「ねぇ神父、いい加減に、もっといいもの食べない?」
そんな事を茜が言い出したのは、イースター直前で、彼がかなり忙しい日。の、朝食の時間。いつもは文句を言わないのに、あからさまに不満な顔を隠そうとはしない。いつもはトーストを二枚も食べれば「お腹いっぱい」と言ってすぐに食べ終えるはずの彼女が、こんな文句を言ったのは初めてかもしれない。
「なんだ、いきなり? 遅い反抗期か?」
内心ではこの『実の娘』以上の少女の事が気になって堪らないのだが、彼女の望む反応をすれば、絶対に下に見られる。ただでさえ、彼女の稼ぎでやっとの事で食べて行ける暮らしだ。少しくらいの妥協はしてもいい。
「……神父ってさー、肝心なところを解ってくれないよね。融通が利かないっていうの?」
「日本語の使い方とかよく知らないけど」なんて、引きこもり独特の言い訳をする。
――なにか、気に障るような事でも言っただろうか?
内心ではさらに焦りながらも、彼は自身でも気づかないうちに媚びるような口調になり、自分の分の安かったマーガリンを薄く塗ったトーストを譲ろうとするが、あっさり断られる。
「……はぁ。ホントに神父って頼りにならないよね! まだ智也の方が頼れるよ! 嫌いだから頼んないけどさ!」
ここでまさか彼の名が出るとは。神父は驚きを隠せない。茜を『小娘』と呼べる唯一の人物で、彼女が一方的にライバル視している青年だ。神父から――おそらく大多数の男から見ても安藤智也という青年は『格好良い』としか映らない。しかし、茜は自分よりも明らかに格上の彼が、どういう訳か気に入らないらしい。美千代も漏らしていたっけ、「魅力を感じない」と。
女心というものは中年の神父にとっては謎すぎる。妻も「もう少し気が利いた事を言ってほしいわ」と言っていたし、自分はどうやら一般的に『鈍い』と言われる人種なのだろう。
しかし、妻も美千代も、二人はちゃんとした女性だ。この目の前にいる『宮下茜』という少女は、神父の『実の娘』以上に大事な存在だが、『事情』があり、常に男のような振る舞いをする。大方の事は知っているつもりだが、この少女自身の記憶は当然解らないし、解るべきではないと思っている。確実に自分の方が先に死ぬ以上、あまり互いのことに首を突っ込むべきではないから。
「……ぷ、しんぷ?」
そんな風に脇道にそれてしまうくらいに考え事に没頭してしまうのも彼の悪い癖だった。目の前の少女は自分を睨みつけている。……ここまで怒らせるような事を、私はしただろうか?
「あぁ、ちゃんと聞いていた。確か前回の事件の話で……」
「全然違う」
ぴしゃりと言われ、若干めげそうになるが、ここで挫けては大人の負けだ。茜はすっかり冷えたマーガリンの塗られたトーストをどうするか迷っているようだ。
「あっ、それは私が食べるんだよ」
皿に盛って、ラップをかけようとしたところを神父が止める。更に茜は睨んでくる。
「……いつも僕に『自分の事は自分でやりなさい』なんて、偉そうに説教して来るくせに、こういう時だけは……」
まずい、原因は不明だが、彼女がここまで自分につらく当たる事など珍しい。しかし、ちゃんと貧乏独特の生活臭はちゃんとある。それがいい事か悪いことかは不明だが。
「それは悪かった。……すまなかった、茜」
「まったく、神父の考えって。ホントに意味不明。まだ機械の相手でもしてる方が楽だよ!」
その茜の一言に、大人げないがカチンときた。……偶然と目的があってのこととはいえ、彼女をこの歳――今年で満二十歳まで育てたのはどこの誰だ?
「……出ていきなさい」
「……は?」
思わず発していたのは『出ていけ』の一言。当然困惑気味の茜。そんな彼女への心配など、今の彼にはなかった。
「いいから、出ていきなさい! そんなに私が気に入らないのなら、好きにすればいいだろう!? 金銭的にも困らないだろうしな!」
「えっ、神父? それ本気で言ってるの? 僕の稼ぎって言っても……」
茜の稼ぎのほとんどは、教会の維持費と生活費で毎回消える。その事は当然神父も知っている。……しかし、止まらないのだ。庇護されているくせに、傍若無人なこの『小娘』が。だったら、一緒に暮らさなければいい。
「……出ていきなさい。本も、全部処分する」
自分は一体どんな顔で、こんな理不尽な言葉を言っているのだろう。そう、自分に問いかける時間もなかった。あったのは、明らかな『娘』への嫌悪感。
茜も茜で、先ほどは言いすぎたとは思っていたし、フォローはしておくべきだと思っていた。ただ一言「ゴメン」とだけ言えば、関係は容易く修復可能。二人の仲はそんな仲だった。だから、彼の事を心から信じているし、大きな声で主張出来る事ではないが、親として『愛している』。
それなのに、返ってきた言葉は「出ていけ」。これは茜が相手でなくとも、血が上って当然の言葉だ。
「……解ったよ。でもひとつ言っとくけど、どんな結果になっても、後悔するような事は言わないでよ?」
「当然だ。早く出ていけ!」
「で、なんで僕の部屋なんですか?」
茜は迷わず部屋の主である明の許可も取らず、三和土から上がり込む。一応、薄いドア越しに会話はしたのだが、泊めて欲しい的な事だけ言って、ずけずけと上がり込んできた。今までの経験から察した明は、そう言ったのだった。
「……僕としては美千代さんのところが良かったんだけど、彼女は仕事で忙しい。ただでさえ最近は『上の連中』が何やら不穏な動きを見せてるし。で、智也と和也の部屋は汚いから論外。そんなワケで、僕としても大変不本意ってヤツだけど、君の部屋に来た。以上」
茜はそれだけ早口でしゃべり、明が使っている布団を出し始める。ボロアパートの名に恥じぬ質素な外観通り、中も質素で、内心安心する。
しかし、明はそう簡単にはいかない。いくら一人暮らしだとはいえ、未成年の女子である茜が泊まるとなると、ご近所さんからもヒソヒソ話の種になる事は目に見えている。それを茜に伝えてみるが、彼女は疑問符を浮かべるようにして言った。
「明さぁ、前に拾っちゃったからって『女子高生』泊めてたじゃん? 僕はあのバカ女より年上だし、ちゃんと社会人やってるよ? ……今更なにが問題なワケ?」
こう言われてしまってはぐうの音も出ない。これがもしもあの幼馴染ならば、どんな口八丁で丸め込めるのか。……やはり本人は不要だと言っていても、保護者である神父には連絡を入れておくべきだ。そう思って、未だに料金を気にしてのガラケーで教会に電話を入れようとする。
「……やめてよ。これは僕と神父の問題なんだから。横から口挟まれるのって、すっごく不快!」
――でも、あなたは未成年だし……。
そう言おうとするが、明に対して敬語の一つも使わない彼女は、彼の経験と想像からしてみるに『舐めている』。誕生日にサプライズで再会した『彼女』は、少なくとも『借りは返す主義』という点では茜よりは人として出来ている。
「……」
――もういい加減にしたらいい。
第一もう、日付の変わる時刻だ。就職がなんとか決まったとはいえ、その準備で大忙しの明とは違って、彼女は『探偵』という職業上は、基本的に『自由業』。振り回されるよりも、少しでも睡眠時間を多くとった方がいいに決まっている。
「あっ、なんで入ってくるの?」
茜の寝ている布団に入ると、抗議が来る。明の棲むボロアパートには布団が一組しかない。それに彼女は以前言っていた。
「なんで、って、あなたは人肌がないと眠れないんでしょ? それにボロアパートだって知っていてここに来ることを選んだんでしょう?」
そう自分でも意地が悪いと思いつつも、初めて彼女から一本取った気分だった。
「……君も、智也に似てきたんじゃないの?」
「……茜さんがそう言う分には褒め言葉だと思っておきますよ」
それからなにも言い返してこないあたりは、彼女にとっての痛手なのだろう。電気を消すと、それ以上は何も言ってはこなかった。
「はぁ」
神父は大きくため息をつく。何で感情に任せてあんな事を言ってしまったのか。彼女の性格は、自分が一番よく知っているというのに。
――智也君たちも忙しいらしいしなぁ。
あの後、我に返った神父は、最も頼りになりそうな“K"の智也に連絡を入れた。以前、茜が行方不明になった時も、あっさり彼女と『一色若葉』の関係にたどり着いてみせた。あの人脈も凄いし、彼自身の推理力も期待した。その智也は電話口に出るなり、こんな事を言い出した。
『……あのな、俺かて小娘みたいに推理の安売りをしてるわけでも、ましてやあんたらのくだらない親子喧嘩に付き合わされるほど暇じゃねーんだよ! 小娘だって一応は年頃なワケだろ? 女にはそういう変化があってこその『大人の仲間入り』なんだよ。それも察せない神父も悪いし、その神父の気持ちも汲めない小娘も悪い! ……俺の言い分はどっかおかしいか?』
その後は彼曰く『小娘』――茜への避難が続いたのだが、流石にそれを聴いていられるほどではなかった。
――確かに、彼の言うことも一理あるよな……。
そう思ったからこそ、今現在は『作業』をしている。こういう時は自分から動かない方がいいと、これまでの経験から学んでいたので、ただひたすらその『作業』を繰り返す。もうすぐあの行事の日だし。
そう、二人が呑気に構えていても、日が過ぎるのは早い。あっという間に三日が過ぎて、一週間が過ぎた。
神父はやはり落ち着かなくて、寝食を忘れて茜探しに没頭した。一番新しい写真は、皮肉にもあの女学園に潜入の際に女装した時のモノしかなかったので、現在の彼女とはイメージが違って映るだろう。
その一方で、茜も始終イライラするようになった。普段は絶対に言わないであろう、泊めてくれている明の悪口も口汚く、容赦なく飛び出す。その代わり様には明も驚くほどだ。
そんな二人の様子を見ていられない周囲の人物は宥めにかかるも、誰もが失敗。あの智也でさえも神父の説得には大失敗。流石の彼も自信を喪失しそうになる。
そんな時、希望が服を着て歩いてきた。その時の教会には、神父と智也と和也がいた。明がいないのは、就職のためだ。『最終兵器』であるところの彼女は、いつものスーツ姿にハイヒールの靴音を鳴らしていた。
「あら? 今日は何かあったのかしら?」
茜の好物である甘いお菓子に、和也の手が意地汚く伸びそうになるのを、智也は必死で制した。
「実は、茜の奴が……」
智也は他の女性ならば確実にころりと恋に落ちそうな、甘い微笑みを浮かべつつ、憂いをちらつかせた。こんな表情が似合うのは、世の中でも彼以外には少ないと思われる。が、美千代はそんな彼など心底どうでも良さそうに「ふぅん」と、気のない返事。……これは智也の想定外の態度だ。
「どうせ神父が茜ちゃんの気持ちを汲んであげないのが悪いんでしょ。……忘れたわけじゃないわよね? お正月に三人でおせち食べる前、茜ちゃんが栗きんとんの事で……」
――『お正月』、『おせち』までは解るが、なぜここで『栗きんとん』?
智也と和也は当然その事を疑問に思ったが、聞けるような雰囲気ではない。二人の会話を黙って窺うことにした。
「……まさか」
「そのまさかよ。茜ちゃんは『打倒大西』のためには、あらゆるものを鍛えるべきだと考えたんじゃないかしら? ……その中には当然、『身体能力』も含まれているでしょうね」
「だから、あの時に……」
そう考えるとつじつまが合う。それまで黙っていた智也は大体の流れは察したが、和也だけは違った。
「それで、『栗きんとん』云々の話を聴きたいんですが?」
そう和也が質問した次の瞬間、教会の入り口には茜が立っていた、明も一緒に。
「……美千代さん、余計な事は喋らないでください。これは僕の……試練ですから!」
そう言い切る茜の顔に、誰も何も言えない。ただ美千代だけは彼女を抱きしめ、励ますように言った。
「私は何があっても、茜ちゃんの味方だから。ただ余計なお節介しちゃってごめんなさいね」
苦笑する美千代に、茜も笑い返す。……これで、親子喧嘩も無事終了。
その『作業』は、ほとんど終えていたものだが、いざやるとなると細かくて面倒くさい。茜もすっかり忘れていた祭日だ。
「これなんかどうだろう? 可愛いだろ?」
「いや、むしろキモイんだけど……」
色とりどりの卵に、次々とペイントを施していく神父は、まるで幼稚園児のようだ。汚れてもいいようなボロ服を着ているとはいえ、いい大人がシミを作ってご満悦、なんてのは洒落にならない、笑えない。
「じゃあ、コレは!」
そう言って、彼が自信満々に見せびらかしてきたのは、どう見ても茜を模したモノ。
「……バカじゃないの?」
真顔でそう返しつつも、それは彼にとっての一番大事なモノが、『宮下茜』であるという事のなによりも証明できる。表面上の態度は崩さずに、ずっとこのまま、このままの距離で過ごしていけるように、その不細工な出来の卵に祈りを込めたのだった。
________________________
2015年 4月5日 莊野りず
2015年 9月17日 修正
Copyright(c) 2023 rizu_souya all rights reserved.