銃とロケット

5,はじめまして、さようなら。

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 キャンプから帰ったクリスティーヌは、街に戻ると春樹と別れることにした。
「春樹、私の目的は達成した。……もうこれ以上は一緒に行動する必要はない」
 クリスティーヌはそう言っている間、寂しさを覚えた。この軽い調子の日本人がどこか気に入ってしまったのかもしれなかった。
「クリスちゃん一人で大丈夫?」
 クリスティーヌの胸の内を見透かすかのように春樹が言う。
「……どういう意味?」
 動揺を悟られないよう睨みつける。春樹は黙ってクリスティーヌの手を取った。大きくてごつごつした春樹の手にクリスティーヌの小さな手が覆われる。
「なっ、何?」
 焦って手をほどこうとしても離れない。離してくれない。
「クリスちゃんは表面ではツンツンしてるけど、本当は優しい女の子なんだ」
 クリスティーヌの手を春樹が撫でる。
「……約束しよう。次に会う時までにクリスちゃんが探してる奴を見つけてあげる」
「は?」
 いきなり何を言いだすのだ、この男は。しかし目は真面目そのもの。からかっている風には見えない。
「俺はこう見えて裏事情には詳しいんだ。君くらいの女の子が裏社会で活躍する理由なんて数えるほどしかない。人探しだろ?」
「それの何が悪い? 探して……事と次第によっては殺してやりたい」
 春樹は馬鹿にしたような笑みを作った。
「無理だね。さっきの女の子がされたことを見ただけで吐く奴なんかには無理だ」
 直前まで生きていた女性の顔が頭に浮かぶ。彼女はそう遠くない未来のクリステ―ヌの姿だったのかもしれない。
「……そうだとしても」
 ベレッタをクリスティーヌに返しながら春樹は笑った。
 ……それからの事は、覚えていない。


 目覚ましのベルが鳴った。クリスティーヌにしては珍しいことに十回鳴っても起きない。
「クリス? 疲れてるのかしら」
 エリスが目覚まし時計を止めた。そしてクリスティーヌの掛布団をかけ直す。いや、直そうとした。
「今、何時?」
 鋭い目つきでクリスティーヌはエリスを見つめた。エリスはふと笑うのだった。こういうところは全く変わらないのね、と。


 母国に戻ったのはあれから十時間後だった。
 春樹との約束は覚えている。しかし実感がない。
 戦士として任務を受けた事、春樹と出会った事、拷問の果てに殺された女性を見て吐いた事。……どれも夢の中の出来事のようにぼんやりしている。
 朝食のトーストにマーガリンを塗る。
「どうだった? 初めての任務は?」
 向かいに座ったエリスがココアを飲みながら尋ねた。
「思っていたより辛い」
 苦い顔をしてクリスティーヌが言った。
 エリスも同じ陣営とはいえ、戦場で戦う戦士と技術畑のエリスとは求められる能力が全然違う。今日もクリスティーヌには新たな任務があるはずだ。
 エリスがIOHの紋章のプリントされた封筒を渡してきた。中身に目をとしてホッとした。
「……エリス、今日は貴女の護衛だわ」
「まぁ」
 親子や姉妹のような間柄とはいえ、エリスはクリスティーヌに仕事内容を明かさなかった。極秘部門なので当然といえば当然だ。
「それなら話は早いわ。一緒に技術局に行きましょう」
 こうして、クリスティーヌはエリスに連れられ技術局へと向かった。


 寮から十分ほど歩き、正門のコンピュータでエリスが写真の付いたカードキーを通した。その後、指紋・網膜認証。最後にキーワードを打ち込んでやっと入れる。
 技術局に入るのは初めてで、少しワクワクした。
 昔、エリスに技術局の内装は聞いたことがあったが、細かいことは教えてもらえなかった。キョロキョロするクリスティーヌに笑いかけながらエリスは自分のデスクに座った。
「ジョーンズじゃない。おはよう」
「おはようエリス。BBQは終わったかい?」
 それはどうやら隠語のようだ。エリスはにっこり笑い、まるで人形にするようにクリスティーヌを相手に見せつける。紹介してくれるらしいが、エリスくらいしか話し相手は務まらないのがクリスティーヌだった。
「そっちはDDKを修理したし、今日中には終るわ。ジョーンズ、この子はクリス。私の友達よ」
「はじめまして」
 クリスティーヌが挨拶するとジョーンズと呼ばれた青年が歯を見せて笑った。技術者は徹夜続きが珍しくない中、彼は清潔そのものの外見だ。サラサラの金髪に、鳶色の眼、白いシャツとジーンズのバランスがとても健康的だ。その上から白衣を羽織っている。
「はじめましてクリス。僕はジョーンズ。いつもエリスにお世話になっているよ」
 それからしばらくは何事も起らなかった。エリスとジョーンズと作業をしながらおしゃべりに興じた。ジョーンズはとても頭がいいらしく、何でも知っていた。しかし手先が不器用なので技術局では薄給だと彼は笑った。
 エリスがお茶を入れてくると席を外したのでクリスティーヌはジョーンズと二人きりになった。
「あぁ、ありがとう」
 席を立つエリスにジョーンズは労いの一言を言った。そしてクリスティーヌと二人きりになると、彼は声をひそめて言った。
「……さて。クリス。君はなぜエリスに護衛が必要なのかと不思議に思っているだろうね」
「どういう意味?」
 嫌な予感がする。
 胸元に隠し持つベレッタをいつでも取り出せるよう、グリップをつかむ。
 ジョーンズが薄く笑う。その笑みは先程のものとは明らかに性質が違う。
「君なら気づくかと思ったんだが」
 そう言いながら胸から取り出したのはアイスピック。
「……ところでこんな話を知っているかい?」
 ジョーンズが話題を変える。アイスピックから手を離さずに。
「二十年前に発生した難病、身体中の組織がどんどん脆くなってゆき、最後には醜くなって死んでしまうというクライ病を」
「……」
 どこかで引っかかるものを感じながらも、今のクリスティーヌはそれどころではなかった。こうして呑気に話をしている本人が凶器を手にしているのだ。
「どこかの研究機関がその特効薬を開発しているとの話は聞いたんだが……」
「……特効薬?」
 つい興味をひかれた。思わず聞き返す。
「そう、それは人の血液だよ。臓器を巡る血液の中に抗体があればぼろぼろにならずに済む」
「……血……」
 呆然とするクリスティーヌとの間合い一瞬で詰めて、アイスピックがクリスの喉を撫でた。
「!?」
「油断しすぎ、だよ」
 クリスティーヌが後ろを振り返る前に目の前が真っ赤になった気がした。
「はじめましてさようなら」
 低い、優しい声が耳元をかすめた。
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