教会が燃え落ちてからから、数ヶ月が過ぎた。東北の森の中にあるペンションで年を越した茜と神父の元に、美千代から連絡が入った。それは二人が待ち侘びていた、『教会』の完成の知らせの報だった。
「明けましておめでとう、茜ちゃん! ずっと待たせちゃってた、『教会』の工事がやっと終わったって!」
『教会』の再建工事終了の報を聞いて、神父は大喜び。もちろん、茜だって彼に負けないくらいに嬉しい。前の古い『教会』も、なんだかんだ文句を言っていたものの気に入っていた。でも、建て直すのならばこの際に棲み心地をよくしよう、という事で、色々と注文を付け過ぎたために、これほど時間がかかったのだ。
「ありがとうございます! さっそくこれから向かいますね!」
茜は弾む声で、携帯電話の向こう側の美千代に言った。「これから」とは言ったものの、現在の時刻は、年が明けたばかりの深夜零時を少し回ったところだ。
「……誰からだった?」
もしかして、と期待に満ちた顔で、智也が出たがったが、美千代はいつも彼を軽くあしらっている。……それは、単に『嫌っている』だけだ、と解釈している茜は、敢えて彼を出さずに通話終了ボタンを押した。その後、彼が予期した通り電話の相手が美千代だった事を告げると、非常に悔しがった。
その翌朝、僅か二〜三日だけだが、世話になったペンションを改めて見てみる。母屋には『探偵』たちが呼んだ警察が来ていた。その喧騒の中で、今回一緒になった五人は別れを惜しんだ。派手なだけで車種も解らない車に乗り込んだ男三人の中で、智也だけは軽口を叩く。
「……あんま、神父に心配かけんじゃねぇぞ? 年なんだから」
「言われるまでもないよ。……って言うか、今回は全然役に立たなかった智也に、そんな偉そうな事を言われたくない!」
そう言い返しながら茜も、神父が先に乗っているレンタカーに乗り込んむ。運転はもちろん完全に、彼に任せた。……結局、あれから徹夜してしまったので、やけに眠い。今朝は忙しくて、日課のコーヒーも飲んでいないし。そうこうしているうちに、 彼女は助手席で眠りについた。
目が覚めた時には、どこかのパーキングエリアに着いていた。窓から見えるのは、山々に囲まれた閉鎖的な道路と、エリア内の各種施設。隣を見ても神父の姿はない。……トイレに休憩のつもりで寄ったのだろうか。茜はシートベルトを外して、ドアを開ける。外に出てみると、エリア内には屋台が並んでいる。そこでは、この周辺の名物が売られている。
思わず楽しい気分になって、つい売られていたフランクフルトを衝動買いしてしまった。……神父を探して車から降りたのに。狭いこのパーキングエリアでも食べ物が売られているあたり、便利な世の中に生まれてきたな、という感想を抱く。
ふと、振り返ってみると、小さな人だかりが出来ていた。その中心には、探していた神父の姿があった。
「……何やってんの神父?」
茜が人だかりをかき分けて、彼に近寄ると、群がっていた人々は素直に道を開けてくれた。
「……茜、私はやっていない!」
そう大声で主張する彼の手には果物ナイフがあった。それに生々しい血の赤が映っている。神父の傍では、若い女性が倒れていた。……なるほど、状況は大体飲み込めた。
茜が一人で、無言で納得していると、いかにも遊んでいそうなタイプの、所謂『チャラ男』が彼女と神父にいちゃもんをつけてきた。
「あんたがやったんだろ? キョーコはアンタに殺されたんだ!」
この場に倒れている若い女性の恋人なのだろうか、チャラ男が吠えた。その勢いはどこかの片田舎にでもいそうな、ヤンキーのものとあまり変わらない。……勢いだけの見せかけで、中身が感じられないのだ。
「ちょっと神父、そのナイフを見せてよ」
茜は立ちすくんでいる彼から、ナイフを指紋がつかないようハンカチを使って受け取った。刃渡り二十センチほどの小ぶりな、ごく普通の果物ナイフだ。磨かれたそのナイフには、神父のものらしい指紋が付着していた。他の指紋はない。
「……この果物ナイフは誰の?」
茜が訊ねるとそのチャラ男が手を上げた。
「俺のだよ。そこのオッサンが俺の荷物から盗ったんだ!」
神父は怯みつつも、慌てて弁解した。
「私は……彼女が倒れているのを発見して、刺さっていたナイフを抜いただけです! 信じてください!」
野次馬たちは無責任に、彼を疑いの眼差しで見ている。優しそうな顔して酷い事をするものだ、そんな野次まで飛んでくる。チャラ男がこれでトドメだとばかりに、大声で言う。
「嘘ついてんじゃねーよ! テメーが――」
「……神父はやってない。刺したのはあなたでしょ? このヤンキーが!」
茜はチャラ男に向かって、指差して冷静そのものの声で言った。それまで神父ばかりを見ていた野次馬たちの視線が、今度はチャラ鬼集中する。
「……は? 何で俺が刺すんだよ? 俺はこのキョーコの――」
「じゃあ訊くけど、なんであなたのナイフなのに、あなた自身の指紋がないの? どう考えてもおかしいでしょ? あんたが刺して、自分の指紋を拭き取って彼女――キョーコさんを放置したんだよ!」
彼の言葉を途中で遮って、あくまでも論理的に指摘する。茜の疑問は尤もなもので、この頭の軽いチャラ男には答えられるはずもなかった。
「そっ、それは……」
「君、ちょっとこちらに来なさい」
茜と同年代のチャラ男は、あっという間にパーキングエリアの警備員に引っ張られていく。野次馬から拍手が巻き起こる。それは茜の推理への賞賛と神父の疑いが晴れた祝いがこもったものだった。
ガソリンを補給した後で、再び神父の運転するレンタカーは走り出した。先ほどの怯えきった顔はどこへやら。彼は平静そのものの、落ちついた穏やかな表情で車を操っている。
「……お前は推理だけは、一人前だ」
神父の運転する車内の助手席に座っている茜は、パーキングエリアで『容疑を晴らした礼』として、彼に買わせたサンドイッチと甘いアイスティーを味わっている。もちろん、後者は買ってそのままではなく、茜好みに大量の砂糖を混ぜて、激甘仕様にしてある。噛んでいたチキンサンドを飲み込んで、彼女は言う。
「そ〜んな事言っちゃって。ホントは僕と離れるのが嫌なだけでしょ?」
新たな『教会』までは、あと一時間もあれば到着するはずだ。新居の棲み心地を想像して、神父はハンドルを握る手に、更に力が入った。……茜の言葉への返事は、今は保留だ。
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