探偵は教会に棲む

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The 23th Case:拾いモノからのギフト


 山瀬明、二十一歳。一月七日が来れば彼は二十二歳。きっと誕生日には誰かが祝ってくれる……はずだ。そうでも思わないとやっていられない。


「おい、聞いてんのか小娘!」
 携帯電話から聞こえるのは智也の怒鳴り声。普段の彼は誰もが振り返るイケメンらしい爽やかボイスだが、本性はこれだ。俺様気質の大物気取りで、平気で相手をバカにしてくる。実際に大物なのだが、癇に障るので黙る。
 茜はいい加減付き合いきれなくなってきた。彼女にだって仕事が入っているのだ、珍しく。美千代の介入しない依頼は最近増加傾向にあり、それはいい事だ。
 しかし代わりに、智也にやけに絡まれるのは勘弁願いたいところだ。
「……いい加減にしてよ! 僕だって解ってるっての!」
 彼女は乱暴に通話終了ボタンを押した。電話の向こうの智也は、さぞ困っている事だろう。
「ざまあみろ!」
 満足げにそう呟く。それは彼女なりの智也に対する一方的な勝利宣言だ。……別に勝負していたわけではないのだけれど。

 一方、智也は一方的に電話を切った茜に苛立っていた。ご丁寧に電源を切ってあるらしく、電話に出るのは『おかけになった電話番号は――』という機械音声のみ。
「くっそ〜あんの小娘ぇ!」
  彼の傍らの和也はスナック菓子を食べているだけで、特に何も言わない。実は茜と話していたのは、明のサプライズの誕生日パーティについてだった。
 年末の三十日に大掃除に来てもらって以来、大の男二人暮らしで掃除は一切行っていない。当然広い部屋はあらゆるゴミや食べかす、髪の毛などで不潔極まりない。それでもいつものように金で釣って明を呼ばないのは、クリスマス前にどうやら失恋したらしいという話を茜から聞いていたためだ。
 失恋した男ほど可哀想な生き物はいない、と智也は思っている。というのも、彼自身が常に美千代に振られ続けているからだ。要はただの価値観の押しつけ、余計なお世話なのである。だから茜もウンザリして電話を切ったのだ。
 その辺の事を、賢いクセに智也は全く理解していない。俺様という生き物は大概こんなものだ。
「なぁ和也、アイツが喜びそうなもんってなんか思いつかねぇ?」
 和也はスナック菓子を口に運ぶのをやめない。それは彼の思考中の癖でもあるし、そうでない時もある。せっかちな智也が十分待った時点で何も言わないので、今回は後者だった事になる。
「あ〜もう!どいつもこいつも! 少しは明を労わってやろうって気はないのかよ!」
 そう喚く智也を和也は若干冷めた目で見ていた。
「……お前がそれを言うのかよ」
 本当に小声で、和也はそう呟いた。


「お〜明!あれからどうよ? 例の遠距離恋愛の彼女とはさぁ?」
 幸次が今年に入って初めて話しかけてきた。
「その前に、明けましておめでとうだと思うけど?」
 明がそう指摘すると、彼はそう言えばそうだったという顔をした。
「じゃあ、改めて。あけおめ!」
「うん、明けましておめでとう」
幸次とは大学の中では親しいが、幼馴染である智也や、共に仕事をした事のある茜と比べれば関係は薄い。だから大学内だけの関係だと割り切って付き合っているつもりだ、明的には。しかし相手はそうではないらしい。もう一人の友人である祐樹はある程度空気を読んで、必要以上には接してこないのに対して、幸次はぐいぐい来るタイプだ。
 正直、関わったことを後悔さえしている。今日も明のプライベートに土足で踏み込もうと恋愛話を持ち掛けてきたに違いない。そういう奴なのだ。
「で、謎の多い明君。君の彼女は誕生日に何くれるの?」
「……」
アキナの事は別れたあの日から一切連絡を取っていない。その必要を感じないし、それほど彼女を束縛したくはないから。彼女には海外の広々とした世界の方が似合っている。告白はしたが、返事はもらっていない。つまり今現在においては明一人の片思い。
その事実をどこからか聞きつけたのだろう。幸次のようなタイプは悪友に恵まれることが多いから。
「ねぇねぇ、ね〜ってば!」
からかわれているのは理解している。慣れてもいる。しかし、あの日アキナが言った『あがく』という事は決して、今の状態の明の事は指さないだろう。今の自分を見たら彼女はきっと幻滅する。
「……もういい。幸次、君とはやっぱり合わないや」
「は?」
幸次が何を言われたのか理解できないというような顔で明を見返した。
「だから、君と僕は性格が合わない。だから、友達やめよう」
まさか温厚が売りの明からこんな冷たい言葉が出るとは思っていなかったに違いない。幸次はからかうのをやめて、やけに必死になって明に縋り付く。
「嘘嘘!ぜ〜んぶ嘘だから!だから俺らダチでいよ〜よ!」
明のプライベートに何か大きな組織がついている、なんて噂は明自身も聞いたことがあった。確かにそれは事実だ。しかし一度も誰にも認めたことはない。幸次が知りたいのは明自身の口からその『大きな組織』についての事全てなのだ。だからメリットしかない明はめでたくターゲットとなったわけだ。
これらの事は幸次と知り合って初めて気づいた事だから、その点だけは感謝したい。
「……じゃあ、クリスマス合コンのレストランの食費、返して」
「え?」
 余程明の事を舐めているのだろう。もしくはバカにしているのか。どちらにしても不愉快な事には変わりない。
「だから、君と祐樹が逃げ出した後、残された僕らは学生証見せて、その後わざわざ払いに行ったんだよ?」
「ごめ〜ん! 忘れてたぁ〜! ……でも明なら優しいからそれくらい許してくれるよね?」
 この舐めきった態度には、いくら『温厚』と言ってもキレるなという方が無理だ。
「いい加減にしろ!」
 大音量で叫び、明は講堂を後にした。残された幸次は阿呆のように、口を大きく開けたままで立ちすくんでいる。明はやけにスッキリした気分で、歌でも歌いたいくらいだった。
 ――もう誰にも期待なんてしない。
 明はそう心に決めた。どうせ智也たちだって忙しいの一言で片付けるに決まっている。だったら最初から期待なんてしなければいい。
「智也の奴、そろそろ汚部屋化してる頃だけど……大丈夫かな?」
 明の誕生日は明日だが、誰にも祝ってもらえないことくらい解っている。それでも夢くらいはみていたかった。


 その頃、慌てて飛行機に乗り込む人物が一人。手荷物はハンドバッグと小さなサイズのキャリーカートのみ。
「……大丈夫、間に合うはずよ」
 彼女は高いヒールの靴音を鳴らして、勢いよく飛行機に乗りこんだ。……人生四度目のフライトは予想以上に快適だった。
「アタシって愛されてんじゃん?」
 空港のトイレで化粧を整えた彼女は鏡に向かってにっこり笑ってみせる。これは最高のサプライズのはずだ。


「なにこれ」
 玄関のドアを開けた明は絶句した。
 この二人は汚部屋を作り出す天才か、天災だ。どうすればたったの一週間でここまで汚すことが出来るのだろうか。不思議で仕方がない。第一、住んでいて嫌にならないのか。
「……ならないんだろうなぁ」
 そう、それが“K"コンビクォリティなのだ。
「悪いなホントに。いや、割とマジで悪いって思ってるんだぜ?」
 智也のこの言葉は本心だ。ただ、そう思っているだけで行動に移らないのが彼なのだ。
「別にいいよ。どうせ誕生日を祝ってくれる仲間なんていないし」
 ややぶすくれながら明はまずゴミを纏める。茜と神父がいればいいのだが、あの二人は今日は仕事らしい。「あの二人がそろってやる仕事なんてどんなものだろう?」なんてことを考えながらゴミ袋の口を結ぶ。
「じゃあゴミ出しに行ってくるから。和也さん、それ以上スナック菓子の粉を零したら、僕は本当に帰りますからね?」
 他人事のようにスナック菓子を食べていた和也はぎくりとした。彼の周りにはスナック菓子独特の粉が散乱している。その掃除機がけの事を考えると明は気が遠くなる。
「あと、智也。今日のこの汚れっぷりプラス誕生日の出張料でいつもの三倍の報酬を要求します!」
「なっ! それは酷いぞ! 暴挙だ! いくら俺らが汚部屋住人だからってバカにすんなよ!?」
 どうやら自分たちが住んでいるのは普通の部屋ではなく『汚部屋』だという認識はあるようだ。しかしそれはそれである。わざわざ休日、しかも自分の誕生日にいくら幼馴染の頼みとはいえ、なぜ大掃除などせねばならないのか。そこまで考えて、明は自分が惨めで情けなくなる。
 「せめて彼女に会えればなぁ」なんて考えてしまう自分が女々しい。
 あの時勢いよく送り出したのは紛れもなく自分自身なのだ。ならば潔く諦めようか、なんて思った夜も多い。しかしあの数日間がまるで宝物のようで、他の女性の存在を認識できない。
 ――僕はいつまでも君を待つしかないのか?
 明は心の中で自身に問いかける。返ってきた答えはただ一つだった。
 ――彼女が帰ってくる前に一人前になって、向こうから告白するような男になればいい。
 ただそれだけだ。
「……どうでもいいけどよ、手、止まってんぞ?」
 汚部屋の元凶は偉そうにソファにくつろぎながらそう指摘する。
「うるっさいな! 僕だって色々と考え事があるんだよ!」
 「おうおう逆ギレか?」なんて智也の楽しそうな声。絶対智也はSだ。ゴミ袋を両手に二つづつぶら下げて、マンションの下界を目指した。


「で、今回の帰国はサプライズ? ……君って脳みそ空のクセに余計な事だけは思いつくんだね」
「……そっちこそ、相変わらずニート? オッサンも大変だねぇ、こんなヒッキーなニート飼ってちゃ」
 久しぶり……でもないが、再会した二人の相性は相変わらずだった。神父は運転に集中しようとするが、後部座席に座る彼女と助手席で地図を手にする茜の言い争いには辟易する。
「おい茜、本当に道は間違いないのか?」
「僕のナビなら安心だっていつも自分で言ってるくせに」
 やれやれ、どうやらこちらにも飛び火したようだ。神父は内心溜め息、しかし表情は崩さない。……バックミラー越しでも彼女の迫力は、流石としか言いようがない。
「そこ、右に曲がって」
「ねぇホントに合ってんの? イッコーに着かないじゃん!」
 茜のナビの声と彼女の声が重なり、思わず混乱する。何とかスピードを落として事なきを得たが、二人の言い争いはますます激化。
「ちょっと、横から口出さないでよ。バカなんだから黙ってなって」
「高校も行ってないニートよりはマシだっつーの!」
「……頼むから二人とも黙ってくれないかね?」
 思わず神父は心の中の白旗を上げる。だが、その程度で許すような二人ではない。
「神父は黙ってなよ」
「うっさいオッサン」
 二人の声がハモる。妙なところでは相性がいいこの二人だが、無事に目的地に着けるだろうか。今回の彼女には時間制限がある。残された時間はあと三時間しかないのだ。
「神父、そこは左。次は直進ね」
 茜が地図に視線を移す。
「ねぇ、ホント―に……」 「うるっさいなぁ! 元々僕らは君を運び届ける義務なんてないんだよ? ただのボランティアなの! そこんとこ理解してるの?」
 ついにキレた茜に彼女は唇を噛む。バックミラー越しに見る彼女は、初めて見た時よりも魅力的に見える。
「……大丈夫。私と茜のコンビならば必ず君を送り届けてあげるよ」
 神父は彼女を安心させるように諭す。無言で頷いた彼女は、相変わらずの痛んだ髪がもったいなかった。


 部屋の掃除もだいぶ進んだ。……とはいえ、まだ床が見えただけである。汚部屋からの脱出はまだまだだ。
「……いつになったら俺らはくつろげるんだ?」
 智也はもはや他人事。
「オレもスナック菓子食べたくてたまんないんだけど?」
 和也ももちろん他人事。
「……アンタらは人への感謝の気持ちの示し方ってものを学んだらどう?」
 明はあちこちに散らばった細かいゴミを掃除機がけで片付けながら嫌味を吐く。しかし元々の善人な性格が災いして中途半端な嫌味しか言えない。
「……そんな言い方より、「人としての生き方を幼稚園からやり直せ!」、くらいは言わないとな」
 智也はケロリとして言った。本人的にはアドバイスのつもりだろうが、余計なお世話だ。そう言い返そうとした時、チャイムが鳴った。
 なのに部屋の住人二人は無反応。
「……出なくていいの?」
 明が代わりに出ようかと三和土の方へと向かう。それを智也が止める。
「あー、いーのいーの。どーせ新聞の集金とかだろ。今の俺はそんな気分じゃねーの!」
「智也と同じく」
 二人ともとんだ嫌な客だ。就職しても絶対に新聞の集金の仕事などするものか。そう心に誓って、インターホンに出る。
「はい、安藤です」
「違うでしょ。アンタは山瀬でしょ?」
 智也名義のマンションだから『安藤』と名乗ったのに、なぜ相手は明の名字である『山瀬』と言ったのか。疑問符を浮かべる明に智也がニヤニヤ笑いながら出るよう促す。
「さっさと出ろよ。インターホンに出ちまったんだから居留守は無理だぞ」
 智也の言う事は尤もなので、渋々ながらドアを開ける。隙間から見えた姿には思わず驚いて、二度見する。
 ――これは夢?
「明ぁ!」
 それは紛れもなく、明が聴きたかった『彼女』の声。思い切りドアを開けた途端に抱き付いてきた『彼女』の外見、柔らかな感覚。
 そこにいたのは約半月ほど前に別れたばかりの明の想い人――アキナだった。


『彼女』ことアキナを智也のマンションに運ぶ』という大仕事を終えた二人はコインパーキングで一休み中だ。
「……あーもう! なんでこの僕がこんなつまんない仕事しなきゃいけないワケ?」
 茜は甘いミルクティに予め持ってきていたスティックシュガーを投入、そのまま飲む。
「まあまあ、いいじゃないか。たまにはこういう『善意』という大きなものを運ぶ仕事も。私たちの糧になるモノだ」
「まーた始まったよ、いつもの神父の説法。いい加減飽きた!」
 一気に飲み干したミルクティの缶をきちんとゴミ箱に入れながら茜は呟く。そんな彼女を慈愛の瞳で見つめる神父は、当然本音を知っている。
『明にはお世話になってるからね! 今回だけだよ! だから、協力して!』
 そう頼んできたのは他でもない、茜の方からだった。本当は明の幸せを祈っているのだ、茜は茜なりに。ただ、明の想い人との相性が最悪だっただけ。
「……茜」
「ん? なに?」
 久しぶりに会った『彼女』の胸元からは神父自身が明に託した銀のクロスが光っていた。
「私はとても幸せだよ。お前という優しい『娘』がいて、それを守ってくれる仲間がいて、その他にもお前が助けた人の中には逆に助けてくれるかもしれない人もいるだろう」
「……なにさ、いきなり。神父がシリアスモードなんて洒落になんないしやめてよ」
 神父は続ける。
「私はもう歳だからな。こんな時くらいじゃないとお前に大切な事を伝えられないだろう?」
「だから、やめてってば」
「私がいなくなったら……そうだな、まずは髪を伸ばすといい。お前のその優しい髪の色が、私はとても好きだ」
「やめて……」
「一人称も改めなさい。お前は賢い娘だ。その気になれば大学にだって入れるし、なんだってできる」
「お願いだからやめてっ!」
 茜が涙目になって訴えると、やっと神父の言葉は止まった。その後はただ沈黙だけが残った。


「アキナ? 本物……だよね?」
 相変わらずの痛んだ髪、耳に着けた安っぽい輪っかのピアス、そしてなぜか変わらない四方学院のセーラー服。
「当ったり前じゃん。この姿見て、アタシだって解んなかったら超がつくおバカだよ!」
 相変わらずの明るい笑顔に、明のこれまでの疲労も癒される気がする。
「でもなんで君がここにいるの? 海外の高校に行ったんだよね?」
「それがホームステイ先のアメリカの……どこ州だっけな〜? 海外留学の基準が……なんだっけ?」
 相変わらず、いや、更に頭は弱くなっている。
 だが、これでこそのアキナだ。奥の部屋から智也が顔を出す。
「おっ、どうやらサプライズ成功みたいだな!」
「やったね!」
 和也もスナック菓子を片手にのっそりと顔を出す。
「あっ、どうも〜はじめましてぇ。明にコクられたアキナで〜す」
 ピースサインを作ってアキナは彼女なりの自己表現で挨拶をする。智也と和也の反応は意外と引いていた。
「……明、お前さ、こんな頭悪そーな女が好みなのか?」
 ……智也の真顔など久しぶりに見た気がする。
「……人の恋路を邪魔する奴は〜って言うけどさ、やめといたら?」
 和也もどうやら同意見らしい。アキナからは見えない角度で囁きかけてくるのはせめてもの優しさか。
「だって、好きになっちゃったんだ! しょうがないじゃないか!」
 思わず声を張り上げる明に驚くアキナ。
「なになに? どしたの?」
 驚いたのは智也と和也も同様だった。明は顔を赤くしてアキナに向き直る。
「……会いに来てくれたって事は、あの時の返事を訊いてもいいって事……だよね?」
 アキナはそこまでは考えていなかったらしく、彼女らしくもなく赤面。
「それは……その……」
「僕の誕生日を祝いに来てくれたんだよね?だったら……」
 マンションの外壁にアキナを包み込むように両腕を当てる。
「期待……しちゃうだろ」
「……明」
「……嘘でもいいからさ、『好き』って言って? それが僕にとっての最高の誕生日プレゼントだよ」
 彼女は首を横に振ると、観念したように正面から明を見つめる。元ヤンならではの眼力に思わず怯みそうになるが、明だって男だ、意地くらいはある。
「嘘なんかじゃない! アタシは明の事が大好きだよ! 悪い!?」
 まるで逆ギレのような剣幕にあっさりと明の中の男の意地は砕けた。
「ああそうだよ! アタシは明が誰よりも好きだし! 誰がなんて言おうと、その……あっ、愛してるし!?」
 自分でも何を言っているのか解らないのだろう。アキナは確かにバカかもしれないが、想いは人一倍ピュアだ。その事は明が一番よく知っている。
「だからさ、明! アタシと婚約しよう!」
「え?」
 明的にはただ『好き』という言葉が欲しかっただけだ。それなのに『好き』『愛してる』ときて、いきなりの『婚約』だ。
「えええええ!?」
 思わず情けない声が出てしまった。先ほどまでのしおらしさはどこへ行ったのか、いや、今の方がアキナらしいと言えばらしいが。
 そこまでの様子を傍観していた男二人――智也と和也はニヤニヤ笑いで写真を撮っている。
「ちょっ、何やってんだよ!」
「せっかく帰国したんだ。キスくらいは済ませとけよ」
「そうそう。アキラだってアキナ? だっけ、もファーストキスはこの人と決めた相手がいいんじゃないの?」
  智也と和也のいつもの明いじりが始まった。しかしアキナはこれが日常茶飯事だという事は当然知らない。
「そだね! じゃー、ちゅ!」
 パシャ、っとその瞬間にカメラのフラッシュが光った。唇に当たる柔らかい感覚に明は思わず眩暈が起こりそうだった。
「よーし、バッチリ撮れた!」
「結婚式のメモリアル撮影に採用決定だな!」
 勝手に事を進める智也と和也を止める気力はもはやない。アキナだけは嬉しそうに笑っている。その笑顔は明が見たかったもの、最高の誕生日プレゼントに色々と欲しいものをもらってしまった。
 だが、魔法はいつか解けるもの。マンションの最上階からやっと聞こえる程度だが、実際は限界まで出しているのであろうクラクションの音が聞こえる。
「この音は?」
「チッ」
 アキナは思い切り舌打ち。
「残念ながら王子様とのオーセもオシマイってワケだ」
「え?」
 ますますわけが解らない明に智也が同情して説明する。
「今回のサプライズは俺らと小娘と神父、それとこのバカガキが合同で計画したんだ。時間制限があるんだよ。ホームステイ先への礼儀もあるし」
「そゆこと。……でもアタシは後悔してないよ! だって大好きな明に憧れの壁ドンしてもらったし、婚約したし!」
「いや、まだ婚約ははや……」
「おーいバカ女ァ! 早くこーい!」
 茜の大声がここ一帯に響く。
「あちゃー。こりゃご近所さんに詫びに行かなきゃな」
「面倒なことしてくれるなぁ」
 智也と和也は困ったようなことを言っているが、実際にはあまり困ったようには見えない。
「じゃあね、明! 次に帰国したら結婚式だね! それまでアタシ、オンナを磨いてるから!」
 前回同様、湿っぽい別れは苦手なのだろう。アキナは一度も振り返ることもなくエレベーターホールへと駆けて行く。
 明も追うが、ちょうどタイミングが悪い事にこの階に止まったばかりで、アキナはあっさり『閉』ボタンを押したようだ。ゆっくりと下っていくケージを眺めることはできないけれど、不思議と後悔はない。いつの間にか追いついていた智也が明の肩に手を置いた。
「……本当は美女限定なんだぞ?」
「……ああ」
 明は智也の胸を借りて少しだけ泣いた。次に彼女に会えるのはいつの日か。
 きっとそう遠くない未来のはずだ。その日のために、今は一歩でも先に進もうと明は決意した。……冬の寒さはいつかは春の温かさに変わるのだから。

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2015年 3月25日 莊野りず


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