女の子はいつまで経っても女の子。シャラララ〜呪文唱えれば、いつでもどこでも誰だって、あなたもわたしもお姫様。子供も大人も関係ないわ。女の子なら、誰だってプリンセスなんですもの!
智也はスマートフォンを左手に持ち、右手で手帳の空白を埋めるボールペンを持っている。一時間前までは九割は白紙だった月間スケジュールのページが真っ黒だ。二月いっぱいの予定はあっという間に埋まった。
特にバレンタイン当日には多数の女性との予定があるらしく、一ページ丸々予定が書き込める仕様の手帳が十四日だけは細かく書かれている。
道長和也はちらりと智也の方を見たが、彼とコンビを組んでからは毎年の恒例行事なので、特に何も思わない。ただ、「ああ、やっぱり性格に多少難ありでもイケメンはモテるんだな」、程度の感想しかない。
自分の外見が太っているのは、いつもスナック菓子を食べる量をセーブ出来ない自分のせいだし、智也と比べて卑屈になることもない。大体、痩せるためにスナック菓子を我慢するか、太ってもいいから好物のスナック菓子を食べ続けるか、を選べと言われたら、迷うことなく後者を選ぶ。
太っているから運動が苦手なのか、運動が苦手だから太ったのかという『卵が先か、鶏が先か』的な事はよく覚えていない。 もう二十代も終わりの二十九歳だし、そろそろ身を固める時か、ともぼんやり考えることもある。しかし、和也にはこれといって女性の好みがない。ただ、「好きなだけスナック菓子を食べていい」と、言ってくれ、家事をちゃんとやってくれるならば、どんな女性でもいい。
自分の容姿にコンプレックスを持つほどではないが、平均以下だという自覚があるので、相手にも多くは望まない。自分に自信のある智也とは真逆だと、テレビを見ながら、スナック菓子をつまむ至福の時にぼんやりと思う。
「はい。……え? 和也、ですか? いや〜それは流石にないでしょう」
テレビを見ながらぼんやりしていたら、部屋の暖かさと心地よさに負けて眠ってしまったらしい。その際、何度も寝返りを打ったらしく、周囲にはスナック菓子が潰れて粉々になったものが散らばっている。和也が目覚めた最初に思った事と言えば、そろそろ明に掃除してもらわないとまずい、という事だった。
ただでさえ不精な男二人の共同生活で、二人とも夜型だから毎回ゴミ出しに失敗するし、四畳あるピカピカだったキッチンのシンクには、カップラーメンの容器が山積みになっている。茜にはよく「このダメ人間どもが!」と言われるが、推理に関しては智也のいるこちらの方が上だ。
和也も智也も金さえあれば生活能力などなくても何とかなる、という、ある種の『ダメ人間の、ダメ人間たる、ダメ人間の屁理屈』を捏ねる。大欠伸をして、軽く体を伸ばすと、ちょうど智也の用件は済んだらしい。
俺様で我儘、自己中心的な智也が敬語を使う相手と言えば一人しかいない。
「……和也の実家って、北海道だったよな?」
「そうだけど……。それが何?」
嫌〜な予感しかしない。智也は『彼女』の事が好きだが、全く相手にされない事を気にしている。たったの一時間でスケジュールが埋まるほどモテるのに、基本的に彼女たち相手には本気にならない。以前なぜそこまで美千代を想うのかと訊いたことがあったが、「男としては追われるより追いたいじゃないか」と、どこか腹の立つ爽やかな顔で言われた。
「美千代さんの依頼だ。北海道に飛ぶぞ」
……やはりこの展開か。智也は美千代の依頼だけはどんなことがあったとしても断らない。確かに彼女は美人だし、仕事もできるが、年齢が一切不明な、ある意味怖い女性だ。彼はしばしばその事を忘れる。
明も大概苦労人だが、自分もどちらかと言えば苦労人に入るのではないか。智也と関わる同性は大抵彼に振り回されたり、引き立て役になりがちだ。和也自身もまた、そういう星の元に生まれついたのだと、腹をくくった。
……実は北海道にある実家に行きたくない理由がある。その『理由』に関係する苦い思い出を、今更になってから再び掘り起こされるとは思いもしなかった。
スノー:……いやいや。ガセでしょ?
ラプンツェル:本当らしいわ。彼の妹さんが言っていたもの。
シンデレラ:マジ? そこんとこ詳しく! >妹が言ってた
スリーピング:ちょっと、ラプンツェルの事が信じられないの? あたしは信じるけど。
アリス:みんな〜もうちょっと落ち着こうよ!
クィーン;そうよ、十年ぶりに会えるかもしれないのよ? もっと喜びましょ。
スノー:ごめん、ちょっとかっかしすぎてた。
ラプンツェル:別に謝ることないわよ。そんな事より再会を喜びましょう!
とあるネット上のチャットルーム。真夜中の十二時から始まった、『彼女たち』の毎日の日課は、久方ぶりの大ニュースで静かに盛り上がった。
「その番組なら覚えているわ。もうずいぶん前の話よね」
和也が主題歌の歌詞を覚えている限り伝えてみると、そう返ってきた。美千代は『アニメ』とは言わず、『番組』と言った。 大人の女性であり、オタクに偏見のある彼女は『アニメ』という単語すら嫌う。蛇蝎のごとく。
狭い『機関』というコミュニティの中では比較的年上の和也は、そんな美千代を怖々と見つめ返した。『ずいぶん前』がどれくらい前を指すのか判断がしづらい。
車の助手席に座る智也は美千代の依頼によって、二日間の予定をすべてキャンセルした。相手の女性たちはさぞかし不満に思った事だろう。それでも智也は堪えない。
代わりに休日返上で埋め合わせをしたため、その疲れで眠っている。
「……私が運転してるのに、呑気に居眠りなんて、なんだかイラッとするわ。……ねぇ、和也クン?」
「……そうですね」
ここで同意しておかないと後が怖い。智也にも打ち明けたことはないが、実は和也はこの美貌の女性が苦手だった。彼女もどこか和也とは他人行儀だ。名前の後に『クン』をつけるのは、彼女流の『拒絶』だという事を知っているのは、おそらく和也だけだろう。
茜と智也に好意的なのも、『探偵』として必要なヒラメキがあり、優秀だからだという事も、多分自分しか知らないと思う。彼らは二人とも美人に弱いから、全く疑問に思わないのだろう。ただの知識や教養しかない和也は、あくまで智也のサポート役でしかない。
「もうすぐ着くわ。和也クン。智也君を起こして頂戴」
車に備え付けられたカーナビが、「信号を右折」と無機質な声を上げる。内心ではもう着いてしまったのかと、車の移動速度の速さを呪いたくなる。
――本当に、行かなきゃいけないのか。
実家にはもう十年も帰っていない。両親と上手くいかず、家を飛び出したのが、高校を卒業したばかりの十八歳の時。主に揉めたのは進路の事で、和也の親は彼が東京の医大に合格したことを喜び、その日にとんでもないサプライズを用意した。……今にして思えば、嫌がらせ以外の何物でもない『それ』は、今の和也の投げやりな性分を形成した原因ともいえる。更に運が悪い事に、そのサプライズのせいでせっかく合格した医大にも、とうとう入学する事は出来なくなった。
今はそれほどでもないが、当時から二・三年は荒れに荒れ、くすぶっていた。医大に合格するくらいだから、当然知識や教養は普通の大学生より豊かだった。それを買われて和也は“K”にスカウトされた。荒み続けて金を使い果たし、ホームレス寸前だった彼には、それは天の助けのように思えた。
「……クン、和也クン? ……ちょっと、聞いてるの? 和也クン!?」
運転席の美千代が大声を上げたところで、和也は我に返った。
「あっ、ああ。すいません、今起こします」
「まったく、お願いよ? 土地勘があるのはあなただけなんだから」
彼女の溜め息に、和也も便乗したくなった。
空港では、茜と待ち合わせをしていた。彼女は先に着いていて、つまらなそうに文庫本のページを捲っていた。表紙がボロボロなので、何度も読むうちに話の大筋を暗記してしまっているのだろう。
「よう、小娘。久しぶりだな」
智也が欠伸をかみ殺しながら、そう挨拶する。
「僕だってもう、今年で二十歳なんだけど?」
欠伸をしながらの挨拶が癇に障ったのか、いつもより刺々しく茜は返す。
「なんか今日の智也って何となくイラッとする」
「そうかぁ? 俺はいつも通りのつもりだぞ」
それはおそらく昨日までに一気に片付けた女性関連が影響しているのだろう、と和也は思ったが、口には出さない。それにしても、今日の智也はいつもの張りがない。自分がその分頑張るべきかとも思ったが、あくまでサポート役が出しゃばったら智也は良い気がしないだろう。
「和也の実家に行くんでしょ? どんなとこ?」
茜が和也に話題を振ってきた。
「美千代さんの実家も北海道だったけど、北海道っていうか……ホラーの館って感じだったし、一般的な北海道の家ってどんな感じなんだろ?」
「いや、うちは……」
「何? 小娘、お前、美千代さんの実家に行っただと!? ……羨ましい! 実に羨ましい!」
「智也は一生招待されないだろうけどね!」
「ぐぅ〜! こんの小娘がぁ!」
この二人の子供じみた言い争いは毎度の事だ。和也は適当に二人を宥めて、飛行機の搭乗口へと向かう。
妹とだけは仲が良かった。
だから予め連絡しておいた、
それがまさか惨劇を招くきっかけになるなんて、この時の和也には思いもよらなかった。
昔は良かった。ただ勉強するだけで、周囲は和也を認めてくれた、褒めてくれた、可愛がってくれた。しかし和也が高校に入学すると同時に、我ながら勝手だという事は理解しているつもりだが、周囲の過度の期待に応える事が次第に苦痛になっていった。
「それでも我が道長家の者か!?」
そう言って父は和也を殴った。当時は児童虐待という言葉も知らなかったし、当然躾けの一環だと思って耐えた。暴力は母親が止めに入ってやっと止まった。それでも毎回彼女が止めに入るのは、和也の顔が血で真っ赤に染まった後からだった。
――実家にいる限り、こんな生活が一生続くのか?
高校生だった和也は悩んで悩んで……悩み続けた。和也の生まれ育った地は、北海道でも誰も知らないような、何の特産物もない、ただの田舎でしかなかった。
――こんな田舎町で一生を終えるのは嫌だ!
このまま父に折檻を加えられる生活にもまっぴらだ。
……そんな時だ、彼女と出会ったのは。錆びはてた漁港の、錆びついた船の中が高校入学後に偶然見つけた『モノ』だった。『モノ』と言っては語弊があるかもしれない。和也なりのいざという時の隠れ家、避難場所だった。
だから『彼女』がここに来た時には『困ったな』と思ったものだ。港には、この錆びた船は他にも大量にあったが、和也が惹かれたのは最も汚れていて、最もシンプルで、最も壊れそうなこれしかなかった。
和也と同じ年ほどの、田舎独特の野暮ったいデザインのセーラー服を着た少女は、どう贔屓目に見ても『精錬されている』という言葉とは無縁の、イモ臭い少女だった。出会ったばかりの少女は黙って和也と共に穏やかな海を見ていたが、気が変わったのか、高台から降りた。
「この地って、本当に何にもないんだね。これじゃあ将来都会に出る時に苦労しそう」
少女のその言葉で和也はやっと都会の大学に入進学すればいいと気が楽になった。
「ありがとう」
そう返した時には彼女はどこにもいなかった。まるで泡に溶けて消えてしまった、マーメイドのように。……十年ぶりに帰ってきた地は、どこかあの時と似ていた。
結局名前も訊かずに海へと還って行ったように見えた彼女は一体何者だったのだろうか。
「花嫁候補!? ……それも六人も? こんな冴えないデブに!?」
茜と智也は同時にそう言って驚いた。普段は喧嘩してばかりなのに、どこかこの二人は似ている
「……だから来るのが嫌だったんだよ」
いつも行動を共にしている智也はともかく、なぜ『オマケ』の茜にまでここまで言われなければならないのだろう。その時のことだった。
「王子様―!」
トランプの絵柄のスカートを履いた少女が和也の脂肪だらけの腹に抱き付く。そしてあろうことか、出っ張った脂肪の山に頬を寄せている。
「……嘘」
茜は口元に手を持っていっている。智也も呆気にとられる。
「こら! アリス、カズ様に抱き付いていいのは正式な婚約者だけよ!」
家の階段状のポーチから身長の高い女性が窘める。
「クィーン姉さま!」
アリスと呼ばれた少女が和也の腹から離れた。茜はこっそりと和也に、「誰?」と尋ねる。智也もその辺りは聞いておきたいらしい。
「あの小さい子、トランプ柄のスカートの子がアリス、あの淡い紫ドレスの、オレより年上の彼女がクィーンだよ。二人は実の姉妹なんだ」
この二人を皮切りに、次々と二十代くらいの女性たちが集まってきた。
「アリス! カズ君に何しちゃってるわけ? 若いからって調子に飲んじゃないわよ? ……言っとくけど、あんたじゃ犯罪なんだから!」
緑のドレスを着た気の強そうな女性が目に入った時、智也は心底惜しそうな顔をした。
「……あれで赤が似合えばなぁ」
「何? 何の話?」
茜が尋ねるが、智也は答えない。代わりに和也が説明した。
「智也の好みのタイプの話、『赤が似合う強気な大人の女』。あ、彼女はスリーピング。キツイ所もあるけど、根は優しいから」
「も〜二人ともやめなよ〜シンデレラ泣いちゃうよ?」
と淡いブルーのドレスの女性。智也くらいの年頃だろう。
「自分の事名前呼びって幼稚ぃ〜!」
アリスが笑う。彼女はどう見ても十代だ。その後、白いドレスの女性と、濃い緑のドレスの女性が続いて現れた。
「待ちまして?」
和也に向かって笑いかける白いドレスの女性。
「いや、それほどでも。スノー」
最後に深緑のドレスの女性が和也の顔を見て、にっこり微笑んだ。
「お帰りなさい、王子様」
「……ただいま、ラプンツェル」
正直、彼女には一番会いたくなかった。しかし、智也と茜の手前、子供の対応は出来なかった。
――あの時の少女は、一体誰だったのだろう。……今でも鮮明に思い出せる。あの日の悪夢は。
何もない田舎町からの、初の医大合格者。その事に飛びついた娘たちは一斉に和也に気に入られようと必死だった。医大合格サプライズパーティは、地元の資産家の娘との婚約を進めるためのモノだった。皆一様に、当時は八歳だったアリスでさえもこのパーティにはノリノリだった。
――思えばこの頃からだ、『女性』というものが苦手になったのは。そして、パーティに夢中で酒に酔った父親は、入学に必要な書類への記入を忘れた。おかげで和也は大学に入る事は叶わなかった。その事実は、今でも父親への苦手意識を助長している。
その日の夜は和也の母親だけが食事の場に来た。父親らしき人はいない。
「……お父さんは?」
「もう何年も前に死んでる。オレと同じく生活習慣病だった」
「……」
そう返されては茜も何を言ったらいいのか解らない。プリンセス六人達は黙って出された料理を口に運んでいる。先ほどの歓迎ムードから一変して、今は静かだ。
普段は神父とその日の出来事を話しながら食べる茜には辛いものがある。おまけにテーブルマナーも知らない。智也は相変わらず、どこで覚えたのか優雅な食べた方だ。
「外側から使ってけば間違いないから」
和也にそう耳元でアドバイスされたので、茜はナイフとフォークを握り直す。一時間ほどして、茜にとっては長い食事が終わった。緊張のしっぱなしで、あまり生きた心地がしなかった。
「……ところでカズ君、そっちの二人も紹介して頂戴?」
スリーピングが茜と智也の方を見た。その視線がどこか観察されているようで落ち着かない。
「ああ、こっちは安藤智也。一緒に『探偵』やってる。それとこっちが……」
和也が紹介しようとしたところで、茜は割り込む。
「僕はこの二人の『助手』の、宮下茜です」
出来るだけ低い声を出した。智也は意図を察したようだが、和也は不思議そうな顔で茜を見返した。
――解ってよ! 僕が女で、和也のそばにいるとバレたらリンチだよ!
そうジェスチャーで示して、やっと解ったらしい。
「良かったわ。もしその子が女だったらリンチにしていたところよ」
笑顔で言うスノーに思わず後ずさる。
「ハハハ……そんなまさか」
「そうよ、確かに線は細いけど、骨っぽいし」
「胸もペタンこだし」
「わたしより年下ね」
アリスに無邪気に笑われて、思わず苦笑するしかなかった。
「で、なんで彼女たちは自分の事を姫の名で呼ぶんだ?」
智也は至極真っ当な事を訊いた。茜も、同じことが気になっていた。
「……オレの世代で『魔女っ子・プリンセス』ってアニメが流行ったんだ。当時はみんなが観てた。クォリティが高いし、感情移入しやすかったから」
アニメ嫌いの美千代が知っているくらいだから、それだけ有名なアニメだったのだろう。
「ストーリーは六人の魔法少女がプリンセスに変身して事件を解決。視聴率も高かったって聞いた。その影響だろうね」
「どうしていい年してアニメ? 本名とか知らないワケ?」
茜のこれも尤もな質問に、和也は嫌々答える。
「オレの父は資産家の娘で気に入った者しか受け入れないから、結婚まではニックネームを使えって彼女たちに強制したんだ」
馬鹿馬鹿しいの一言で片づけてしまいたい。なぜあの時、きっぱりと拒絶できなかったのか。嫌な沈黙に包まれそうになった時、部屋をノックする音が響いた。和也は立ち上がり、ドアを開ける。そこにいたのはラプンツェルと智也と同年代くらいの女性だった。
「ごめんなさいね、お仕事中だったんでしょ? 日奈子ちゃんが着いたみたいだから、私なりのサプライズ……のつもり」
その女性は色白で華奢で、それでも眼差しはまっすぐだ。着ている赤のAラインコートもよく似合う。
これには智也も「おっ!」と声を上げ、「可愛い!」と茜も反応した。……そして和也の予想通り、「紹介しろ」と二人同時に言うのだった。
「まさか、七人目の婚約者?不潔だよ!」
「そうだ! この俺だって、惚れた女には一途だぞ!」
「……二人とも好き勝手言うのは勝手だけど、少しはオレの言う事も聞けよ。これは妹の日奈子。二十三歳の新社会人」
今度は二人そろって大絶叫。
「いや、隔世遺伝か?」
「どう見ても似てない!」
智也も茜も言いたい放題。それをラプンツェルと日奈子は黙って見ている。
「……日奈子」
「お兄ちゃん……」
感動の兄妹の再会だ、水を差すのはやめよう。そう思った茜と智也だが、次の瞬間には目を疑った。
「こんの、クソ兄貴! 十年も連絡なしで、いきなり帰るってどういう事だよ!」
日奈子はそう叫びながら、和也の首を絞めていた。
「……わっ、悪かったよ」
ヒイヒイ言いながら詫びる和也だが、日奈子の怒りは収まらないらしい。
「まあまあ日奈子ちゃん。こうして帰って来てくれたんだから、ねっ」
ラプンツェルが宥めにかかる。残された二人は阿呆のような顔しか出来なかった。そこでラプンツェルが笑う。
「この兄妹は昔からこうなんです。日奈子ちゃんが行き過ぎたブラコンで、ずっとベッタリ。私たちのつけ入る隙なんてどこにもなかった」
日奈子とラプンツェルには、茜が女であることを明かした。和也曰く、この二人は秘密は絶対に守る。その言葉を信じるしかなかった。
「ところでさ、美千代さんの依頼って何だったの?」
「え……? 小娘、お前今更それを訊くのか?」
智也が呆れ果てて言う。
「だって美千代さんからは、和也と智也のサポートを頼まれただけだし」
「いいか、『この町の王子様の周りのプリンセスを殺す』って脅迫状が来たんだと。それで俺様の頭脳を頼ったんだ」
「ふーん。でもこの家って確かに広いけど、そこまで金持ちそうでもないし、どこかで恨みでも買ってるの?」
茜の言葉に、日奈子が反応する。
「それじゃあ何? お兄ちゃんが悪いって言いたいの?」
「いや、そんなつもりじゃ……」
そう宥めにかかった頃、ラプンツェル以外のプリンセスたちが部屋にやって来た。だが、スノーの姿がない。
「あれ? スノーは?」
そう尋ねる和也だが、脅迫状の事もあり、万が一に備える。するとリーダー格のクィーンが緊張した面持ちで応える。
「警察に通報したんだけど、この吹雪でしょ? ……外のパトロールは明日以降だそうよ」
アリスが彼女のドレスの裾にしがみつく。他の面々も不安そうだ。
「……どの道この雪じゃ野外のスノーは捜せない。今日は二人一組で寝るんだ」
智也がそう指示を出すと、クィーンとアリス、シンデレラとラプンツェル、スリーピングと日奈子に分かれて部屋割りをした。
深夜、携帯電話で美千代に資料を送ってもらっていた茜は、急な大声でびくりとした。彼女は一人部屋だ。護身用のスタンガンは毎度のことながら、ちゃんと携帯している。それを持って廊下に出ると、スリーピングと日奈子の眠っている部屋の前に人が集まっていた。
その中には和也と智也もいた。和也は倒れているスリーピングの身体を改めている。
「……まさか、事件?」
足早に二人に近づきつつ、尋ねる。返事をしたのは智也だった。
「ああ。和也の検死によると、死亡推定時刻は午後の九時から十二時だそうだ」
「え? 和也ってそんなに詳しい検死なんてできたの?」
驚く茜に、和也は自嘲気味に言った。
「これでも医大に受かるだけの知識はあるし、独学でも勉強したんだよ……」
周りにいる女性陣は皆一様に怯えている。
「その時間は俺と和也、茜、日奈子とラプンツェルは一緒の部屋で話をしてた」
「なに? アリバイの話? それなら私たち姉妹とシンデレラにもあるわ。一緒に誰が勝ってもカズ様は譲るって、ねぇ?」
アリスとシンデレラが頷き合う。
「……一番疑わしいのって、日奈子ちゃんじゃないの?」
「お姉さま!」
クィーンの指摘をアリスは止めようとするが、上手いフォローが思いつかない。日奈子は疑われても仕方がない立場にいると悟っているためか、何も言わない。
「……そうだよ、みんなピリピリしてるだけよ! みんなで一緒に紅茶でも飲みながらトランプでもしない? それなら……」
その場の空気を一新するかのように、ラプンツェルが提案した。トランプをクィーンに差し出すが、案の定、叩き落される。散らばるトランプ。誰もそれを拾わない。こうして誰もが猜疑心に苛まれながら一夜を過ごした。
翌日になって、やっと到着した救助隊が見つけたのは、冷たくなったスノーだった。
「なんて事……」
シンデレラは青ざめる。他の面々も同様だ。
『探偵』という職業上、死体には縁のある三人は彼女たちを凝視していた。……しかし和也だけは、ある一人を見つめていた。その事には誰も気づいていなかった。
彼女は猛烈な痛みと戦っていた。嫌な汗が素肌を伝う。あまりの痛みで声が出ない。
――一体誰が、こんな事を……。
眩暈がして、意識を失いかけたその時だった。
「……大丈夫? 今助ける」
和也が彼女――クィーンを抱きかかえていた。彼は素早く何らかの薬の入った注器の針を彼女の細い腕に刺した。徐々に呼吸が戻っていく。
「お姉さま? どうしたの?」
アリスを先頭に、スノーの遺体を見届けた連中がやって来た。
「和也、その薬は?」
智也が尋ねると、素早く和也の返事が返ってきた。
「解毒剤だよ。こんな事もあろうかと常備してる。茜のスタンガンのようにね」
間一髪で助かったクィーンは青ざめた顔のままで和也に訊いた。
「……私、薬でも盛られてたの?」
「言いたくないけど、そう。でも君のおかげで犯人が解った」
その一言でどよめきが起こる。
「誰? 日奈子さん……じゃないよね?」
まさか和也が真相にたどり着くとは思っていなかったらしい。
「ああ、日奈子はハメられたんだ。……二人を殺し、更にクィーンまでその手にかけようとした。いや、君にとっては誰でもよかったんだろ?」
そう言って、和也が指差した場所にいたのは……ラプンツェルだった。一同は皆、驚いている。和也は続ける。
「まず、スノーを気絶させて、予めチェックしておいた、気象予報通り雪が降ることを見越して、雪の上に放置した。凍死は死亡推定時刻の特定が難しい。君はそれを利用したんだ」
ラプンツェルは黙ったままだ。
「……嘘、ですよね? ラプンツェルさん、私の事妹みたいに扱ってくれて……」
日奈子の声を遮って、更に和也は続ける。
「次にスリーピング。そもそも睡眠薬なんて容易に手に入れられるものではないし、薬が効くまで個人差が大きい。君は彼女と話している時にその微妙なラインを知ったんだ」
「……じゃあ、私は? どうやって毒なんて盛ったの? 食べ物は皆が同じものを食べたし、夕食以降は私、何も飲み食いしてないわ!」
クィーンの疑問に答えたのは、昨日ラプンツェルがやろうと言っていたトランプ。プラスチック製の、どこでも売っているような代物だ。
「君の性格はみんながよく知っている。当然、イライラしやすいところも。だからこうやって……」
「ダメっ!」
和也がトランプの淵に手をやろうとしたところを、ラプンツェルが止めた。
「……あ」
「……この通りだよラプンツェル。これは君の用意したトランプじゃない。毒なんて仕込んでない」
それを聞いたラプンツェルは安心したように床に崩れ落ちた。
こうして事件は幕を閉じた。事件の全貌が明らかになった一時間後にはパトカーが来た。
警察嫌いの『探偵』二人は家の中にいたが、和也だけはラプンツェルの連行を見送った。彼女は五分だけ時間が欲しいと警察に頼み、許可をもらった。
「……どうして脅迫状なんて送ったんだ? ただ殺すだけならオレたちを呼ぶ必要なんてないだろ?」
ラプンツェルは一瞬悲しそうな顔をした。
「貴方なら止めてくれると思ったから、かな」
「なんだそれ?」
ラプンツェルは身に着けていたスカーフを外した。よく見ると、それは『あの時』、家庭が上手くいってなかった時に、出会った少女が身に着けていた、セーラー服のモノだった。
「……君は……まさか……?」
和也が驚きに目を見開くと、彼女はそっと頷いた。
「……私はラプンツェル。一般の童話では王子様が助けに来てくれる。けれど、原本はそうじゃない。男たちをたぶらかす魔女。……最終的にそうなっちゃったわね」
彼女は遠くを見るように、目を細める。
「いつか再会したかったの。どんな形でもいいから、『あの時』から好きだったって、どんな姿でも私は貴方が好きだって、そう言いたかった」
目に少し涙を溜めながら、そういう彼女の言葉に、和也は大いに戸惑う。
「私の……初恋だったの?」
そう語った彼女に、一瞬あの少女の面影が重なる。
「時間だ」
そう言って、警官は彼女をパトカーに押しやる。瞬く間に遠く離れていくパトカー。
「……オレも、君が初恋だった」
そう呟く和也は、自分が泣いていることに気づかなかった。
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2015年 2月14日 莊野りず(加筆修正版更新)
2015年 9月16日 修正
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