茜が教会に戻ってからしばらくが過ぎた。彼女の記憶はどこまで戻っているのかと気に揉んだが、いつまでも悩んでいても仕方がない。既に次の依頼人が来客中だ。
ここ懺悔室からは話の内容は聞き取れない。しかし何やら困った雰囲気の様だ。
「……それで、なくしたそのオルゴールを探してほしいと?」
熱いお茶と煎餅を神父が運んでくる。今回の依頼人は年配の夫妻だからだ。彼の存在に依頼人は不審な顔をした。茜が慌てて言い添える。
「あぁ、彼はこの教会の牧師です。依頼内容を漏らすことはあり得ませんので、ご安心を」
彼女の言葉に安心したのか、年配の女性は胸を撫で下ろした。
「それで、そのオルゴールというのは、どのようなものなのですか?」
「全体が金箔で覆われている四角形で、五人の天使の人形が音楽に合わせて踊りだす、そんなところです」
付き添いの年配の男性がそうきっぱり言うので、茜はそのオルゴールをイメージしてみる。
「……なるほど。大体解りました」
茜は神父に合図を送る。彼は心得たようで、言われたものと特徴が酷似したオルゴールを持ってきた。
「それは!?」
思わず男性が立ち上がる。彼の言った通りのものだったからだ。
「なぜこれがこんなところに?」
「疑問はご尤もです。このオルゴールはこの近辺の教会では敬遠な信者の証として、信者に配られるものですから」
オルゴールの蓋を開けると、トロイメライのメロディが流れる。
「これだわ! 私たちはこれを探していたの! 譲ってはいただけないかしら?」
夫人は茜の腕からオルゴールを奪い取ろうとした。その必死な姿に夫らしき男性は諌めることもできなかった。
「ホントにオルゴールはあれだけなの?」
茜は屋根裏を漁っている。モノが増えすぎた教会を綺麗に保つために、普段使わないものはここに押し込んである。もしかしたら、自分たちも智也と和也とあまり変わらないのかもしれない。
「ないものはない。あのご婦人は何を必死になっているのやら。オルゴールなどどうでもいいではないか?」
神父は心底不思議そうだ。
「あのね、あのオルゴールは旦那さんからのプレゼントなんだってば。そんな事も解らないから、未だにヤモメなんだよ?」
手を止めずに茜はそう言い放つ。
「なぜあれが旦那さんからのプレゼントだと解った?」
「オルゴールの話をする時、目がギラギラしてた。……あんな古ぼけたオルゴールに必死になるのってそのくらいしか理由がないよ?」
「それはあまり論理的ではない気がするが……。女の勘ってヤツか?」
そう言う神父の頭に古ぼけたランプが飛んでくる。
「……二度とそんな事言わないでよ?」
本気で怒っているのだと解った神父は、それ以上茜をからかうのをやめた。
結局夫妻は帰って行った。得られたのは教会関係者に配られるオルゴールという事実のみ。それに男性曰く、こんなに汚れていないし、手入れも十分にしている、との事だった。その言葉で妻も納得したのか、そのまま帰る事にしたのだった。
クリスマスシーズンともなると、街は赤と緑で賑わっている。茜はこの近辺の教会を当たっていた。特に特徴のない老夫婦だが、年配者ほど偏見が強く、キリスト教を迎合するわけではないのだ。そこを利用しようと思ったのだが、この時期ともなるとどこも礼拝堂は満席で、とてもではないが話を聞ける状況ではない。
「困ったなぁ」
茜がそう漏らすと、周りの人々が話しかけてくる。
「どうかしたの?」
「迷子かい?」
「保護者はどうしたんだ」
ただでさえ童顔の茜は十代前半に見られてもおかしくない。それに苦手な人ごみの中では声も届かない。
「……お構いなく」
やっとの事でそれだけ言ってその教会を出た。インターネットで探してある教会はあと五件。この調子ではあっという間に日が暮れてしまう。智也たちにも手伝わせようかと一瞬思ったが、この程度の事で借りなど作りたくはない。茜は足早に街を歩く。コートの裾が翻っても気にしない。
教会に帰ったのは夜の十一時だった。夕食も食べず、普段は寝ている時間まで、自分はよくやったと思う。眠っている神父を起こさないよう、シャワーだけを浴びる。
レンジでホットミルクを作って飲むと疲れが吹っ飛ぶ。もちろん、甘党の茜は砂糖をたっぷり入れる事も忘れない。
「……さて、と。どうしたものかなぁ?」
計六件の教会を当たっても『アタリ』はなかった。あの夫妻が嘘を言っている可能性もある事はあるが、それで彼らにメリットは一つもない。それに、たかがオルゴールの事で、わざわざ探偵になど依頼するものだろうか。
そもそもなぜオルゴールなのだろう。それだけ二人にとって大事なものなのだろうか。そこまで考えて、限界だった茜の身体はベッドへと転んだ。
オルゴールには収納がついている。その事に思い至ったのは教会にある古いオルゴールのおかげだ。
「……まさか、あの二人の目的って……」
「今日はお話があって参りました」
閉口一番に夫人はそう切り出した。「なんでしょう」と、相槌を打つ茜。
「お宅の教会のオルゴールをいただきたいのです」
「……は?」
流石の茜も開いた口が塞がらない。横から神父が顔を出す。
「すみませんが、なぜですか? あれだけ、そのオルゴールにこだわってらしたではありませんか?」
「気が変わったのです。これ以上は言いたくありません」
にべもなく断られる。これには茜共々神父も参ってしまう。
「ですが、あのオルゴールはうちの教会の備品でして……」
「ここの探偵さんならば何でも解決してくださるとネットで評判だったのに……」
夫人の毒舌は止まらない。彼女の夫も夫で、窘めようともしない。
「……それではクリスマスイブまではお貸しする、というのはいかがですか?」
この言葉に夫人は面食らったようだったが、すぐに平常に戻った。
「え、えぇ。クリスマスイブまで」
それでこの日のやり取りは終わった。神父は熱いお茶と煎餅を勧めたが、全く手をつけようとはしなかった。
「どういうこと?」
茜は半ばご立腹だ。
「あれじゃ僕が無能って言われてるのを認めるって事でしょ? ……ふざけるのもいい加減にしてよ!」
クッションを神父の方に投げつけながら、茜はイライラしていた。
「こら、物に当たるのはみっともないからやめなさい! それに私の中の勘が呟いているんだ」
「神父の勘? ……あてになんない」
「いいから、しばらく様子を見ていなさい。話はそれからだ。……それと、散らかしたところは片づけておきなさい」
そう言って神父は部屋から去った。残された茜は何が何やら解らずに、ひたすらクッションを殴り続けた。
――なんだよ、神父如きが偉そうに。
今年はホワイトクリスマスになりそうだと天気予報でやっていた。どうやらその通りになりそうな空模様だ。茜はステンドグラス越しにしんしんと降り積もる雪を眺めていた。
真っ白で純白な新雪は穢れた気分を全て流し込んでくれそうな気がするのは、自分の気が荒んでいるせいだろうか。未だに昔の事を、全て思い出せないでいる自分に腹立つ。
教会に帰ってきた時は神父は心配の言葉以外何も言わなかった。それが嬉しくもあり、ほんの少しだけ悲しかった。いつから神父と暮らし始めたか、など忘却の彼方だ。なのになぜ、今更になってそんな事を思うのだろう。自分が解らなくなりそうで、百合のステンドグラスから離れた。
十二月二十四日、クリスマスイブである。その早朝から教会に来客があった。確認しなくても解る、あの夫婦だ。茜はいつものシャツとジーンズに着替えると、応接間へと向かった。
そこには既に神父がいて、夫妻と楽しげに話し込んでいた。なにがなんだか状況がつかめないが、神父が感謝されている事だけは解った。
「本当に助かりました」
あのきつかった婦人が微笑み、隣の夫はホッとしたように穏やかな顔だ。一体神父が何をしたというのだろう。ちょうどその時、彼と目が合った。
「茜、来なさい」
不思議とこういう時の神父には逆らえない。黙って彼の隣に座ると、夫人が例の古いオルゴールを手渡した。
「おかげ様で助かりました」
「いえ、信仰の邪魔をする気などさらさらありませんから」
神父はそっとオルゴールを受け取る。
「あの……何のためのオルゴールなんですか?」
茜がそう問うと、夫人は飛び切りの内緒話でもするような声で言った。
「このオルゴールの中にね、お互いのクリスマスプレゼントを入れておくの。蓋を開けたら音楽が鳴って、最高の演出でしょ?」
本当に彼女は幸せそうに笑う。
「……妻が言っても聞かなくてな」
夫はつまらなそうに言うが、本当は嬉しいのだろう、その感情はダダ漏れだ。
「……幸福って目に見えないからこそ大事なのよね」
夫人はそう言って、悪戯っぽく笑った。
「神父は気づいてたワケ? あのオルゴールの秘密」
神父は紅茶を淹れている最中だ。夫妻が帰ったため、広すぎる礼拝堂には彼と茜しかいない。
「何となくだがな。……お前と私では生きてきた経験が違うんだ」
「神父のくせにエラソーな事言って!」
「それはこちらの台詞だ」
こうして思った事をポンポンいえる。これも目に見えない幸福とやらだろうか。そんな事を考えようとして……やめた。自分と彼はそんな簡単な関係じゃないのだ。
「どうした、飲まないのか?」
角砂糖を大量に入れた茜好みの紅茶を手にする神父に、飲むとだけ伝える。
――大丈夫、今はまだこれでいいんだ。
すっかり冷え切った手を紅茶で温めるようにカップを手で覆う。その味には、神父の優しさが染みついているようで、どこか安心した。
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2015年 3月8日 莊野りず(加筆修正版更新)
2015年 9月16日 修正
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