれない。
……それでも好きなんだから、私は重症だわ、きっと。
「さぁさ、お嬢様。早く学院に行かなければ。……植草さん、お車は?」
「もちろん準備済みです。さあお嬢様、早く朝食を済ませてください」
植草さんは少し不機嫌。……でも、幸せ。だって、私のために怒ってくれてるんですもの。このまま時間が止まればいいのに。……なぁんて、私はとりとめのない事を考えてしまう。
「植草さんって恋人とかいないの?」
車の中、植草さんが運転する二人きりの空間の中で、私は冗談半分に訊いてみる。しばらくの沈黙があった。
――まさか植草さんに恋人なんているの?
「……こんな我儘お嬢様のボディーガードをしているうちは、そんな話なんて来ませんよ」
急カーブでハンドルを切る。その横顔があまりにも色っぽくって、大人っぽくって、私は頬に血が集まるのを感じた。その時、私の身体が大きく傾いて、運転席の植草さんにもたれかかってしまう。私はドキドキしたのだけれど。
「……大丈夫でしたか? この辺りは急に工事が始まったらしくて、私としても運転がしづらいのです。申し訳ございません、お嬢様」
植草さんはあくまでも私を『お嬢様』扱い。……でも、植草さんの『大丈夫?』が聞けた。
これは私だけのジンクスなのだけど、彼がそう訊いてきた日は大抵の事が上手くいく。学院に着くと、私は植草さんにお礼を言って車から降りた。振り返ってみると、彼は一息つくかのように煙草の箱を取り出していた。
私の通う学院は、全生徒数百五十人程度の小さな学院。少数精鋭主義の、飛び切り成績のいい者しか入学を許されない。初等部から通っていた私とは違い、周りの子たちは必死で勉強している。
それでも私たち初等部入学組には敵わない。……だって、それもそうでしょう? 幼いからと遊びに熱中してきた子と、幼い頃から必死に勉強してきた私たちには、差があって当然。今頃になって必死になる人を私は軽蔑する。けれど、そんな当然の理も理解できない連中も多い。
「水鏡、ちょっと顔貸せよ」
話しかけてきたのは学年でもちょっとした有名人、言い換えればただの不良。髪の色は紫に、鼻や臍にピアスをこれでもかと開けている、いきがることしか出来ない馬鹿。……私はこんな男なんて恐れやしない。
「……いいわよ」
私は彼の言うまま校舎裏についていく。……まさか、彼の仲間が待っているとも知らずに。
約一時間後、私は人生初のピンチを味わっていた。髪を様々な色に染めた男たちの下品な視線には耐えられない。
「……水鏡ってあの水鏡グループのご令嬢様だよなぁ? ……身代金要求したら一生楽に暮らせるんじゃねぇ?」
「いや、俺はこういうタイプの女の鼻っ柱を叩き割ってやりたいねぇ。……見ろよ、怯えて声も出ないでやんの!」
私は今まで人前で涙なんて見せたことがない。理由は簡単、見せる必要がないから。……確かに今、私は怯えているのかもしれない。でもそれを、こんな奴らに教えてやるほど人が良くない。
「強情な女だな。もう二度と学校に来られないようにしてやろうかぁ!?」
彼が制服のポケットから取り出したのは、鋭利なカッターナイフ。彼は私を薄汚い校舎に押しやって、スカートを少しづつ切り裂いてくる。肌にはダメージがないものの、金属製のその冷たさにぞくっとする。
「……っ!」
「やっとしおらしくなったじゃねーかぁ!」
彼らは満足げに笑う。私は思わず目をつぶる。
――こんな奴らに負けたくない! 助けて、植草さん!
目を閉じたまま、最大のピンチのその瞬間を待っていたけれど、そんな瞬間はなかった。……カッターの動きが止まったのだ。そして『何か』が、校舎に叩きつけられる音がした。
「やっべぇ~! マジでやべぇよぉ! こいつ、歯ぁ抜きやがった!」
その横では骨が軋む音。
「……随分お探ししたんですよ? 下校時刻になっても電話の一本もないので、ばあやさんが半狂乱でした」
今度は『パキッ』という、鈍い音が聞こえた。
「……そして何より、私がどれだけ心配したと思っているのですか!?」
最初は穏やかだった、愛しの『騎士』――植草さんは、怒りの色をありありとその顔に映して、私を睨みつけていた。
「ごっ、ごめんなさい!」
私が、本当は怖かった事を思い出しながら泣きつくと、植草さんはようやく私を許してくれたようだった。
その帰りの車の中で、私と植草さんは気まずい空気を味わっていた。
「……何か言い訳はないのですか?」
オレンジの夕日を浴びながら、私は植草さんのドライビングテクニックに酔いしれている。「彼らは退学が決まるだろう」、と植草さんは言った。それが妥当かもしれない、なんて思う私はこの過保護なボディーガードの事を笑えない。
「いいえ、ないわ。……それより、告白していい?」
「告白、ですか?」
植草さんは二十代前半、十分私と釣り合うはずだ。
「私、水鏡由井は植草……あれ? 植草さんの下の名前って何でしたっけ?」
「それは最初から秘密です。まさか私の事を好きだと言うつもりではないでしょうね?」
「ええ、そうだけど」
運転しながら頭を抱える男の人なんて初めて見たわ。初めて見せる困惑した彼の姿に、私は満足。
「貴女という人は……!」
「守られるだけなんて、イヤなの! 私は一人でも不良に立ち向かえる女なのよ!」
植草さんは、私の言葉に何か感じるところがあったらしい。観念したように彼は私を見る、
「……やれやれ。お嬢様は私が守るしかないようですね」
そう言った植草さんの顔は、どこか嬉しそうに、どこか安心したように、私には見えた。
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